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1:聖女は追放される

「聖女、ロザリンド=イースを告発する」


 王宮の大広間内に朗々と響く声。

 声の主は、この国の第一王子であり、私の幼馴染みであり、私の婚約者でもある、シルエス=ド=フォスグレイヴだった。

 出会った頃から変わらない、輝く金髪に緑の瞳。びっくりするくらい整った顔立ちに穏やかな物腰の彼は、お伽話の王子様みたいだ。

 そんな彼は、いつもと変わらない柔和な笑みを浮かべて、私の目の前に立っている。シャンデリアの光が彼を照らし、その髪の金色を輝かせていた。

 周りには多くの貴族たち。なぜこんなにお偉方が集まっているかというと、今日は私の十六歳の誕生日で、聖女である私と第一王子であるシルエスの婚約発表を執り行うことが予定されていたからだ。


「──という、話があるんだよ。ロージー」


 幼い頃からの愛称で私を呼んで、笑みを深くする。私が何も言えないでいるうちに、人混みの中からつかつかと一人の少女が現れてシルエスに腕を絡めた。

 少女はたっぷりとした蜂蜜色の髪を背中に流し、フリルとリボンに彩られた淡い青色のドレスをまとっていた。小さな顔には明るい翠色の瞳が輝き、愛らしい唇はつやつやのベリーみたいだ。華奢な体つきとは相反する豊かな胸元を、シルエスの腕に押しつけていた。

 少女はすう、と息を吸うと、鈴を振るような声で宣言した。


「私、マリアベル=レ=ジルレーンは、聖女ロザリンドの偽りを断罪します!」


「……はあ?」


 予想外の言葉に、私は目を丸くした。彼女の言うことに思い当たる節は全くない。意味不明と言って差し支えがない。

 私は確かに聖女だ。聖女といっても、神様のお告げを受けたとか、聖なる力が使えるとか、そういうことではない。聖女というのはあくまでものの例えで、単純に私は、この国に蔓延る魔獣を祓うことができる。


 魔獣──数十年前からこの国を襲い始めた、全く規格外の生命。地上にある生物のどの系統にも属さない、人間も家畜も区別なく食らう、最悪の災厄。大きさは様々で、獅子くらいの小型のものもいれば、家を易々と踏みつぶせるくらい大きなものもいる。見た目にも統一性はなく、羽毛が生えて鳥に似た魔獣もいれば、硬い皮膚に四本足の巨大な鰐に似た魔獣もいる。


 それでも奴らに共通するのは──人間の集落を襲うこと。

 それが魔獣の性質なのか、単に食糧がたくさん集まっているところに群がるのか、理由は分からない。とにかく魔獣どもは村や街をことごとく蹂躙し、人を食らう。

 魔獣は概して力が強く、素早く、ときには炎を吐くものもいて、人間の兵士や魔法士だけではなかなか歯が立たない。


 そこで登場するのが、聖女である私というわけだ。

 私は念じるだけで、魔獣を祓うことができる。細かい条件はあるが、だいたいは「消えろ」と心の中で思うだけで、魔獣を文字通り塵に変えることができる。

 なぜこんな力を持ったのか、自分でも分からない。ただ、周囲は魔獣に対抗できる力を持つ私を見て、「まるで古の聖女のようだ」と称したのだ。


 だから私は聖女になった。幼い頃に教会に引き取られ、鍛錬に励み、多くの魔獣を討伐した。それは紛れもない事実だ。

 それだけに、目の前のマリアベルとかいう少女の言うことが理解できない。私の偽りとはなんなのだ。

 返事もせずに突っ立っている私に焦れたように、マリアベルは話を続けた。


「皆さん、ロザリンドの行ったことを思い返してください! 彼女のやったことと言えば、魔獣を倒すことだけ。他に、もっと聖女らしいことをしましたか?」


 周りを囲む貴族たちがざわめく。その大半は困惑だ。そもそも聖女の定義がはっきりしないのだから、聖女らしいことと言われても困る。皆、聖女のことなんて「なんかすごい力を持った女性」くらいにしか考えていないのだ。

 マリアベルは声を張り上げる。


「私が本物の聖女なのです! ご覧ください!」


 彼女の合図とともに大広間の出入り口の扉が開いて、屈強な男たちが檻を運んで現れた。その中に閉じ込められたものを見て、貴族たちが悲鳴を上げる。それは狼のような形をした魔獣だった。

