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シムナナムナの通報式  作者: takine_kuon
3/7

三、

 世界交通機関、そこで新たな空港都市戦略の具現化が始まった。大がかりな空港の再編成は、アクツがプロジェクトリーダー、リナが采配を振るう実質的な責任者になって進められた。そのプロジェクトにおけるジェロの役回りは、空港の再定義がなされた後の機能削減や空路計画変更に伴うフォロー、あるいは人員削減の提案で、各地域統括との渉外担当だ。それまでのジェロなら粛々とこなしていたことである。

 しかし、西域へ出張以来、ホッタイトから戻ってからジェロの様子はすこし変わっていた。余計なことを考えるようになってしまったのだ。


 それに最初に気づいたのは上司であるアクツである。それまでのアクツから見たジェロの評価は、小まめに仕事を指示しておけば、それなりに便利な部下という所だった。しかし、この頃は、頼んだ仕事に対して何かにつけて確認が多くなり、時間がかかるようになった。その確認事項というのはとても細かい部分で、プロジェクトを早く完了させるためには、あまり重要でない懸念ばかりだ。

「ジェロくん、なんだっていつまでも付近の住民人口のシミュレーションばかりやってるんだ。」

 アクツが聞くと、ジェロは真面目な顔をして答える。

「騒音被害がなくなって逆に空港のまわりが栄えるような事態って、やっぱり想定できないもんですね。」

 アクツの知っている以前のジェロであれば、早々に無難な資料を作ってすぐに怠けようとする人間だったはずだ。

「そんな細かい資料を用意したって進まんものは進まんし、進むものは進む。必要なことだけすればいいんだ。」

「でも、いろいろ用意しておかないと、空港付近の住民は、なかなかこのプロジェクトの影響が事前に分からないと思うんですよ。」

 どうも、こいつは最近おかしいぞ、アクツはそう感じた。アクツがその追及をしようとした瞬間、頭に浮かんだのはキツジの顔だった。その理由は、アクツ自身ですぐに合点がいく。余計なことから考えるやつと言えば、すぐ浮かぶ顔である。この前の出張の時に、キツジに何か吹き込まれたのだろう。アクツは苦々しく思ったが、だからと言ってそれをどうしようもない。第一アクツが、自分のかわりにジェロを接触させたのだ。


 アクツにとってはキツジは大事な友人である。しかし、自分とは違う価値観しかなく、その友人の影響はなかなか始末に負えないことはよく知っている。やはりあいつとは、仕事上ではあまり接触しない方がいい。自分までジェロのようになっては堪らないとアクツは思った。じつはジェロに色濃く影響を与えていたのはシムナナムナだったが、それはアクツには分からなかった。


 ジェロの変化には、リサも気づき始めていた。ジェロの質問や話の内容が、今までより漠然とすることが多くなったからだ。

「ねえ、リサ。きみのプランだけどさ。空港に働く人に、例えばシムナナムナとかに悪いって思うことはないのかい。」

「おかしなことを聞く人ね。」

「リナ、君はすこし変わっているよ。」

「そうかしら。あなたこそずいぶん変なことを聞くのね。」

 その時、リサは不思議そうにジェロを見返した。ジェロはリサにそんな風に見つめられるのは初めてのことだ。それまではジェロの言動は、いつでもリサの想定範囲内であったから。


 ジェロ自身も、最近の自分が今までと違っていることに気づいてはいた。前なら頷けていたことが、最近は違う価値観で確かめずにはいられなくなっているのだ。例えばシムナナムナがこの仕事をしていたら、どうなるのだろう。彼は彼のままでいられるんだろうか。そんなことを思いながら、自分の今までの言動を省みる。生き方を変えることは必要ないのだろうかと、ジェロをそんなことをよく考えるようになった。



 ジェロが会社の行き帰りによく歩くようになったのは、そんな頃だ。シムナナムナが気に入っているという木立ち、自分もそんなものに巡り合いたかった。ジェロの通勤路には残念ながら良い樹木はなかったが、川沿いをのんびり歩く楽しみを覚えることが出来た。そしてジェロは、歩きながら考えごとをよくするようになっていた。

