〝妖力(コロナ)〟と〝混妖(ユーリ)〟
「私の名前は峯子瑛里華。 ケロさんの旧友で、元チームメイトだよぉ。こちらは相棒のワカちゃん」
ソファセットに虎之助と〝化け猫〟のミネコが座り、上座に据えられたデスクの向こうにガマオカが着席している。
「椎菜環花奈でーす」
先程まで大暴れしていた女はそう名乗った。 落ち着きを取り戻したようで、どこから持って来たのか魔法瓶に入った琥珀色の液体をコップに注ぎ入れると、虎之助の前に差し出した。
「お詫びの紅茶。さっきは悪かったわね」
「おい小娘、おれとミネコの分は」ガマオカが口を挟む。
「小娘じゃない! わ、か、な! 」
虎之助は暖かい紅茶を口に含んだ。さすがに毒は入っていないだろうな、と多少訝しむ。
「大体、妖にあったかい紅茶を出すなんて仏壇にラーメン供えるようなもんでしょ」
「バカ、様式美だろ! せっかくのチーム結成なんだからティータイムっぽい雰囲気を出してこうぜ!」
よくわからない会話だが、先程までの空気が嘘のように和やかである。
環花奈は「面倒くさいカエルだなぁ」とぼやきながら別のコップに紅茶を注ぐと、ガマオカのデスクの端にそっと置いて、厳かに合掌した。
「誰が仏壇だこのやろう」
彼女は虎之助の対面に腰を下ろすと自ら入れた紅茶を一口啜る。じろり、と彼を睨め付けて乱暴にコップを置いて口を開いた。
「百歩譲ってケロが強いのはわかったけどさぁ! この子本当に大丈夫なの? まだ中学生みたいな顔しちゃって」
「自分だって小学生みたいに泣いてただろ」
虎之助が思わず反射的に口にする。
「はぁ? なによあんた、やんの?」
「あ、いえ、お気遣いなく」
環花奈はソファに深く腰を沈めて足を組み、背もたれに片腕をかけ、値踏みするように虎之助をジロジロと眺めている。
彼は童顔を煽られるのは理不尽だと感じたが、たしかに腰抜け野郎だと認識されるのも仕方ないな、と心を落ち着かせる。
先ほど実際に彼の腰は抜けていたし、少量の小便を分刻みで漏らしているのだ。
「トラは10年モノだぞ」
ガマオカが突然上座からそう言い放つと、環花奈は机に身を乗り出して腰を浮かせた。
「じゅ……10年モノ!? 嘘でしょう!?」
「嘘ついてどうすんだ。 契約したのはトラがまだ7歳の時だ。 それよりもお前ら、なんでここがわかったんだよ?結界のパスも漏れてるみたいだしよ」
「昨日情報屋のネズミみたいな妖が来て、全部教えてくれたのよ。あんたのフォロワーじゃないの」
「情報屋だぁ?俺が頼んだならお前らをもっと優しく迎え入れるだろ」
「ちょっと待ってくれ!」
虎之助が立ち上がり誰よりも大きな声を響かせると、先程まで喋っていた2人は目を丸くして身を引いた。ミネコはリラックスした表情で手招きするように顔をさすっている。
「もう……何が何だかわからない! この中に俺の状況を説明してくれる人間かバケモノはいませんか!? 置いてけぼりだよ! 最初から今の今まで! それどころかカエルと女子高生!あんたらは更に突き放しにかかってきてる! どういう事なんだ? さすがの俺だってね、声を荒げますよ!」
彼がミネコの方を向くと、ミネコは大きく何度か頷いた。
「どうしたの急に取り乱して……何かあったの?」
環花奈は、鳩が豆鉄砲を食らったような表情で彼に問うた。
「椎菜……環花奈さんでしたっけ? あなたが何者が存じませんが、それはボケておられるのかな? ここまでの流れを〝何もなかった〟って言えたら、おれには赤い血が流れてませんよ」
「急に強気じゃない? 困惑するわぁ」
「キャラをしっかり固めていこ、トラノスケ」
「まぁまぁ、ケロさんもワカちゃんもさ、トラ君にざっくりと状況説明する事から始めようよぉ」
虎之助は苛つきを抑えてミネコと視線を合わせ、ゆっくりと頷いた。
