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「うん、そうね。未熟者って感じじゃない? 今回のこととか」
「未熟であるのは、別に悪いことではないさ。私もあなたも年齢的に、自分に老練熟達を望むのは無理がある。そういったことに関わらず、自分の行動に責任を持つ人は立派だと私は思うよ。雨多は、それができる人だ」
「あなたにそう言ってもらえるのって、うれしいわ。でも、何だか自分にそんなに誉められるところがあるのかなって……気恥ずかしいのと自信がないのとで、複雑な感じ」
せっかく誉めてもらっているというのに、それを受け取る方法が自分には分からない。
雨多の心境はそのようなものだった。
頬を赤らめて途方に暮れる彼女を見つめ、プロメテウスは美しい容貌を笑ませる。
「雨多は、自分に厳しいな。私の見るあなたは、賞賛されてしかるべき人だ。誉められることを当然だと思いこそすれ、過分に感じて恐縮する必要はないよ。謙譲は人の美徳だが、何事も行き過ぎはよくない。雨多の目に、自分のよいところが全く見えなくなってしまうのは、残念だからね」
そして、プロメテウスは「雨多」と呼びかけてことばを続ける。
「私の見たところ、あなたは自分で考える力のある人だ。今も先ほどの出来事を振り返って、そこでのことを理解しようと努めていた。そして、何よりとても我慢強い」
「わたしが?」
先ほど癇癪を破裂させたばかりであるのに? 雨多の表情はそう語っていた。
彼女の反応にもひるまず、プロメテウスはその目を見返してうなずく。
「そうだよ、あなたは我慢強い人だ。だからこそ、ストレスが溜まっても、それをじっと抱え込んできた。雨多は感情的になったことを恥じたが、逆に言えば、自制の利かなくなるほどに心の内ではストレスが膨れ上がっていたということじゃないかな? まり花くんのことばは、あくまでもきっかけだ。それに激しい反応をしたのは、少しの刺激で簡単に感情の堰が切れるほどに、雨多の心が疲れていたんだろう」
「……」
プロメテウスの話は、雨多にとって意外なものだった。
自分が我慢強いだなどと、彼女はこれまで考えたことはない。
むしろ、家庭の経済状況が上向き、私立の学校に通う身になったというのに、それを喜ぶことができない自分を、わがままだと思っていたくらいだ。
――はたから見れば恵まれているのに、不満をこぼしても人には理解されないだろう。
心のどこかにそういう思いもあって、彼女はこれまで周囲に本音を明かさずにいた。
学校を移ってからは、本音を打ち明けるどころか、気を張らずに話せる相手もいなかったのだ。――あの日、まり花に出会うまでは。
「わたしの……わたしのしてたことって、我慢だったの? わがままだと思ってた、ずっと」
雨多はぽつりとつぶやく。
それをきっかけに、堰を切ったように彼女は話しだした。
「学校を変わることになったのも、親はわたしのためにそうしてくれたはずで、なのに……わたしはそれがうれしいと思えなくて、わたしはそんなお嬢様でもないし、クラスの子にもどう接したらいいか分からなくて……。別に、今の学校でいじめられてるとかじゃないの。みんなよくしてくれてるの。それでも、やっぱりわたし、気持ち的にはどこか苦しくて……」
まるで、一気に感情を吐き出そうとするかのようだ。
プロメテウスは雨多のことばをさえぎらず、黙してうなずいていた。雨多はさらに続ける。
「でも、周りはよくしてくれてるのに、それって申し訳ないじゃない? クラスの子にお昼誘ってもらって、でもまだ乗り気になれなくて断ったりとかさ。そういうときの気持ちって、ありがたいけど困るし、断ってがっかりさせちゃったかなって思うと気がとがめるし……みたいに、とにかくごちゃごちゃなの。しまいに、何でわたしは人の好意を素直に喜べないのかなって考えちゃって、それにまた罪悪感とか……自分はダメだなって気持ちでいっぱいになる」
