表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
2/5

両想い

 この世の春がやってきた。


「おはよう、柱ちゃん」

「おはよう、柱くん」


 とてもすてきな朝の挨拶。それだけで生まれ変わった気分になる。窓から差し込む健やかな朝日も、小さく奏でるスズメの囀りも、すべてが俺たちを祝福している。


「おやすみ、柱ちゃん」

「おやすみ、柱くん」


 名残惜しむは夜の挨拶。静かな部屋を月光が照らす。今日の思い出を心に留めて、また明日までさようなら。寝る前に彼女の声を聞くだけで、今日もすてきな夢が見れそうだ。


 両想いってだけで世界は変わる。

 なんて、世界は素晴らしいんだ。


「君もそう思わないかい、右柱」

「うんそうだねー(棒)」

「はっはっは、そうだろそうだろ!」

「そうだねそうだねー(棒)」


 俺は今、右柱と柱ちゃん談義をしている。本当はずっと柱ちゃんと喋っていたいのだけど、彼女は今、午睡(シエスタ)の最中なので仕方ない。左柱も談義に混ぜてやりたかったのだが、やつはやつで意中の梁ちゃんとお話していて不在だった。


「さて、じゃあ次は柱ちゃんがタピオカを富岡と勘違いしてたときの話をしようか。このときの柱ちゃんの様子がまた可愛くってさー」 

「え、まだ続けるの?」

「当然だが?」

「……その話はもう23回目だよ。流石に聞き飽きたんだけど」

「え、じゃあ、彼女がイエローマングースの真似をしたときの話を――」

「それはもう52回目だよ。……はぁ、僕も昼寝するから、話しかけないでね」


 右柱はそう言うと本当に昼寝をしてしまった。なんて薄情なやつなんだ。


「ほっほっほ。そう怒るでない」


 そう思っていると、右柱のそばから嗄れた声がした。


(ふすま)さん」


 襖さんは右柱の隣にある二枚の引き違い襖の一枚だ。二枚の襖は夫婦で、手前側が旦那さん、奥側が奥さんという並びになっている。この部屋ができる前からできている、年季の入った方々だ。


「同じ部屋のよしみじゃ。君らのイチャコラを聞く分には構わんのじゃがのう。惚気話を延々と聞かされるのは酷というものじゃよ」

「え、そういうもんですかね。柱ちゃんは可愛いですし、彼女の話を聞いているだけで幸福(ハッピー)では?」

「それはお前さんが柱ちゃんを好きだからじゃ。お前さんだって儂とワイフの馴れ初めに興味は無かろう」

「確かに」


 引くぐらい興味がない。

 そうか、右柱はそんな気持ちだったんだな。

 すまん右柱。以後、気をつける。


「『確かに』だなんて、まー生意気な。そこは嘘でも『興味あります』って答えとくんだよ。気が利かないね」


 襖さんの隣の襖からキンキン声がする。襖さんの奥さん。通称、奥襖(おくぶすま)さんだ。

 奥襖さんはわりとキツイ物言いをするが特に悪気があるわけではない。普段からこんな調子であり、実は面倒見がよかったりもするので俺は素直に謝っておく。


「すみません」

「まあ、いいさ。あたいらもあんたらの惚気を聞いて若い頃の情熱を思い出しちまってね。最近じゃ襖が開け閉めされるたびに体が擦れて胸が高鳴っちまうのさ。ああ、でも、あたいらが若いときの熱に比べればこんな熱、小さい焚き火みたいなもんなんだけどね――」


 奥襖さんは興奮したように息を荒げると、どうでもいい思い出を語りだす。地球が寒冷化したかと思うほど眠くなってきたが、眠気に屈する前に襖さんが「バカ、俺達の惚気を聞かせてどうする」と止めてくれた。ありがたい。


「でも、あたいらはいいけど、あんたらは大丈夫?」


 突然神妙になって、奥襖さんはそう尋ねてきた。


「何がですか?」

「あたいらは襖だから開け閉めされるたびに触れ合えるけど、あんたらは柱同士でしょ? しかも部屋の端と端だから壁伝いでもない。相手に触れ合いたくなったりしないかね」


 ああ、そんなことか。


「それなら大丈夫ですよ。俺たちは柱ですから。襖さんたちみたいにもともと動くもんでもないですし、心配無用です」

「ふうん、そうかね。それなら心配いらないか。まあ、惚気話はほどほどにしとくんだね」


 そう言うと、襖さんたちは黙ってしまった。おそらく彼らも自分たちの世界に入ってしまったのだろう。


 しばらく俺はひとりぼっちだったが、すぐに柱ちゃんが起きてくれたので、とても幸せな昼トークを堪能できた。俺と話す彼女はとても楽しそうで、それ以上に俺は楽しかった。だから奥襖さんの心配は気にするほどのことではないと、このときの俺はそう思っていた。

