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13/22

13:聖女はそれを待ちわびていた

「先ほどは大変取り乱した振る舞いをお見せしてしまい申し訳ございませんでした」



「構わない」


「できれば忘れていただけると幸いです」


「忘れない」


 宿屋の一室で、私とジェラルドは向き合っていた。あのあと、憔悴した私を引きずるようにして、ジェラルドが連れ込んだのだ。


 泣き止んでしまうと、どうも気恥ずかしくて顔が熱くなった。ジェラルドは長椅子に座って、机を挟んで向かいに座る私を眺めている。


「……ロザリンドは、この村で家族と暮らしていたんだな」


 静かな声だった。だから気負わずに頷くことができた。


「はい。私は五歳までここで育ったんです。本当に、どこにでもいる平凡な子どもで、穏やかな暮らしをしていました……」


 それは全て、魔獣に破壊されたが。

 私は顔つきを引き締めて、ジェラルドに尋ねる。


「魔獣の襲来はいつですか?」


「今夜だ。今のうちに眠っておけ」


 部屋の隅にある大きなベッドを指差す。取ったのは一室で、ベッドも一つしかなかったが、どうでもよかった。どのみち今夜魔獣が来るのだから。


 私は休みやすいように服の襟元を緩め、ベッドに横になった。


「もしも、私があの広場で、魔獣が来るって叫んで、みんなを避難させたら……」


 ひそやかに囁く。ジェラルドが物憂げに返答した。


「……そうしたら、きっと魔獣は来ない」


「え?」


 何かを知っていそうな口ぶりに、思わず身を起こす。しかし、ジェラルドは長椅子に足を組んで寝そべって、ひらひらと手を振った。


「なんでもない。お前は休め」


「でも」


「休め」


「はい」


 私は引っかかりを覚えながらも、目を閉じた。すぐに眠気はやってきた。



■■■



 真夜中。

 私が剣を磨いていると、空気がざわめく気配がした。


「──来た」


 呟いて、部屋を飛び出す。すぐに悲鳴が聞こえた。


「避難誘導をお願いします。私は魔獣を祓います」


「無茶するなよ」


 ジェラルドと別れ、私は悲鳴の方角へ向かった。建物の窓に明かりがつき、混乱する人々が道を埋めている。その間を縫うようにして駆け抜けた。


 悲鳴は広場の方から聞こえた。やはり、下見をしておいて正解だった──そう口元を緩めたところで、空を仰ぐ。急に月明かりが失せて、辺りが暗くなった。


「な──」


 唖然として口を開ける。月を遮ったのは、今まで見たこともないほど大きな魔獣だった。


 いや、それは獣ではない。言うなれば巨人だ。腕の一薙ぎで村の一角を吹き飛ばしてしまえそうなほどの巨躯。二本足で自立し、明らかに人の形をしている。その頭部には巨大な一つ目が光り、瞬きだけで突風が起こりそうだった。


 遥か頭上にある目玉を睨みつける。そいつは茫洋と遠くを見ていて、下界に村があることなど認識もいなさそうだった。そのまま動かずにいてくれ──と祈るも、巨人は咆哮をあげると、一歩踏み出した。


 凄まじい音が耳をつんざき、衝撃で吹き飛ばされる。人々の叫び声が響き渡る。巨人の足跡には、瓦礫と赤っぽい染みが押し潰されて残っていた。


 なんとか立ち上がり、巨人のもとまで走る。私が祓うためには、あいつに認識されなければならないのだ。何をしても、こちらを向かせてみせる。


 巨人の右足は、市場を踏み潰していた。目の前にそびえる巨人の大きさを間近にし、背筋に震えが走る。その足首には鉄の足輪のようなものが嵌まっており、ちょっとやそっとの刺激では反応がないことが明らかだった。


 私は剣を抜き放つ。思い切り地面を蹴って、剥き出しの踵を斬りつけた。


 無反応。


 よく磨いた刃は巨人の皮膚の上を滑っただけで、傷一つ付けられなかった。奴にとっては、羽虫がとまったのと同じくらいにすぎないだろう。


 柄を握り直す。まだたった一回斬っただけに過ぎない。今度はもっと力を込めて、なんとしても振り向かせる。

 大きく体を捻り、遠心力をつけて二度、三度と斬りかかる。四度目に思い切り振り抜いたとき、鈍い音を立てて剣が折れた。


「あ……」


 折れた剣の先が、弧を描いて地面に落ちる。私の手元には、刃の中程で両断された剣が残された。それほどまでに、こいつの皮膚は硬いのだ。


 他にどこを狙えばいい? 私に他に何ができる?


 見たところ、巨人は首や下半身の急所を金属製の覆いで隠していた。しかし、露出している部分は硬い皮膚に守られている。


 一方、私の手には折れた剣が一振りだけ。


 息が浅くなる。はっ、はと短い間隔で呼吸を繰り返す。いけない、体力を余計に消耗してしまう。落ち着かなければ。


 まだやれることはある。試していないことはたくさんある。


 私は周囲を見回した。まだ倒壊していない建物がある。例えばそこから飛び降りて、全体重と重力でもって剣を足に突き刺したら?

 それに、巨人は唯一、目だけは晒している。弓矢で打ち抜けば、絶対に私を認識するだろう。


 私はできる。絶対にやり遂げる。そうやって自分を鼓舞し、頬を叩いた。小刻みに震える体を無理にでも動かし、筋肉の緊張をほぐす。


 まずは建物の屋根の上から飛び降りてみよう。そう考えて走り出したとき、空気が激しく揺さぶられた。


 巨人を見上げる。巨大な体が少し屈み、その腕が、私のすぐ真上の空間を薙ぐのを目で追う。


 突風が襲う。私は地面に叩きつけられ、体を強かに打った。内臓が揺れ、吐き気がこみ上げる。


「なんで──」


 全身の痛みを無視して、咳き込みながら起き上がろうとする。そのとき、ミシミシと不穏な音がして、すぐ近くにあった建物が崩れた。建物に近づいていたのが悪かった。明らかに崩落の直撃を受ける位置にいた。退避も防御も間に合わない。


 自分に向かって無数の瓦礫が降り注いでくるのを、私はどこか他人事のような気持ちで眺めていた。


 いつかこんなときが来るのを、私はずっと知っていた。だって平穏な日常は続かない。どれだけ大事にしていても、理不尽に断ち切られる。そうやって私は家族を喪ったのだから。


 轟音が鼓膜を震わせる。一抱えはある煉瓦が私の足を砕く。


 すぐ目の前に迫った死に向かって、私は微笑んでみせた。


 ……思えばずっと、このときを待ちわびていたのかもしれない。


 ああ、やっと終わる。


 穏やかな気持ちで瞳を閉ざしたとき、まぶたの裏にジェラルドの顔が浮かんだ。


 約束、守れなかったな。


 それだけは、とても──。


 暗転。

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