「真面目にやっていればそれでいいんだ。そういうことは誰かがきっと見てる。」

 キツジが言っていたのは会社の上司とかのことではなくて、自分の中にだけいる誰かや、倫理を司る誰かの話をしているんだと思う。それは、幼少時代に漠然と持っていた価値観のようなもので、自分はずっと捨て切れていないでいるのだと、ジェロは自己分析していた。

 隠していたはずのもの、それをホッタイトに出向いた頃に気づいてしまった。そのことをジェロは、誰かにうまく伝えられないし、今さら誰かに知ってもらうことに意味はないことは知っている。そんなことを考えている時は、シムナナムナの太鼓と歌声が頭にこだますることが多かった。

「人はみな善人でありたいんだ。」

 誰かの声が聞こえたと思って、川沿いの歩道を見回すと、そこには誰もいない。

「善人でありたい、だけど実際はそうはいかないんだ。なぜって、人の体や気持ちには限界があって、そうした許容量が小さい人ほど善人で居続けることの苦しさが増してしまうんだ。だから困り果てる。だけど不思議なことにね、それでもこの社会は今でも人間性を保っているんだよ。」

 その声の主が誰か、ジェロは知っていた。それは自分自身なんだと思うし、自分が一番投影しやすいあの男、そうシムナナムナの声だったのかもしれない。彼が見ているものは、自分が最近意識しだしたものに近い。気づいたこと、それを受け止めるのか、逃げ出そうとするのか、きっとそこには違いがある。


 それまでのジェロは世の中とうまく折り合いをつけていた。自分の中に収まりきらない現実があった時、どこかへ逃げ込もうとするのだが、投げ出したりあきらめるのがうまくないので、いつもうまくいかなかった。現実から逃げきれないにしても、現実を直視しないようにしてバランスをとる場合もある。そうしてジェロは自分の内面と現実と違う仮想現実を作ってきたのだ。なのに何かの口が開いてしまった、自分ではもうそれを再び閉じることが出来そうにないのだ。


 ジェロは思い出す、自分を誤魔化すことを覚えたのは随分前のことだったはずだ。そうしてなんとか働くことを覚えた。だから働くようになって知り合ったアクツやリナは、彼の内側から見ればぼやけた現実の世界の住人だ。自分の内側の住民はもう増えることはないはずだったのだ。


 朝の出勤時間にこんなことを考えてしまうと、昼間の仕事がどうもうまくいかない。そんな思考は仕事へ悪影響だとジェロには分かっていた。何も考えずに仕事を始めれば済む話だ。仕事をする自分を別の視点で考えてしまう。そんなことは考えなればいいのだ。なのにもう、ジェロはそうすることが出来なかった。


 シムナナムナとキツジの住む街のことをジェロはよく思い出す。ジェロはネットを使ってササジー通信の情報を確かめるのが習慣になっていた。シムナナムナが運営している私的通信社、そのサイトはネットで簡単に見つかった。

『 9002 080500 ZW 5000 BK/// SC100 』

『 8002 200805 51463 01505 42109 10159 20060 30103 』

 ササジー通信に乗っている記号たち、それは通報式と呼ばれるものだ。気温、湿度、気圧などの物理量を読みやすい数字に置き換えた、短い文字列だけで非常に多くの情報を得ることができる。言語や地域文化に依存せずに情報をやりとりする必要から生まれた書式、どこの国に行っても共通に使えるものだ。全球レベルで情報のやりとりの必要がある時に専門の人間だけが使っている。


 ササジー通信にある通報式は気象分野だけだ。気象の通報式にも二十種類以上あるが、シムナナムナの使っているのは空港で使われている通報式と気象台の形式だ。おそらくホッタイト周辺の気象状況を、その二種類で示している。


 暗号のようにも見える気象コード、要はつまらない記号のかたまりだ。ジェロはその通報式が示す気象の概要までは理解できたが、通報型式集がなければ完全には意味は理解できなかった。


 サイト上の気象通報式は、少なくとも一日に二回は律儀に更新されていた。果たして、シムナナムナの通報式にはどれだけの意味があるのだろう。それは正式なものではないし、誰が何のために見る必要があるのか分からないしろものだった。ただ、そこにはシムナナムナらしさが集約されていた。ジェロはつまらない記号が生真面目に定期的に更新されているのを見ては、なぜだか安心した。



