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 まり花が囮を買って出たことと、黒薔薇の行動には関係があるのだろうか。

 プロメテウスの話すことが、雨多には難しく思えた。

 美貌の少女は面倒な様子も見せず、落ち着いて説明する。


「さっき、あなたを狙ったように見えた黒薔薇の攻撃。あれは、最初から雨多を標的にしたものではなかった。そう私は考えている」


「えっ?」


「雨多、思い出すんだ。まり花くんのお守りを身につけているあなたに手を出して、黒薔薇は以前、痛い目を見ている。そして、学習能力を持った黒薔薇は、お守りを持つあなたに直接の手出しをしてこなかったはずだ」


 このプロメテウスのことばに、雨多ははっとして目をみはった。

 確かに、彼女の言うとおりだ。


「じゃあ、黒薔薇がさっき狙ったのは、本当はわたしじゃない。そうなのね、プロメテウス」


「そう考えている。そして、あなたに危機が迫ったと見て、反射的に黒薔薇の前へ出たのがまり花くんだった。まり花くんは、黒薔薇におびき出されたんだ。お守りの浄化の力に黒薔薇が触れればどうなるか、誰よりも彼女が知っているはずなのに。だが、あの時まり花くんは、頭で判断するより先に、とっさに体が動いてしまったんだろう。黒薔薇がそこまで人の心に通じているかは分からないが、今回のまり花くんにはうまく作用してしまったようだ」


 声を低めてプロメテウスが言った。

 雨多の顔色が目に見えて悪くなる。


「わ、わたしをかばって、まり花が……?」


 ならば、なおのこと、まり花を置いて先に進むことなどできない。

 その意を新たにする雨多に、怒ったようなまり花の声が届いた。


「ちょっと、ソッチ何やってるの~っ。プロメテウス、ウタちゃんをお願いっ! アナタの依頼主は、まり花なんだからねっ」


「――分かった。君から受けた依頼を、忘れたわけではない」


 まり花にそう答えて、プロメテウスは「失礼」と一声かけるなり、雨多の体を両腕にすくうようにして抱き上げた。


 プロメテウスの身長が目立って高いとはいえ、雨多もまさか同年代の少女にいきなり横抱きにされるとは思っていない。

 自分の身が突然に宙へ浮いた驚きで、遠慮のない叫び声を上げた。


「きゃあぁっ!」


 その声に、天井からぶら下がっている黒薔薇が反応する。

 ちぎれかけた首をぶらぶらさせて雨多の方を向こうとした相手に、まり花が挑発的に言った。


「ね~え、コッチ向いてなくっていいワケ? まり花を相手に気を逸らすって、黒薔薇ちゃんケッコーな余裕だと思うケド~。そのスキ、衝いちゃってよかったっ?」


「あなた……本当に、じゃまね。ここから去ってもらうわ……だって、必要がないもの」


「ハッハ~ン、なーに言ってるのかしらっ。ここを去るのは、アナタでしょ~? 言ったでしょ~? まり花は、招かれてココにいるのっ。無断侵入してきたアナタとは違ってねーっ!」


 まり花は狙って、黒薔薇の気を引こうとしていた。

 これがもし、以前の黒薔薇であれば――ただ本能的に雨多を追うだけの存在であったら、このような挑発に引っかからなかったのかもしれない。

 だが、知能が育っていたがために、黒薔薇はこのまり花の挑発文句を受け流すことができなかった。


 改めてまり花へ向き直り、天井から黒薔薇が激しい敵愾心に燃えて吐き捨てる。


「口の、減らない……!」


「アナタ、まり花のコトがジャマなんですって? でも、ソレってお互いサマっ。アナタがウタちゃんを傷つけるなら、まり花は何度だってジャマするわ!」


 黒薔薇が蛇のように蔓をうごめかせて威嚇の体勢を取れば、まり花もカードを手に応戦の構えを見せる。

 一触即発の空気に、雨多はまり花を案じてプロメテウスの腕から下りようともがいた。


「まり花……! ねえ、プロメテウス、下ろして!」


「雨多、暴れては危ないよ。――これが、まり花くんの望みだ」


 雨多が腕の中で身じろぎしても、長身の少女はどういう鍛え方をしているのか、小揺るぎもしなかった。

 彼女を取り落とさず階段を上がろうとするかに見えたプロメテウスだが、彼女は黒薔薇に背を向けると、そこで素早く雨多にささやきかけた。


「雨多、聞いてほしい。まり花くんはこの夢の中で、一貫して黒薔薇との早期決着を訴えている。あなたが迷っている最中であってもね。だが、決着を急ぐのにも理由があるんだ。黒薔薇に知られたくはない情報だから表だっては言わずにいたが、まり花くんとは違い、私には夢の中での活動制限がある」