「おうミネコ!頼んだぞ」
ガマオカは頬杖をついて窓の外に視線を移す。
「ミーちゃんよろしくねぇ」
環花奈は自分の爪に目線を落とす。
「こ、こいつら……!」
虎之助は拳を握りしめる。
「はいはい。まず、トラくんは7歳の時にケロさんと契約してお願いを叶えてもらったでしょー? その時にケロさんは、トラくんの身体に妖のエネルギーを注ぎ込んだの」
ミネコが解説を始めてくれるようなので、彼は大人しく席に着いた。
「妖のエネルギー?」
彼らの名称は「妖」というらしかった。 エネルギーとはあの時包まれた不思議な光の事だろうかと、虎之助は記憶を辿る。10年前に自分を包んでいた光は、戦っていた2人の武器が放つ光と似ていたようにも思えた。
「そのエネルギーは10年間トラくんの体内でいい感じに熟成されて、今はものすごーく美味しくて上質なエネルギーになってるんだねぇ。 だからさっき、トラくんは10年モノっていう話をしてたの」
ミネコは席を飛び移り、隣にすり寄ってくる。虎之助の首筋に鼻を埋めると、くんくんと嗅ぎはじめた。 ミネコの繊細で柔らかい体毛が彼の頬を撫でる。
「ん〜…… いい匂いっ」
ミネコは恍惚の表情である。
「匂いが変わるの?」
「あぁたしかに……いい匂いがするとは思ったんだよね」
ミネコに同意した環花奈がテーブルに身を乗り出して顔を近づける。逆に彼女のフローラルな香りが虎之助の鼻腔を刺激した。
「無許可で俺を嗅がないでください!」顔を赤面させて環花奈を退ける。
「トラ、ワインやウイスキーを10年ものとかいうだろ? それと同じだ。 俺は自分の大切な酒を、トラノスケという樽の中でじ〜っくり10年寝かせて熟成させたのさ 」
「熟成……」
「ちょいちょい、えーっと……とらのすけ!」
環花奈が手のひらを上に向けて、テーブルの上に差し出した。
「あなたも既にお持ちのエネルギーが、こちらになります」
環花奈のか細い、白く透き通るような掌の上に橙色の光を放つ球体が浮かび出した。それは突然出現した訳ではなく、まずは掌から頭を出し、半球体を経て球体として現れたのである。大きさはソフトボールくらいだろうか。
虎之助は何故かその不思議な球体から気配を感じ取った。まるで、手のひらの上に意識を持った球体の小動物が現れたような奇妙な感覚である。
「これはさっきの……武器と同じ光だ」
その光は形こそ違うものの、彼女やガマオカが使用していた武器と同じ光を放っている。
「妖力って言うのよ」
「妖力……? 環花奈さんは、峯子さんと契約したの?」
「そうよ。私は契約が11歳の時だったから、この妖力は6年モノって事」
環花奈は手のひらの上に浮かんでいる球体状の妖力を反対の手で押さえ、押し戻すような動作で引っ込めた。すると、パッと両手を開き、マジシャンのように「消えてしまいました」とアピールをした。
「人間はね、妖と契約して妖力を体内に入れると、妖力の熟成を進めながら、17歳で熟成期間を終えて〝混妖〟として覚醒するの」
「混妖」という新しいワードが出てきた。17歳で熟成期間が終わるということは、環花奈は17歳以上という事だ。制服のコスプレをしている可能性を除外すれば、虎之助と同い年か、その一つ上である。彼はなんとなく、1学年上の姉と同じ歳ではないかと感じていた。
「ゆーり? 覚醒?」
「そう、妖に物理的な干渉ができるようになった人間を〝混妖〟って言うの」
混妖。 妖が、混ざる。
「混妖として覚醒する年齢が17歳って決まってるから、妖力の熟成期間は契約時期に依存する。とらのすけは今日、10年モノの妖力を扱える混妖として完成品になったって事」
つまり虎之助は、姉を助けるためにガマオカから借りた妖力を、その身体に蓄えたまま10年間を過ごした。
