外伝5話 新田一族
戦国の時代、新潟県南魚沼市周辺は上田荘と呼ばれる現代でいう村よりも大きい、街よりも小さい集落が存在していた。そしてその上田荘を支配していたのが上杉氏と一緒に越後国に入国して来た長尾氏の分家である上田長尾氏であり、魚沼郡司として古くからその郡司権を行使して来た。
郡司とは今でいうところの市長のような存在である。それに自治権と武力を兼ね備えたものだ。
現在では坂戸山の山頂に本丸、麓に平時の住居を構えている山城となっているのが彼らがいる坂戸城である。
そんな坂戸城の存在する魚沼郡周辺には多くの新田一族が居を構えている。
一時は戦乱の波に呑まれて放逐された彼らではあったが、それでも全てではなく一部の新田一族は現在でも変わらずに住んでいた。
坂戸城ではそんな新田一族の氏族も集めてとある評定を行っていた。
議題はもちろん、憎き存在であり長らく対立関係にある隣郡の郡司である古志長尾家が新しい養子を取ったことに対する、上田長尾氏として今後の方針についてである。
嘗て越後守護上杉家についた府中長尾家や古志長尾家などとは違い、一貫して山内上杉家の被官であったのが彼らの誇りだ。
「それで新しく栃尾城に入った小僧とはどんな奴なのだ?」
坂戸城の城主であり一番の上座に座る上田長尾家の当主である長尾房長が評定とも軍議ともいえる幕の口火を切った。
荒武者の様な切れ長の瞳をしていた長尾為景とは違い、細めなのは一緒だが若干たれ目の髭も一切ない顔の房長は一見すると温和そうな人物に見える。しかしその内には為景に対する嫌悪感や憎悪が渦巻く野心高き人物であり、現在もどうやって守護代として府中長尾家に執って代わってやろうかと考えている、そんな人物。
少なくとも、彼は長尾為景の様に主君を殺してまで成り上がろうとは思わないことから彼に嫌悪感を抱く筋を通したがる人物なのであった。
「はっ。私どもの調べによりますと、どうやら相当粗暴な人物であるようです。幼少の頃より寺に入れたようですが、そこでも暴れるわ騒ぐわ修行を怠るわと散々な態度。寺の和尚はおろか今は無き為景殿ですら持て余したと言われているほどです」
答えたのは房長の臣である只見助頼。
今年40歳も近くなった彼は古くから長尾房長に仕えて来た老将の一人である。深い皺が眉間に刻まれているその表情からは脳筋が多いといわれるこの越後国で数少ない知将として働いて来たという多くの苦労を経験していることが分かる。
どちらかと言えば武勇に特化していた長尾房長の替わりに内政を主に担当していた只見助頼は上田長尾家の中でも情報に精通している人物であった。
「あの奸臣の為景ですら持て余すか。それを態々古志の養子にしてまで中郡に送り込むとは……よほど我らや他の豪族どもの動向が気になるらしいな。だがこれはこれで面白い」
「房長様、何処に耳があるか分かりませぬ。発言には少々気を配って頂きたく」
「良いではないか、奴はもう死んでいるのだ。そして後継は病弱の軟弱者ときている。こんなにお膳立てされている様な状況なのだ、少々口が滑っても致し方ないというものよ」
そう言って盛大に笑う長尾房長を只見助頼はまたか、と言わんばかりの表情で眺めていた。しかしいつまでもそのままにして置くわけにはいかない。
これ以上口を滑らせてしまうことを恐れているのは勿論だが、このままにしていては評定がいつまで経っても終わらないからというのが本音である。
「それでどうされますか?現在ここに居る新田の者達にはある程度の話を通してはいますが、概ね良好な返答を得ることが出来ました。ですのでかなりの兵力を集める事が可能です」
「ほう、ここに居るもの全員か……」