「活動制限?」


 大きな声を上げかけて、雨多はあわてて声量を落とす。

 黒薔薇の注意を引かないよう気をつけながら、彼女はプロメテウスに尋ねた。


「それって、どういうこと?」


「簡単に言えば、今の私は充電池で動いているようなものだ。君のお守りのブレスレットに、私の火の力が宿っていることは先に言ったろう? 私はそれを中継点にして、ここへ姿を現しているんだ。石が破損するか、または石に宿した火の力を使いきれば、その時点で私は雨多の夢の中にはいられなくなる。私には、まり花君のように夢を渡る技はない。そんな人間をここへ連れてくるのには、こういう形を取らざるをえなかった」


 雨多は自分の手首のブレスレットを見る。

 そこに配された赤く透明ないくつかの石が、プロメテウスの司る火の力を象徴しているのだろう。


 充電池で動いているというたとえに、雨多もプロメテウスのいう制限の意味が飲み込めた。

 彼女が活動すればするほど、お守りの石にチャージされた火の力を消費するということだ。

 そして、石に込めた力の全てを使いきれば、この夢の中に滞在する足場を失って、プロメテウスは退場してしまうことになる。


 そうなると、プロメテウスの言ったまり花の『理由』が何であるか、雨多にも察しがついた。

 彼女は深い息をついて言う。


「だから、まり花は急いでいたのね。プロメテウスの力の残量があるうちに、黒薔薇とのケリをつけてしまいたかったから……」


 そうした事情も知らず、雨多は黒薔薇との早期決着の機会を、みすみす逃してしまった。

 自分のしでかしたことに気付いて、彼女は苦しげな顔になる。

 後悔の念に襲われまり花を見やった雨多は、自分の目にした光景に息を飲んだ。

 黒薔薇が上からよこした蔓の一撃を、護符によってまり花が浄化する。

 しかし、その隙を衝いて、死角から別の一本が彼女を襲ったのだ。

 蔓の先端は護符を持ったまり花の手首を、したたかに打つ。

 思いがけない方向からの一撃に、まり花は苦鳴を上げてカードを取り落とした。


「! まり花っ」


 お守りのカードが床に散らばり、雨多はあわてて声を上げた。

 だが、片腕に蔓を巻き付かせたまり花が、苛立たしげに彼女へ言う。


「も~、ウタちゃん、迷ってる場合じゃないんだってばっ! プロメテウス、行っちゃって~! アナタの依頼主は、まり花よっ。コッチの指示に従うのがスジなんだから~!」


「――確かに、私の直接の依頼主はまり花くんだ。まり花くんの指示を聞くのが道理だな」


 プロメテウスが低く言う。まさか彼女はまり花を見捨てていく気なのかと、雨多が血相を変えて少女の秀麗な顔を見た。


「そ、そんな……でも、まり花が危ないの、ほっとけないよ!」


「雨多、私には力がある。私はその力を、あなたを守るために使うとして、まり花くんから依頼を受けた。依頼を受けた者の責任として、私はあなたを守るという任を全うするつもりでいる」


「……っ」


 筋道立ったプロメテウスの言い分に、雨多は言い返そうとしてことばに詰まった。

 それでも、まり花の身を案じる彼女の気持ちは、理屈だけではとうてい割り切れない。

 プロメテウスに強く首を横に振ってみせ、雨多が感情のままに口を開こうとしたときだ。


「見いつけた……」


 不気味な声が天井から降る。

 雨多がそちらを見やると、まり花も床に散った護符を気にしながら、横目で黒薔薇を見上げた。


「へえ~? 何を見つけたのかしらっ。そーゆーコケ脅しっていうの? まり花には通用しない――」


 緊張感の中でも、口調はいつものまり花のそれを保っていた。

 しかし、まり花のことばを遮って、黒薔薇が突然、声色を変えて彼女に訴えかけた。


「まり花ちゃん、わたしのこと助けてくれないの?」


 それは雨多の知らない少女の声だった。

 彼女たちよりも下の年代のものだろうか、しゃべり方にまだ幼さが目立つ。

 いきなり別人が現れたようで、状況が分からず雨多は戸惑った。

 それに、いったい黒薔薇は何を言い出したのだろうか。


 ――『助けてくれないの』って? 黒薔薇はまり花に何を言っているの?


