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「ウタちゃんからの依頼を引き受けた以上、まり花はウタちゃんがこの先、黒薔薇に悩まされるコトがないようにしたいって思ってるのっ。この件の解決まで、セキニン持って付き合うんだから~! だから、ウタちゃんには、黒薔薇に打ち克つコトをオススメするわ! 黒薔薇は、ウタちゃんから生まれたモノ。アナタが制すことのできない相手じゃないのよっ」


「わたしが……制する……?」


 そうなのだろうか。

 雨多はまり花のことばに、またしても迷いを示した。


 まり花がこれまで自分を助けてくれたことは、言わずもがなだ。

 彼女の能力に疑念を抱く余地などない。

 目に見えない領域の相談役として、雨多はまり花を信頼している。


 だというのに、雨多は彼女が提示する解決に、すぐにはうなずけなくなっていた。


 この不気味な黒薔薇に、悩まされることなく過ごす。

 それが雨多の望みであるのは間違いない。

 夢の中でまで襲いかかられたりするのは、彼女ももう御免だった。

 成長した黒薔薇が、自分ばかりでなく無関係な人までを巻き添えにするなどという未来も、雨多にとり耐えられそうもない。

 だから、今夜この夢の中で決着をつけるというプランに、彼女は賛成したのだ。


 ――絶対ここで黒薔薇と決着をつける! もう怪異におびえて過ごすなんて、いやよ。……でも。


 でも、と胸につぶやいて、迷う自分に雨多は当惑する。

 この件の解決を望む気持ちに偽りはないというのに、敵に打ち克つべきだというまり花の意見に、なぜ自分はうなずけないのだろうか。


 何かを答えなければ。

 雨多がそう思って口を開こうとしたところで、それまで前方に注意していたプロメテウスが短く言った。


「二人とも、そこまでだ。――向こうの様子がおかしい」


 プロメテウスにならい、雨多とまり花もじっとたたずむ異形の少女へ顔を向けた。

 形は今日子を借りているはずであったが、その暗い表情と沈んだ目つきは、本来の少女の印象とはかけ離れている。

 制服の隙間から這い出した緑の蔓が、血の気のない白い肌に巻き付いている様は、おぞましいと言うほかなかった。


 沈黙を守っていた黒薔薇が、カッと両目を見開く。

 仁王立ちになった少女からは、華奢な体躯に似合わぬ力強さが感じられた。


 プロメテウスが両腕を横に伸ばし、左右にいた雨多とまり花を庇って数歩下がる。

 異変の予兆を察したまり花は、手にしていたブレスレットを、素早く雨多に渡した。


「ウタちゃん、このお守りをつけておいてっ!」


「うん」


 雨多からも腕を伸ばし、お守りのブレスレットを受け取って手首に通す。 


 唇からしゅうしゅうと呼気を漏らしていた少女が、黒い花弁を吐きながらささやいた。


「じゃまを……しないで」


「ん? 何か言ったようだわ」


 小さな声を聞き取り損ねて、雨多が二人に注意を促す。


「ここから……出ていって!」


 顔や体に黒い薔薇の花をまとった少女が、激して叫んだ。

 その声に応じるように、雨多たちの傍らの地面が盛り上がる。

 雨多が後にしてきた校門側の土が、波のように立ち上がった。

 先ほどまでは地面であったものが、一瞬にして土の壁になる。


「避けるぞ。ジャンプするんだ!」


 鋭く一声発し、プロメテウスが長い両腕で少女たちの肩を抱えて跳んだ。

 間一髪で、彼女たちの立っていた位置に、波の崩れるように土の塊が落ちてくる。


 連れ立って校舎側に転がり、辛くも難を逃れた雨多は、地面から身を起こして呆然とつぶやいた。


「地面を持ち上げるって、黒薔薇にこんなことができたの?」


 彼女の過去の体験では、敵は蔓による直接攻撃を主としていた。

 雨多も蔓に締め上げられたことはあったが、今回のように何かを利用した間接的な攻撃となると、記憶にない。 


