必殺の舌と謎の化け猫
虎之助はこの非現実的な光景に呆然と見入りながら、不思議な高揚感に支配されていた。
バケモノはもちろん、女の動きも明らかに人間のそれではない。
ガマオカが女の懐に飛び込みながら、袈裟斬りを仕掛ける。 女はそれを右の棍棒で払い、左で突く。
ガマオカは身を捩りその突きを躱すと、その反動を利用して回転しながら、横に一閃。
女は既に宙返りで後方に跳んでいる。着地と同時に屈み込み、さらなる追撃を躱す。
そして、低い姿勢のまま床を滑らせるような蹴りを返す。後方へ跳んで躱した空中のガマオカの懐へ一瞬で距離を詰める。左右の棍棒を、それぞれ首と横腹に目掛けて打ち込む。斜めに構えられたマサカリの刃先と柄がそれを阻み、鈍い音が鳴る。
互いの攻撃は、躱され、止められ、往なされ、弾かれる。 防御の挙動も、反撃の一手への起点となる。無駄な動きは一つとしてない、洗練された打ち合い。
「やるじゃねーか小娘」
「早く本気出しなさいよ」
2人は笑っているようにも見えた。
そして再び、距離を置く。
虎之助はただ見惚れていた。生唾を嚥下する、脂汗が首筋を伝う。
周囲の音は次第に遠くなり、身体の奥の方で弾む心臓の鼓動だけがやけに大きく感じられた。
「あんな風に自分の身体を動かせたら、どんなに爽快だろう」
一瞬の意識の狭間からそんな思考が流れ出る。
互いの発光する武器はまるで、身体の一部のような自在さで操られていた。
影が落ちた薄暗い室内に、三本の光が躍動している。
人形のような女子高生と、蛙のバケモノ。二つの影が軽やかに踊っているようだった。
「……五分五分ってところかなぁ? 」
突然耳元で囁かれた甘ったるい声に、虎之助は「うん」と短く答えてしまう。
「え!?」
涼しげな顔で虎之助の背後に佇んでいるのは、美しい毛並みの真っ白な猫だった。地べたに座った彼よりも一回り大きい。 三本の太い尾がそれぞれ不規則に頭上でうねっている。
ーー化け猫である。
ガマオカが言っていた、「女の相棒」の線が濃厚だろう。だとすると、すぐにこの化け猫の存在を知らせなくてはならない。
しかし、唐突に棍棒で横腹を殴打するような冷酷さや殺気は全く感じない上に、ガマオカと違い優雅で上品な、なんとも可愛らしい雰囲気を醸し出しているのだ。
本当に自分の敵なのだろうかと、虎之助は考えあぐねた。
「喋ったら殺しちゃう」
完全に敵のようだ。尖った爪をペロペロと舐めている。
虎之助は瞬時に両手で口を塞ぎ、頭を激しく上下に振る。絶対に喋りません、という意思表示であり、全身全霊のヘッドバンキングであった。
「その動きも殺したくなっちゃう」
静止。
「ほら、ちゃんと前向いて。 見なよぉ、この戦い。 楽しそうだねぇ」
虎之助は化け猫に小さく頷いて、再び戦場に視線を向ける。今は成り行きに身を委ねる他に選択肢はないのだ、と彼は割り切った。
ここまで食い入るように眺めていたこの戦いの最中、虎之助の心の奥で微かに灯った違和感があった。 時間の経過と共に、その違和感は肥大していくように感じられた。
彼は戦いをじいっと眺めながら、思い出したように喉の渇きを意識する。
その瞬間、違和感の正体に辿り着いた。
「そっか、舌を出してないんだ……」
思わず口に出してしまった彼は、おずおずと隣に視線を隣へ移す。 幸い化け猫は戦いを注視していて、なぜかその横顔は笑っているようにも見受けられた。
ガマオカの舌は戦いにおいて、かなり有利に立ち回れる武器になるはずである。頭の隅に追いやられていたその舌の情報が、虎之助に微かな違和感を灯らせていたのだ。
これは拮抗した、誤差数ミリ、コンマ1秒の駆け引き。互いに警戒心を持ちながら相手の出方を伺っている。ガマオカは相手の警戒心が綻ぶ隙を待っているのではないか。
武器による近接戦闘、相手の女は序盤よりも頻繁に距離を詰めて、打ち合いを望んでいるように見えた。
自分がガマオカの立場なら、こう考えるだろう。
しかるべきタイミングを待ち、一撃必殺を狙う。
虎之助はそんな思考を巡らせながら、無意識に拳を強く握り締めた。