 だが、面食らう雨多とは違い、まり花は明らかに相手のことばに反応した。

 華奢な体をこわばらせ、百合ヶ丘の魔女が眉根を強く寄せる。


「どうして、それを……」


「まり花ちゃん、あの子のことは占ってくれたのに、わたしにはそうしてくれないんだ」


 崩れかけた顔にゆがんだ笑みを浮かべ、また黒薔薇が不可解なことを言う。

 その声は、さっきの少女とは別であったが、やはり幼げなものだった。


「まり花っ」


 もしかして、と雨多には思い当たる節がある。

 まり花の過去について、先日に今日子から聞いた話だ。

 まり花の連絡先が不特定多数の相手に知れ、トラブルになったこと。

 そして、それがまり花の心の傷となっているらしいとも、雨多は聞き及んでいた。


 黒薔薇はまり花へ新たな蔓を伸ばしながら、知らぬ少女の声色で、さらに相手を追いつめる。


「まり花ちゃんなら、できると思ったのに……」


「やめてっ!」


 ついにまり花が、身に迫る蔓の存在も忘れて両腕で頭を抱えた。

 だが、黒薔薇は笑みに唇を裂いて、様々な少女の声色でまり花をなじる。


 ――まり花ちゃんには期待してたのに……。


 ――なのに、裏切るの?


 ――わたしを、みんなを助けてよ。


 ――まり花ちゃんにはできるのに。占いの力があるのに!


 間違いない、雨多はそう思った。

 まり花の過去を――恐らくは彼女との接触の際に読み取って、黒薔薇は突きつけてきたのだ。

 人の心の傷を利用し、その動揺を誘うなど、知能の発達した黒薔薇は手段を選ばない。


 動揺も露わなまり花に、雨多が鋭く叫んだ。


「まり花、耳を貸しちゃだめっ!」


「でも、まり花は、まり花は――」


 雨多の懸命な声も、今のまり花には届かないようだ。

 当時の体験がよみがえったのか、まり花があえぐように言う。

 目を見張っているというのに、彼女には目前に迫った危機が見えていないようだった。


 プロメテウスが振り返り、その様子に眉根を寄せる。


「まり花くんの様子がおかしい。彼女らしくないな」


「……過去の、傷だわ。まり花、前に占いの力をたくさんの人から頼られて、大変だったらしいの。わたしのクラスの子から聞いた話だけど、まり花はそのトラブルがあって以来、仕事以外で人を近寄らせなくなったようだって……。たぶん、黒薔薇はその記憶を読んだのよ。さっき『見つけた』って言ったの、このことだったんだわ」


 黒薔薇がまり花の心の傷を利用したことを、もはや雨多は疑わなかった。

 彼女は焦った調子でプロメテウスに訴える。


「ねえ、プロメテウス。まり花のこと放っておけないよ!」


「……まり花くんは、あなたを守るためにここを離れるようにと言った」


「プロメテウス!」


 また理屈を繰り返されて、雨多の声がつい非難がましくなる。

 もうこのままではいられないと、長身の少女の腕から逃れようと身をよじった。

 すると、意外にもプロメテウスは自分から雨多を階段に下ろす。

 驚いて顔を見上げてくる雨多に、美貌の少女は優しく言った。


「だが、雨多は……まり花くんを置いては行けないんだね? あなたも、私に課された制限について理解したはずだ。その上で、ここで火の力を使うことを望むんだね?」


「そう! そうよ、まり花を置き去りにするなんて、絶対いや! 黒薔薇がわたしから生まれたものだっていうんなら、余計にこのままじゃいやよ。だって、わたしなら、まり花を傷つけたりしたくないもの。友だちが自分から生まれたもののせいで傷つくなんて、耐えられるわけがないわ!」


