12:聖女は里帰りする
次の日。私が食堂で昼食をとっていると、頭を押さえたジェラルドが現れた。顔色が悪い。
「頭が痛ぇ……」
「どうもおはようございます! 爽やかな朝ですね!」
「大声を出すな。響く……」
「酒に漬かった脳みそに刻み込んでください。私以外といるときはお酒を飲み過ぎないこと」
ジェラルドが怪訝そうな顔をする。
「……お前がいればいいのか?」
「え? まあ別に……」
膝枕は足が痺れるから辛いが、いつも偉そうなこの男の頭を撫でるのは気分がよかった。それに、私ではない人にあんなふうにすり寄るジェラルドは見たくない。
ジェラルドは何事か考えていたが、やがてからかうように唇の端をつり上げた。
「そうかそうか」
なんだか嫌な予感がする。私は腕を組んだ。
「どこまで記憶があるんですか?」
「……あー、寝室に行く途中までだな」
「本当に?」
「本当だ本当」
明らかに嘘だが、これ以上答える気はないらしい。私は引き下がった。
「次の魔獣の出現予測地だが」
「えっ?」
急に話題が飛び、首を傾げる。
ジェラルドは顔をしかめて懐からくしゃくしゃになった紙を取り出す。それを私の前に差し出した。
「これ……」
そこに書かれた村の名前は、忘れようもない。私のよく知った村だった。
手が震えそうになるのをなんとか抑え、私はジェラルドを注視した。
「この村、なんですね」
「そうだ」
「ここは、私の生まれ故郷です」
「知っている」
私は大きく息を吸って、吐き出した。背筋を伸ばし、はっきりと言葉にする。
「私はここに行きます」
「だろうな」
ジェラルドは小さく頷く。私の返事を予想していたとでもいうように、躊躇いなく言葉を紡ぐ。
「俺も行く」
「え? でも外出は……」
「どうとでも誤魔化せる」
ジェラルドはしらじらとした表情だ。しかしその声音には力強さがあり、何を言っても翻意することはないだろうと思われた。
一度だけ、問う。
「本当に、いいんですね?」
「ああ。目を離したところで死なれるよりはよほどいい」
彼は平然としている。私はこみ上げてくるものを必死に飲み込んだ。ぎゅっと目を閉じ、跳ねた心臓の鼓動を数える。
「……分かりました。来てください、一緒に」
こうして、私は十一年ぶりに、里帰りすることになった。
■■■
教会に引き取られてから、私は一度も生まれ育った村に帰ることはなかった。各地に出没する魔獣を祓うのに忙しかったのもあるし、なんとなく足が向かなかった。参る墓もないのだ。家族の遺体はあらかた魔獣の胃の中だし、その魔獣は私が全て祓ったのだから。魔獣の食べ残し──誰のものとも分からない人体の切れ端をまとめて埋葬した石碑があるとは聞いていたが、そこに家族がいるとも思えなかった。
それでも、聖女として活動する中で、時折私の故郷が話題に出ることがあった。魔獣に襲われたが、今は再建も進んでいて、徐々に人が集まり始めていると。
だから、覚悟はしていた。懐かしい風景が消え失せてしまっていることを。見知った土地に見知らぬ街並みが並んでいることを。
馬車から下りて、私は村を一巡りした。明るい太陽に照らされるその景色を目に焼きつける。
かつて兄と遊んだ道の両脇に、知らない建物が立ち並んでいる。母と手をつないで訪れた市場に店を出しているのは、覚えのない人たちばかりだ。父が発熱した私を担ぎ込んだ病院はまだあった。しかし、医者はずいぶんと若い男に変わっていた。そして、妹を連れて逃げ出した自宅は──更地になって、売られていた。
「……休むか?」
いつか自宅のあった更地の前で茫然と佇む私に、ジェラルドが気遣わしげに声をかける。私は首を横に振った。
「いえ、大丈夫です。ちょっと……驚いただけで。覚悟はしていましたから」
実際に目にすると、思いの外大きな衝撃が私を襲った。道ゆくのは知らない人ばかり。それでも時々、馴染んだ風景が立ち現れる。それは私の頭をぐちゃぐちゃにかき混ぜた。
自分の体を抱きしめて、私はジェラルドを見上げた。
「さあ、広場に行きましょう。そこには石碑があるはずです」
「行かなくてもいいんじゃないか? 地理の把握なら、俺一人でも」
「いえ、行きます」
強く言い切る。
「もし魔獣が広場に現れて、私に土地勘がなかったせいで救えるはずの人を救えなかったら……私は自分を許せません」
私は踵を返し、広場に向かった。
■■■
私の住んでいた頃、広場なんてものはなかった。そこには村長の家があったのだが、どうやら整備され、石畳の敷かれた円形の土地になっていた。
そしてその中央に、石碑があった。
見上げるほどの大きさの直方体で、表面には何かがびっしりと刻まれている。近寄って、それが何かを把握した瞬間、全身の血が音を立てて引いた。
「これは……」
後ろから覗き込むジェラルドが絶句する。石碑に彫られていたのは、あの日亡くなった住民の名前だった。
私はふらふらと石碑に顔を近づけ、指で名を辿る。どれもこれもよく知っている名前だ。友達の名前も、隣人の名前も、ほんのり好きだった男の子の名前もある。
そして私は見つけてしまう。
『エミリー=イース』
『メアリー=イース』
『ロベルト=イース』
『ウィリアム=イース』
私の家族の名前だった。その文字を指先でなぞり、何度も何度も読み返す。
「うっ、うぅ……」
食いしばった歯の間から、嗚咽が漏れる。私の中の何かがぷつりと切れ、拭っても拭っても涙が溢れてきた。
こんなところで泣いてはいけない。目立ってしまう。好奇の視線が向けられているのが分かる。早く立って、この場から立ち去らなければ。
そう思っているのに、根が生えたように足は動かない。私の家族が生きていた証から、離れ難くて仕方がない。
私の大切な家族は、確かにここで生きていたんだ。
肩に温かなものが触れる。ジェラルドだった。私を抱きしめて、優しい手つきで頭を撫でる。
私は大きくしゃくりあげ、泣き声を噛み殺して、その胸ですすり泣いた。




