14話 同行
林泉寺の部屋からでも眺める事が出来る山の上に存在する府中長尾家の本拠でもあり、戦国有数の山城でもある春日山城。
金津新兵衛という越後でも有数の家格を持ち、守護代の長尾家よりも上位の家の武士。そんな人物の突然の来訪で一体全体何の目的があるんだ、と訝しんだりもしたが、天室光育和尚を味方につけた金津新兵衛殿にあれよあれよと流された。
そして小さい子供と大人と言う体格差もあり、首根っこを掴まれ引っ張られる様に連れて来られた春日山城の一室。
待つように言われて部屋を出て行った金津新兵衛殿は直ぐに戻って来ると、その後ろには一人の少年が立っていた。
「それでは景虎様、私はこれで失礼いたします」
「態々(わざわざ)ありがとうございました、金津殿」
そう言って金津新兵衛殿は襖を閉め去って行った。
部屋に残ったのは俺と景虎の二人だけ。本当に態々俺を部屋に呼ぶというこの為だけに金津新兵衛殿が動いたということなのだろう。確かに今や守護代の府中長尾家の一武将になった景虎が大っぴらに人を呼びつけるという行為が出来ないのも理解できるが、それでも金津新兵衛という人物が動くほどの事でもない様な気がするが……。
気持ちの何処かに傅役として少しでも景虎の役に立ちたいとか、景虎に気持ちを入れ替えさせられなかった負い目でも感じているのか。
まあ、他人の気持ちなどいくら考えても分からないのだが。
金津新兵衛殿が林泉寺にやって来たあの日、俺は金津新兵衛殿から色々な事を聞かれた。
景虎が寺に来た最初の日の出来事や作務をしている最中の我慢ならなかったような苦虫を噛んだ様な表情。出された料理に散々文句を言ったり、見かける人見かける人に殴りかかったり、特に日常生活で景虎がバツが悪く隠していたであろう出来事を話した。
昔殴りかかって来た時の仕返しとかでは決してない。そう、決して復讐とかではないのだ。
金津殿は俺の事を探っている、そんな事は考えなくても分かる事だ。だからこそ俺は言葉に注意しながら話した。
現代の生温かった生活から一転、右も左も分からない死が身近な世界にトリップした俺。
時には血反吐を吐く様な辛い体験をした事もあった。勿論比喩ではあるが。
現代は飽食の時代とまで言われていた為に食べ物にだって困る様な事は無かったし、空腹で夜眠れないなんてことも無かった。コンビニは24時間営業しているしスーパーだっていつ行っても食材は豊富に陳列されている。食べ過ぎて残してしまうなんて言う事がしょっちゅうある、そんな時代だった。
しかしこの時代では空腹で眠れないなんてことはよくある事、寧ろ満腹になるまで食べられる方が少なかったのだ。コンビニもスーパーも無い、食べ物は完全に自給自足。旬の食材や季節の食材しか食べられないし、通年で食べられる物なんて存在しない。
冷蔵庫などの保存家電も無いのだから食べ物もすぐに腐ってしまう。兎に角食べ物では満足する事など出来はしないのだ。
そんな事があったからこそ、俺は現代に比べ忍耐強く我慢強くなった。そしてどうすれば自分にとって有益な状況になるのか、出来るのかを考える力が身に着いた。過酷なこの時代で少しでも楽に生活出来るように。
景虎と会うのはそんなに久し振りではないが、それでも今まで毎日顔を合わせていた間柄。少し離れるだけで少し寂しさを覚えてしまうのは、やはりこの時代に同世代の友人が一人も居なかった事が大きいのかもしれない。
今後の目標に友達を作る、と言うものを入れておこう。
「それで一体俺を春日山城まで呼び出してどうしたんだ?しかも遣いに金津新兵衛様まで寄越すとなれば、相当な要件なんだろう?和尚様が驚いていたぞ」
金津新兵衛と言えば国内に置いても相当高位の格式高い家の出の人物である。それは守護代長尾家を凌ぐほど。
しかしそんな人物を態々遣ってまで俺の様な底辺に位置するような階層に存在する者を呼び寄せるなど、前代未聞なのだ。引き受ける金津新兵衛殿も金津新兵衛殿であるが。
「なあ、雪。お前はあの時の約束を覚えているか?」
金津殿が去ってからしばらく静寂に包まれていた部屋に、唐突に景虎が新しい音を生み出した。
「もちろん、覚えているさ。寧ろそちらが覚えていた方が驚きだよ。一体何年前の話だと思っているんだ」
「ふむ……5年ほど前かな?あの日は雪が空から降って来ていて、すごく寒かったのをよく覚えている。私はいつもの様にお前の部屋で勉学に励んでいたな!」
「すごい記憶力だな…………。勉学に励んでいたという所が実際の所いつもの日課の如く俺の部屋でおしゃべりと言う時間つぶしと天室光育和尚の愚痴を言うという所が本当の所だったんだけど……まあ都合のいい記憶の改ざんとして思って置こう」
「失礼な。俺は寺ではいつでも勉学に励み己の錬磨に励んでいただろう?」