 その日、ジェロはオフィスを抜け出して三十階へ向かった。日に一、二度あるジェロなりの気分転換なのだが、最近はその回数が前より増えてきた。ジェロはコーヒーを注文すると、カップを持って窓際に移動する。窓の見える長椅子に座って、カップに一度、口をつけたところで、聞き覚えのある声がかかった。

「あなたもこんな所が好きなのですね。」

 目の前には、見覚えのある白髪の男が立っている。

「キツジさんじゃないですか。どうも。」

 西域の空港で会った時と同じように、キツジは静かに笑ってジェロの向かいの席に座った。

「午前の全体会議に出ていらしたですよね。ちょっとご挨拶する機会を逃してしまってすいません。」

 各地域統括が集まるプロジェクトの進捗会議があり、アクツとリサが主催側としてとり仕切った。ジェロは隅の席に座って参加したが、事前に私語を交わせるような雰囲気の会ではなかった。

「ちょっと一休みしようと思いまして、そしたらジェロさんがいるのに気づいたんです。」

「キツジさん、なんだかあなたとすこしお話しがしたかった。今回のプロジェクトどう思われています?」

 ジェロは空港の再編成がこのまま進んでいくことに漠然とした不安があった。ただ、それを共有できる相手には巡り合っていないのが現状だ。

「どうも、こうも、ありませんよ。決まったことですから。私はその中で、まだ決まっていないことを最善にすべくやるだけです。」

「それはそうでしょうが。」

「それよりここは眺めがいいですね。私は気に入りましたよ。ジェロさんはよく就業中にここに来られるんですか?」

「あ、いや。まあ、気分を換えたい時とか、ちょっと仕事に気乗りがしないとですね。」

「まあ、まさに今日はそんな気分なんでしょうね。」

 キツジは、今は仕事の話をする気分ではないのだろうとジェロは思った。だからジェロは別の質問を口にする。

「アクツさんにはお会いになりましたか?」

「あとで、あの男の所には顔を出さなくてはいけないでしょうね。浮世の義理ってやつです。」

 そう言ってまたキツジは笑う。それでジェロは、やはりキツジとアクツには何か特別な関係があるのだと確信した。

「アクツさんとはお親しそうですね。そのわりにはなんだかアクツさんはあなたを避けているようにも感じられます。」

「はは、それは仕事の場では彼はあまり会いたくないのですよ。勝負のことがちらつくのでしょう。」

「勝負?」

「はい、アクツと私は長いこと勝負をしています。もう十年以上になりますか。なかなか決着がつかない。今は二敗差で私が勝っています。」

「いったいなんの勝負です?」

「ネットゲームですよ。ゲーム。一回の勝負に短くても二、三か月かはかかるんです。『集合する文明』ってご存知ですか?」

「ええと、聞いたことがある気もしますが。」

「お互いの街を発展させて国にする。戦争でも経済でも文化でも、なんでもいいんです。それを発展させて全世界を一つにまとめる。今夜もたぶん彼と勝負することになるでしょう。だからね、必ずしも好かれているわけではないが、私がいないと彼は困るんです。ずいぶんと前からそんな関係ですよ。」

「はあ。」

「好きな時に各都市のミッションや外交戦略を決めておく、そうすれば数日うちに結果が出ますから、お互い時間にしばられずに対戦できるんです。愛好者は世界中にいますがね、私たちくらいのレベルになると、なかなか好敵手というのは見つからないものなんですよ。」

「はあ・・。」

「なんです? なんだか残念そうですね。」

「いえ、私はもっと特別な友情とか特殊な事情でもあるんだろうかと思っていまして。」

「結局、そんなものですよ。ロマンチックな実話なんてそれほど多くはありません。だからと言って、公益性だとか効率化だとか、そういうものだけで世の中は動いているわけでもない。何事にしたって、やる意義なんて正しく見積もりようがない。」

「・・そういうものかもしれませんね。」

「今はそんな話よりね。ジェロさん。」

「はい。」

 キツジは、その穏やかな目をジェロにしっかりと向ける。

「あなた何か今悩んでいますか。」

「あ、いえ。」

 ジェロは当惑した。

「何か迷っていらっしゃる?」

 迷う、自分は迷っているのだろうか、ジェロは自問した。すこし前までのジェロの人生では、迷ったことはほとんどない。それは自分のスタイルが確立していたからだ。ジェロは自分が情熱が決定的に足らない人間だと知っていた。だからむしろ自分の能力は誰かの作戦の上で利用されるくらいがちょうどいいのだと思っていた。

