表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。

ゆで卵を温める愚かな鳥

作者: BONZIN

「ハルトお兄ちゃんはしっかりしているねえ」


 弟のショウタの頭を叩き、無礼を注意するハルトはヒーローだった。周りの大人には、漫才にでも見えていたのだろう。ハルトがショウタの頭を叩くと、必ずドッとウケた。

 二人兄弟のハルトショウタは、性格が正反対だった。真面目で堅実だが心配性のハルト、天然で空気を読まない楽天家のショウタは、いつもハルトショウタを注意して縛り付けていた。これをやると恥ずかしい、失礼だ、迷惑だ、といったネガティブな感情をぶつけ、首輪をつけたのだ。それは、猿回しのようだった。言うことを聞かないときは、友達の前で殴ったこともあった。歪な兄弟の関係において、ハルトのほうは「自分は間違っていないから正しい」と思っていた。

 数十年後、ハルトは上京して大学4年生になっていた。就職活動の時期が近づき、履歴書のPR欄を埋めるため、「いのちの電話」の相談員をボランティアとして行っていた。

 内容は、コールセンター業務と何ら変わりない。電話口の相談相手の鬱々とした会話を適当に聞き流し、時計の針が進むのを待った。5人目くらいだろうか、とある若い男から電話がかかってきた。

 「はい、こちらいのちの電話相談窓口です。いかがされましたか。」

 「死にたいです。」

 「!?(ショウタの声だ・・・)」

「兄が嫌で嫌で、たまりません。自分の意見もいえないし、間違えば殴られるし地獄でしかない。動物以下だった。あいつのせいで、受験も就職活動もうまくいかなかった。」

ひとまず、バレないように声色を変えた。

「そうですか・・・でもよくお電話をしてくださいました。死んではいけません。生きていれば必ず幸せになるチャンスが巡ってきます。」

「いつ?誰が助けてくれますか?」 

「もう嫌だ。こんな家に生まれたくなかった。あんなやつがいる家に・・・」

「・・・ショウタか?」

「えっ・・・ハルト?」

「久しぶり。盗み聴きしたみたいで悪い。たまたま今ボランティアで電話に出ている最中だったんだ。お前のそういう気持ち知らなくて・・・本当に申し訳ない。」

「ううう・・・」

「ショウタ?」

震えるような声、歯ぎしり、そしてショウタは泣いているようだ。

「ショウタ、今度ちゃんと話そう。」

「…ああ。じゃあ。」電話が切れた。



翌日、弟が自殺した。



 実家の丸テーブルを前にして、ハルトは黒いスーツでじっと座っていた。母は駐車した後に、遅れて部屋に入ってきた。時刻は、夜の11時を過ぎたところだ。

「さて、ちょっと聞きたいんだけど」母が言った。

「何?」

「ショウタに何があったの?」

「俺が聞きたいよ」

「そう、こうなったことはあんたもわからないのね。」

まるで、自分が責められているみたいだ。

「しょうがないだろ。俺も東京にいたし、おかんも勤務中だったなら尚更だ。」

本心だった。あの電話を受けたとはいえ、それはこれから話し合っていくはずだったのに。

少なくとも俺は、そう言ったはずだ。

「しょうがないって、なによ。」

「ん?」

「もっと前の段階で、私たちが気づくべきだったはずじゃないの?」

「あの子は、確かに上手くいかないことが多くて参ってた。でも、良いところもいっぱいあった。そんな簡単に、見限らないでよ。」

「誰も見限ってないだろ、見限ったのはあいつ自身だ。」

「あんたも、全く変わらないのね。」

そういって、母はリビングから自分の部屋に戻っていった。ハルトも、部屋に戻って明日の準備をした。



 東京に戻ったあとの就職活動は、惨敗だった。

 面接までは、かなり順調だったのだ。一流大学での成績もトップクラス、テストセンター試験もほぼ難なくクリアしていたので、面接まで進めなかった企業はない。

 だが、面接で急ブレーキを踏んだ。

「君、論理的であればそれでいいと思ってない?」

「結局、〇〇くんは本当にうちで働きたいの?」

「研究してきたことをそのまま生かせる仕事なんかないんだよねえ・・・」

なんだこいつらは。何か俺が間違っているか?

