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セルフ=自分自身で

作者: 藍絃

完全セルフサービスを謳う、焼肉屋で俺はバイトをしている。

 夏休み前のテストでは、赤点にあと一歩で踏み込むところだったが、前日のプチ徹夜が俺を救った。そのおかげでバイトの許可も難なく下り、今現在にいたる。

 何でバイトをやるのか、理由を書き込む部分があったが、そこに一番苦労をした。プチ徹夜よりも、だ。

 何故かって――? そりゃ、皆と最新ゲーム機で狩に出かけたいだろ?! と、まあこんな自分勝手な事情でバイトをしている訳なのだが、意外にも大変だ。

 シフトは人の都合によりけり、俺の場合今日の午前は部活があったから、夜のシフトに回してもらった。今日のシフトは、季節が冬だったのなら真っ暗になる寸前の時間帯からのものだ。

 働くことをなめてたぜ……。ニートになりたい気持ちが、今なら痛いほどに分かる!!


秋谷(しゅうや)! すまんが少しの間レジに入ってくれ!!」

「はい」


俺よりも少し早くバイトをしていた同年代の先輩に言われ、食材の補充をしていた俺は、3つ並んだレジの、カウンターから遠い、一番端のレジに立った。


「お、お客さ、さまっ……おおっ、多い、ねっ!!」


長蛇の列をずっと捌き続けていたらしい俺と同期の女学生咲夜(さくよ)は、責任という二文字がかかると緊張してしまう性質(タチ)のようで、声が震えて、顔も真っ青だ。

 完全セルフサービスを謳うこの店は、席への移動から火を点けるといった行動すべてが自身で(セルフ)、なのだ。


「ああ、多いな」

「だ、だよね! な、何か今日店長さ、さんが視察にくるみたっ、みたいだし!!」


へー、そうですか。まあでも俺には関係ないし。

 あ、そういえば、


「俺が補充をやめたから大変だと思いますよ?」


仕事上では敬語、敬語っと。同期の可愛らしい女子は、俺の一言に顔を明るくして、手が空いていた同じバイトの子に変わってもらうと、咲夜はいそいそと厨房のほうへと姿を消した。

 そうこうしている間にも、また席が空いた。


「次のお客様」


言いながら、何人連れかを確認する。作業を早めるため習得した技だが、他に何処で使えるのかは分からないし、知るはずもない。

 とにかく、俺が捌くべき次のお客様は1人で、しかも今時はやりのメタボが気になる年頃の中年男だったが、なかなかに渋い。気品あふれる姿とでも言うのだろうか、こういった大人を目指してみたいものだ、凛々しくあれば中年であろうと女性には優しくしてもらえるだろうし。つまりはそこが本音。


「お一人様ですか?」

「そうだ」

「コースはいかがいたしますか?」


完全セルフサービスのコースは二つ。

 1時間半の食べ放題で4250円と、1時間の食べ放題3000円。その30分が微妙なところらしい、俺には分からないが。


「1時間半で」

「かしこまりました」


5000円をお預かりして、750円を返し、レジのすぐ側に積まれている紙コップを1つ取ると、カウンターから出てご案内して差し上げる。

 「頑張るねえ、面倒くさくない?」とかいう同じスタッフの声が聞こえるが、あえて口出ししないのは店長の方針の内だからだ。

 とりあえず、こういった場所には家族連れが多いが、女性は特に自棄食いをしにここへ来店することがある。このお客様もそうかと思ったが、すぐに思い直した。

 自棄食いをするような人ではないと一目で判断した。威厳とか、尊厳とか、そんな言葉が似合う人だ、自棄を起こしたとしても一人酒、もしくはほとんど自棄にならないか、そのどちらかだろう。だが、仮に渋い男性が自棄食いでなかったとしても、現在空いている席は家族連れと自棄食いなお嬢様方を集めている場所にしかないので、そこへ案内した。


「こちらになります」


渋いおっさんは周囲には目もくれず、無言で座り、俺は時計を見て終了時刻を書き込んだプラスチックプレートを置いて、紙コップも一緒において、一礼するとその席から離れた。

 途中で、ビールの注文が入った。

 食材が置いてあるところが、妙に騒がしいが、今の俺は迅速に注文をこなす必要がある。

 カウンター内に戻り、ジョッキにビールを注ぎ、注文をもらった席にお届けした。家族連れではあったが、空気が悪い、飲んだくれ親父と、それを嫌う家族、といった様子だった。