 雨多が力強く言い切った。

 彼女の真剣な顔を見つめ、プロメテウスがゆっくりとうなずく。


「友だち、か。ならば、見捨てるわけにはいかないな」


「プロメテウス……!」


 プロメテウスの返事に、雨多の表情が明るくなった。

 その顔を見返し、美しい少女が慎重に尋ねる。


「一つ、あなたの覚悟を問わなければならない。先に雨多は、黒薔薇を排除することをためらった。だが、まり花くんを助けるというのなら、私は黒薔薇を焼き払う。それでも、いいんだね?」


「ええ。黒薔薇の言うことが引っかかって、さっきは思い切れなかったけど……まり花に被害がいくようなら、話は別よ。黒薔薇を倒さなきゃ。力を貸して、プロメテウス。わたし、まり花を助けるわ!」


 問われて、雨多は明快に答えた。

 それに、プロメテウスは深くうなずいて、片手のワンドを構える。


「了解した。まり花くんを助けることが、すなわち雨多を守ることにもつながる。ならば、私が動かない理由はないな。私が黒薔薇の相手をする。雨多、その隙にまり花くんを助け出してくれ。彼女の取り落とした護符で、蔓に対処できるだろう」


「分かった! あのカードね」


 雨多は勢い込んで四階のまり花の元へ駆け下りる。

 そこでは、まさに天井からまり花めがけて、黒薔薇が降下するところだった。


「まり花ちゃんなんか……いなければいい。あなた、ここではじゃまなんだから!」


「――炎よ、浄化の火よ」


 鋭い声がして、次の瞬間には赤く輝く火が走った。

 まり花に襲いかかろうとした黒薔薇に、プロメテウスがワンドを振るって一撃を加えたのだ。

 浄化の火に撃たれて、ぎゃっと声を上げると黒薔薇が床に転がる。

 ちぎれかけた首の上で頭部を不安定に揺らしながら、黒薔薇はぎょろりと目玉を動かしプロメテウスをにらみつけた。

 足下から天井に続く緑の蔓を長く伸ばし、床を這いずる黒薔薇に、プロメテウスが油断なくワンドを向ける。

 そして、まり花の元へ向かった雨多へ、注意を促した。


「まり花くんにつながる蔓は、まだ残っている。気をつけるんだ」


「了解!」


 雨多は床に落ちたカードの一枚を素早く拾い上げ、四階でうずくまるまり花に近づく。

 彼女に絡みつく蔓の状態をよく見ようとしたとき、うねる緑の先端が雨多めがけて飛びかかった。


「きゃっ」


 顔を狙われ、雨多がとっさに体ごと脇に避ける。

 おかげで蔓の直撃を受けずに済んだものの、その先端が雨多の三つ編みの片方をかすった。

 雨多にけがはなかったが、ヘアゴムが切れてしまう。

 だが、ほどけかけた髪が垂れるのもかまわず、彼女は声を張り上げた。


「まり花、しっかりして!」


「や……いやっ!」


 雨多の声に答えず、取り乱したまり花がうわごとめいて言う。

 彼女の意識は、今ではなく過去に向いているようだった。


「取り敢えず、蔓を何とかしなきゃ」


 雨多は片手のカードをつかみ直す。

 蔓がうごめくのを見ると怖じ気そうになるが、気持ちを奮い立てて勝負に臨んだ。

 獲物のようにまり花を捕らえる蔓が、雨多を狙って再度その先端を伸ばしてくる。

 それにもひるまず、彼女は自分から前に踏み込んだ。

 お守りのカードを蔓に押し当てれば、浄化の光が生じて蔓は苦もなく灰になる。

 チャージした力を使いきり、カードも焼け焦げたように変化して、雨多の手からぼろぼろと落ちた。


「まり花!」


 雨多はあわててまり花の体を支える。

 まだ意識ははっきりしないようだが、まり花に絡みついた蔓は完全に撃退できた。

 それを確かめ、雨多がプロメテウスに告げる。


「プロメテウス、やったわ!」


「よし、こちらもあなたに続こう」


 そう言うプロメテウスは、すでに黒薔薇本体を浄化しつつあった。

 彼女の手元でワンドの先端の石が赤く光るたび、不思議な火が生じて人の形を借りた黒薔薇の身を焼く。

 足下から伸びて天井につながった蔓の束も焼き切られ、そこから火が黒薔薇本体を飲み込もうと脚を這い上っていた。


「あ、あ……消えて、しまう。わたし……」


 黒薔薇のような存在にも、命を惜しむ気持ちはあるのだろうか。

 床の上に転がり、おびえたように足下を灰に変えていく火を見た。

 そして、ワンドを手にしたプロメテウスに、つたない口調で訴えかける。


「やめて……わたし、帰りたかっただけなのに。どうして……どうしてじゃまをするの」


「黒薔薇……そちらにも、言い分はあるようだ。しかし、お前の活動で人に危害が及ぶ以上、見過ごすことはできない。生みの親とも言える雨多さえ、そちらのやり方では傷つけてしまうのだから」


 プロメテウスが静かに答える。

 彼女は、黒薔薇に追撃を加えようとはしなかった。

 手出しをしなくても、黒薔薇はじきに浄化の火に燃やし尽くされ灰となることが分かっていたからだ。


 プロメテウスの後ろから、まり花を支えた雨多も黒薔薇の様子をうかがう。

 彼女の視線を知らずに、黒薔薇は取れかけた首を強く横に振った。

 プロメテウスのことばが、異形の存在にとっては心外であったらしい。


「傷、つける……? 違う」


 戸惑いをにじませたその声が、雨多には意外だった。

 黒薔薇の側に、雨多を傷つけるつもりなどまるでなかったようではないか。

 だが、彼女の耳に、黒薔薇のことばは本音として聞こえた。

 一度は夢の中で雨多を追いつめ、彼女に命の危険すら感じさせたというのに、黒薔薇としては危害を加えたつもりはないというのだろうか。


 ――どういうこと?