唇から流れ出る感情を、雨多は自分でも止められなかった。
思考を通さず表に出されたことばは、まとまりを欠いている。
しかし、自分の口にしたことに、雨多自身も驚かされた。
――わたし、こんなふうに思ってたんだ。
環境が激変して以来、ずっと心に重たさがあることは彼女も感じていた。
ただし、そのモヤモヤした不快感の正体は、これまで自分でも分からずにいたのである。
いや、心に苦しさを覚える自分をわがままだと捉え、その中身をのぞき込むことを雨多自身が無意識に避けてきたのだ。
自分の気持ちが分からなかったという考えを、彼女は修正せねばならなかった。
表現に正確さを期すなら、自分の気持ちを雨多自身が分かろうとしなかったのだ。
彼女にとって、それは驚くべき発見だった。
「状況の何がイヤっていうか、そういう自分がイヤなの。ちゃんとできない自分ってだめだなって、ここに来てからずっと思ってた」
最後にそう付け足して、雨多は疲れたように口を閉ざした。
心の内を明かすことは、エネルギーの要るものなのか、大仕事を終えたあとのような疲労感が彼女の肩にのしかかる。
「雨多は、だめなんかじゃないさ。あなたはずっと我慢して頑張ってきたんだ。頑張って、ついには心が耐えきれなくなるところまで来ていた。膨らみすぎた風船が破裂するように、ストレスで満杯になっていたあなたの心は、今でなくても遠からずこんな時を迎えていただろう」
今回の事態は、起こるべくして起こった。
そう説明するプロメテウスのことばにうなずけるものはあったが、雨多は少しうつむいてしまう。
「わたしの限界だったってこと?」
「そう。雨多、言っておきたいのだが、これは悪い意味でじゃないよ。人に限界があるということで、また自分を責めないでほしい。あなたは十分しっかりした人だが、どうも自分に厳しい要求をしがちのようだ。そして、無理を強いた上に、応えられないと自分を責めてしまう」
「わたしが自分に厳しいって、そんなこと……」
戸惑い顔に雨多が言う。
反論というには頼りない調子だが、彼女には相手の言い分がまだ飲み込めなかった。
表情からその心情を汲んで、美しい少女はゆったりと首を傾げてみせる。
「そうかな? 人は案外、他人に対してはしないような厳しい態度を、自分には取ってしまうことがある。まあ、自分を客観的に見るのは、誰だって難しいものだ」
「……」
プロメテウスの落ち着いた声で言われると、そうかもしれないと雨多には思えた。
相手も同年代の少女なのだが、その並ならぬ風格のせいか、反発する気にならないのだ。
彼女は考える風情で、片手に握ったブレスレットへ目を落とした。
外灯の明かりの外へ目を向け、隣に座る雨多へ言う。
「――雨多、あなたには力があると言ったまり花くんのことばは、まだ信じられないかい?」
「えっ? あ、ああ。今はもう腹が立つってわけじゃないんだけど、う~ん、信じられるかって言われると……。そういうのってやっぱり、あなたやまり花みたいな特別な人にあるものじゃない?」
相手の唐突な質問に、雨多は首をひねりつつそう答えた。
彼女が隣へ目を向けると、プロメテウスの端正な横顔に出会う。
雨多に半面を見せたまま、異能の少女は前を向いてうなずいた。
「そうか。……雨多、話の途中だが、少しここを騒がせるよ。あなたはそのまま、ベンチにいてくれ」
「えっ?」
不意に緊張を帯びた相手のことばに、雨多は不思議そうに声を上げる。
そして、次の瞬間、彼女はっとした。
その鼻先にうっすらと漂ってくるのは、甘ったるい香りだ。
それがあの黒薔薇の不吉な芳香に違いないと察したとたん、雨多の全身が総毛立つ。
「プロメテウス、あの薔薇がいる!」
「そのようだ。ブレスレットを離さないで。大丈夫、私が対処する」
慌てる雨多に対し、プロメテウスは至極冷静だった。
雨多は彼女の視線を追って、外灯の光の輪の外にうごめく蔓があるのを見つける。
日の暮れかけた暗がりでは薔薇の黒は目に付きにくかったが、香りがある以上、そこに花が開いていないわけはなかった。