「だいたいな、セルフサービスなら俺に注がせろってんだ! なあそこの店員!!」


触らぬ神に祟りなし、なのだが俺はどうやら神に近づかれて強引に触らせられてしまった。

 曖昧な返事をひとつ、0円スマイルをひとつと、ジョッキを丁寧に置き、一礼した。

 なおも絡もうとしている飲んだくれは、俺の置いたビールを一気に飲み干し始めたので、今のうちに早足で退場。

 え、酒や煙草を扱う店のバイトは駄目じゃないか、って? まあ、そこには深い事情があるらしいので俺は知らないことにしておく、面倒ごとの種なんて焼却しておきゃいいんだ。

 再びカウンター内に戻ると、咲夜が俺の代わりにレジに入っていた。


「せ、先輩はま、まだ、戻ってきてないよ?」


咲夜に言われて気が付いた。しかし、先輩はこのまま仕事を上がった、もしくは抜け出した可能性が高い。あの人は、他の先輩によるとかなりの時間を空けて戻ってくることが多いそうだ。

 だが、誰も何も言わないのは、ここの店長の方針によるものだと思うと、あの先輩が成人したらきちんと仕事が出来るのだろうかと考えたが、結局俺に関係はないので考える必要性を感じなくなって、思考を打ち切った。

 数分ほど呆然と立っていた間に、咲夜がせわしなく目を泳がせ始めたからだ。


「悪いな、今代わるよ」

「い、いいの。また、失敗しちゃったし……じゃ、邪魔になっちゃうし…」


分かった。さっき騒がしかったのは、咲夜が食材を乗せた皿をどうかしてしまったせいだったんだ。


「俺も何もやらないと不味いから……せめて手伝いでも」


こうしている間にも給料は増えていく。

 咲夜と願い出と拒絶を繰り返し、数十分を経過してくると、何もしていない俺が、自然と目立つようになってくる。

 俺たちは忙しいってのに……給料泥棒するくらいなら馬車馬のように働け!

 すいません、視線が痛いです。お願いだから交代してください……!!


「いや、やっぱり代わ……」

「代わらなくていいよ、代わりに……あれ」


言い出した俺にかぶさるように、咲夜が小さく、お客様に見えないように指で示した。

 言いにくそうに咲夜が示した先には、テーブルの上のものを払い落とす酔っ払い。

 プラスチック製の食器が、無駄に豪勢な敷物の上に、音を吸収されながら落ちていく。その周辺にいる人は自棄食いなお嬢様方ばかりだったので、未だ騒ぎには気付いていないようだ。

 面倒くさい状況だ。

 気付くと気付くで自棄食いをしているお嬢様方は、きっと叫んでくれるだろうから、よくない状況になるのは目に見えている。

 そして、騒ぎの中心の暴れているメタボなおっさんは家族連れらしく、妻らしき女性が両腕を拘束しようとしている。

 そうですか、俺は酔っ払いを退治してこいと?


「ご、ごめんね……」


そうしょぼくれたまま謝られると、男は弱いだろうな。咲夜はそれなりに可愛い女子だから、単純な男は引っかかるんじゃね?

 て、俺もその一人か……何か落ち込んできた。


「気にするな」


かっこよく決めながら酔っ払いを討伐しに行って参りますよ、ちくしょーっ!!


「お客様」

「あ゛あんっ?!」


ぼはーと吐き出されたのはアルコールをたっぷり吸った酒臭い息。いい加減にしてほしいが、ここは0円スマイルで対応。


「他のお客様のご迷惑になりますので」

「うるっへーなひゃっく! てめぇりゃ(てめえら)なんてひゃぁ(なんてなあ)きゃんじぇんにゃ(かんぜんな)セルフにゃりゃ(なら)……!!」


先輩! 誰かこの方の翻訳お願いしまーす!!

