4、蒼のプルス
4、蒼のプルス
夜中にトイレに起きた。きっとお風呂上がりにスポーツドリンクをがぶ飲みしたせいだ。
真っ暗な廊下に、うっすらと差し込む光が見えた。それは、兄の部屋からだった。
「お兄ちゃん!?」
私は思わず勢いよくドアを開けた。
「莉奈?」という兄の声は聞こえなかった。そこにいたのは、兄の格好をした、別人だった。別人どころか、人ですらない。頭には左右にヒレがついていた。
ヒレ?あ!今日街で見た魚人と同じだ!!
「?どうした?莉奈?」
「あんた…………誰?」
「誰って……何言ってるんだ?お前の兄だろ?」
兄な訳が無い!!こんなのお兄ちゃんじゃない!
「兄はツルツル頭にヒレなんかついてない」
「!!お前…………実際の姿が見えているのか?!」
「お兄ちゃん……もしかして、魚になっちゃったの?どうして?どうしてなの?」
私は兄の変わり果てた姿に、思わず掴みかかった。すると、魚人は慌てて言った。
「待て待て!俺はお前の兄じゃない!」
「え?じゃ、誰?」
「まずはヒレから手を離せ」
私は掴んでいた手を離して、魚人の前に座った。
「俺はユウキに頼まれたんだ。ここにいるだけでいい。自分が実際にいるようにたまにここにいてくれって」
「そんな…………」
そこまでして…………ここにいたくないの?
「別に、ヘビーユーザーにはよくある事なんだよ。俺みたいな弱い魚人族はさ、モンスター退治もろくにできねーし、他に特技があるわけじゃねーし」
「それって、これがあなたの仕事って事?」
「ああ、ちゃんと報酬をもらってるよ」
そうなんだ……。
「私、今日この世界、アクアプルス?」
「プルスアクアな」
「今日初めて入って、この世界の事まだまだ全然知らないんだよね」
すると、その魚人に肩を押され、押し倒された。
「そうか。だったら色々教えてやろうか?」
「…………はぁ?な、何を?」
魚人は私の体のあちこちを触り始めた。水掻きみたいな手が顔に触れると、恐ろしく気持ちが悪かった。そのおぞましい魚のような顔……鱗のような肌……
助けて!!
「誰か…………」
「おっと、声を出したらここに兄貴がいない事がバレるぞ?それとも、バラしてこのゲーム自体撤去してもらうか?」
「………………」
そんな事になったら…………その中にいる兄はどうなる?そして、この魚人を、この状況を見た両親はどう思う?
怖くて…………怖くて…………声が出せなかった。
どうしよう…………どうしたらいいの?
恐怖と、気持ち悪さに体の震えが止まらなかった。
怖い……………………!!
そう思い目をぎゅっと瞑ると、声が聞こえた。
「契約違反だ」
そう聞こえた。その声は…………
「じょ、冗談だよ!冗談!俺、魚人族よ?人間の女になんか興味無………………」
魚人がそう言った瞬間、魚人の姿が消えた。
その声は、懐かしい兄の声だった。
私は慌てて兄の部屋を出て、自分の部屋に鍵をかけた。
「怖かった…………」
すぐにベッドの中に潜って布団を被ったけど、なかなか震えが止まらなかった。
あの肌、あの目、しばらく魚を見たら吐きそうな気がした。朝ごはんに焼き魚が出ない事を祈ろう。
眠れない夜を一晩過ごして、次の日いつものように学校へ行った。幸い朝ご飯は洋食で助かった。
「おはよう莉奈、どうしたの?寝不足?」
私が下駄箱で呆けていると、後ろから友達のなっちゃんが登校してきた。
「ちょっと異世界に言っててさ~!」
「なんだゲームか~莉奈にしては珍しく受験勉強かな?と思ったのに」
「いや、マジで本当だよ?」
なっちゃんに「はいはい」とあしらわれた。そりゃ信じてもらえる訳がない。
実際は、ゲームをやっていたんじゃなくて…………
ゲームの中の、人間じゃないものに襲われて、怖くて寝られなかったって話なんだけど…………
家に帰ると、やっぱり智樹がゲームの世界へ行こうと言い出した。
気が進まないけど………………
昨日、久しぶりに兄の声を聞いたら、兄ともう一度ちゃんと話がしたいと思った。
また、コントローラーを差し込むと、体が透けた。
そしてまた、この、碧ばかりの世界にやって来た。
空から地上に降り立つと、そこにはラルが待っていた。
「おかえりなさい!」
「ラル~!会いたかったよ~」
ラルは智樹との再会に喜んでいた。智樹のラルの溺愛っぷりがすごい。ラルを抱いたまま全然離さない。
「それじゃ、いっちょ城に乗り込むか!」
と、意気込んで街の奥に進むと、ラルに私はおとなしくしていて欲しいと言われた。
おとなしく?!おとなしくって、何?私、常におとなしいけど?
