11:聖女は第二王子と寝室にて約束を交わす
それから半月が経った。私は包帯も取れ、もう大丈夫と医者のお墨付きをもらい、全快した。
「快気祝いをやるぞ」
「快気祝い」
私は自由に動いていいことが嬉しくて、庭で剣を振りまくって体を鍛えているところだった。そこへジェラルドがやって来て、そう言ったわけだ。
「そんなお気遣いいただかなくても……」
「こんなときでもないと酒が飲めねえんだよ。お前、もう成人してるな?」
「そうですが、私は飲酒をしたことがありません」
首を傾げる。この国の成人年齢は十六歳だから、私はもう成人だ。本当なら、シルエスとの婚約発表のときに初めてお酒を飲むはずだった。数年前にすでに成人を迎え、公の場でお酒を嗜んでいるシルエスが、「ロージーの好きそうな銘柄を揃えておいたから一緒に飲もうね」なんてことを言っていたが、結局、聖女追放騒ぎでそれどころではなかった。
「それなら飲みやすいものを用意しておく。今夜は覚悟しておけ」
「分かりました。ありがとうございます」
聖女時代、魔獣祓いが終わると、ともに戦った兵士の皆と集まって、たくさん料理を用意して宴を催したのを思い出す。みんな私のお皿に大きく切った肉や魚を取り分けてくれ、「たくさん食べて大きくなれよ!」と肩を叩いてくれた。聖女との距離感ではなかったかもしれないが、私はそうされるのが嫌いではなかった。宴の終盤はたいてい、酔っぱらった者が近くの泉に飛び込んだり、取っ組み合いが始まったりしてめちゃくちゃになった。教会には飲酒する者はいなかったため、皆のそんな様子が物珍しくて面白かった。
私にとって、お酒はそんな楽しい記憶と紐付くものだった。だから想像もできなかったのだ。あんな恐ろしい目に遭うなんて……。
■■■
初めは良かった。鶏を一羽まるまる焼いたものや、牛乳をふんだんに使ったシチューなど、いつもより豪華な料理が並んだ食卓に私は歓声をあげた。食事中もなかなか話が弾んで、和やかな雰囲気だった。私が怪我を負ってジェラルドの介助を受けている間、一緒に食事を取ることはよくあったから、もう慣れたものだった。
だが、「そろそろか」と言ってジェラルドが机に酒瓶を並べ始めたところから雲行きが怪しくなった。
「これが林檎の果実酒、こっちが葡萄。この辺は麦酒、蒸留酒、あと蜂蜜酒もある。好きなものを飲め」
「おお……」
大量の瓶が整列する机に、私は目を丸くした。こんなにたくさん、どこに置いてあったのだろう。
ジェラルドは濃い紫色の葡萄酒をグラスに注いでいる。私も同じものを注いでもらった。
「葡萄の匂いがしますね」
「葡萄酒だからな」
おそるおそるグラスを傾け、ちょっとだけ舐める。
「……美味しい!」
「お気に召したようで何より」
ジェラルドがくすりと笑う。彼はすでに二杯目を飲み干そうとしているところだった。
つまみに用意されたナッツを食べ食べ、私は左端の酒瓶から順番に飲んでいくことにした。どれも美味しかった。果実酒は甘くて舌が蕩けそうだし、麦酒は喉を焼く感覚がたまらない。兵士の皆が楽しそうに飲んでいたのも頷ける。
しかし、酔っぱらう、という感覚はちっともやって来なかった。意識は清明、思考は正常。気分が良くなることも悪くなることもなく、いつもとまるで変わらない気がした。
「美味しいですねえ。私はこれが一番好きです。ジェラルド様はどうで……ジェラルド様!?」
呑気に飲み比べていた私は、向かいに座っていたはずのジェラルドを見て飛び上がった。彼は右手にグラスを持ったまま、机に突っ伏していた。そういえば、途中からえらく静かだな、と思った記憶がある。お酒が美味しくて気にも留めなかった。
「大丈夫ですか……?」
ジェラルドの横に立って、彼を揺さぶる。何かむにゃむにゃ言っていたが、うっそりと顔を上げ、私の方に手を伸ばした。