 立ち上がる酔っ払いの足取りはふらふらとしていて、危険にしか見えない。

 そして、よく見るとメタボだ。

 あ、違った。もう一度酔っ払いを見直すが間違いない、数十分ほど前からビールを注文し続けていたメタボなおっさんだ。そして、そのおっさんの家族の中に、見慣れた顔がひとつ。


「せ、せんぱっ……!!」

「黙ってろ」


すいません、そんなドスの効いた声で、人の鼻と口を抑えながら言わないでください、痛いです。

 てか、仕事抜けてなにやってんだよこの野郎!! 内心では罵倒しておくが、実際彼を怒らすと怖いので、先輩には何も言わずに、ギブアップした。

 とりあえず黙るという旨を伝えれば、睨みながらも手が離された。


「人の呼吸する場所ををなに塞いでくれるんですか!!」

「いやあ、はっはっは」


はっはっは、じゃないだろ?! 先輩に構いすぎた。

 やばい、構っていなかったメタボなおっさんが拳を振り上げている。


「うおっ!?」


咄嗟に避けたら、当店特製ダレがプラスチック製の食器と一緒に降ってきた。

 遠くでは咲夜が壁に取り付けられた電話に手をかけている。

 降ってくる皿の一枚一枚はどうだっていいのだが、タレ! 何かべとべとする!?

 作業着がタレでこげ茶色のアートができた。ちなみに触るとべとべとしますがね!!

 今度は少し困惑顔で、


「お客様、他のお客様の迷惑になりますので」


そう言ってみるのだが、再びの注意に耳を貸すはずもない。

 先輩は「母さん、店員さんがどうにかしてくれるだろうから食べよう?」などと俺を完全に無視してくれている……いや、この状況を楽しんでいる。そんな顔をしていた。

 疲れた、てか


「勘弁してくれ……」


しまった!! はっとなった今ではもう遅い、いつの間にやら俺の側によっていた先輩が、俺の声真似――しかも結構似ている――をしていた。「無駄な特技は人を巻き込むためにある!」そんな先輩の性格を忘れていた。

 目前には拳、しかも俺の鼻を目指して一直線。


「うわぁっ!!」


間抜けな声と一緒に情けなくも足をもつれさせて転んだ。


「おーい、生きてっかー?」


俺に声をかけたのはにやけ顔の先輩。

 とりあえず顔面は痕が残るという理由で、ボディを狙って一発拳を入れてやった。

 呻いてわざとらしく転がったが、俺の元立ち位置に、別の誰かが立っていたせいで、そこに引っかかった。


「え……?」


そこに立っていたのは、さっきご案内したお客様、渋いおっさんだった。

 そうだった、混乱していて忘れていたが、ここは自棄食いなお嬢様方と家族連れを集めた場所、ちょうど渋いおっさんの席の近くだったのか。

 酔っ払いの拳を止めたおっさんは、視線で俺と先輩に「離れろ」と命令していた。

 確かに、酔っ払いと渋いおっさんの間にいる俺と先輩は邪魔だろう。


「す、すいません……」

「男がそう軽く謝るものではないよ、少年」


おお、かっこいい。

 余裕のおっさんの手から、必死で逃げようとしているのは酔っ払い。

 いったい、なんだっておっさんの手からこのメタボの酔っ払いは逃げ出せないのだろうか?


「てめぇ、離せ!!」


驚きに酔いが覚めたようだ、メタボのおっさんが眼前の渋いおじ様に全力抵抗をしている。


「しかし君は手を離せばまた暴れるだろう? 手を離すことは出来ないよ」

「ちっ! そこの店員見てんじゃねえよ、てめえらなんて完全セルフサービスの店に、必要なんてねえんだからとっとと消えろ!!」


は? 何を言っているんだこのメタボな酔っ払いのおっさんは。

 言葉に脈絡がない、しかし酔っ払いは、自らの手を掴んで話さない渋いおっさんに目もくれずに、勝手に話し始めた。


「セルフっていうのは“自分自身で”という意味だろう? だが実際はどうだ、セルフサービスを謳いながら酒は注文、コップすらも選べない! 不公平だろう?! 言葉を正せいんちき店舗が!!」


不味い……こういった単語に客はよく反応する。注目は気付けば酔っ払いと渋いおっさんに集中していた。

 静寂の中に、金網で無残にも黒くなってゆく肉の油が弾ける音が無駄に響いた。

 店内に流している音楽が終わり、区切りのところに入ったことも手伝い、不気味な静寂を演じている。


「大体なあ! 昔を思い出してみろ、路上販売の手製の棚はどこにでもあった! それは一種のセルフサービスというものだ、しかし今は姿を消した。なぜか? 答えは簡単だ、そこに信頼を置いた店主が、姿の見えぬ客を待っていたからだ!! 今を見てみろ、路上販売の棚は脆く崩れ去り、そこに置かれる野菜や果物は姿を消した!! その意味が分かるか?!」