 


 この世の春は過ぎ去り、初夏を迎えていた。

 舞い上がっていた俺もようやく落ち着きを取り戻し、一時は口をきいてくれなかった右柱も最近は挨拶を返してくれるようになっていた。


 相変わらず柱ちゃんは可愛い。木目も心なしか以前より色っぽく感じる。落ち着きを取り戻したものの、彼女を好きだと思う気持ちはますます大きくなっていた。こんな彼女と両想いになれるなんて奇跡以外の何物でもない。

 

 そういえば、どうして彼女は俺と付き合ってくれたんだろう。舞い上がっていたころは思いもしなかったが、彼女と違って俺は木目もイケてないし、緊張するとすぐ声が上ずってしまうのに。


 気になったので彼女に聞いてみた。


「柱ちゃん。どうして俺と付き合ってくれたの?」

「えっ? 急に、どうしたの?」


 突然の質問に彼女は少し慌てていたが、それでも恥ずかしそうに答えてくれた。


「……スズメがね、いいなって思ったの」

「スズメ?」

「そう、スズメ。だいぶ前のことなんだけど、窓が開きっぱなしだった日があったでしょ」

「うーん……」


 窓が開きっぱなしの日はけっこうあったと思うけど、柱ちゃんと何かあった日はなかったと思うんだけどな……。


「覚えてない、かな。柱くんにとっては何でもないことだから、もしかしたら覚えてないかもしれないね。……でも、私はしっかり覚えてるよ。今日みたいに温かい晴れた日だったなぁ」


 柱ちゃんは懐かしむように語りだす。


「窓からスズメが入ってきてね。スズメにしてはよたよたって畳を歩いてて、全然飛ぼうとしなかったんだ。だから私、あ、どこか身体の具合が悪いんじゃないかなって心配になったの。でも、私は柱だし、どうすることもできないって思ってた。けど、柱くんはそのスズメを見てこう言ったんだ。『おい、お前。こっちに来い。俺の柱のそばなら木陰だ。寄りかかって休んでろ』ってね。それを聞いて、スズメは素直に柱くんの身体にピタッて身を寄せてね。しばらく休んだらまた元気になって、窓から外に飛び立っていったんだよ」

「……」

「それから柱くんのことが気になってね。お話も面白いし、気がついたら好きになってたんだ……って、改めて言うのはすごく恥ずかしいね」


 彼女はいつのまにか真っ赤になっていた。


「ね、本当に覚えてない?」

「……そうだな。覚えてないや」


 ……そうか、あの事件がキッカケだったのか。


「そっか。じゃあ、やっぱり柱くんにとっては何でもないことだったんだね」

「……うん、そうみたいだね」


 すまない、柱ちゃん。

 実はそのスズメのことは覚えている。忘れろというのが無理な話だ。

 覚えているのにどうして嘘をついたのか。それは、その事件の真相がとてもじゃないが彼女には言えない悲惨なものだったからだ。


 もちろん柱ちゃんが嘘をついているわけではない。彼女から見たらそう見えてもおかしくはないのだ。ただ、俺の目から見たあのスズメは憎きクソ野郎と称する以外の何者でもなかったのである。


 その日は、ある晴れたポカポカ陽気のことだった。柱ちゃんの言う通り、いつの間にか窓は開いていた。閉め忘れたのか、部屋の空気を入れ替えたかったかのどちらかだろう。


 これが悲劇の元だった。


 俺は隅柱だから視点をずらせば建物の外も見ることができる。その日、柱のすぐそばの縁側ではお米が天日干しにされていた。虫が湧いたようなので、どうやらそれをどうにかしようとしているらしかった。


 そのお米を見つけたのは俺だけではなかった。空から見たらほんの小さな模様に過ぎないだろうに、目ざとくそれを見つけたスズメは「我、発見せり(エウレカ)!」と叫ばんばかりに干されていたお米にダイブした。


 あーあー、とは思ったものの、別に俺のお米じゃないからどうでもいいやと気を取り直し、米と戯れるスズメを俺は見ていた。好きなだけ呑み食いしたらどこへなりとも飛んで行けばいいのだ。さもなくばお前が焼き鳥になるぞ、と俺はのんきにそんなことを思っていた。


 だがしかし憎きあのスズメ。満腹になったと思ったら、その重さで飛べなくなったのか、よたよたと歩いて窓から部屋の中に入ってきやがった。


 まるで何かを探すように。どこか、都合のいい場所を探すように。


(……さてはあいつ、ウンコしようとしてねえか!?)