「なーるほどね、蔓か~。黒薔薇ちゃんってば、ヤケに静かだと思ったら、こーんなコト仕込んでたんだ。ずいぶん大がかりなコトしてくれるじゃなーい!」


 制服の裾を払って立ち上がり、まり花が華奢な両肩をすくめて言った。


 崩れた土壁の跡で、うごめく多数の影がある。

 蛇がのたうつ様とも見えたが、そのロープ状のシルエットは雨多らにとってなじみのものだった。

 緑の蛇を思わせるそれは、まり花の言うとおり黒薔薇の蔓である。


 こちらも素早く立ち上がったプロメテウスが、油断なく片手のワンドを取り直し言った。


「蔓も一つ一つならその力は大したものではないが……成長の早さを活かし、数を力に変えたのか。集まって地に潜り、地面ごと動かして我々に襲いかかるとは」


「う、動いてる……」


 大量のウナギを入れた生け簀をのぞき込めば、このような光景が見られるのかもしれない。

 蔓の一本一本が勝手に身をうねらせる様に、雨多の背筋が粟立った。


 プロメテウスが注意深く蔓を見つめ、雨多らへ注意を呼びかける。


「気をつけるんだ。蔓はまだ活力を失っていない。地中で、あの少女とつながっているようだな」


「出ていって――出ていって! ここに必要ないのは、あなたたちなのよ!」


 黒薔薇である少女が、唇から花片をはらはらとこぼしながら叫ぶ。

 『あなたたち』とは、ここでもやはり、まり花やプロメテウスを指すのであろう。

 黒薔薇にとり、当事者は雨多と己のみで、他の二人は部外者の扱いだった。

 二人の妨害に遭って、黒薔薇は雨多への接近が果たせずにいる。

 そのことへの不快と憤りを、異形の少女はつたないことばで繰り返し訴えていた。


 崩れて荒れた地面の上では、大量の蔓が土くれを振り落とし、異形の少女の周囲に集まってゆく。

 とげの植わった蔓の渦が、雨多の見る前で一つの形を取り始めた。

 それは、肘掛けや背もたれを備えた、一人掛けのいすを思わせる。

 黒薔薇がそこに腰掛けると、地中から伸びる蔓の束を支持体に、まがまがしい玉座が宙に浮かんだ。

 少女の足が中に浮くと、その靴底からも蔓が伸びて地に潜っているのが雨多にも見て取れる。


 雨多たちよりも高い目線から、黒薔薇の少女が優位を確信したか、ゆがんだ笑みを浮かべる。

 その唇から勢いよく黒い花びらがこぼれると、足下から地へ潜る蔓の束が、いっそう活力を増したようだった。


「こうやって、わたしたちの気付かないうちに地面に蔓を送り込んでいたのね」


 雨多が手の甲で額に浮かんだ汗を拭う。

 黒薔薇が唇から花びらを散らすのを目の前で見ても、彼女はただ不気味だとしか思っていなかった。

 だが、絶えず花が開いたのは、見えない所で黒薔薇が盛んに蔓を伸ばしていたためであったのだ。


「雨多、ここは私が出よう。相手には数の力がある。これ以上やっかいな存在にならないうちに、焼き払ってしまった方がいい」


「そーよ、黙って見てるコトないんだものね~! せっかくプロメテウスっていう優秀なアタッカーがいるのに、手をこまねいてちゃモッタイナイわっ」


 プロメテウスとまり花が、そろって雨多に決断を促す。

 地中に蔓を巡らせ土壁のように立ち上げてみせるなど、黒薔薇は密かに力を増していた。

 黒薔薇を浄化の火で焼くには、相手の成長があまりに進んでからでは不利だ。


 雨多にも、二人の意見は理解できる。

 そして、それが何より雨多のためであることも、はっきりと認識していた。

 だというのに、彼女の返事は歯切れが悪い。


「そ、それは……そう、よね」


 煮えきらないことばの後で、「だけど」と思わず続けそうになり、雨多は自分でも気持ちを持て余して口を閉ざした。

 心強い味方が最善の方途を示してくれているというのに、それにすぐにはうなずけないのは、どうしたことだろうか。