何を、とは思ったが、どことなく聞き入ってしまう。静寂が聴衆になるための効果を生み出しているのかもしれない。

 長蛇の列を苛々と並ぶ人々も、それを捌く店員も、次に流れるべき曲が流れ出したというのに、酔っ払いの次の言葉を待っている。まるで路上演説に聞き入る人みたいだった。


「代わりに出てきたのは人間対人間の、24時間体制だが完璧なる監視の下に取引をする店だ。それは昔にもあっただろうが、少なくとも! 昔の人間は客を信頼し、客は店を信用した!!」


昔の栄光に縋る演説者だったが、それでも俺は胸に鈍痛を覚えた。

 確かにそうなのだ。

 今時のニュースを見ていれば分かるだろうが、今や消費者は生産者が偽装をしていないかを疑い、表面上の信頼で物を買っているように、俺には見えた。昔がどうかは知らないが、路上販売が多かったのだから、消費者と生産者は気兼ねなく付き合っていたのだとうかがえる。

 演説者は、素面に戻ったのか、生気で輝いているのか、赤ら顔ではなかった。

 演説者は続けた。


「セルフサービス、それは信頼を元にした商売といっても過言ではない。しかしこの店はどうだ、店員を雇い、監視の目を光らせ、“自分自身で”という事柄を押さえつけている部分がある!!」


さあ、皆様ご覧ください。どうでしょうか? 私の言葉に少しでも賛同できるのなら、この私に清き一票を!! どこかで聞いたような言葉だ、俺はただそれを聞こえない程度に鼻で笑っただけだったが。

 何だか無茶苦茶な物言いになってきた、先輩は演説者を輝かんばかりのにやけ顔で見ていた。止める気はないらしい。

 渋いおっさんは、演説者が自らの演説を終えたと見ると、静かに口を開いた。

 今度は、生唾を飲み込む音が周囲から聞こえてきそうだった。それだけ、おっさんの一挙一動に気品が、そして指導者たる風格が見えたせいなのではないかと、俺は錯覚した


「なかなかに賛同できる言葉だった。失礼かもしれないが、時代は変わるのだ」


そう、時代は変わった。劇的に変化している最中生まれた俺たちにはそれが普通でも、取り残された人間は、どうしても昔に固執するものらしい。特に、そういった人物たちは疎まれる。

 少し首を回して辺りを見てみれば、賛同してうなずく人がいた。


「セルフ、自分自身で。確かにそうだ、しかし、法の下の話をしよう。現在の未成年飲酒禁止法はどうなっている?」


あえて誰でもわかるような質問をし、そこから話を広げていく、教師がよくやる方法ではないのか? これは。渋いおっさんが教師ではないかと思うと、少し残念だ。


「満20歳未満だ。それくらい誰でも知っていることだ!」

「そうだな、では、仮にこの店を店員がいない、君の言う所謂“自分自身で”の店とし、酒を置くとしよう。未成年が来る、酒と分かって飲む。さて、どうなる?」

「法律で罰せられるに決まっているだろう! だが!! そういうことではないんだ」

「では、どういうことなのかね?」


渋いおっさんが興味を持った。

 だが、いい加減に気付いて欲しい、入り口からこそこそと入ってきている警察官がいることに。連絡したのは多分咲夜だろう。

 俺は演説をし始めようとする酔っ払いに声をかけようとし、渋いおっさんに止められた。

 いや、いたずらっぽく「しーっ」てやられても困るのですが? てか、それでも変だと思えないこのおっさんは一体何者なんだよ。あれか、気品は何をしても失われませんってか?