「ロザリンド、寝室に連れて行け」
「もう寝ます?」
「違う」
「はいはい……」
私は彼の腕を掴んで立ち上がらせた。怪我人を運ぶ要領で引きずってもよかったが、手を引けば自分で歩けるようなのでさすがにそれは止めた。
階段を上り、ジェラルドの寝室の扉を開ける。寝室に入り手を離そうとしたところで、腕を掴まれた。
「なんですか」
「こっちに来い」
「えっ!?」
呆気に取られたままついていく。ジェラルドはベッドに向かったかと思うと、「座れ」と枕元の辺りを指差した。激しく警戒しながら言われた通りベッドに座る。と、彼は寝転がり、私の膝に頭を乗せた。
「は……は!?」
握りしめた拳をどこに振り下ろしてよいか分からない。とりあえず指を開いて彼の頭を撫でてみた。
「寒い」
「ちゃんと掛布をかけないからですよ」
手近にあった掛布をかけてやる。ジェラルドは満足そうに目を閉じた。
「ジェラルド様、眠ったら私は出ていきますからね」
「ずっとここにいろ」
「人間の頭って重いんですよ」
すでに私の足は痺れ始めていた。しかしジェラルドはそんなことは知らないとばかりに腕を私の腰に絡める。
「目の届かないところに行くな」
その声は、ずいぶん寂しく響いた。まるで置いていかれた子どものようだ。
しかし、私の返せる答えは一つだった。
「いえ、私はずっとここにいることはできません。どこにだって、魔獣を祓いに行きます」
「そんなことしてたら、すぐに死ぬぞ」
「人間はいずれ死ぬものですよ」
「そんな悲しいことを言うな……」
ジェラルドの腕に力がこもる。私は彼の頭に手を滑らせる。艶やかな髪が指の間を通っていくのが気持ちいい。
「ジェラルド様は、どこか行きたいところはないんですか」
拗ねたような声が返ってきた。
「俺はどこにも行けない」
思わず苦笑する。
「そんなこと言わずに」
彼はしばらく返事をしなかった。眠ってしまったのかな、と様子をうかがったところで、ぽとりと言葉が落とされる。
「……砂漠の国に行きたい」
「どうして?」
「俺の……父親の故郷なんだ。俺の半分に流れている血がどんな場所から生まれたのか、見てみたい……」
私は顔を上げて、目を閉じた。目蓋の裏に、どこまでも続く砂漠と、遠くに見える緑地の幻を思い浮かべる。そこでからりと乾いた風に吹かれるジェラルドは、きっと美しいだろう。
目を開ける。
「お父様の出身地なんですね。私、砂漠の国の近くには行ったことありますよ」
「どんな場所だった?」
問われて、必死に記憶の引き出しをまさぐる。
「えぇっと、暑くて、水が美味しくて……あ、珍しい蛇型の魔獣が現れたんですよ。そいつは本当に滑らかに動くし、気配に敏感で祓おうと思っても用心深く姿を現さないんです。しかも人間を丸呑みするんですよ。気付いたら隣から人が消えていたということが頻発して恐ろしかったですね」
ジェラルドが笑う気配がした。
「魔獣のことばかりじゃねえか」
「そう……ですね。もっとちゃんと、周りを見ていればよかったなあ」
俯いた。私の髪の先が、ジェラルドの頭に触れる。ジェラルドが少し身じろぎして、指先で赤い髪をもてあそんだ。
「なら、一緒に行くか」
「え?」
「俺と一緒に来い。今度は世話係のふりでもしてろ」
思わぬ言葉に、目を瞬かせる。その意味がじわじわと胸に染み入ってきて、それから笑みが滲んだ。
「素面で仰ってくださったら、考えます」
「約束だぞ」
「はい、約束です」
そうしてジェラルドは眠りに落ちた。私はその背を叩いて、そっと拘束から抜け出る。
きっとこの人は、ずっと<黄昏の宮>に一人でいたから、自分が酔っ払うとどうなるかも知らなかったのだろう。でなければ、私の前でここまで無防備な姿を晒すはずがない。
とりあえず、私以外とは飲み過ぎるなと明日注意しよう。