 自分の心がままならず、雨多は混乱する。


 その混乱に拍車をかけるように、プロメテウスたちが彼女に明確な決断を求めた。


「雨多、どうする?」


「ウタちゃん! プロメテウスにはできるわ! でも、ゴーサインを出すのは、ウタちゃんじゃなくちゃダメなのっ」


「わ、わたしは……」


 今すぐ何かを答えなければいけない。

 その状況が、雨多をさらに焦らせた。


 黒薔薇をすぐにでも攻撃できる状態でありながら、プロメテウスらが雨多の決断を待つのは、彼女を尊重してくれているからだ。

 この一件の解決に、主体である雨多を蚊帳の外にするわけにはいかない。

 黒薔薇に攻撃の届く距離で、即座に相手を焼き払ってしまえる場面でも、二人はその方針を覆そうとはしなかった。


 プロメテウスが雨多の号令を待って、片手のワンドを握り直す。

 地上で高まる緊張を感じ取ったのか、緑の玉座から黒薔薇が下界をにらみつけた。


「――また、わたしを痛めつけようというのね。わたしを、いじめるというのね。わたしが灰になって散り去れば、あなたたちはそれで満足なんだわ……」


 雨多の記憶を持ち、実際にプロメテウスが黒薔薇を焼き払う場にもいた異形の少女は、浄化の炎になめられた身の行く末にも詳しいようだった。

 すでにその口調は、雨多の頭にある今日子のものではなかった。

 黒薔薇としてのしゃべり方は、雨多の耳にどこか幼く聞こえた。


「え~? まり花、その言われようは心外ってカンジ~。ウタちゃんを守るなら~、ウタちゃんに迫る危険を除くのはトーゼンのコトじゃないっ? 黒薔薇ちゃん、アナタ、イジメられっ子ぶるにはケッコーな悪さしちゃってるのよね~」


 まり花が両肩をすくめ、やれやれと頭を振ってみせた。

 相手が異形の少女であろうが、宙に浮いてみせようが、百合ヶ丘の魔女を恐れ入らせることはできないようだ。


 魔女のことばは、黒薔薇の感情らしきものを刺激したらしい。

 唇の端から蔓の先を牙のようにのぞかせ、異形の少女はまり花に険しい顔を向けた。


「人間くさいものだな」


 その様子を見て、プロメテウスが低くつぶやきを漏らす。

 彼女の傍らで、雨多はそれに黙ってうなずいた。


 何が、とは言わずとも雨多には分かる。

 黒薔薇についてだ。

 雨多の心から生まれたとはいえ、これまでは外見といい能力といい、黒薔薇を人間とはかけ離れた存在だと見てきた。

 だが、物言わぬ花や蔓ではなく、人の姿を取りことばや表情を得た相手を前にすると、彼女たちの感じ方も変わってくる。


 見かけは変わっても、黒薔薇は奇怪な襲撃者、倒すべき敵であるはずだ。

 宙に浮かぶ緑の玉座と、そこに腰掛ける少女を見上げ、雨多が苦しげにささやいた。


「わたし、迷ってちゃだめなのに……けど」


「雨多――」


 小さな独り言を耳で捉え、プロメテウスは秀麗な面を雨多に向ける。

 だが、彼女が何かを言いかけるより先に、空中から雨多へ呼びかける声があった。


「ねえ」


 黒薔薇は、まり花を無視することに決めたらしい。

 蔓の座から、まっすぐに雨多を見下ろしていた。

 先ほどまでの不満げな表情を消し、薄い笑みさえ浮かべてみせる。

 ふふっと笑うと、薔薇の甘い匂いが辺りに漂った。

 嗅いだ者の意識をとろかすような、危険な香りだ。


「わたしは、じゃま者を除くことができるのよ。わたしには、できるの。わたしにはできるから、要らない子じゃないから、だから……認めてくれる?」


「……え? 何を言っているの?」


 黒薔薇がつたなく話すことばが、またしても雨多の心を揺らす。

 敵との意志の疎通は不要だと、彼女は先にまり花から言われていた。

 それでも、異形の少女が口を開くと、雨多が思ってもみなかったような発言が飛び出し、雨多の心に引っかかるのだ。


 ――認めるって、何を? 黒薔薇は、何を言っているの?