もしやと雨多は背後を振り返り、そこにも光の届かぬ位置まで蔓と薔薇が忍び寄っているのを見つける。
「いっ、いつの間に? わたし、全然気がつかなかった!」
声をうわずらせる雨多に、プロメテウスは正面を見たまま答える。
振り返りもしないのに、事態をすでに把握しているのか、長身の少女に取り乱す様子はなかった。
「我々のいるベンチを中心に、静かに周囲を取り囲んでいったようだね。やれやれ、人通りがないときでよかった。ワンドを出しても、驚かれずに済む」
そう言って襟元からペンダントを引き出し、プロメテウスはベンチから腰を上げた。
雨多は片手にハンカチを、もう片方の手にブレスレットを握りしめ、固唾をのんで彼女を見上げる。
外灯の明かりに、ペンダントの先についた透明な赤い星がきらりと光った。
それをてのひらに収め、プロメテウスが低く言う。
「――ワンド」
すると、瞬く間に星型の石は姿を変え、装飾のついた杖となった。
杖の端には、あの赤い星を思わせる透明な石が輝いている。
――すごい、やっぱり魔法みたい。
緊張に身をこわばらせながらも、雨多は目の当たりにした不思議に心の中でそうつぶやいた。
超常的なことでは黒薔薇の存在も同じであったが、あのおぞましい怪物とは異なり、プロメテウスの操るワンドは彼女の目に美しいものとして映る。
「さて、誰かに目撃されないうちに、片付けてしまうとしよう」
プロメテウスがそう言って、ワンドを片手に前へ進み出る。
その動きが分かるのか、外灯の光の届かない影の中から、緑の蔓が彼女にとげの生えた腕を伸ばそうとした。
それを見て、思わず雨多が声を上げる。
「プロメテウス、危ない!」
「炎よ、浄化の火よ」
厳かにプロメテウスがそう唱えると、ワンドから赤々とした火が生まれ、襲いかかろうとする蔓に向かって走った。
不思議な火になめられて、とたんに蔓は炭となったようにもろくも崩れて消え去る。
学校のカフェテリアで雨多が初めてプロメテウスの力を目にしたときと、同じ光景がここでも出現した。
プロメテウスがワンドから放つ火が薔薇も蔓も飲み込み、跡形もなく燃やし尽くす。
そして、火は蔓を伝い先へ先へと範囲を広げていった。
全体へと燃え広がった火が、不浄の薔薇を絶やそうと赤く燃え盛る。
――不思議な光景……。
熱を持たない火に囲まれて、雨多に恐れはなかった。
火の放つ赤や朱色の輝きは、彼女にとってむしろ心強く感じられる。
プロメテウスの火は、薔薇や蔓を焼き尽くすとすぐに鎮まった。
辺りを見回し、危険のないことを確かめてから、プロメテウスが雨多を振り返る。
「雨多、大丈夫かい?」
「うん、プロメテウスのおかげで何ともないわ。あなたってやっぱりすごいのね!」
ブレスレットをひっかけた手で、雨多が制服の胸をなで下ろす。
プロメテウスの手の中で、杖が元のペンダントへと戻った。
雨多に向き合う形で、プロメテウスは片手に下げたチェーンの先の赤い星を見て言う。
「確かに、風変わりな能力ではあるが……これも、人の持つ力の一つの形といったところかな。特別という意識はないよ」
「でも……」
プロメテウスは自分を特別でないと言うが、彼女のような能力を持った者が世の中にそういるとは、雨多には思えなかった。
ペンダントを服の下に入れてしまうと、プロメテウスは戸惑い顔の彼女の隣に戻る。
ベンチに腰を下ろして、プロメテウスが口を開いた。
「雨多、あなたはまり花くんがお守りにどういう機能を持たせているか、それを聞いたことはあるかな?」
「ああ、ええと、浄化ができるのよね? 今日その力で、体育館の倉庫での危ないところを助けてもらったの」
プロメテウスがワンドから放った火で浄化をなしたように、まり花から持たされたブレスレットは、光によって薔薇や蔓を消し去った。
倉庫での出来事を思い返して雨多がそう言えば、プロメテウスがうなずいてみせる。
「それも、ある。しかし、私が見たところ、お守りの石は浄化のみを目的に組まれたものではなかった」