「迷っている・・、確かにそうかもしれません。」

 以前までは組織に属しているのが心地良いはずだった。それは今は違和感が否めない。それをキツジはもう知っているのだと、ジェロは感じた。

「迷っているとしたら、それはあなたの進みたい方向が今までと変わってきてるのかもしれません。」

「進みたい方向? 私にそんなものが果たしてあったんでしょうか。今も方向が分からないから迷っているような気がしてきました。」

 ここでキツジは手をやや広げて、少し身を乗り出してきた。

「例えば私の場合ならね、やりたいことは明瞭です。思い残しをつぶしたいだけなんですよ。思い出の中で生きていて、思い出からたまに現実に手を出す程度。そうするとだいたいが誰かを応援する羽目になる。それが私の指針ですよ。」

「・・・」

 ジェロが黙ってしまうとキツジは笑顔をさらに大きくして言う。

「いやあ、あなたは今はじつに奥深い顔をしていらっしゃる。その顔を私は知っています。人間としての根本のことを考えているような時の顔です。そうですね。例えば、生きることに考えることを伴うようになったのはいつからだろうとか。」

「いや、そんなことを考えたことないですよ。」

 ジェロはそう答えたが、キツジはそれを本気の否定とは受け止めていないように話を続けた。

「それは家族という単位が生まれた時からかもしれません。人が増えて、道具が増えて、仕組みが増えるに従って、社会は複雑化してきた。そのうちに昔の人は生き方に筋を一本通したくなる。それは信奉だったり、組織への忠誠だったりね。例えばですね、恩に報いるとか、誰かのために生きるとか、そうしたものが結局は歴史を動かしていることって多いんですよね。何か曲がったことはしないという気質だって立派なものです。その姿勢は、何かに一心に祈ることだと同じだと思います。」

 その時ジェロは、キツジはそれを真剣に思っていないような気がした。何か目的があって、自分にそんな話をしているとジェロは思った。しかし一方で、キツジの言葉は今のジェロに深く浸透していく。ジェロは自分の視覚がふいに狭まっていくような感覚があったが、そんな熱に浮かされた状態に自分では気づいていなかった。

「でね、あなたは気づくはずです。今やっていることを続けることにも辞めることにも価値はあるんだって。例えば、強奪を伴う大概の争いごとは得にならないと気づいた頃、お金、つまり財産が価値観の中心でなくなり、多様化が加速していく。それが今から未来へ繋がっていくのではないかと。違うでしょうか?」

「さあ、どうでしょうか。」

 何度も反芻していることなのだろう、でなければ、ここまでよどみなく話すことは出来ないとジェロは思った。キツジはゆっくりと語り続ける。

「でもひょっとしたら、それは身の回りの小さなことの中にしか答えはないんじゃないかって。例えば小さな親切、それを集めていることで、そこで人間性を保っている人がいるのではと私は真剣に思います。」

「小さな親切ですか。まあ、確かにそんなものかもしれないですね。」

 あたりさわりのない返事をすると、キツジはここでまた、ぐっと笑顔になる。ジェロは気づいていなかったが、キツジは頼みごとをする時に、特にいい笑顔を作る種類の人間だ。

「ところで、ジェロさん。ワンジュの空港ご存じですよね。」

 キツジは一つの中規模空港の名前を口にする。確か海沿いの地域にあるホッタイトより規模の小さな空港だと、ジェロは記憶を確かめる。

「ええ、あそこは規模縮小でなく、役割を終える予定ですよね。新しい空港はやはりそうなるのが多い。」

 それは比較的新しい空港だった。ただ、開港してから今までの利用頻度が少なく、当時の戦略が失敗だったと業界の一般的な認識が定着してしまっている空港だ。

「ワンジュは空港公園が立派なんです。騒音対策で街からすこし離れた所に建設されました。空港の役割がなくなったら、それこそ使いかたに皆困る。地元からの援助も入ってますからね。廃止を決めるだけでは誰も納得しない。」