ハルトが面接で喋っても、まるで自分の言葉が届かなかった。

異星人と話をしているみたいだった。


就職活動解禁の6月上旬から、2か月経った。

ハルトは、内定が取れなかった。


 大学は夏休みに入り、ハルトは寝ることができなくなった。あのときの面接官の言葉が、ずっと頭の中に響いていた。

「うるさい・・・・」

 そこから、昼夜逆転の生活が始まった。

 夜に寝ることができないため、酔いつぶれるまで酒を飲んだ。起きると、だいだい昼を過ぎていた。何も考えたくなかったから、寝るために市販の睡眠導入剤を買いに行った。なぜか薬局の店員から、睡眠導入剤の使用上の注意をその場で説明された。正直、うっとおしかった。

 冷蔵庫にあったジャックダニエルで、睡眠導入剤を、流し込んだ。

 眠気が来るまでは、アメリカンスピリットをふかした。



 10月に入り、大学の教務課から電話がきた。

「教務課の林です。〇〇さんのお電話番号ですか。後期に卒業論文を提出して頂かないと、卒業証明書を発行できません。ただちに履修してください。指導教員の先生は、どなたですか。このままいくと、就職予定の場合、内定取り消しになる恐れが」

「それで結構です。」

「は!?授業の単位は全部そろっていますよ?」

「学業なんて無駄でしたから」

睡眠導入剤がなくなった。買いに行かなくては。



 正式に大学から連絡が来た。授業料未納の連絡と、後期単位数の取得は0という通知だ。このままだと退学になるらしい。睡眠導入剤をラムネみたいにかじって、酒で流し込んでいると、


泣きじゃくるハルトがいた。


耳に聞こえる音も、目に見える景色も、

食べ物の味も、フローリングの感触も、酒の匂いも、


その意味を無くしてしまったようだった。


 その夜、ハルトは東京の家を出た。


 


 気づけば、母の家の前にいた。田んぼに囲まれた、丘の上の古い一軒家だ。ピンポンを鳴らした。戸が開く。

「あんた、急に帰ってきてどうしたの?」

「・・・」

「ちょっと・・・」

「・・・」

ハルトは、自分の部屋に戻ろうとした。2階の部屋だ。

その横が、弟のショウタの部屋。

「・・・」

ハルトは睨みつけるようにそのドアを見据え、とうとう弟の部屋に入った。


そこには、

たばこの吸い殻、

酒のロング缶、

ゲーム・漫画、

そしておびただしい数の履歴書が散乱していた。


ハルトの、東京の部屋とほとんど一緒だった。


その時、ハルトの中でいろんなものが頭の中でつながった。

この状況で、正論を叩きつけられたら、人間はどうなるだろう。

今の状況を、嫌いな奴に見られたら、人間はどうなるだろう。

それが、家族だったら・・・


人間はどうなるだろう。


その時、母が2階に上がってくる音だけが、ハルトにはただただ怖かった。



 その後、ハルトは1年留年をして大学を卒業した。授業料は一時的に母に立て替えてもらい、アルバイトをして返した。

 就職先は、必死の勉強と面接対策により、地元の県庁に公務員として就職した。

 配属先は希望通りだった。

 健康増進課の自殺・アルコール問題対策班である。今は、日々一人一人の声に耳を傾けている。

 もう聞いているフリは、許されないから。



 数年後のある日、ハルトは仕事を早めに切り上げ、あるところへ向かった。

「よう、また来たぞ。ショウタ。」

 独り言を聞かれていないか、墓地の周りを確認する。夕暮れに照らされながら、線香に火をつけた。それを、そっとお墓の前に立てて、しゃがみ込む。

「オレ、最近ゲーム始めたよ。あんなもん、人生に無駄だと思ってたんだけどなあ。意外とおもしろいね。」

「お前の部屋からも、ソフト借りたぞ。これ。」

墓の前で、ゲームソフトのパッケージをかざす。

「FPSっていうの?お前のスコアがなかなか超えられなくってさ・・・」

午後5時のチャイムが、近くの小学校から聞こえてきた。

「・・・」

チャイムの音がだんだんと小さくなっていく。

「こういう話を、もっと出来たよな。」

「でも、兄ちゃんどうしていいか、わからなかったんだ。」

「・・・」


「せめて、兄ちゃんを呪い続けてくれ。」


 夕闇の中、帰り支度を始めた。

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