 黒薔薇は、これまで雨多を付け狙い、危害を加える存在であった。

 だが、本当に相入れない敵なのだろうか。雨多の心には迷いがあった。

 得体の知れない相手ではあるが、もしかして黒薔薇は、雨多に何かを伝えたがっているのではないか。

 彼女にはそう思えるのだ。


 ――あなたは、何かを言いたがっているの?


 雨多がそう黒薔薇に尋ねてみようとしたときだ。

 異形の少女は緑の玉座で胸を反らし、昂然と言い放った。


「じゃまな者は、いなければいい! 去りなさい! ここにあなたたちは必要がないのよ!」


 相手の気迫に、雨多には吹いてもいない風の圧力を感じた。

 裂けんばかりに引き上げた黒薔薇の口の端から、牙ならぬ蔓の先端がちろちろとのぞく。

 次の瞬間、異形の少女の左の目玉が、前触れもなくボロリとこぼれ落ちた。


「あっ!」


 あまりのことに、雨多が一声上げて絶句する。

 対してまり花は冷静な目で相手を観察し、のんびりと言った。


「ワ~オ! 薔薇人間、ってカンジ」


 プロメテウスも表情を厳しくし、黒薔薇の変貌を注視する。


 黒薔薇の顔から突然に眼球が落ち、次には空いた眼窩から黒いつぼみが顔を出した。

 内側からつぼみに押され、左の目玉はあえなく落ちてしまったようだ。

 見る間につぼみは膨らみ、まがまがしい大輪の薔薇の花を咲かせる。

 威嚇をするようにも、いびつな笑みのようにも見える引き上げられた唇からは、絶えずはらはらと闇色の花びらがこぼれ落ちていた。


「あ、きょ、今日子さんが!」


 見慣れた人の顔が崩れる様に、その正体を知っているはずの雨多も、動転してそう口走る。

 顔から血の気を引かせた彼女の肩を、プロメテウスが力強く抱いた。


「落ち着くんだ、雨多。分かっているだろう。あれは、あなたのクラスメートではない」


「う、うん……」


 美貌の主のやや低い声に我に返り、雨多がぎこちなくうなずく。


 油断なく黒薔薇を見上げていたまり花が、蔓の座から降りやまない黒い花弁に、片方の眉をひょいと動かした。

 彼女は顔を上へ向けたまま、片腕を伸ばして雨多の肩を押す。


「のんびり絶句してる――っていうのもヘンだけど~、ウタちゃんには、好きなだけボーゼンとしててもらうワケにはいかないわっ。逃げましょう! 黒薔薇ちゃん、仕掛けてくるわよっ」