「はい、プロジェクトがクリアしなくてはならない問題の一つ、たぶんかなり厄介な部類です。」

「あそこは別の役割を探すことになるんでしょう。」

「ええ、未定ですが。」

「天体観測なんかいいと思うんですよね。みやげと喫茶店くらいおけば、暇な人が遊びに来るかもしれない。」

「はあ。」

「語圏が同じで、言葉の不自由も少ないから旅行にもいいでしょうね。」

「あのあたりは二言語が基本ですからね。」

「シムナナムナの再就職先にもいいと思って、いくつかの提案の中に紛れ込ませておきました。この先の会議にかけられるかもしれません。よろしくお願いしますよ。」

「・・・・、案としては良いかもしれませんね。」

 キツジのプランを、ジェロは素早く頭の中で組み立てる。まだ誰も具体的なプランを出せていない問題だ。シムナナムナがそこに就職するかは別にしても、実現可能性は高いように思えた。同時にジェロは、それは思いつきでないことに気づく。ひょっとしたらキツジはそれをさりげなく言うために作戦を立てていて、だからこそ、小さな親切を話題にしたのだろう。

「さて、これから何人か古い馴染みの顔を見て回ろうと思います。最後にアクツの所にも行きますからね。」

 目的を果たしたからか、キツジはそう言うとすぐに居なくなった。ジェロはその背中を見送りながら、もう一度『小さな親切』の話を思い出す。『小さな親切』、それを集めることで人が人でいられる、そう考える人がいたって、それは全く不思議ではないはずだとジェロは思った。



 その日の夕方、オフィスの奥に陣取るアクツの姿は、いつもより落ち着きがないように見えた。鞄の中を確かめる回数が多い。たまに扉の方に視線を送った後に、誤魔化すように、あらためて周囲を見回す。ジェロと目が合うと何食わぬ顔で机の上に視点を戻した。


 最近のジェロは、以前よりも上司であるアクツの言動を気にすることが少なくなっていた。その分、アクツに対して行動が大胆になる時がある。アクツの見慣れない振る舞いに興味を持ったジェロは、深い考えなしにアクツのデスクに寄っていく。

「なんだ。」

 わざと鷹揚にアクツが口を開いた。

「いえ、たいした用事ではないんですが、キツジさんをお待ちですか?」

「ああ、なんでそれを知っている。」

「昼間にキツジさんとお話ししました。」

「ああ、そうか。お前もあんなのと関わっているとろくなことはないぞ。」

 ばつが悪そうな顔をアクツが示す。それはジェロが初めてみるアクツの表情だった。

「なんだか共通の趣味をお持ちとか。」

 さらにアクツの顔に困惑が浮かんだが、すぐに消える。

「まあな。今夜はあいつと酒でも飲む予定だ。」

「二敗差でキツジさんがまだ勝っているとか。」

「そんなことまで聞いたのか。全く嫌味なやつだ。確かに今はやつの方が上だが、二年前まではこっちが勝っていた。勝負には波があるからな。今時点で決めつけるもんじゃないぞ。今夜はやつとじっくり、ここまでの戦績を振り返るんだ。」

「そうですか。」

 それはジェロにとって自然と出た相槌だが、アクツには嫌味に響いたようだ。

「だいたいお前になんの文句がある?」

 アクツの表情はみるみるうちに不満足げに変わる。鬱積していく様子が見てとれた。慌てたジェロは、話題を換えて、アクツの機嫌を取り戻そうと考えた。何かを言わなくてはいけないと思った瞬間に浮かんだことを口にする。

「いや、すいません。その話じゃなくて、別の話で・・。じつはですね。すこし長い休暇を頂きたいのですが。」

「なんだ。何か言いたそうだと思ったが、そんな話か。リナが良ければ大丈夫だ。」

 アクツは立ち上がるとリナのデスクへ進む。フットワークが良いのは、アクツがこの組織で出世している理由の一つではある。近づくアクツに気づいたリナは立ち上がって先に声をかけた。