「えっ」
プロメテウスのことばが意外で、雨多は目を円くした。
驚いて手元のブレスレットを見やるも、パワーストーンのたぐいに疎い彼女には、石それぞれの効果など分かるはずもない。
雨多の持つ赤い石を配した華奢なブレスレットを指さし、プロメテウスが言う。
「そちらの新しい方だけでなく、最初に君がもらったあのお守り。浄化もそうだが、機能のメインとなっていたのは、持ち主の心を支えることだった。まり花くんは、まずあなたの気持ちを守ることを考えて、石を組み合わせていたはずだよ。雨多の心の安定を図るのが第一、そして次に黒薔薇から身を守るための浄化の機能が必要、といったところかな」
「そう、なの? わたしの心を守るって、まり花が?」
お守りに期待されていたのは、黒薔薇からの防御機能ばかりではなかったらしい。
しかし、そこには身の守りばかりでなく、心の安定まで盛り込まれていたと聞いて、雨多は不思議に感じた。
プロメテウスは思案する顔で視線を横に流し、つぶやくように言う。
「あまり口出しをしては、まり花くんに怒られてしまうかな。雨多、もう暗いし、そろそろ帰ろう。車をこちらへ回させる」
「うん。……あ、そうだ、ハンカチ。洗って返すから」
気にしなくていいとプロメテウスは答えたが、使わせてもらったものをそのまま返すのもためらわれる。
雨多は結局、返すことを約束してハンカチを預かり、ポケットに収めた。
傍らに置いていた学生鞄を空いた手で引き寄せ、もう片方の手にあるお守りも、忘れないように制服の内側にしまう。
その間に、先にベンチから立ち上がったプロメテウスは、迎えの車との連絡を済ませたようだ。
彼女はスマートフォンを上着の内へ戻すと、雨多へ手を差し伸べた。
席を立つのに、自分とそう変わらぬ年の相手からエスコートを受けるのも妙な気分だったが、この長身の美少女がやると様になっている。
雨多は彼女の手を借りて立ち上がった。
雨多が見上げる先には、プロメテウスの切れ長の美しい瞳がある。
相手の整った顔立ちに雨多が覚えるのは、羨望よりも感心の念だった。
何とはなしに見つめ合い、やや間があってプロメテウスが口を開く。
その目には真摯な光が浮かんでいた。
「雨多、あなたは気分を害するかもしれないが、あなたには力があるというまり花くんの見解に、私も同意する。火を操る能力でなくとも、占いに長けているわけでなくとも、あなたには素晴らしい力があるんだよ」
「プロメテウス……」
まり花に続き、プロメテウスにまでそう言われたことに、雨多は驚いていた。
しかし、放課後のカフェテリアでのような激しい興奮は、もう彼女に起こらなかった。
あの場での様子を見て、それでもなおプロメテウスがわざわざ言ってよこしたことが、雨多には気になってくる。
要領を得ない雨多の様子に、彼女がまだ得心できないでいることはプロメテウスにも明らかだったろう。
しかし、美貌の主はそれ以上を言わなかった。
プロメテウスは静かにほほえみ、雨多の制服を指さす。
そこには、まり花から新しくもらったお守りのブレスレットが入っていた。
穏やかな落ち着いた声音で、大人びた少女が雨多を安心させるように言う。
「雨多は大丈夫、私がついているよ。もちろん、まり花くんもね」
――――――――――
「う~ん……」
自宅に戻った雨多は、パジャマに着替えて部屋のベッドにうつ伏せに寝ころんでいた。
もう夕食や入浴、学校の課題などは済ませてしまい、あとは寝るだけの状態だ。
しかし、ベッドの上に腹ばいになり、彼女は難しい顔をしていた。
雨多がのぞき込んでいるのは、手元に置いたスマートフォンの画面だ。
さっきから彼女は、メールを打っては文面をにらみ、ため息をついて文字を消すのを繰り返していた。
メールのあて先はまり花で、雨多は今日の荒れた態度を一言謝りたいと、苦心してことばを考えているのだ。
――謝るのは顔を合わせて直接言いたいけど、明日まで何もなしっていうのも自分が気になっちゃう。