「ここは蒼の地です。あなたは碧の騎士です。ここではトモキにとってはホームでも、あなたにとってはアウェーと言ってもいい。あなたの碧の気を嫌がる者もいます」
「そうゆう事か!」
「その逆もしかりです。トモキも気をつけてくださいね。冒険者の強い気は蒼の獣人を惹き付け、時に狂わせる場合がありますから」
惹き付け…………狂わせる?
「じゃあさ、それって、もしかして…………私の場合は魚人とかにも当てはまったりする?」
「何言ってんの?当たり前っしょ?さっきの話聞いてた?」
それ…………もっと早く知りたかったんだけど!!
そうと知っていれば、あんなに易々と魚人に近づいたりしなかったのに…………。
「大丈夫!そうゆう事なら、ちゃんとおとなしくしてる」
そう言った瞬間、智樹が野獣のような人とぶつかった。ライオンのような、バッファローのような、獣の姿の人だった。
「あ!ごめんなさい!」
「なんだ?このチビは?どこ見て歩いてんだコラァ?」
「はぁ?!そっちだって前見て無かったでしょ!?お互い様なんだから、そっちだって謝りなさいよ!」
その野獣がみるみるうちに鼻息が荒くなって、怒っているのがなんとなくわかった。
「だからおとなしくしててって…………」
「そうは言ったけど、これは許せない!」
「こんな大きな獣人と戦うつもり?いくらなんでも無理だよ!」
ラルがそうは言って止めたものの、事は簡単に収まりそうになかった。
「なんだ?その目は?やるか?」
「やってやろうじゃないの!」
私が木の棒を出すと、獣人は笑い出した。
「なんだその枝は?」
そりゃそうだ。
「ラル、碧の気ってどう使うの?」
「使う訳じゃないよ!気持ちの強さみたいなもので…………」
「そう、じゃあこいつに気持ちで負けなければいいのね?」
一発。この棒で一発当てれば十分。相手の攻撃に当たらずに、一度当てられればいい。
モンスターと違って、対人だ。まぁ、人ではないけど。
剣と剣の勝負。そこは剣道と同じ。
小学生の時は、よく体の大きな上級生と戦った。男子は負けた時、本気じゃなかった~!とか言うけど、それでも格上相手にだって絶対に負けたくは無かった。
怖いと思った方が負け。常に冷静に相手を見られなかった方が負け。心の弱さが負けだ!!私は声を出して気合いを入れた。
「ヤァーーーー!!」
大きく振りかぶった獣人の剣の根元に棒を当て、そのまま一歩踏み込んだ。
「面返し………………胴ーーーーー!!」
そして、腹に一発胴が綺麗に当たった。
獣人は倒れこそしなかったけど、そのまま黙って立ち尽くしていた。そして、一言呟いた。
「嘘だろ…………?」
ラルが驚愕して震えていた。
「あわわわ!アイツマジでヤバいな!!」
「ねーちゃん自分より大きい相手だとすぐムキになるから」
当てはしたけど、獣人に何のダメージを与えられていない。そりゃそうだ。なんて事ない、ただ棒で叩かれただけだ。
「そこ!何をしている!!」
そこに、警察のような人が来た。ちょうど良かった~!「この人…………」と言おうとすると、両腕を捕まれて後ろで組まされた。
「へ?何で?」
ラルの方を見ると、ラルは智樹を連れて逃げていた。
「だから言わんこっちゃない!智樹、ここは逃げよう!!」
「え?でも、莉奈が!」
私はあっという間に拘束されて、風船のような入れ物に入れられた。そこに入ると、なんだか力が抜けた。
「ねーちゃん!!」
智樹の声が遠くで聞こえた。風船はどんどん大きくなっていった。この風船はどこへ向かって移動しているんだろう?私、どこに連れて行かれるんだろう?しばらくその中にいると、眠くなった。