 黒薔薇の言っていることと、実際の行いが一致しない。

 混乱する雨多の耳に、黒薔薇の細い声が届いた。


「帰りたい……。でも、わたし、帰れない……。要らないって、拒絶、されて……」


 そのことばは、雨多にとってやはり不可解であった。

 彼女の口から、反射的に疑問が転がり出す。


「それは、拒絶したって、わたしが?」


「雨多」


 プロメテウスが雨多を振り返り、少し考えて脇に退いた。

 雨多と黒薔薇の間を遮らないようにという彼女の配慮だが、すぐに雨多を守ることのできるよう、その手にワンドをしっかりと握っている。


 胴体の半ばまでを焼かれながら、黒薔薇は目線を雨多に動かした。

 そして、うわごとのように弱々しくつぶやく。


「わたしは、あなた……あなたは、わたし……」


「……」


 自分と雨多は一体の存在なのだと、黒薔薇は言う。

 そのことばを、雨多は心に繰り返した。黒薔薇について、もしかしたら何か思い違いをしているのかもしれない。

 しかし、それが何なのか、雨多にははっきりしない。


 もやもやとした気分を抱える雨多に、黒薔薇は残り少ないエネルギーを振り絞って、切々と訴える調子で言った。


「帰りたい……要らないって言われても、わたしには帰るところなんて一つだけ……。帰りたいって、わたし、それだけなのに……」


「帰る……?」


 黒薔薇が口にする、その「帰る」という表現も、雨多には意味がつかみづらかった。

 雨多との一体性を重ねて主張した黒薔薇だ。

 ならば、黒薔薇が帰るところというのは、具体的な場所などではなく、雨多を指すのだろうか。


 これまで雨多にとって黒薔薇は、自分の心から生まれたとはいえ、突然に攻撃をしかけてくる不気味な敵だった。

 だが、この夢の中で相手とことばを交わしたことで、彼女は自分の解釈に疑問を持ち始めている。


「ねえ! あなた本当は、わたしを苦しめようとしたんじゃないってこと?」


 これまで黒薔薇が起こした騒ぎも、雨多に危害を加えるため付け狙ったのではないというのか。

 まり花を抱えたまま、思わず黒薔薇の方へ身を乗り出そうとした雨多を、プロメテウスが制止する。


 ついには首から上にまで火の回った少女の残骸を目の端に留め、美貌の主が雨多へ静かに言った。


「雨多、黒薔薇はもう消える」


「忘れ、ないで……わたしはあなた、あなたは、わたし……」


 細い声で、黒薔薇が雨多に告げる。

 そして、赤く燃える浄化の火に飲まれ、瞬く間に灰と化した。

 黒薔薇だったものは人の形を留めぬ姿に成り果てて、残された灰もきらきらと光を放ち空に溶けていく。


「――あっ」


 消えてしまった。その思いが、雨多に我知らず声を上げさせた。

 相手について何かが分かりそうだったのに、それが解明されないままになったという、喪失感もあったかもしれない。


 まり花を助けて黒薔薇を倒す。

 その決意を貫いたことに雨多も後悔はないが、消え去り際に聞いた黒薔薇の声が、あまりに悲しげであったことが彼女の心に残った。


 呆然とした心地で、雨多がぽつりとつぶやく。


「終わった、のね」


「ああ。――いや、しかし」