 とっさに祓おうとして、寸前で思いとどまる。マリアベルの真意が読めない。ひとまずは彼女の話を聞くべきだ。

 檻が私とマリアベルの間に置かれる。魔獣は赤い毛並みを逆立てて、低い唸り声を上げている。明らかに気が立っている。

 けれど、マリアベルはふわりと笑うと、魔獣の前に膝をついた。白い腕を伸ばし、ほっそりとした指を魔獣の口元に持っていく。


「大丈夫よ。狭いところに閉じ込められて、怯えているのね」


 彼女が優しく声をかけると、魔獣の唸り声がだんだんと鎮まり、毛並みが元に戻っていく。しまいには、くぅんと子犬のような鳴き声を上げると、彼女の前に腹を晒して仰向けになった。まるで服従しているかのようだ。

 唖然とする周囲をよそに、マリアベルは美しく笑う。そうしてきりりと顔つきを引き締めると、厳かに告げた。


「──あるべきところへ帰りなさい」


 その言葉と同時に、魔獣の体が光の粒に変わり、鉄格子の隙間から天井にのぼっていき、やがて消えた。私が魔獣を祓うときとは全く異なる、神聖さに溢れる儀式めいた一幕だった。

 貴族たちから自然と拍手が沸き起こる。マリアベルは空っぽの檻に向かって祈りを捧げると、わっと両手で顔を覆ってシルエスの胸元に飛び込んだ。


「わ、私、恐ろしかったし、悲しかったわ。けれど、勇気を振り絞って魔獣を祓ったの。それが皆のためになるから!」


「マリアベル、落ち着いて」


 シルエスがハンカチーフを取り出して、マリアベルに手渡す。マリアベルはそれを受け取りながらシルエスの手を掴み、頬擦りをした。


「私、悔しいわ。平然と魔獣を祓って悼みもしない血も涙もない女が、聖女を務めているだなんて! ロザリンドは聖女なんかじゃない! だって私が聖女なんですもの!」


「いやちょっと待ってください」


 徐々に甲高くなる声に顔をしかめながら、私は割って入った。


「あなたは魔獣を祓える、私も魔獣を祓える。それなら、二人とも聖女ということで問題ないじゃないですか。魔獣を祓う人員が二倍に増えれば、救える民も増えますし」


「なんて不敬な!」


 マリアベルが叫んだ。シルエスにすがるようにしながら、私を睨みつける。


「あなたはそんなに聖女の座を捨てたくないの!? 聖女が二人もいたら、争いになるに決まっているわ! 魔獣に対抗するには人々の力を一つにまとめることが肝要なのに、分断の火種を作るなんてどうかしているわ!」


「私は別に聖女と呼ばれたいわけじゃない。ただ、より多くの魔獣を祓いたいだけ」


「魔獣を祓いたいだけだなんて! 聖女ともあろう人が、そんなことを言うのは許されないわよ! 聖女は人々の希望で、救世の象徴なんだから、いつだってその自覚を持って行動しなくては」


 頭が痛くなってきた。シルエスを見ると、相変わらず考えの読めない微笑みを浮かべて黙っている。この状況を私一人でなんとかしろということか? 狂信者の相手は荷が重すぎる。

 私が途方に暮れていると、咳払いとともに一人の男が現れた。仕立ての良い夜会服に身を包んだ、老年に差し掛かった男性だ。彼には見覚えがある。この国の宰相だ。確か名前はアランと言ったか。諸侯を取りまとめ、国王を補佐する立場。


「一ついいですかな? 私は、宰相であり、そしてマリアベルの父親ですが──」


 全然知らなかった。そういえば、マリアベルの苗字はこの男と同じだった気がする。


「確かに、ロザリンド殿の言うように、魔獣を祓う人材は多い方が良いというのは一理ありますな。ですが、ロザリンド殿、ご自分の立場を省みてご覧なさい」


「立場?」


 眉を寄せて聞き返すと、宰相はため息をついて首を横に振った。


「嘆かわしくも、あなたはご自分の足元に自覚がないらしい! いいですか? 今や聖女は教会の要石であり、魔獣を祓う軍の象徴。そして何より、第一王子の婚約者なのですぞ。一体どれほど強大な権力をお持ちなのか、まさかご存知ないとは言いますまい」