それが雨多の性分だった。
だが、何を書けばいいのかに迷って、さんざん頭を悩ませている。
プロメテウスはまり花が怒ってはいないと話していたが、あんなことがあった相手だ。
雨多もいつもの態度でとはいかなかった。
気を張っていくつも文章を打ってはみたものの、どれもしっくりこず画面から削除してしまう。
一つため息をついてスマートフォンに目を落とし、彼女は次に短めの文章を打ち込んだ。
――今日はきつく当たっちゃってごめんね。明日ちゃんと謝るから。
「もー、これ以上は考えられない! 送っちゃおう」
自分一人の部屋で、気持ちを鼓舞するように大きな声で言うと、雨多はメールの送信ボタンを押した。
彼女がついに送り出したシンプルな文章は、それまで試行錯誤して作っていた堅い長文のものとはだいぶ趣が違う。
けれど、ことばこそ簡素だが、そこには彼女の素直な気持ちがよく表れていた。
送信完了の文字が表示されたスマートフォンを手から離し、雨多はごろりとベッドに仰向けになる。
「あ~、大丈夫かなあ」
相手の反応が気がかりではあるが、もうメールは送ってしまったのだ。
心に引っかかっていた用件を済ませたことで、雨多の気持ちもいったん落ち着く。
今日は感情を激させたり、人前で泣いてしまったりと、慣れないこともあったからだろうか。
一安心したとたん、彼女は急速に眠気を催した。
寝入ってしまわないうちにと、ふらふらとベッドから降りて雨多は部屋の電気を消す。
目覚ましのアラームをかけたスマートフォンをベッドサイドへ置き、今度こそ布団に潜り込んだ。
まり花からもらったお守りも、スマートフォンの隣に鎮座している。
――あ、プロメテウスにハンカチ返すの、忘れないようにしないと。
眠る前のうとうとした意識に、ふとした思案が泡のように浮かんでは消える。
そのうち、雨多は別れ際にプロメテウスから言われたことを思い出していた。
――力、か……。プロメテウスまでそう言ってたけど、わたしにそんなのあるのかな? そんなのがあったら、これまでだって、もっと……。
まり花だけでなく、プロメテウスからも重ねて同じことを言われたが、それでもまだ彼女が昨今抱える無力感を覆すには至らない。
やがて眠気に流されて、まとまらない物思いは意識の彼方へ消えてしまった。
――――――――――
「――どうかしたかい?」
ヘッドフォン越しに聞こえる相手の声にそう問われ、まり花は手元のスマートフォンをいじりながらヘッドセットのマイクへ答えた。
「……ああ、今日のことで、雨多ちゃんからメールが来たの。律儀よね~」
自室で一人掛けのソファに座り、まり花はヘッドセットをつけ、スマートフォンを介してプロメテウスと通話の最中であった。
間接照明の穏やかな光に照らされた室内には、机やベッド、クローゼットが配置されている。
まり花の部屋らしいというべきか、室内の装飾や色使いには、彼女の感性が活かされていた。
まり花が、細い指を口元のマイクへやって言う。
「それで、あなたがウタちゃんに追いついた先で、また黒薔薇が出たのよね~?」
この通話は、プロメテウスからまり花への報告のためのものであった。
雨多と別れてから、プロメテウスはまり花へ、メールで出来事の一通りは知らせている。
さらに、その詳細を口頭で説明するために、こうして連絡の時間を取っていた。
「そう。先にメールで知らせたように、君の考えどおり公園で彼女を見つけた。しばらく話して、雨多も少しは気持ちが落ち着いた頃に、黒薔薇が我々のいるベンチを囲むようにして出現したんだ。とはいえ、こちらの火ですぐに一掃できる程度だったが」
「ウタちゃんは、大丈夫なのよね? アナタがついてるんだもんっ!」
すでにメールで知らされている内容を、まり花はわざわざに確認した。
その彼女の態度をどう取ったか、通話の向こうのプロメテウスは、穏やかに笑ったようだった。