「この店は完全セルフサービスを謳ってはいるが、肉を切るのは調理師免許を持った人間だろう? そしてレジを打つのはそこらへんから雇った人間だろう? そこには自分自身でという意思はない!!」


駄目だ、俺にはおっさんの言っている意味がわかんねぇ。

 先輩も、ついていけなかったのか、警察を手招きしていた。

 渋いおっさんも、残された時間はもうないと分かり、最期の仕上げを、突撃の合図をした。

 がたいのいい警官が二人、酔っ払いを押さえつけた。

 暴れるには暴れたが、酔っ払いはそこらへんの食器を払い落としたり、とりあえず近くにいた俺に巻き沿いパンチを喰らわせ、先輩に盾にされ、もう一発頬に喰らった。

 月夜ばかりと思うなよこの男、あとで覚えとけよ先輩!! 口には出さないけど。


×××


とりあえず、騒ぎの収まった店で、残り時間にはっとなった組がいくつかあり、焦げた肉をすばやくどかし、次々と肉を焼き始めた辺り、人間って図太いんだなーと思わされた。

 被害者たる俺は、渋いおっさんに気を遣われながら、先輩に笑われながら、また、酔っ払いの家族に謝罪されながら、近くの交番へと向かった。

 状況が全てを物語り、こってり絞られたのはいつの間にやら、メタボな飲んだくれに舞い戻ったおっさんだった。少しの間頭を冷やすために、おっさんは交番に置いてかれた。


「いやぁー災難だったな秋谷!!」

「誰のせいですか、誰の」

「固いこと言うなよなー」


先輩の家族は酔っ払いと一緒にいるようで、何故か先輩だけが俺と、おっさんに同行している。

 タイムカードを押さずに抜けてしまったらしい。この給料泥棒! とは強く言えないのでやはり心の内のゴミ箱に捨てた。


「秋谷君、だったかね?」

「は、はいっ?!」


いきなり声をかけられて、驚いている俺をからかう先輩は粛清しておく。


「何でしょうか?」

「君は、あの男が最後に言った言葉を、どう考える?」


いや、どうって言われましても……


「意見を、聞きたいのだよ。駄目かね?」


まあいいか、店長の受け売りだし。


「いいですよ。働くことは“自分自身で”の意思で、生活をするためのものだから、そもそものところから酔っ払いは、間違っていたと思いますよ。“ 自分自身で”人にサービスをすることは無料(タダ)ですから。つまるところ親切のお仕事版と思えばいいんですよ。ただ、それをどう解釈するかはその人によりますから、自らの説が全て間違っているとは言えないと思います」

「なかなか立派な考えだね」

「いえ、店長の受け売りですから」


何故か渋いおっさんが、驚いている。


「君は……バイトの子ではないのかね?」

「はあ、まあ……」


曖昧な笑顔に、曖昧な言葉だったが、おっさんは何故かわからないが柔らかい笑みを浮かべている。おお、これが世に言う人を魅了する笑みなのか、勉強しておこう。

 そうこうしているうちに、店の階段を上る。

 長蛇の列は、収まりつつあるが、やはり多少は並んでいる。その横を通り抜け、自動ドアをくぐりぬけると、店長がいないときの代理の男がすっ飛んできた。


「てんちょーっ!! お体は無事ですか? お怪我は?!」


俺を吹っ飛ばした際に、顔面を店の壁に激突させられ、鼻と、殴られた頬がずきずきと痛みを発した。

 てか、今この店長代理なんて言った?

 確か……


「店、長?! え、ちょ、嘘だろ! えぇっ!?」


壁から顔を離して、あわただしく店長代理と渋いおっさん(てんちょう)を見比べた。

 店長は朗らかに笑い、すまなかったね、そう謝罪した。

 俺の、今日で一番の驚きは、長い間記憶に残ることになると、今の俺は紙っぺらほどにも思ってはいなかった。


×××××


「いやぁーあんときのお前の驚きようといったら! そうそう、奥さんは元気にしてるか?!」

「もう、やめてくださいよ店長……ああ、今は子守をしていますよ」

「店長! いい響きだ!!」


明日新装開店をする店の真ん中で、酒瓶やビール缶を転がしながら先輩、今は俺の上司で店長の彼が、相も変わらずのにやけ顔で俺の背を叩く。酒を飲んでできあがってしまっている。先ほどの問いかけに対する返答に、触れもしない。


「店長?」

「んー、何かお前が店長って言うのは微妙だな、前みたいに先輩と呼べ、先輩様と!!」

「……分かりましたよ、先輩。それより、明日からの営業、大丈夫ですか?」


そんなに酔っ払って。


「大丈夫、大丈夫! 俺に不可能はない!!」

「まったく、清庵(せいあん)さんが嘆いていますよー?」


冗談のつもりだったが、先輩は馬鹿笑いをやめて俺をじっと見た。

 地雷だったか?


「ちっ……仕方ない、今日はここまでにしといてやるよ」


盛大な舌打ちが聞こえた気がしましたが?

