9、暗闇
9、暗闇
現実世界に肉体が無いって、おじさんは幽霊なのかな?じゃあ、兄はいつ死んだの?死んだ…………?
いつ?
お母さんからは、お兄ちゃんは部屋から出て来ないとしか聞いてない。
闘技場では変わらず、私とおじさんは強風を体に受けていた。もう、体も限界で何とか耐えるだけで精一杯だった。
次々と来る風圧で、呼吸もままならなくなってきた。
苦しい…………助けて…………
ある日突然、兄は部屋から出て来なくなって…………ドアの隙間から、少しだけその姿が見える時もあった。あれは本当に兄だった?
体中が痛い…………
本当は誰だった?
すると、突然誰かが私の目の前に立って言った。
誰?
「ここは初心者が来る所じゃない。死にたいのか?」
『YUKが強制パーティーを組みました』
それは、兄だった。重工な鎧を身に纏い、大きな剣を持つその人は、実際の兄とは似ても似つかない外見だった。けど何故か…………これは兄だと思った。
「お兄……ちゃ……」
「莉奈…………!?莉奈なのか?」
お兄ちゃんは全然聞き慣れない呪文を口にすると、いとも簡単に対戦相手の鳥人を吹き飛ばした。
「大丈夫か!?莉奈!」
「お兄ちゃん!!」
すると、智樹が客席から声をかけて来た。
「おーい!!ねーちゃん!すぐそっち行く~!」
智樹は客席からこっちに降りて来た。ラルが智樹を引っ張ってゆっくりと落ちて来た。その姿を見て兄が驚いていた。
「智樹まで!?」
兄は嫌な顔をして怒鳴った。
「まさか、二人でこのゲームを勝手に使ったのか!?」
「ご、ごめんなさい。だけど兄ちゃんが全然帰って来ないから…………」
「だからってこんな危険な事するなよ!これは無茶だろうが!俺が助けに入らなかったら死ぬ所だったんだぞ!?」
私がボソッと「生き返ればいいじゃん」って言ったら、もっと兄が言った。
「この世界で生き返れるのは、冒険者だけだ。莉奈、お前は冒険者じゃないだろ?」
え?どうやら、生き返れるのは冒険者の称号を持つ者だけ。私はそれを持ってはいない。
だからって………………
どうしてそんなに怒鳴るの?
「今すぐ帰れ!」
どうしてそんなに冷たいの?
心配した私がバカだったの?私がバカ?バカみたい…………
私は悔しくて腹が立って、兄に砂をかけた。
「おい!莉奈!!」
このゲームは、基本的にはユーザーが他のユーザーを傷つける事はできない。でも、闘技場ではコミュニケーションの一環で、人をおちょくる意味の『砂をかける』というコマンドはある。
私は無我夢中で砂をかけた。どんどんどんどんかけた。
「お前ふざけんなよ!?」
「ふざけてんのはどっち!?こっちは苦労して探して死にそうにもなったのに、こんなに大変な目にあってまで探したのに、簡単に帰れって、何?」
「はぁ?俺がいつ探してくれなんて頼んだ?こっちは探して欲しいなんて頼んでないだろ?」
わかってた。私があんな風に言ったら、兄が『ごめん』なんて言う訳がない事くらい。 そんなのわかってた。だけど………………
なんだか、想いが溢れた。
「お前こそ何なんだよ?智樹まで連れて来やがって…………今すぐ帰れ!」
「私だって、こんな所来たくなかった!!でもこのまま帰るのは嫌!!」
「………………じゃあ、もういい。勝手にしろ。とにかく俺は帰らないからな」
そう言って兄は後ろを向いて入り口に向かって歩いて行った。
「待って!!待ってよ!!」
智樹が兄の後を追いかけた。私も追いかけようとしたけど、体が思った以上に動かなかった。
私は去って行く兄の後ろ姿に呼び掛けた。
「お兄ちゃんは…………私が嫌いになったからここに来たんでしょ?私が嫌だから…………私が目障りだから、私から逃げる為にここに来たんでしょ!?」
「………………」
兄は、足を止めた。それでも、振り返りもせず、何も答えてはくれなかった。