グルリと部屋の中にいる新田の者達を眺めると口を吊り上げニヤリと笑った。
それに対して新田の一族たちも一つ軽い笑みを浮かべると頭を僅かばかりに下げて答えた。行動で示す、それで相手に自分の意思を伝えたのだ。全ては言質を取られないようにするために。
「皆それなりの数の兵を抱えてはいるが、近隣の情勢を考えると全てを投入することは出来まい。どれくらい集まりそうなのだ?」
「我らが今大きく動くことは出来ませんので正確な数字は未だ出せませぬが、新田の者達だけで1000は下らないかと思います」
「新田だけでそれほどか!それに我が兵が加わるとなればかなりの数になろう。ふふふふっ、これは快勝どころか楽勝ではないか。そうは思わぬか只見」
「はい。相手は初陣もしたことが無い元服したばかりの雑魚も同然の小僧です。所詮は郡司と言う地位があるだけの名ばかりの将。寧ろ策を考えるほどの頭すらない短気な性格ですので勝手に兵を減らして自滅をしてくれるやもしれませぬ」
長尾房長に連れて只見助頼も笑いを堪えられなくなった。そして二人だけの笑いはやがて部屋中に広がっていく。
圧倒的な兵力で、憎き敵を蹂躙するその光景を思い浮かべてしまって。
だがここで二人は失念をしている。
彼らがこれから攻めようとしている栃尾城には確かに長尾景虎が城主として入城している。栃尾城というトップに君臨はしている、だがそれだけだ。
他にも多くの将が共に入城しただけではなく、昔から栃尾城に出自していた栃尾衆と呼ばれる近隣の将も駐在しているのだ。その中には長尾景虎、後の上杉謙信の軍学や兵学の師となる本庄実乃がいるのだから。
「それでは房長様。今回の作戦、総大将はどなたにしましょう?皆様共に武勇に優れた方々ばかりでございますが」
今評定に参加している新田一族は上田長尾氏と近年関係が深くなった大井田氏を中心として、上野氏や小森沢氏、田中氏など様々。
中でもかつては越後新田党と呼ばれる徒党をまとめ上げていた大井田氏が頭一つ抜けている事は誰もが分かっている事。普通に考えると今回の戦で総大将は自然と大井田氏になる。
そう只見助頼は考えていた。
しかし今回の作戦、彼の一存だけではとても決められる事ではない。
いくら自らが仕官している家が参加していないとは言え、裏で交錯している事には変わりはないし寧ろ主導していると言ってもよい。
だからこそ主君に伺いを立てなくてはならないのだ。そうしなくては最悪自らの首が飛ぶかもしれないのだから。それも物理的に。
加えて言うならば長尾房長という武将は決して愚将ではない。
戦国時代特有の野心や当主としての傲慢さは兼ね備えてはいるが、それでも家を繋げるためにどうすればいいのか、それを自らの頭で考える自力はあるのだから。
房長は一度目を閉じ一瞬考えるような仕草をしたのも数秒、すぐに目を開け一人の男に視線を固定した。
「大井田氏景、お主が此度の大将を務めよ。他の新田の者も其方なら納得をするだろう。我が上田長尾と新田一族の力を存分に古志の奴らに見せつけてやるのだ!」
「ははっ!この氏景、必ずや期待に応えて見せまする!」
部屋中に聞こえるような大声で答えた大井田氏景は了解の意を伝えると大きく頭を下げる。
その顔には満面の笑みが浮かんでいた。
新田氏・新田一族
上野国発祥の豪族であり、新田義重を祖とする上野源氏の総称。
新田氏は鎌倉幕府で源頼朝の要請を断り冷遇されたり、執権職である北條氏を滅ぼしたりと歴史上で様々な場面で登場した。
しかし嫡流は既に滅んでおり、支流である安房里見氏や徳川家の祖である世良田氏などが残っているのみである。
越後の新田一族は里見氏の子孫であり越後里見氏とも言う。