「それは……そうですが」


 ぼんやりと返事をする。宰相が言った全て、私にはどうでもよいことだった。教会のシスターたちには今でもよく怒られるし、軍の兵士の皆はともに死線を超えた戦友だ。シルエスだって幼馴染みで、単に私の面倒を見てくれるつもりで婚約を申し込まれたのだ。この国の王族は一夫多妻制を取っているから、私が気に入らなければ他の女性を娶ればよいわけだし。

 魔獣を祓えさえすれば、この世のあらゆる全てのことは些末だった。少なくとも、私にとっては。

 宰相は哀れむように目を細めて、私を見据える。


「失礼ですが、ロザリンド殿は貴族ではないと記憶しております」


「そうですね。私は平民の出です」


 魔獣を祓う力が発現するまで、私は家族と仲睦まじく暮らしていた。


「平民のあなたに、聖女の椅子は大きすぎるのでは? 今もご自身の立場に自覚的ではないようですし」


「何が言いたいんですか」


 震える声で聞き返すと、宰相は舞台にでも立っているかのように両手を広げた。観客たる貴族たちに向かって視線を巡らせる。


「貴き聖女にふさわしいのは、慈悲深く、美しく、由緒正しい血統を持ち、自分が何者かを理解している人間ではないでしょうか? 同じ魔獣を祓う力を持つのであれば、そちらの方がよほど聖女に見えましょう!」


 貴族たちが近くの者と顔を見合わせる。口元に手をあて、密やかに何事かを話し合う。

 彼らにとって、聖女なんて「なんかすごい力を持った女性」なのだ。誰がその名を冠していようと、自分の領地に魔獣の脅威が及ばなければそれでよい。ましてマリアベルは宰相の娘。比べて私は平民の娘。結論は明らかだった。

 マリアベルがシルエスの腕の中で、勝ち誇ったような顔をしている。ご高説を吟じた宰相も、鼻の穴を膨らませて得意げだ。

 その中で、シルエスが声をあげた。


「父上。この一件、私に任せていただけますか」


 第一王子であるシルエスが父上と呼ぶのは一人しかいない。すなわちこの国の王、最高権力者だ。

 大広間に設えられた一段高い舞台で、豪奢な椅子に腰掛けて様子を眺めていた国王は、ふむと顎を一撫でして頷いた。


「シルエス、お前の婚約者のことだ。始末をつけろ」


「ありがとうございます、父上」


 シルエスは晴れやかな笑顔を浮かべると、私と向き合った。


「ロージー、事ここに至っては、結論はもはや分かっているよね?」


「さすがの私も察せられるわ」


 肩をすくめる。頭の中はこれからの展望でいっぱいだった。聖女の座を引きずり落とされようと、私の力がなくなったわけではない。国中を放浪しながら、道々魔獣を祓う旅は悪くない。余計な立場がない方がむしろ機動的に動けてよいかもしれない。 中空を見つめて夢想にふける私に、シルエスが斬りつけるように告げた。


「ロザリンド=イースを聖女から解任する。そして、身柄は<黄昏の宮>預かりとする」


 その言葉を聞いた瞬間、人々が騒ぎ出す。宰相もマリアベルも、顔色を変えてシルエスを振り仰ぐ。


「シルエス殿下! それは一体──」


 宰相が泡を食ってシルエスに噛みつく。だが、シルエスは温度を感じさせない表情で宰相を静かに見つめた。それだけで、宰相は怯んだ。


「私の裁定に不満があるなら申してみよ」


 宰相は口中で何事か呟いていたが、それははっきりとした主張にはならず、彼の喉奥に消えていった。胸の前に手を当て一礼し、「仰せの通りに」と引き下がる。

 シルエスに対峙しようというものは、他にはいないようだった。貴族たちはさざめくだけ、マリアベルは顔を真っ赤にして震えている。

 この場の状況が理解できていないのは、私だけのようだった。

<黄昏の宮>だなんて聞いたことがない。宮とつくからには、身分の高い人間が住んでいるのだろうが、それが誰かは知らなかった。

 立ち尽くす私のそばに、王宮の警邏兵がやってくる。後ろ手に拘束されながら、私は声をあげた。


「待ってシルエス、その<黄昏の宮>では、魔獣を祓えるの」


 シルエスは目を見開いた。かと思うと、堪えきれないというように肩を震わせて笑い始める。


「ロージーは本当にそればかりだね」


「そうかしら」


「君はずっと変わらない」


 シルエスが目の縁に溜まった涙を指先で拭う。そして大きく息を吐くと、私を鋭く見据えた。


「全ては君次第だよ。さようなら、ロージー」

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