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長尾上杉存亡記  作者: あちゃま
林泉寺編
7/22

6話 相談

闇が支配する漆黒の空には雲一つなく、満天の星星が無数に煌めく。誰が一番目立てるか競い合うように瞬くそれは、時にはバラバラに時には集合し夜空に一夜限りの発表会を演じている。

星の煌めきにも負けない程、いや寧ろそれの何倍もの光を放っている満月は林泉寺の庭を優しくそして明るく照らしていた。

夏の虫達は自分が一番だと言わんばかりに賑やかに騒ぎ立て、耳に心地よいというよりも煩わしく感じてしまう程の声量でパートナーとなる相手を探している。そんな夏の夜、虫達よりももっと煩わしく感じてしまうような来客があった。


幼少の上杉謙信こと虎千代である。


部屋はさほど大きくはないしすでに布団を敷いてしまっている。それはそうだ。今は既に戌二つ時、現代で言えば午後九時を指す。

多くの一般人は太陽が出れば起きて沈めば眠るの様な生活をしているのだから今の刻限まで起きていることなど稀。農民となれば少しでも明るい時間に出来るだけ農作業をする為にもその様な生活スタイルを送っている。


僧はどうかと言えば太陽が昇る前には起きて修行をしているのでこの時間には寝ていないと十分な睡眠時間は取れない。だからこそ今寺で修行している小僧や天室光育和尚などの師となる高僧ですら既に夢の世界に旅立っている。

老人は寝るのが早いのも関係あるとは思っているけど。


バックサウンドに虫の声、バックグラウンドに満月の夜。

この自分だけが世界に取り残されたかのような心穏やかな空間に、皆が寝静まってから訪ねて来るなんて碌でもない事に違いなく、正直言えば今すぐにでも追い返したい。しかし仮にも俺は虎千代の世話をしている事になっている。


常識に照らし合わせればこんな時間に人を訪ねるなんて非常識も甚だしいのだが、現在進行形で常識を習っている謙信にそれを言った所で酷な話。


「これは虎千代様。夜も更けたこのような時間に態々お越しいただいて恐縮です。夏とはいえ夜は冷える事もあります故、まずは中へどうぞ」


しぶしぶだが虎千代の部屋の中へ招き入れた。


「起こしてしまってすまないな。私自身もこんな夜遅くに尋ねるのもどうかとは思ったのだ。だがどうしても、どうしても早くこの気持ちに整理を付けたくてな……図々しくも押しかけてしまった」


一応遠慮はしたらしい。遠慮はしたが気持ちは抑えられなかったからこそ来てしまった、という事か。


貴重な灯りの原料となる油もこの部屋には無く、月明りだけを頼りに俺は虎千代と向かい合う様に距離を取って座る。部屋が暗いせいもあるが顔が辛うじて確認できる程度の距離でじっと視線を交えた。


虎千代の顔はこの寺に来てから一番と言っても良いほどに重い。効果音オノマトペで言えばドヨンとしている澱んだ空気を纏って、口を横一文字に縛り表情は一切微動だにせずに硬直している。


極限の精神状態であるであろう中にも関わらず、こんな夜遅くに一体どんな用事でやって来たのだろうか。


「雪、お前に頼みたいことがある」


目の前に座っている虎千代が真っ直ぐと俺の目を見て話してきた。


虎千代は非常に乱暴者であるし、気に入らないことがあるとすぐに癇癪かんしゃくを起こしてしまうようなかんも持っている。しかしそれら全てには意味がある。


先日の事である。

虎千代が寺の兄弟子2人を本堂で投げ飛ばし、組み合っては殴るという喧嘩をしているという知らせが和尚の下に届いた。和尚は溜まらず席を立つと急いで本堂へと駆けて行った。

和尚が本堂に着くとそこには知らせ通りに兄弟子2人と殴り合いの喧嘩をしている虎千代の姿があったという。和尚は溜まらず『本堂で喧嘩をする奴があるか。柱に縛り付けて置くぞ』と怒鳴りつけたという。しかし怒鳴られた兄弟子の1人は『虎千代様が悪いのです』と、虎千代の振る舞いに対して精一杯の説明をしたそうだ。虎千代が兄弟子の話が終わるまで黙って聞き、そして話が終わると今度は虎千代が『和尚様、虎千代が相撲をしようと言って始めると後ろからもう1人が組み付いて来たのです。ですからそれは相撲ではないと言って、2人を懲らしめるために行っているのです』と反論をしたのである。