その刹那、ガマオカの渾身の一撃。
女は棍棒を交差させてその攻撃を受けたが、そのままマサカリは振り抜かれた。
女は後方上部に吹き飛ばされ、弾かれた棍棒が空中で霧散する。彼女は宙で体制を整えつつ、両手に新たな武器を生成する。
一瞬のやりとり。ここで勝負が決まる、虎之助はそう直感した。
「……今だ」虎之助の声が漏れた。
ガマオカの舌が伸びる。
行動が制限される空中においても、上半身を狙えば巧みに棍棒で対応される。女なら対応してくるだろう。 だからこそ、腕から最も離れた、末端の足首を狙う。
「ちっ!」女は空中で身体を捩って、狙われた左足を畳んだ。
足元を高速で通過した舌は、後方の壁にぶつかって跳ね返る。跳弾、ならぬ跳舌が、彼女の右足首を搦め捕った。
「くっ……!」
女は咄嗟に手を伸ばして、剥き出しの鉄骨に捕まった。 手を離れた棍棒は光の粒となって消滅する。
「やーっと捕まえたぜ! お嬢ちゃん残念だったなぁ! カエルはよぉ、ハエ取り名人なんだぜ。 ママも先生も教えてくれなかったみたいだな!」
よく煽るカエルである。虎之助の隣で化け猫が「あらら」と静かに呟いた。
「この……! ドブガエル……!」
「おーおー! なんとでも言えやぁ! 約束通りガチガチに拘束して洗いざらい吐いてもらうからな! 」
女は苦しそうな表情でなんとか手を離すまいとしているが、ガマオカの舌はジワジワとその張力を増していく。
そこで虎之助はハッと我に返った。もしかしてこれから自分は、とんでもなくハードなリンチを見させられるのではないか、という不安が湧き起こる。
「……お前よぉ、さっきウチのトラノスケに一発くれたよな」
ガマオカが打席に立った野球選手の形態模写をしている。マサカリを一度女の方に向け、両手で構えた。
「200倍にして返してやるぜ……!」
「と、止めた方が……」思わず呟いた虎之助が腰を上げる。
「そうだねぇ」
化け猫がそう言って、ガマオカの方へ優雅に歩き出す。その背中を、虎之助は目で追った。
「ケーロさーん、試合終了だよぉ」
「あぁ!?」
ガマオカは「終了宣言」をした化け猫に顔を向けると、マサカリを構えたまま驚いた表情で固まった。ドサ、と向こうで女が落下した音がする。
「おぉ!? 峯子!? 久し振りだなぁ! ん!? ってことはこの不良品はお前の相棒か?」
張り詰めていた緊張の糸はダルンダルンに撓み、虎之助は引き攣った笑いを作りながら一筋の鼻水を零した。
「し、知り合い……?」
「あー! あーっ!あぅぅ……!」
突然の叫び声に驚いてその場の三名が部屋の奥に目をやると、戦っていた女が蹲って床を乱打していた。
「負げたぁ……なんでぇ……こここんな、ド、ドブガエルにぃ……ウッ……うえぇぇ」
泣いている。全身の力をだらりと抜いて上を向き、熟れた桃のように顔を紅潮させ、全力で涙と鼻水を垂れ流してジタバタし始めた。
その様はまるで、お菓子売り場に座り込んで駄々をこねる子供である。
「あー!あーっ……!なんでよぉぉお! なんで油断ずるのぉ! わたしのばかぁ……!」
再び床を乱打すると、ふるふると小刻みに震えながら呻き始める。
キャラが崩壊する、という現象を生まれて初めて目の当たりにした虎之助は彼女に憐れみの視線を向けた。すると女は顔をあげ、「なな、何見てんのよ! クソガキ!」と、しゃくり上げながら虎之助を怒鳴りつけた。
「くっ、クソガキ!? 」
「あらぁ、こんなんなっちゃうんだねぇ……あの子、一対一負けたことがないから……あ、ごめんねぇ、ケロさんの相棒さん。さっきは脅かして」
唖然としている虎之助に化け猫が声をかけた。
ガマオカは泣いている女の近くまでヒタヒタと歩いていくと、握り拳を作ってその頭に振り下ろす。
ゴッ、と鈍い音がした。
「なー! ?」女は頭を両手で押さえて、驚きの表情を貼りつけた顔を上げる。
「な、なんでぶつのよぉ! ……ぐずっ……負けは……認めたでしょお……」
「今のは相棒の分だよ。これでおあいこだ」
ガマオカはそう言って虎之助に向き直ると、ニッコリと笑ってピースサインを作るのだった。