半分
それから、またいつもみたいに楽しい話をして時を過ごした。いつの間にか柱ちゃんは普段の彼女に戻っていたが、彼女の笑顔はどこか無理をしているように俺には感じた。多分、まだ俺と「触れ合えない」ということが心の奥で凝りとなって残っているのだろう。
皆が寝静まった夜遅くに俺は左柱に声をかけた。
「なあ、左柱。起きてるか?」
「……なんだ?」
左柱は眠そうな声で返事をしてくれた。今にも眠るところだったのだろう。すまない。
「お前、そっちの梁ちゃんと付き合ってるんだよな」
「おうよ。それがどうした?」
「……その、なんだ。好きな相手と触れ合えるっていうのは、どんな気分なんだ?」
「なんだそのよく分かんねえ質問は……」
左柱はそう言うと、考え込むようにしばらく黙った。
「……そうだな。許してもらえたって気分……だな」
「許してもらえた? 嬉しいとか、気持ちいいとか、そういうのじゃないのか?」
「いや、それもあるけどよ。柱ってあれだろ? 梁だったり壁だったり、特に好きでもない奴らと、この部屋ができたときからずっと接してきたわけだろ」
「当然だろ? だって柱なんだから」
「そうだ。それが柱ってもんだ。でもよ、今までずっと触れ合ってきた奴に対して、あるとき突然『あ、コイツ好きだな』って自覚するとだな。途端にそいつと触れ合うのがすげー怖くなるんだ」
「怖くなる? 嬉しいんじゃなくて?」
「俺からしたらそうだ。けど、相手からしたらどう思うよ。俺はそいつを好きだけどさ、そいつは俺のこと好きじゃないかもしれないんだぜ? いや、好きじゃないならまだいいさ。もしかしたら同じ部屋で隣同士だから仕方なく触れ合ってるだけで、本当は嫌がってるかもしれねえ。そう思うとさ、怖くなるだろ。こっちからは相手の顔なんて見えやしないんだから」
あ、そうか。
左柱と梁ちゃんは同じ平面に属しているから、お互いに相手の顔が見えないんだ。表情が見えない相手の言葉と声色だけから、相手の本音を察しなければならないんだ。だから余計に相手の気持ちが分からない。
「だから、俺は許されたって思った。俺は梁ちゃんが好きで、梁ちゃんも俺が好き。ずっと触れ合っていて、嫌われたらどうしようって真剣に悩んで、でも、それが許された。許されてた。相手も俺を好きだって言ってくれた。嘘をつく必要なんてないから、それが紛れもない彼女の本音で、俺は嬉しいと思う以上にどこかホッとしてたんだ。……やっべぇな、言っててめっちゃ恥ずかしくなってきた」
左柱は恥ずかしそうに赤面していた。いつもイケイケな左柱らしくない顔だ。初めて見たかもしれない。
「……そういうもんか」
「そういうもんだ。まあ、でも、お前の言う通り、触れ合って前より気持ちよくなったってのももちろんある。俺はもともと梁ちゃんと――好きな相手と触れ合ってたから、俺ひとりで気持ちよくなってたけどさ。それでも罪悪感だったり、さっき言ったいやーな気分がどうしても残るんだよ。でも、お互いに好きだと認めあってからはそれが無くなってさ。そのときの安心したような、ホッとしたような気持ちはヤバかったな。単純には言えねえけどさ。少なくてもそれまでの倍は気持ちよかったと思う」
「……そんなにか」
「おうよ」
左柱は少し恥ずかしそうにしつつも、そう断言した。
それから、二、三、他愛ない話をした後に、左柱は眠った。寝る直前に礼を言うと「……まあ、頑張れ」と彼は励ましてくれた。実は、昼間の話を聞いていたのかもしれない。
俺と柱ちゃんは、左柱と梁ちゃんのようにもとから触れ合っていたわけではない。だから触れ合っても左柱の言うような「許された」という感覚は分からないだろう。
だが、左柱は「お互いが好きと認めあってから触れあうと、今までの倍は気持ち良かった」とも言っていた。もしそうだとするなら、この先、一生触れ合うことのできない俺と柱ちゃんは、最大でも最高の半分の心地よさしか感じることができないのかもしれない。
少なくとも、俺が柱ちゃんと付き合っている間はそうだろう。
……。
もし、彼女が、俺以外の相手と付き合いたいと言ってきたら。
しかも、彼女と接している相手を、彼女が好きだと言ってきたら。
俺は――。
翌朝。よく眠れなかった俺は思いのほか早くに目が醒めた。
「おはよう。……今日は早いね」
俺が起きたことに気づいたのか、右柱が声をかけてくる。
「ああ……なんか、寝付けなくてね……」
「そっか……」
「……」
「……あのさ。身体が触れ合わなくても、お互いの気持ちが通じ合っているなら、それでいいと僕は思うよ」
どこかおずおずといった様子で、右柱はそう言った。
「……昨日の話、聞いてたのか?」
「そりゃあ同じ部屋の柱だからね。黙って聞いていたのは悪いと思ったけど」
じっと右柱はこちらを見ていた。どことなく心配そうな様子であった。
お互いの気持ちが通じ合ってるなら……か。確かにそれは大切だ。「許された」と言っていた昨日の左柱も、結局は右柱と同じようなことを言おうとしていたのかもしれない。
なんせ、俺と柱ちゃんは、もうお互いに「許し合って」いるのだから。
「……そうだな。ありがとう」
礼を言うと右柱は「うん」とだけ言ってまた静かになった。どうやらまた眠ってしまったようだ
そのあまりの寝付きの良さに俺はふと右柱がこれを言うために起きていたのではないかと疑った。が、すぐに苦笑して、そんなわけないなと否定した。右柱は間違いなく二度寝だろう。
ただ、二人が俺のことを気遣ってくれたのは間違いない。その気持ちはとてもうれしくて、どこか柱に沁みるものがあった。
「……そっか。触れ合えなくても、思いは届くんだ。それで心は嬉しくなるんだ」
俺は柱ちゃんと触れ合うことができない。それはもう、本当にどうしようもない。心残りがないわけじゃないけど、どうしようもないことなんだ。
でも、触れ合えなくても思いは届く。
「だったら、触れ合う以上に俺が彼女を幸せにしてあげれば、それでいいんだ」
俺はそう心に決めて、彼女とこれからの日々を過ごして行くと決めた。
将来、彼女が俺を嫌いと言う日が来たとしても、せめてその日までは――。