「何処が?好きな事だけに熱中して年中天室光育和尚に怒られていたでしょう。確かに記憶力は良かったからすぐに色々覚えて唸らせてはいたから、その点については驚いたけどさ。――――――さすが上杉謙信と言った所かな」
「ん?後半が聞こえなかったが、何と言ったのだ?」
「いや、何でもないよ。景虎様の記憶力に驚いていただけさ」
小さい頃の記録など曖昧になりやすいのに、それでもなお10歳前後の記憶を正確に認識している景虎と言う人物。やはり仮にも“軍神”とも呼ばれていた人物とはこうまで凡人と違うのかと驚愕させられる。
当時は色々な面で先に言っていた俺でも、今では真っ向から勝負すれば多くの分野で負けるだろう。
現代の知識を色々持っているからこの時代の常識からは考えられない様な突飛な考えも出来るし、この時代では仏や妖怪、霊などの非科学的な存在による事象と信じられている事の原因も知っている。だがそれだけだ。
いくら多くの文献を読んだとしても軍学では上杉謙信という人物には勝てないし、政治学に置いては宿敵ともなる武田信玄などの天才には勝てないのだ。
だって所詮、俺は現代の知識を持つ平凡な一タイムトラベラーでしかないのだから。
「で、結局は何で俺を呼んだんだ?これと言って悪い事なんてして育和尚ないぞ」
「誰が悪さをして呼び寄せたなんて言った。大体林泉寺で何か問題を起こしたとしても、説教するのは天室光育和尚様だから俺がどうこう言える立場ではない。今回はお前に別れを言おうと思って呼んだのだ」
「……何?別れ?どういう事だ」
「今度私は中郡の郡司として三条城に赴く事になった。そして古志長尾家に養子として入り、中郡に置ける府中長尾家の権威を土豪たちに印象付ける楔となる事になったのだ」
古志長尾家の現当主は長尾景信。景虎の実母である青岩院、別名を虎御前の弟であり、血の繫がった叔父である。
長尾景信には長尾景満という嫡男が存在する。そしてその景満は古志長尾家の主城である栖吉城にいて中郡内に睨みを効かせており、次期古志長尾家の当主となれる様に鍛錬をしている。
そんな背景があるからこそ、古志長尾家は越後国内に置いて中郡に置ける長尾氏による支配を確定付ける重要な礎となっているのだ。
だが中郡には古くから多くの土着の豪族が居り、守護代である府中長尾家当主で現在越後国内で事実上国主として振る舞っている長尾晴景を蹴落とそうとしている現状がある。
近い内に多くの土着の豪族、土豪たちがそんな長尾氏に反旗を翻したりするのだから、未然に動こうとするのは自然な事だろう。
もちろんそんな背景があるなど実際史実を知っている未来人か、当事者くらいしかこの時代にはいないだろうが。
「あー……なるほどね。魚沼勢が古志長尾家の領地でも狙ってるか。下郡でも上条上杉家が養子縁組で揚北衆での対立を引き起こしている時期だし、少しでも地盤を固めたいって所か」
未来からタイムスリップした俺だからこそ知っている事実。
今はまだ表立っては未だ動いてはいない、懸念程度の話であろう。裏でこそこそと工作をしたりしている程度の段階であり、兵を集めたり武器を集めたりはしていない。
だからこそ強くは言えないし、今の晴景には強引に力で解決するだけの能力はない。
そこでせめて牽制だけでもという事で景虎を古志長尾家に養子に出すのだろう。
しかしそれは長尾家家中でも重臣しか知らない様な事。
ましていくら城下に存在する菩薩寺だとしても、住職どころか僧侶ですらない者が知っているはずがない。
俺は久しぶりに景虎に会ったことで気が緩んでしまったのかもしれない。そんな事まで考えが及ばずに何気なし呟いた言葉を景虎はしっかりと耳にしていた。
「やはりお前は面白い」
そう言ってにやりと笑う景虎を見て、俺は何かやってしまったな、という感情に襲われた。
「古志長尾家に養子に行くとしか言っていないのにその背景を的確に言い当てる辺り、お前は私が面白いと感じたモノを持っているという事か。その知識、是非とも生かさなくては勿体無い。…………よし、決めた。雪、お前も一緒に連れて行く!」
「は?」
俺は一瞬何を言われたのか分からなかった。それでも何か大変な事が起きるのではないか、そんな予感をヒシヒシと感じた。
古志長尾家
室町時代に越後国に割拠した、守護代長尾氏の分家である。
上杉氏に従って越後国に入国し刈羽郡や古志郡を領したのが始まり。
当初は蔵王堂城(現在の新潟県長岡市西蔵王)に拠点を構えていたが、後に栖吉城(現在の新潟県長岡市栖吉町)に本拠を移した。
別名:栖吉長尾家とも称される。
長尾晴景や上杉謙信の代では長尾上杉家一門筆頭として活躍したが、御館の乱で景勝方に敗北。
後に河田長親が名跡を継いだが、長尾を名乗らなかった事で古志長尾家は断絶した。