体内では自分の知らないうちに「妖力」の熟成が進んでいて、彼は「人間ではない何か」に近づいていった。
気味の悪い話である。虎之助の顔は軽く青ざめていた。
「あの日預けた酒を、今日からチビチビ味わおうぜって話さ」
ガマオカが口を挟むと、環花奈は指を顎に当てて斜め上に視線を向け、「まぁ……そう言う事ね」と呟いた。
「つまりケロは俺を混妖にして……戦力にしたかったから、あの日俺の前に現れたのか。 恩を着せる為に」
「相棒、ずいぶん棘のある言葉を使うけどよ、確かに恩を着せる形にはなっちまったかもしれねぇが、トラの願いを叶える為には必要な儀式だった。あれをしなきゃ、お前の姉ちゃんはあのままだったぜ」
虎之助は口を窄めて下を向いた。
「でもどうしてあの時、人間だった俺にケロが見えたんだ? 物理的に触れたし」
「それはまぁ……諸説あるけどな。 でも確かなのは、いろんな条件が重なった時、ただの人間と妖の世界が奇跡的に繋がる瞬間があるって事だ」
一呼吸置いて、ガマオカは続ける。
「というよりも……俺は人間の強い想いが、妖の世界との間にある扉を強引に抉じ開けるタイミングがあるんだと思うぜ。 そこに出くわしたのが今回はたまたま俺だった」
「ねぇねぇ、とらのすけは7歳で契約してからどのくらいで妖が見えるようになった?」
思考は整理されないままだったが、環花奈が割って入るように質問を投げた。虎之助にとっては意図がわからない謎の質問である。
「え? ケロと契約した日、家に帰ったときに妖を見たよ」
「いやいや、そういう見栄はいいから」
「見栄?」
「ふふん。 私はねぇ、契約してからすぐに妖の気配を感じるようになったのよ。 あー、あそこに何かいるなー? みたいな」
「ん……? うん」
「それから1週間も経たないうちに妖の立てる物音や、匂いとかも感じるようになったからね」
「なるほど」
「なんと! 妖の姿が見えるようになるまで2週間!」
二本の指を立てて、渾身のドヤ顔である。虎之助は彼女の主張が意図するところを察することが出来た。
「まぁ、意思疎通出来るようになるまではもう少しかかったけどね」
契約した人間が、「妖との物理的な接触」をゴールとするならば、そこに近付いていく過程でのスピードには個人差があるのだろう。 気配を感じ、音を感じ、視認できるようになり、意思の疎通が取れるようになる。
そういった段階を踏んで混妖として覚醒するのだ。
ある程度理解した虎之助は、自分の事はあまり喋らないでおこうと心に決めた。
少なくとも彼は、契約した日に全ての過程をすっ飛ばして妖を視認できた。
「で、俺に戦えって?チームって言うのは、何なんだ?」
虎之助が疑問を口にすると、環花奈は人差し指を顎に当てて、斜め上を見上げる。そして、助けを求めるようにミネコに視線を送った。
「大抵の妖は自分の相棒が混妖として覚醒すると、既存のチームに入るんだよぉ。まぁ動物で言う、〝群れ〟みたいなものなのだね。私は昔、ケロさんが立ち上げた〝鳴瀬山けろけろファイターズ〟っていうチームに所属してたの。だから今日、トラくんがオッケーを出してくれれば再結成というか……新生チームの旗揚げって事になるねぇ」
妖と、その契約者のギャングチームみたいなものだろうか。
「……というか、そうだとしたら元々仲間になるつもりだったということだよな?さっきの襲撃はなんだったんだ?」
「みーちゃんは最初から、ケロが動き出したらそのチームに入るって頑なだった。だから、【私より強かったらそのチームに入る】って約束してたの」
環花奈はそう言ってミネコの方へ移動すると、座っているミネコの身体に背を預けた。ソファーよりも気持ちが良さそうである。
「なるほど……腕試し的な戦いだったんだ」
「ま、ケロは多分、本気出してなかったけどね」
