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長尾上杉存亡記  作者: あちゃま
古志長尾家編
16/22

12話 脇道

1543年8月16日。


入道雲とも呼ばれる積乱雲が空の向こうに見え始め、後数分もすれば夏の乾いた大地に通り雨をもたらすであろう風物詩。夏の海の絵を描く時、地平線の彼方によくこんな縦に長い雲の絵を描いた記憶がある。

燦々と照り付ける太陽の光が生き物に過酷な環境を与えている中、そんな中でもアブラゼミがジージーと泣き叫び、メスに自分の存在を精一杯にアピールするこの季節。


林泉寺のとある一室では一つの説法とも尋問とも言える話し合いが行われていた。


「全てはお主の思惑通りになったという事であろうかな、雪よ」


言葉の端々に棘がある言い方で、静かに言葉を繋ぐ和尚。

不機嫌です、と自らの現在の心情を隠そうともしないその表情は何処までも仏頂面。口から出る恨み節と顰める眉によって上から目線で見下しているかのような雰囲気も与えかねない。


僧としては決して見せてはならないであろうそんな態度ですら隠そうとしない。いや、相手が相手だからこそ、あえて見せているのでないかとすら勘ぐってしまう状況。


つい数か月前にも同じような事があったようなデジャヴを感じる。

いや、実際にあったのだが……。


「思惑通りなんてヒドイですよ和尚様。私はただ虎千代様の夢を、ほんの少しばかり応援しただけですよ。ほんの少しだけね」


「越後に戦乱を持ち込むような事をして置いて応援と言うか?何故儂に相談せなんだ。お前と儂の仲じゃ。親子とは言えん程の歳は離れて居るし血の繫がりも無い、しかしそれでも儂はお前に家族程の情は抱いておったのだぞ?」


そう言う和尚の瞳はとても寂しそうで、とても悲しそうで、触れてしまえば一瞬で砕け散ってしまいそうな程に脆く見える。


戦国の世にいきなり放り出されて右も左も分からない俺に対して、いつも何かと気にかけてくれていた一番の理解者が和尚様だった。

嬰児えいじが溢れかえり育てられないからと平然と捨てられる世の中で、僧という事もあろうが奇特にも育てるという選択肢を取ってくれた和尚様。


俺自身の自我は確かに乳飲み子の頃は無かったし、当初は本当に俺に前世か未来かとも言えるような記憶がある事に本当に困惑したものだ。それでも和尚様は何も聞かずに俺にこの時代の常識と教養を教えてくれ支えてくれた。


隠し事をする事、その事に対して最初は気後れしたし喋ってしまった方がいいのではないかとも考えた。しかしそれでも俺は話さない事に決めたのだ。


人の事を信用するなど現代よりも到底困難なこの時代。一緒に修行している兄弟弟子や寺男であっても心から信用してはいない、いや信用できないのだ。

下剋上は当たり前、相手を蹴落としてでも上に上がろうとする精神。そんな中だからこそ壁に耳あり障子に目あり、常に警戒心は保っておかなくてはならないのだ。


確かに和尚様はそう言った意味では唯一信用している相手とも言えるが、もし何かを話していた時、人払いをしたとしてもそれが聞かれてしまったら。もし何かしらの不利益が和尚様に掛かってしまったら流石の俺もここまで育ててくれた和尚様に対して申し訳なく思ってしまう。何処かの選民主義の意識を持っているような人物に聴かれてしまったら、最悪打ち首の斬首刑になってしまう事だってあり得る。


人の命が軽い時代だからこそ、そう言った事には注意しなくてならない。


「……物いへば、唇寒し、秋の風」


「……何じゃ、その句は?」


「とある有名な俳人の句ですよ。本来の句の規則ではない道徳的な寓意ぐういを含んだものですが、脇道に落ちた者には良い句でしょう?」


「句の意味は何となくは分かるがの雪よ。仏道とは本来脇道に落ちてもまた戻れる、仏道とはそういったものじゃ。初発心しょほっしんさえ忘れずに居れば、必ずや戻って来れる。雪、お主も忘れては居らぬだろう?かつての初発心を」


「確かに私自身、和尚様に拾ってもらったあの日から、仏道に入るという初発心を忘れてはいません。ですから和尚様の言葉をお借りするならば、まだ私は戻る事は出来るのでしょう。ですが私はおそらくこの先も同じように脇道に落ちる。……いえ、寧ろ脇道を歩く。そういう事になるはずですよ」


歴史を知っている、それは確かにこの時代に置いて圧倒的なまでの他者に対するアドバンテージになるだろう。しかし俺がこの時代にやって来た、という事。そして約7年もの間本来存在しない俺という存在と修行した虎千代という存在。これはきっと良くも悪くも何かしらの影響を及ぼしているに違いない。