これらを聞いた和尚は虎千代は乱暴者には違いないが、子供ながらに道理があると感心したと3人を叱りながらも感心したそうだ。


後日この話を聞いた時、そもそも相撲をするため相手の同意は取ったのか、いくら2人で攻めるという違反をしたからと言って暴力で解決するとはどういう考えなんだ、と虎千代の行動に疑問を持ってしまった。

確かに数え7歳、現代では6歳の子供にしては非常に大人びた考えと理屈を言ってはいる様に感じるが、現代感覚で生きていた俺にしてみれば、叱られないための屁理屈にしか聞こえない。


しかし、確かに虎千代には虎千代なりの考えをしっかりと持ち、自分の考えの元行動している。和尚の言う通り道理は一応通っているのだ。そんな虎千代が寺の中で一番と言ってもいいような鬱陶しく感じているであろう俺の元にやってくるとは、それもお願いにやってくるとは考えもしなかった。


「頼みたいこと、ですか。虎千代様が態々人目を忍んでまで私を訪ねて来て下さったのですから相当な事なのでしょうが、それはこんな時間にやって来る程大切な事なのですか?」


「分かっている。夜遅い時間にやって来た事は本当に悪かったと思っている、すまない。しかし先程も言った様に居ても立っても居られなかったのだ。だから悪いと思いつつ来てしまった」


「いえいえ、別に誤ってもらうような事でもありませんよ。私の方こそ文句を言っている様に感じたのなら謝ります」


ついつい不満そうな雰囲気を醸し出してしまっていたようだ。いや口から洩れていたかな。

昔から本音を隠すのは苦手だった……次からはもう少し隠せるように成長しなくてはならないようだ。


「雪に謝ってもらう必要などない。寧ろ悪いのはこんな時間に訪ねて来た私が――――ではなく、これでは堂々巡りになってしまう。それよりも雪に聞いて欲しいのは私が訪ねて来た理由だ。実は雪に頼みがあって来たのだ」


「頼みですか……一体何を私に頼みたいのですか?大抵の事なら天室光育和尚にお願いすれば済むのですから私に頼むような事はないでしょう。それでも私に頼むというのですか天室光育和尚では解決できない、または天室光育和尚だからこそ出来ないのか。さてさて一体どういった頼みなのか想像も付きませんね」


虎千代はこの寺では非常に厚遇されているし兄弟子たちも皆が“様”付けで呼ぶほど敬意を払っている。内心はどうかは知らないが。それもそのはずでこの辺一帯を統べる長尾ながお為景ためかげの嫡子では無いにしても息子であるし、農民や一介の兵士とは身分が違うのだから。

確かに天室光育和尚からは厳しい修行を課せられてはいるが、それでも他の小僧よりは他の面では優遇して貰えるのだから、何かして欲しかったら直接願い出る事が出来るだろうに。


「言う通り天室光育和尚様や兄弟子達には頼めない事なのだ。雪、私に漢詩を教えて欲しい」


「……えっ?漢詩……ですか」


「そうだ。私はお前が今よりも2つも小さい頃から漢詩が読めたと和尚様から聞いた時、自分の不甲斐無さとお前の凄さを感じた。しかし同時に超えたいとも思ったのだ。そこでどうしたら超えられるのか自分なりに考えたのだ。そして辿り着いた答え。それが超えたい相手である雪、お前に直接教わる事だと思ったのだ」


「えっと……ですね…」


「あぁ、分かっている。和尚様から習えばいいと思っているのだろう……勿論それも考えた。でも和尚様は四書五経から漢詩も和歌もありとあらゆる知識を持つ非常に聡明な方だ。そんな方だからこそ今の私の悔しさを分からないかもしれないのだ。しかし雪なら、同い年の説なら、今の私の様に悔しい気持ちを分かってくれるのではないか。それを乗り越えた雪なら私に何か享受してくれるのではなか、そう思ったのだ」


「いや、だからさ……」


「だから頼む、私に漢詩を教えてくれ」


暗闇でも分かるほどに顔を真っ赤にしながら熱弁を奮っている虎千代に、俺は押し潰された。

四書五経ししょごきょう


儒教の中でも特に重要とされる経書けいしょの中でも、特に重要とされている四書と五経の総称。

四書は『論語』『大学だいがく』『中庸ちゅうよう』『孟子もうし』、五経は『易経えききょう』『書経しょきょう』『詩経しきょう』『礼記らいき』『春秋しゅんじゅう』を言う。

漢時代より聖典とされた五経に加え、朱熹しゅきが四書を加えたものである。

東洋では文化人として常識とされていた。

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