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長尾上杉存亡記  作者: あちゃま
古志長尾家編
15/22

11話 元服

1543年8月15日。


越後守護代である府中長尾ふないながお家の先代当主であった長尾ながお為景ためかげの喪も明けてしばらく経ったこの日、山城やまじろであり長尾家の本城ほんじょうである春日山かすがやま城の一室では元服げんぷくの儀式が行われていた。


現当主の長尾ながお晴景はるかげを快く思わない国人領主は越後国内には多い。

最も反感を持たれているのは融和を持って国を統べるというその政策である。平和な時代であればそれは十分な力を発揮し、十分な発展をもたらした政策だったかもしれないが、如何せん現在は戦国の時代。弱肉強食の代表とも言える時代だ。

力でモノを言わせてきた者が多い越後国えちごのくにの国人領主にとって長尾晴景の打ち出す政策は反感を抱きやすく、そんな不満を解消しようと少々頭の回る国人領主は反長尾晴景の新たな神輿を担ごうとした。


多くの者から声が挙がれば融和という政策を掲げ誰に対しても強く出れない性格の長尾晴景は、渋々ながらもその意を了承し新たな命を出し、ふもとの林泉寺より自分の末の弟である虎千代を城へと呼び戻した。

今日はそんな呼び戻された長尾為景の四男、虎千代の元服である。


元服とは奈良時代から行われている男児が成人する時に行う通過儀礼の一つであり、公家の女児では裳着もぎとも言われている。


さて、戦国時代の元服時には新しい名を受ける事になっている。

幼名と言われるわらべの時に名乗っていた名前ではなく、今後一人前の将として活躍する時に使用する名である。


そして今日、虎千代は新しく『長尾ながお平三へいぞう景虎かげとら』という名を承った。


元服の際には烏帽子えぼしという帽子を被せる事になる。一時的な仮親であり主に主筋の人物がやる事が多く、家臣などでは主君や時には将軍が執り行う。もしも家臣の子供であれば元服する子の実の親が受け持つこともあり、その例に習い此度の虎千代の烏帽子親えぼしおやは実の兄である長尾晴景である。


『長尾』が名字・姓。

『平三』が通称・あざな

『景虎』がいみな・忌み名。

幼名を虎千代の新たな名、それは以上の三つの構成で造られている。


現代の日本では見られない風習だが英語圏の国ではファーストネーム・ミドルネーム・ラストネームの様になっている事もある。

かの有名な発明王エジソンも実際の名前はトーマス・アルバ・エジソンという三つの名で造られており、名前・同姓同名と区別する為の洗礼名・苗字という構成だ。


名字・姓はその名の通り、武家の名字であり他にも武田や織田などが一般的である。

通称・字は一般的に広く呼ばれる名であり、名字・姓+通称・字+殿どので会話中は呼ばれる事が一般的である。織田おだ上総介かずさのすけ殿や松永まつなが弾正だんじょう殿が有名である。

最後が諱・忌み名である。これは多くは一族に伝わる通字つうじと烏帽子親から一字を賜る偏諱かたいみなで付けることが多い。


長尾ながお平三へいぞう景虎かげとらという名、これについてここで説明しよう。

『長尾』、これは家名であり武家名である為以前より持っていた名である。幼名は長尾ながお虎千代とらちよなのだから。

『平三』、これは諱が親や主君にのみしか呼ぶことが許されていなかった為に、諱を呼ばなくても会話が出来る様に作られた仮名けみょう、字である。府中ふない長尾氏は坂東八平氏ばんどうはちへいしという平氏へいしの流れを組む血族である為、それを対外的にも含ませるために平三としたのだ。

『景虎』、これは府中ふない長尾氏に代々伝わる通字である『かげ』、そして寅年の寅の月寅の日という寅に恵まれた事から『虎』の一字を用いて景虎と評した。


正装した晴景から烏帽子を受ける景虎。その表情は何処か誉れ高そうに、しかし決意めいた様に、瞳に覚悟を決めた一人の将としての顔をしていた。






元服の儀式も終わり景虎は一人の男と春日山城の一室で向かい合っていた。


外はすっかり夜のとばりが降り、辺りは夏の蒸し暑い空気が夜になっても消えずに残っている。密会をしている訳でも無い為、開け放たれたままの障子からは月明りが部屋の灯りよりも眩しく感じる。