 それは全ての生物が従う自然の摂理。飲み食いしたものは栄養を吸収されやがて体外へと排出される。この鳥畜生はまさにそれを実行しようとしており、柱に秘められた第六感(シックス・センス)によって俺は事前にそれを察知した。


 別に部屋のどこに糞をしても構わないのだ。そう、あの場所――愛しの柱ちゃんの周囲以外であれば、右柱でも左柱でも、襖さん夫婦の間に糞尿を垂れ流しても俺は一向に構わんのだ。


 だがしかし、相手は鳥畜生。きれいなものに惹かれるのは自然の摂理。このままでは柱ちゃんがクソ野郎にクソまみれにされてしまう。


 ……泣く泣く、俺はやつに呼びかけた。


「おい、お前。こっちに来い。俺の体のそばなら木陰だ。寄りかかって休んでろ」


 と。


 しばらくした後。やつは窓から飛び立った。大量の落とし物を俺の周りに残して。


 これがコトの真相だ。おそらく、柱ちゃんからは畳の縁に隠れてクソ野郎のクソが見えなかったのだろう。そのため、なんか美談風に解釈してしまったのだ。


 彼女の話を聞いて、この真相は絶対に明かさないと俺は心に決めた。


「ああ、あのスズメが羨ましいな……」


 一方で柱ちゃんは何をどう間違ったのか、そんなことを呟いている。


「(あのクソみたいな)スズメより柱ちゃんのほう数百倍綺麗だと思うけど……」

「あはは。そうじゃないよ」


 彼女は少し笑った後、「そうじゃなくてね」と呟き、


「私も、柱くんに寄り添いたいなぁって、そう思ったの」


 と、言った。


 あ、と。気の抜けた声が記憶をノックする。


――「相手に触れ合いたくなったりしないかね」


 何日か前の、奥襖さんの言葉を俺は思い出していた。


「……柱ちゃんは、俺の体に触れたいの?」


 恐る恐る、俺は尋ねた。


「……うん。触れたかった(・・・・・・)、なぁ……」


 どこか過去を思い返すように、彼女は俺の言葉を肯定した。

 それはまぎれもなく彼女の希望だった。あふれるように零れ出た彼女の本音。その希望がどうあがいても叶わないことを、彼女自身がどうしようもなく自覚していた。


 俺は柱だ。彼女も柱だ。柱と柱が交わることはない。いつまでも俺と彼女は平行線だ。柱である以上、死ぬまでそれは変わらないのだ。未来永劫。ずっとこのまま。僕たちの立ち位置は変わらない。ただ時の流れだけが過ぎていく。


「ねぇ。柱くん。どうして私達は柱なんだろうね」


 沈黙を破るように彼女は言った。


「私が壁ならずっと君を支えてられるのに。

 私が梁ならずっと君に身を任せてられるのに。

 私が襖なら君を叩いていつも存在を確かめられるのに。

 私がスズメなら今すぐ君のもとに羽ばたけるのに」


 堰を切ったように彼女は望みを口にする。

 それはきっと彼女の思い。

 楽しげな笑顔の裏で感じていた、呪いのようなせつなる願い。


「どうして、私達は柱なんだろうね」


 再度口にした彼女の疑問に、俺はなんと言っていいのか分からず黙っていた。


「……ごめんね、こんなこと言って」


 気まずい沈黙を生み出してしまったことを後悔したのか、彼女はそう謝罪する。


 俺は柱ちゃんの木目が好きだ。色っぽい見た目の木目が彼女に興味を持ったキッカケだ。

 柱ちゃんはスズメだ。スズメが俺の体に身を預けたことが俺に興味を持ったキッカケだ。


 初めから彼女は俺と触れ合いたかった。その願いを口にしてもどうしようもないから、彼女はそれを隠したまま俺と付き合ってくれたのだ。


「……俺と付き合ったこと、後悔してる?」

「そんなことない!」


 そう尋ねると、彼女は即座に否定した。


「後悔してるわけじゃないの。私は柱くんが好き。大好き。スズメのことはキッカケで、君と両思いになれたことがとっても嬉しい。それは間違いないの。……でも、ごめんね、キッカケを思い出しちゃったから、ちょっとだけ、今だけ、弱気になってるの」

「……そっか。ごめんね、思い出させちゃって」

「ううん……。……柱くんは、こんな面倒くさい彼女って嫌?」

「嫌じゃないよ。嫌なもんか」

「そっか。嬉しい。……もしも……もしも、ね。柱くんも、私に触れ合えるなら、触れ合いたいって思う?」


 少しだけ躊躇ったが、俺は柱ちゃんと触れ合うことを想像した。あの色っぽい見た目と俺の体が、そっと支え合うように重なり合う。


「……うん。柱ちゃんに触れ合いたい。身を寄せ合って、身体を預けて、お互いの存在を確かめ合いたい。俺もそう思うよ」

「……そっか。私達、両想いだね」

 

 彼女はそう言うと、少しだけ悲しそうに笑った。

立つ鳥うんこ残す

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