そして、最後に一言言った。
「せめて智樹だけも……帰せ」
そう…………だよね…………。
兄にとって、大切なのは智樹だけ。血の繋がってるのは…………智樹だけ。
2年前、私が高校入学してしばらくした時、その事実を両親に伝えられた。父の連れ子が私、母の連れ子が兄、智樹はその後両親の間にできた子。
兄と私は、お互い家族になった年が幼かったせいか、本当の兄妹だと思っていた。
それが…………
兄が引きこもったのはそれからだった。多分、それが原因。兄の事は、今では両親もどうしていいかわからないみたいだった。
だから、兄が死んでいるとは全然思えなかった。
だから、今まで諦めきれなかった。
「夕飯の時間までには帰れ。絶対に智樹を戻せよ?そうしなかったら、俺が強制的にゲームオーバにする」
そう言って兄は、私の目の前に大きな剣の先をかざした。
そんな脅し無駄なのに。ユーザー同士は傷つけられない。
それでも、妹に刃を向けるなんて最低。
もういい…………
「智樹、もう帰ろう」
「ええ?兄ちゃん!兄ちゃんは?」
私がそう言うと智樹は兄にしがみついた。
「兄ちゃん、一緒に帰ろうよ!」
「俺は帰らない。智樹、お前はちゃんと飯食って宿題やれよ」
兄は智樹のウサギの耳を引っ張って、自分の体から離した。
ラルがアイテムを使って回復してくれて、何とか動けるようになったけど…………体中がまだ痛い。
「兄ちゃん!やだよ!また一緒にゲームやろうよ!俺、ちゃんと宿題やるから!片付けもやるよ!」
智樹は兄の後ろ姿に力いっぱい叫んだ。
「また、3人でゲームやりたいんだ!!」
まだ、智樹が幼稚園児だった頃、私は小学生兄は中学生で、よく3人でテレビゲームをやった。智樹は全然勝てなくていつもビービー泣いてた。私と智樹が喧嘩になって、兄が止めていた。
「ご飯も、昔みたいにみんなで一緒に食べたいよ!!」
兄は、一瞬足を止めて、黙って下を向いていた。
「智樹いい加減にしなよ!もう行くよ!」
「やだ!兄ちゃんと帰る!」
「智樹!!」
私がぐずる智樹を怒鳴ると、兄はすぐにその姿を消した。
ほらね?
もう、諦めるしかないんだよ…………。
「ラル、私達ここから帰る」
「え?待ってよ!セーブがまだ……」
「いい。もう二度とここへは来ないから」
そう言った瞬間、智樹は泣き叫んだ。
「そんなのやだよ!!ラルと二度と会えないなんて嫌だよ!!」
私は智樹を連れて離脱する前に、ゆっくりと宙に浮かびながら、碧の続く世界を見渡した。
見渡す限りの碧。この碧も蒼も青も、もう見る事は無い。
もう二度と、この景色を見る事はない。
そう思った。
智樹は、ゲームから現実世界から帰っても、まだ泣いていた。高学年にもなってビービー泣くなよ、バカ智樹。
「莉奈のバカ!!」
「バカって言った方がバカなんだからね?バカ!!」
私だって、バカだ…………。
そんなのわかってる。
でも、上手くいかなかったのは私のせいじゃない。兄のせいだよ!!
それから智樹とは険悪になった。
だから…………これからはもう、智樹と一緒にあのゲームする事はない。
もう、あのゲームの世界に行く事もない。
むしろこれで良かったんだと思う。いや、きっと良かったんだよ。だって、これで兄の事は諦めがつくし、これからは受験勉強にも集中できる。
その日の晩、夜中に目が覚めた。覚めたというより、眠れなかった。体は疲れているのに、何をしても眠れなかった。
だから、トイレに行った帰りに、兄の部屋の隙間を覗いて見た。
そこは真っ暗で、誰もいなかった。
部屋に入ってみると、何の明かりもなく真っ暗だった。窓から洩れる月の光も無く、本当に真っ暗闇だった。
誰もいないその部屋で…………私は暗闇の中、声を殺して泣いた。
「…………おにぃちゃん…………」
それから
私の目の前には
ずっと暗闇が続いている。