儀式用の正装ではなく、酷く軽装な日常的な服装に着替えた二人の間には一つの酒瓶と少しのさかなが置かれていた。お猪口に注がれた酒を一口飲むと景虎はそっと語りだした。


金津かなづ殿、これで私もいよいよ将になった。なりたいなりたいとは思ってはいたが、いざなってみると……正直、不思議なものだな」


「不思議なもの、ですか。確かに昔の虎千……いや、景虎様だったらもっと癇癪を起していたかもしれませんね」


そう言って軽い声を出して笑う金津殿と呼ばれた老人は手元の酒を一口飲んだ。


彼の名は金津かなづ義舊よしもと。通称を金津かんづ新兵衛しんべえと呼ばれている越後の土着豪族の当主だ。

景虎が当時としては高齢であった為景にとって予期せぬ子であった為、本当に自らの子か、もしかしたら妻が不義を行って生まれた子ではないのかと疑いを持った。家臣団の多くもこの子は本当に主君である長尾ながお為景ためかげの子なのか疑問を持たれ、極力接触を避けるようになり誰からも愛情を注がれる事が無かった。


春日山城内は敵だらけといてもいい状況のそんな景虎に対し唯一優しく、深い愛情を持って接したのが金津新兵衛であった。金津新兵衛の妻が景虎の乳母うばであった関係から傅役もりやくとしても選ばれ、物心つくずっと以前から父親の様に接してきた金津新兵衛の前でだけでは景虎のヤンチャさも鳴りを潜め子供の様に素直に振る舞った。

だからこそ戦時の敵を蹂躙していく荒々しい父長尾為景の事は尊敬し時には力になりたいとは思ってはいるが同時に畏怖し近寄りがたい気持ちでいるのに対し、金津新兵衛に対してはいつでも自然体で我が儘も文句も言うことが出来るのである。


「まったく、酷いですよ金津殿は。それに二人きりなのだから様付けもいりませんよ。あなたは私にとって実父以上に父と言っても差支えがないのですから。家柄的にも金津殿の方が上です。そんな方に様など付けられてはムズ痒くなってしまう」


「何をおっしゃいますか。先代守護代である亡き長尾為景様から景虎様の事を託されたのです。家柄が上だ、下だという事は関係ありません。託されたその日から私は景虎様の臣となり生涯仕えると決めたのです。ですからこれからも私は景虎様と言わせて頂きます」


「まったく、強情なのは相も変わらずなのですね。でもこの会話が私の心を安心させてくれます。林泉寺では毎日毎日を過ごす事が一生懸命で、この様な安心感は感じることが出来ませんでしたらね」


僅か数日前の事だというのに、少し離れるだけで何処か懐かしさを感じる。この気持ちは春日山城から林泉寺に入れられた時にも感じたような既視感を覚えてしまう景虎。もしかしたら寂しさを感じているのかもしれない、そう自嘲気味に笑ってしまう景虎を笑みを義舊は不思議そうに見つめた。


「寺で何かあったようですね。安心感は感じれずとも、面白そうな事が」


目の前で思い出し笑いをしている我が子の様な存在に、そう言いながらも親の様に優しい瞳を向ける義舊に、少しの驚き顔を向けて聞き返す。

何故分かってしまったのか、浮かんできた疑問を頭の片隅に押し消しながら。


「寺で少し……いや、相当な偏物へんぶつに出会ったものでね」


「ほう……偏物ですか。偏物など通常では人に嫌厭けんえんされてしまうものですが景虎様はその人物を嫌いでは無いようですね。今もその人物ひとの事を思い出されたのでしょうが……景虎様の顔、とても嬉しそうですよ」


「ハハハ。そんな嬉しそうにしていたつもりは無かったのだが、やはり金津殿には分かってしまうのか。寺でも平常心を保つ修行も和尚様から付けてもらっていたのだが、どうやらまだまだ修行が足りないようだな。しかし……確かに金津殿の言う様にとても愉快な人物だよ」


景虎の頭には一人のニヤけた顔をした男の顔が浮かんでいた。

金津かなづ義舊よしもと

生没年不詳


越後国金津(新潟県新潟市秋葉区)に土着どちゃくした清和源氏せいわげんじ平賀氏ひらがしの流れを組む一族。家柄は守護代長尾氏以上。

謙信は臣としてでは無く上位の客将だと公言しており、妻は謙信の乳母として、自身は傅役もりやくとして謙信に仕えた。

通称の新兵衛しんべえの方が有名である。

成人した謙信からの信頼は絶大で、生涯謙信の脇を固める働きをした。

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