10:聖女はやっと目を覚ます
目を覚ますと、見慣れた天井があった。
つまり、私は<黄昏の宮>の自室のベッドに横たわっていた。
鈍い頭を働かせ、何があったかを思い出す。そうだ、私はジェラルドを庇って魔獣にやられたのだった。魔獣祓いからしばらく遠ざかっていたとはいえ、なんたる失態。鈍りすぎじゃないのか。
ひとまず起き上がろうとする。しかし体に力が入らず、無様にベッドから転がり落ちた。受け身も取れないまま、顔から床に突っ込んだ。痛い。
廊下の方から慌ただしい足音がして、扉が激しい勢いで開けられた。ジェラルドが飛び込んでくる。
「なんだ今の音は!?」
「おはようございます……」
私は痛む脇腹を押さえながら床でうごめいた。ジェラルドが駆け寄ってきて、私を抱えてベッドに戻す。
「意識が戻ったか」
「あのあと街はどうなったんですか? 被害は? 死傷者数は?」
喉が詰まって咳き込む私に、ジェラルドが水の注がれたグラスを差し出してくる。ありがたく乾いた喉を潤す。
彼はベッドの脇に立って私を見下ろし、腕を組んだ。
「お前が全ての魔獣を祓ったおかげで、死者はゼロ。怪我人は十八名いるが、いずれも軽傷。建物の損壊、火災などの被害が出たが、王宮から見舞金が出るし、もともとあそこは交易で豊かな街だ。一年以内には復興できるだろう」
それを聞いて、私は胸を撫でおろす。壊滅的な被害が出なくて、本当に良かった。
ジェラルドが眉を上げる。
「他に聞くべきことがあると思うが?」
「他に……? あぁ、ジェラルド様にお怪我はございませんか?」
明らかに五体満足なため聞かなかったが、やはり聞くのが礼儀だろう。しかし、彼は頭を押さえてため息をついた。
「俺は無事だ。……自分のことを考えろ」
「そういえばそうですね。あのあと私はどうなったんですか?」
言われて初めて思い至る。<黄昏の宮>にいるということは、ジェラルドが私をここまで連れて来てくれたのだろうし、迷惑をかけてしまった。
「あのあと、聖女たちが魔獣祓いにやって来る前に、俺は重傷を負ったお前を馬車に乗せて近くの街の医者に担ぎ込んだ。そこで応急手当てを受けて、そのまま<黄昏の宮>まで運んだ」
「それは大変お手数をおかけしてしまい……」
「お前は魔獣に脇腹をごっそり抉られて全治一ヶ月の重傷。半月眠って今意識を取り戻したところだ。何か言うことは?」
「ご迷惑をおかけして申し訳ございませんでした!」
精一杯の大声で謝罪する。ジェラルドは首を振って私のベッドに腰を下ろした。一応怪我人のベッドなんですが。
「二度とこういうことはしないとか反省できないのか」
「それはできませんね。何度あの場面に戻ったとしても、私は同じ行動を繰り返しますから」
笑い声をあげたら腹に痛みが走った。慌てて唇を引き締め真顔を作る。
「魔獣に襲われていたのがジェラルド様じゃなくたって、私は同じことをしますよ。だから自分のせいで、とか余計に気を病まないでくださいね。これは私の習性なので」
彼は乾いた笑みを浮かべる。
「俺ではなくても、か」
「はい。私は魔獣の全てが気に入らないんです。だから目についたら祓ってしまう──そういう生き物なんですよ」
「相当魔獣が憎いんだな」
ぽつりとこぼされた言葉に、私は頷いた。夢の中の炎が、まだ私の思考を焦がしていた。
「はい。魔獣への憎しみを糧にして、魔獣祓いの力を手に入れたんですから」
ジェラルドが続きを促すように私を見つめる。ここまで言ってしまったら、最後まで話してもいいだろう。彼にはだいぶ助けてもらったし、どうせ私は、もう聖女ではないわけだし。
私は初めて魔獣を祓った日のことを全て話した。これを人に話すのは、ジェラルドで二人目だった。一人目はシルエスだ。彼に婚約を申し込まれたとき、断ろうと思って話したのだ。こんな女は王妃にはふさわしくありません、と。シルエスは全く気にせず、鬱になった私が頷くまで婚約を申し込み続けたのだが。
黙って話を聞いていたジェラルドが口を開いた。
「……お前の力は」
「はあ」
「おそらく魔法の一種だろう。魔力を持つ人間は、だいたい四歳から五歳頃に発現する。破壊に特化した魔法で、それがたまたま魔獣に向いているだけだ」
「へぇ、そうなんですか」
思ったより平坦な口調になってしまった。明日の夕食は鶏の丸焼きだ、と言われた方がよっぽど弾む返事ができる。
ジェラルドが頭をかく。
「きっと魔獣以外にもその力は効くし、憎悪を捨て去っても力が失われることはない」
「……憎しみを捨てろと?」
鼻で笑う。他人にそう言われるだけで、憎しみを忘れることができるなら、どれほどお幸せなことだろう。少なくとも私はそうではない。胸に渦巻くこの感情と一生付き合っていく覚悟だ。
「ロザリンドはもう聖女じゃない」
「だから?」
「知ってるか? あのマリアベルとかいう聖女は順調に魔獣を祓って民から尊敬され、軍でも救世の象徴として中心人物になっている。宰相の娘ということもあって、近く第一王子と婚約するんじゃないかって噂もあるくらいだ」
「それがどうしたっていうんですか。私にとっては、そんなもの魔獣を祓ううえでの副産物に過ぎない」
「……諦めようとは思わないのか?」
「諦める? 何を? 私はまだ五体満足で生きていて、世の中には魔獣が跋扈している。魔法だかなんだか分かりませんが、私にはそれを祓う力がある。諦める必要性なんてどこにもありません」
言い切った。爪が食い込むほど強く拳を握りしめる。ジェラルドはしばらく私を見つめたあと、無表情のまま立ち上がった。
「……そうか。お前を見てると、食ってやりたいような気持ちになるよ」
「それはどんな感情なんですか……」
「さあな」
ジェラルドは乱れた掛布を整えると、私の額を一撫でした。
「もう一度眠れ。面倒見てやるから」
「重ね重ねご迷惑を……」
「本当に迷惑と思っていたら、あの街に置いてきた」
大きな手が目蓋を下ろす。塞がれた視界の中、急速にやってきた眠気に落ちていきながら、私は呟いた。
「なんで私だったんでしょう……」
「なにが?」
暗闇の中で聞く声はずいぶん優しく響く。
「どうして私が力を手に入れたんでしょうか」
ゆっくりと手のひらが離れていった。
「ロザリンドがそういう人間だから、その道を選んだだけだろ」
「あぁ、なるほど……」
それは少しだけ、理解できるような気がした。