「ああ、彼女にけがはないよ。人気もない公園の隅だったから、すぐに実力行使に出られた。目撃者もない。君のお守りが発動する場面はなかったから、あれはまだ効力を保って雨多の側にある。今日のところは心配しなくていいだろう」
「そうよね! やっぱり頼りになる~っ。アナタにお願いしてよかったわ!」
はしゃいだ口調で言って、まり花は薄いピンクの髪を指先に巻き付けながらことばを続けた。
「でね~、まだ一つ、確認しておきたいのっ。あの黒薔薇が出てきたタイミングなんだけど、ウタちゃんの気持ちが落ち着いた頃に、って言ったわよね?」
「そうだよ。これは必要な情報ではないかと判断して伝えたが、やはり、気になるかい?」
プロメテウスの答えに、まり花は満足げにほほえんで指に巻き付けた毛髪をするりと解いた。
「そうね~。アナタが注意力のあるヒトで、まり花うれしい! ウタちゃんはまだこのコトに気付けないだろうけど~、これまでのパターンから考えると、今回ってちょーっとヘンなのよねっ」
「なるほど……君の言いたいことは理解したつもりだが、その前に一つ確認をさせてほしい」
プロメテウスが優れているのは、容姿ばかりではなかった。
一を聞いて十を知るタイプの相手との会話が楽しく、まり花は愉快げに言う。
「ふふっ、どうぞ!」
「君は、雨多の心と黒薔薇の出現に関連があると考えているんだね。これまでを振り返ると、あの薔薇が現れるのは、雨多の感情が負の方向に大きく傾いた後だった。彼女の心がひどく乱れたときに、あの現象が起こるんだ。それは『必ず』と言っていいほどにね」
「ええ、そうね」
プロメテウスの見解に、まり花は同意した。
「それで~、もっと言うなら、黒薔薇は外から侵入してきたモノじゃないのっ。そもそも学校はまり花が浄化済みのエリアで、そんなトコに不浄の存在なんか、そうそう入り込めるワケないじゃない? で、外からムリヤリ侵入したようなアトも見当たらないんだし~。ウタちゃんの件って、外部からの襲撃じゃないなっていうのは、まり花ずっと思ってたのっ」
「なるほど。それで君は、雨多の側にあの黒薔薇を生じさせる要因があると考えたのか」
「そ! そーいう発想だったの。まり花、ちゃんと見てるでしょ?」
砂糖をまぶしたかのような甘い声音で言って、まり花は笑った。
「しかし……君の言うパターンがこのことを指すなら、今回のケースはそれに外れるものだ。雨多が感情を高ぶらせてから黒薔薇が出現するまでに、過去の例にないタイムラグがあった。だが、それも、その出現を私がただ察知していなかったから、時間差が生じたように見えたという可能性もあるが。まり花くん、君はこの材料からどんな考えを持っているんだ?」
ヘッドフォンの向こうから、プロメテウスの声がそう問うてくる。
まり花は人差し指を立てて鼻の先に当て、うなってみせた。
「んむむ~、ソコなのよね。まり花、現場にいたワケじゃないからハッキリとは言えないけど、ちょっと気になるコトがあって~」
「何だろう?」
「最初にウタちゃんがまり花のトコロに駆け込んできたとき、何もしないでも黒薔薇は消えたわ。ウタちゃんは不思議がってたけど、アレはまり花が手を出したワケじゃないの。自然消滅って言うの~? そういうカンジ」
「自然消滅……」
そのことばに引っかかりを覚えたのか、プロメテウスがおうむ返しに言った。
「アナタはさっき、黒薔薇が出てくるのにはウタちゃんの心が関わってるって言ったけど、だからまり花、逆のコトも考えてたのっ。よーするに、ウタちゃんの関心が離れたら、黒薔薇は存在できなくなるんじゃないかって。最初に会ったとき、逃げ込んだ先でまり花を見つけて、ウタちゃんびっくりしてたわ。それから、まり花と会話して意識がこっちに集中したから、黒薔薇は消えちゃったんじゃないかな~って。浄化とか関係なく黒薔薇がなくなったの、アレが唯一のケースだったはずなの」
「……」
まり花の話に、プロメテウスは黙り込んだ。
話を聞いていないのではなく、何事かを考え込んでいるらしい。
百合ヶ丘の魔女はさらに続ける。