「なんでしょう。アクツさん。」

「リナ、すこしジェロの話を聞いてやってくれ。休暇申請だが、プロジェクトの進捗次第だからな。」

「はい分かりました。」

 それからアクツとリナは小声で二、三言交わすと、アクツはさっさと自分のデスクへ戻る。それからリナはジェロの方へ顔を向ける。

「休みをとるって。プロジェクトは計画自体があと一か月もあればだいたい揃うだろうから、その後にしたらどう?」

「ああ。それで構わないさ。」

「じゃあ、あとで申請書は出しておいてよ。確認のサインはするから。」

「ああ。今日、明日中にやるよ。」

「でも珍しいわね。長期休暇なんてあまり申請しなかったわよね。」

 ぼんやり考えていたことがふいに具体的になって頭が浮かんだだけである。思ったことをそのまま行動してしまう、今日のジェロは、そんな暗示をかけられているようだった。それは昼間、キツジと話したせいかもしれない。

「じつはさ。面白いプログラムを思いついたんだ。せっかくだからそれをしっかり作ってみようと思って、どこか知らない街にでも行って没頭したいんだ。」

「へえ。面白いプログラムってなに。」

「仕事とは関係ないさ。世の中に出ている気象情報って山ほどあるだろ。通報式含めてさ。それを一元的に分かりやすく見せるサイトって、じつはないんだよな。だいたいやりかたは分かるけど、ただ単に膨大に時間がかかるし、面倒くさいから誰もやりたがっていない。だからさ、やってみようかなっと思って。」

「無償公開されている情報を再構成するのね。それなら通るかどうかは別にして提案書書いて、予算申請すればいいのに。」

「別に仕事で必要だと思っているわけじゃないんだ。」

「ふうん。」

 リナは変わった動物でも見るようにジェロを見直したが、それ以上は何も言ってこなかった。ジェロもリナの席から離れようとした時、見覚えのある人影に気づく。やや離れたオフィスの入り口にキツジの顔が覗いている。

「ああ、キツジさん。」

 ジェロは手を挙げた。

「どうも。アクツは居りますか?」

 キツジは笑顔で中に入る。振り返るとアクツはもう鞄を持って立ち上がっていた。

「今日はこれから野暮用だ。あとは頼む。」

 そう言い残すと、アクツとキツジの二人は連れ立って外へ出た。あっという間だった。

「今のは、アクツさんがよく気にしてるキツジさんでしょ。西域統括の一人よね。」

「ああ。」

「なんだかんだ言ってもアクツさんはのんきなものね。プロジェクトは今が佳境だっていうのに。ジェロ、あなたにしたってもうプロジェクト終わりのことに意識が行っている。ああ、まったく、私は良い仕事仲間に恵まれないわ。」

 そう言うと一人で物事全てを背負いきったかのように、リナは肩に力を入れ直して端末に向かい直す。一方、ジェロは、向かい合うものを考え直すべきじゃないかと思っていた。

「なあ、リナ、たまには砂漠とか海とかを見て、ゆっくりと考えた方がいいんじゃないか?」

「美しいものを見るのは好きだけど、別に考えごとをするためじゃないわ。第一何を考えるの。」

「まあ、自分を見つめ直すようなものさ。自分の時間の使いかたがこれでいいのかとか、自分の好きなものは何かとかさ。シムナナムナなんかがいい例だ。自分の外と内が乖離していない。」

「お気楽なもんね。」

 リナは呆れていた。今月は自分の時間はほぼプロジェクトに費やしているというのに、この同僚の意識は全く別の所にあるからだ。

「そういうのってとても大事だと思うんだよな。」

「はいはい。分かったわ。あなたには心の浄化が必要なのね。大抵の人は先天的に立派で優雅にはなれないわ。シムナナムナさんは内も外も美しいんでしょうけど、全ての人は美しくなれないし、だからほとんど全ての人にとって心の浄化が必要。それが心のよりどころってわけね。」

 その時、リナはやけになっていたのかもしれない。珍しくトゲのある物言いだった。それから彼女は、目の前の端末に視線を戻して何も言わなくなった。ジェロにしても、再び仕事に没頭し始めたリナにこれ以上何かを言う気になれなかった。



 それからしばらく後、空港再編計画はいくつかの困難を乗り越えて、実現を果たした。プロジェクトは一定の役割を果たし、プロジェクトが終了する頃にはリナは出世して、シムナナムナの空港は、ハブ空港までの往復のみ担う小空港へと変わっていた。シムナナムナが望んでいた空港の気象情報の充実は達成されることはなく、シムナナムナの店は姿を消す。


 結局、ジェロの長期休暇は予定より六か月遅れとなった。

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