 雨多へうなずいてみせたプロメテウスが、何が気になったのか、眉根を寄せる。

 だが、彼女がことばを続けるより先に、雨多の腕の中でまり花が小さくうめいた。


「う、ん……」


「まり花、大丈夫?」


 あわてて雨多がまり花の顔をのぞき込む。

 長いまつげを数度上下させて、まり花が目を開けた。

 彼女は、その夢見るような瞳に雨多を捉える。


「あ、ウタちゃん……。まり花のコト呼んだの、やっぱりウタちゃんだったのね」


「え? わたしが何て?」


 まり花が何を言おうとしているのか、雨多が不思議に思って聞き返そうとする。


 しかし、意識のはっきりしたまり花が、次の瞬間勢いよく身を起こした。

 自分が黒薔薇と対峙していたこと、そして危機に陥ったことを思い出したのだろう。

 彼女らしからぬ大声を上げ、目の前の雨多を質問責めにする。


「あーっ、黒薔薇ちゃん! まり花、黒薔薇ちゃんにスキを衝かれて……アレってどうなったのっ? ちょっとっ、ウタちゃん! 三つ編みが片っぽほどけてるじゃな~い? 何でっ?」


「黒薔薇なら、先ほど灰になって消えたよ」


 ワンドをペンダントに戻したプロメテウスが、赤い星のついたそれを首から下げながらまり花へ言った。


 そのことばに安堵するかと思いきや、雨多の想像に反し、まり花が眉をつり上げて言う。


「消えた? 灰になって~? ソレって、プロメテウスの力を使ったってコト~!」


「え、ええ。わたしが頼んで、プロメテウスの火で黒薔薇を燃やしてもらったの。あなたのカードも、さっきちょっと使っちゃった」


 まり花の剣幕に気圧され、雨多がそう答える。

 薄いピンクの髪の魔女は、首を振りつつ口を開いた。


「お守りのカードはいいケド、プロメテウスの火でって……。あーっ、ブレスレットにチャージした力、こんなに使い込んじゃって! 赤い石、もっとあったでしょーっ?」


 ブレスレットをはめた雨多の手首をつかんで、まり花がまた騒いだ。

 言われて雨多もブレスレットを見れば、確かに数個あったはずの赤く澄んだ石が、一つを残して色味を失っているではないか。


 ブレスレットを改めながら、雨多は不思議そうに言った。


「わっ、本当。赤かった石の色が消えてる……。色が残ったのは、一つだけね」


 赤い石の数が、バッテリー残量の表示となっているらしい。

 無色透明に変化した石の分だけ、プロメテウスが浄化の火の力を振るったということだ。


 床に散ったカードの残りを拾ったプロメテウスが、それをまり花へ渡してやりながら言う。


「黒薔薇の撃退には、それだけの力が必要だった。全て使いきらずに済んで、ラッキーだったと言うべきだね」


「おかげで黒薔薇を倒すことができたんだよ。まり花にとっても、いい結果になったじゃない」


 雨多も、まり花の意思に逆らった自覚はある。

 不機嫌そうなまり花に、とりなすように言った。


 だが、雨多のことばはまり花にとって、少し的外れであったようだ。

 どこか人を食ったような百合ヶ丘の魔女が、ふだんの調子を忘れて声を荒げる。



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