 コップに残された酒を飲み干し、酒臭い息をこぼしながら、先輩は周囲を見回した。

 元焼肉屋だった場所は、今は改装されて広かったスペースの、その3分の1を店長含め店員の生活スペースに変えた。残った3分の2のスペースは、広い喫茶店として姿を変えていた。

 喫茶店とはいえ本当の目的は、仕事が出来ない事情がある人が、自分自身で働きたいと思う意思を持って訪れることの出来る場所。そして、裏向きには相談室をやる予定だ。


「そういえば」

「はい?」

「何でお前は俺の誘いに乗ったんだ? お前は確かもうすぐ昇進するとか、言ってなかったか? 言ってたよな?!」


妙にテンションが高い、これが絡み酒というやつだろうか……とりあえず自分の経験上、酔っ払いは刺激しないに限るので、答えた。


「先輩の誘い方が面白かったからですよ」


人がせっかく真面目に答えたというのに、先輩は首を傾げている。

 おいおい、忘れられてしまったのか。俺の立場がないな!!


「先輩、言ったじゃないですか。じ……」

「自分自身で働く気があるのなら来い、だろ?」


何だ、覚えているじゃあないですか。

 社会人ならばその誘いは断るべきだっただろう、だが亡くなった清庵さんの店を先輩が継ぐと知って、気になったのは確かだった。


「俺はな、面倒くさがりだ。ついでに言えば人を混乱させて、困惑する顔を見るのが好きだ」

「人としては最悪ですね」

「普通の人ならそう言うだろうな、あの人はそうは言わなかったがな」

「あれですか、“自分自身で”やりたいと思ったのなら、それでいい。ですか?」

「正解だ」


なんだか自分自身で、を勘違いしたような人だった。それでも清庵さんだったから許される、そう思わせるくらいの人だったから、先輩もこうして店を切り盛りできるほどの実力をつけた。側で見てはいなかったが、なんとなく分かった。


「あの人が死んで、世話になっていた俺含めバイトたちは困ったろうな」


上機嫌な先輩は唐突に俺を見ると、若干呂律が回らない声で聞いた。


「お前、奥さんはどうしてる?」

「それ、さっきも聞きましたよ? 今は子守をしています」

「そうじゃない、仕事だよ、仕事。咲夜ちゃんはどうしたんだ?」

咲夜(あれ)は、この店が軌道に乗ったら働かせてもらうつもりらしいですよ」


今は家で子供と一緒に寝ているだろう妻の顔を思い出すと、自然と顔がにやける。咲夜との接近はあの一件以来だったと思う、主に俺があの可愛い笑顔に騙された男のように――傍目から見たら絶対そうだった――フォローしたのがフラグだったらしい。少なくとも、彼女は恋愛ゲーム風に見立てたらしいので、真偽のほどはよく分からない。


「そうか、頑張んねえとな」

「そうですね、自分自身の力で出来うる限りのお手伝い、致しますよ」

「店長代理としてお前が頑張ってくれるなら、俺は自分自身の力でそれに報いるぜ」


互いに顔を見合わせ、ぷっと吹き出した。

 自分自身で、清庵さんの影響は、きっとこの後もずっと消えないだろう。

 あの人の言葉が、全てに影響を与えたのでは、そう思うとなんだかおかしくて、先輩と一緒に声を出して笑った。

 先輩の店に誘われる前には、出せなかった笑い声に、胸の中がすっとする気分だった。



自分自身で、それは素敵な言葉ですよ――。



清庵さんの声が耳のすぐ側で聞こえた。



ええ、そうですね。とても素敵な言葉ですね――。



答えは誰も聞いてくれるはずもなかったが、俺の側で先輩じゃない、懐かしくて聞き覚えのある声が笑っていた。

 そうですか、あなたも喜んでくれるのですね。気分がよくて、俺はあまり飲んでいなかったコップの酒を煽った。

 もちろん、次の日は二日酔いで先輩にからかわれるだろうけど、今はそれも、どうだってよかった。

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― 新着の感想 ―
[一言] 君の考え方が浮き彫りになった感じで、いいと思いますヨ(^^ 書き方も、以前と比べてツッコミどころがないし、ストーリーもニヤk(殴 …登場人物とかに趣味が現れてるなぁ、と(笑  渋いおっさん…
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