「あれが本気だよ、ブランクあるからな」
ガマオカはそう答えて、続ける。
「俺はトラノスケが覚醒して、ある程度戦えるようになったら当時のメンバーに声をかけようと思ってた。お前らから来てくれて助かったよ。 ネズミの情報屋ってのが気になるけどな」
あの鼠は味方なのだろうか。虎之助は気になったが、これ以上情報を錯綜させると混乱してしまいそうだったので、今は触れない事にした。
「環花奈さん、あのバケモノじみた……いや超人的な動きというか、あれも妖力の力なんだよね?」
「うん、そうね。 妖力操作の一分野って感じかな」
「俺に才能があるとは思えないなぁ……運動、苦手だし」
「妖力操作とか戦闘って向き不向きはあるけれど、生身の運動能力とはあまり関係がないからね」
「えっ、そうなの? じゃあもしかしたら俺もあんな風に……」
「ちなみに私は混妖になって2年目。たかだか1年の訓練でここまで妖力を扱えるようになる混妖は滅多に居ないから参考にはならないわよ。まぁ……」
そこまで言って、環花奈は髪の毛をかき上げる。
「天才の域ね……」
「そういうの自分で言っちゃうのか」
虎之助はガマオカの方をちらと見やる。この自信の裏付けを取ってやろう、という気持ちで。するとガマオカは意外にも、「否定はしねぇよ」と言って紅茶を啜った。
「そっか……俺は今日、人間から混妖になったのか……」
「人間でもあり、妖の一員でもある。 人間としての人生は捨てちゃダメよ。ゲーム廃人……とかって言うじゃない? 戦闘にハマりすぎてあんな風になっちゃう混妖もいるから。 ていうかあんたそういうタイプっぽいよね」
「な、トラノスケ、少しでも興味があるなら明日から訓練してみねぇか」
ガマオカが目の前まで跳んできてそう言った。
「訓練?」
「妖力操作の訓練だ。 ワカナ、稽古をつけてやってくれ」
「……はぁ!? なんで私がぁ!? 」
「混妖が妖力を扱う感覚は、俺たち妖の感覚とはズレがあるだろ? お願いしますよぉ、ワカナ先生。もう小娘なんて呼ばないから」
環花奈はあっけにとられた様子で目を見開いている。
「……ていうか私、とらのすけが弱かったらこのチーム辞めるからね? 私は自分より弱い混妖のチームなんかに居たくないし」
「……まぁ、言いたいことは分かるけどな」
「ケロと一対一では負けたけど、私とみーちゃんが一緒に戦えば今のあんた達なんか秒で消せるのよ」
「いや、わかってる。だからこそワカナに頼むのが最速で最善だと思ったんだ。トラのお目付役は、そこらの混妖じゃ務まらない」
「私は自分の貴重な時間を割いて、強くなるかもわからないチームのボスを介護しながら育てるっていうの? そんな義理はない」
「必ずお前の為にもなる。他人に教える事で見えてくるものも必ずある。ワカナにとってマイナスになる事はないと断言する」
そこまで話し終えると、環花奈は溜息を一つ吐いて立ち上がり、ガマオカに詰め寄った。
「妖から見て、とらのすけは強くなる器なの?」
「強くなる」
ガマオカが即答した。
二人は、しばらく睨み合っていた。
「わかったわよぅ、もう!最低限の事は私が教える。でも、とらのすけがダメな奴だとわかったらすぐに抜けるからね!」
「ありがとよ。 トラがダメな奴だと思ったら、その時は好きにしてくれていい。ミネコもな」
ミネコは環花奈の頬をペロリとひと舐めして頬ずりをした。
虎之助は会話を聞きながら、自分の両手をぼんやりと見つめている。
新しい玩具を見つけた。
もう、ラゴブロックをいじる事はないかもしれない。
試してみたい。
学びたい。
吸収したい。
集中したい。
夢中になりたい。
周りの音が、聞こえなくなるくらい。
小刻みに震える自分の両手を見ながら、虎之助はそんな事を考えていた。