歴史を変えよう、等と大それた事を俺は考えはしないし考えない様にしている。


歴史が変わる、それはきっと考えているよりも恐ろしい事だ。


全ての人には親がいる。父親と母親が居るからこそ今の自分がいる。だがもしも、その両親が出会わなかったら、結婚しなかったら、自分はきっと生まれて来なかったはずだ。それは自分と言う存在が居なかったという事、消滅してしまうという事。

つまり自分と言う存在が今にも消えてしまうのではないか、そう言った恐怖が俺を襲ってくるのだ。だからこそ、俺は極力歴史を変えたくはないし、変えようとも思っていない。


過去にやって来たお前に親など居るのか、そういう疑問も中にはあるだろう。

未来から過去にやって来たのならば親は未来にいるのであって、過去には存在しないのだからお前がいるのはオカシイだろう、と言う人もいるかもしれない。


それでも俺は今を生きている。確かに俺はここに存在しているのだ。

消えるかもしれないという冒険を冒してまで、俺には歴史を変えたいという欲求はないのだから。


でも基本優柔不断で頼まれたら面と向かって嫌とは言えない日本人特有の気質もまた持ち合わせている俺は、きっと土下座されれば断る事なんて出来ないし、寧ろ協力させてくださいと言ってしまうかもしれない。

その時にどんな選択をするのか、自分で自分の事が分からない。言えもしない不安が胸に募っている。


「それには納得してしまうの……雪は良くも悪くも人とは違うからの。特に歩き始めた頃のお主と言ったら、本当に子供かと疑いたくなるような事ばかりしておった。思い起こせばあの頃から人とは違う所を歩き始めていたのかもしれんの」


「どういう意味ですか、それは……」


声を出して笑う和尚様に対し苦笑いしか出て来ない。

和尚様の中の俺は一体どんな印象を与えているのか、一度じっくり話し合う必要がありそうだ。


そんな事を考えていると、普段は滅多にこの部屋では聞こえない人の足音が聞こえてくる。段々と近づいてくるその足音は部屋の前でピタリと止まり、障子の端から一人の小僧の顔が覗いてくる。

俺よりもこの寺での生活が短い、幼げな小僧の顔がそこにはあった。少々の緊張の仮面を付けながら。


「お話し中失礼致します。春日山城より金津かなづ新兵衛様が参りました」


金津かなづ様が?はて一体何用で参ったのであろうか」


「何でも越後の今後について和尚様のお知恵を拝借したい、と申しておりました。加えて何やら会いたい人物もいるとも仰っておられました」


「越後の今後、か。確かに長尾ながお為景ためかげ様が亡くなった今、越後には間違いなく何かが起きる。少しでも多くの意見を得たい気持ちは分からんでもない……しかし何故今なのじゃ。それに何故金津様が来る?」


和尚様の疑問は最もだ。

現在の府中長尾家ふないながおけの当主にして守護代の長尾ながお晴景はるかげと虎千代こと長尾ながお景虎かげとらは決して仲が良いとは言いにくい。寧ろ長尾晴景が景虎を避けていると言っても過言ではない。


来訪した金津新兵衛という人物はそんな避けられている景虎の傅役もりやくでもあり、景虎派とも言える人物たちの中心にいるような越後の中枢から離れている様な人物。


越後国えちごのくにの運営を担っているのは長尾晴景なのだから、そんな人物から離れているとも言える人物があろう事に、越後の今後について話し合いたいなど言って来るものだろうか。

城内の誰かに頼まれ使いとして来た可能性も無くはないが、金津家は守護代長尾家よりも家格が高く客将として春日城へ招かれているのだ。


家格が重んじられているこの時代に置いて、そんな目上の人物を使いにするなど到底考えにくい。


なのにどうしてやって来たのか。彼の言う会いたい人物とは誰だ。


訳が分からない、そんな表情を浮かべるしかない和尚様がそこにいた。


だがこの時俺はふと、何故だか昔した約束を思い出していた。虎千代と交わした、あの雪の日の約束を。

物いへば、唇寒し、秋の風


江戸時代前期の俳諧師はいかいし松尾まつお芭蕉ばしょう』の句。

貞享じょうきょう元年がんねんから元禄げんろく年間ねんかんの間の作句年だが詳細は不明。『芭蕉句集ばしょうくしゅう』では元禄4年である。

本来は『人の短所を言った後は後味が悪く、寂しい気持ちがする。』という意味だが、転じて『何事につけても、余計なことを言うと災いを招く』という意味となった。

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