「走れ!」


 まり花のことばに、すぐに行動に出たのはプロメテウスだった。

 しきりに花を咲かせる黒薔薇に危機感を抱いていたのは、彼女も同様であったらしい。

 雨多はプロメテウスに肩を引き寄せられ、「わわっ!」と驚きつつも走り出す。

 彼女たちが足を向けたのは、土の荒れた校門側とは反対の、校舎のある方向だった。


 どうかしたの、と雨多が二人に尋ねる暇もなく、背後で異様な音が立つ。

 一呼吸も置かず、さきほどまで彼女たちが立っていた地点が割れ、噴き上がるように蔓が立ち上がった。

 攻撃の第二波だ。それを見て雨多も、やっと思い出した。

 黒薔薇の花が咲くとき、その蔓もまた成長しているのだということを。


「わ~お。黒薔薇ちゃんて、ケッコー派手好きよね~」


「ねえ、どこに行くの? とりあえず、黒薔薇から離れればいい?」


 きゃらきゃらと笑うまり花のような余裕は、雨多にはない。

 せっぱ詰まった調子で彼女が尋ねると、隣を走るプロメテウスが重い声で言った。


「さて、距離を取ってそれで解決すればいいが――」


 彼女のことば途中で、背後から再び地面の破壊される音がした。

 雨多がおそるおそる肩越しに後ろを見ると、また新たに地中から蔓の束が顔を出し、上へ向かって伸びるではないか。

 そして、黒薔薇は雨多の予想もしなかった行動に出た。

 自分の足場である蔓を伸ばし、緑の玉座ごと校舎側へ移動し始めたのだ。


「ま、まさか……」


 雨多があえぐように言った。


「こっちへ来るつもりなの?」


 この見解はおおよそ当たっていたが、黒薔薇は雨多が思うよりも、さらに知恵を育てていたに違いない。

 宙を移動する蔓の座は、地から突き出た蔓の柱に乗る。

 と、またその先の地が突き破られ、さらなる蔓の束が上へと伸び始めた。


「大した発想だな。黒薔薇は、自分で足場を作っている」


 走りながら後ろを振り返り、プロメテウスが言った。

 彼女の見解を裏付けるように、柱に成長した蔓の一群の先へ、黒薔薇の座る玉座が宙を滑るように動く。

 黒薔薇は、進行方向に蔓の束を柱のように伸ばし、その支柱を伝って雨多たちを追うつもりなのだ。


 こんなときでも、まり花のコメントはどこか緊張感に欠ける。


「う~ん、距離を取ったからダイジョーブとも言えなくなっちゃったわ~」


「冗談じゃないわ。これがもし現実でのことだったら、学校がめちゃくちゃになっちゃう! 相手がここまでやるなんて……。わたしがさっき、さっさと決断しなかったから」


 黒薔薇の能力と執念を目の当たりにし、雨多はさっきまでの迷っていた自分の頬を張りたくなった。

 まり花もプロメテウスも、早々に黒薔薇を焼き払うべきだと意見したではないか。

 大変な判断ミスをしてしまったと、後悔で雨多の顔が青くなる。


 動揺を隠せない雨多に、プロメテウスが励ますように言った。


「雨多、今は走るんだ。――校舎が近い。どうする? 校舎の内に入るか、このまま突っ切るか」


「突っ切ったら、向こうは校庭よ~。でも、校門側を遮断した黒薔薇ちゃんの様子から見て~、たぶん校庭に出ても、蔓で通行止めされちゃいそうなカンジなのよねっ。蔓が地面の中を進む速度も、ヤなカンジに速いわ!」


 薄いピンク色の髪を揺らし、まり花が分析する。

 プロメテウスが冷静に言った。


「校庭側に出ても、最終的には校舎内へ追い込まれそうだ。黒薔薇の狙いは、我々を狭い場所に行かせることらしい。以前、夢の中で雨多を追いつめたときの成功体験を、向こうはなぞろうとしているんだろうな」


 三つ編みを振って、雨多は唇を噛んだ。

 余裕があるなら、しゃがみ込んで頭を抱えたいところだ。

 半ばうなり声を上げ、彼女は二人に言った。


「どちらを選んでも、結局は校舎に逃げ込むことになるし、黒薔薇はそこでわたしたちを締め上げるってことよね?」


「そうなる。しかし、今は選択しなければならない。どっちを選ぶ、雨多?」


「ウタちゃん、どーするの~?」


 プロメテウスとまり花が、雨多に判断を促す。

 走る少女たちはどんどん校舎へ近づいており、背後からは地面の割れる不吉な音が立つ。

 雨多に背後を振り返る余裕はないが、緑の玉座に座った異形の少女は、黒い花びらを盛んに吐き散らしているのだろう。


 追われる身の雨多は、とても落ち着いて判断を下せる精神状態にない。

 一度判断を誤ったこともあり、いっそ二人に選択を任せてしまいたくなる。

 だが、それではいけないのだ。この一件の主体は、あくまでも雨多である。

 それは彼女も承知していた。


 迷っていては、黒薔薇に追いつかれてしまう。

 校舎を目前にして、雨多は二人に言った。


「校舎に入るわ! それで、屋上に上がる! 教室とか、狭い所に籠もるのはダメよ。籠城なんて窓が破られたら終わりだし、そうなったら後は、薔薇と蔓で空間を埋め尽くされちゃう!」


「了解」


「よ~っし、行っきましょう!」


 三人は校舎のエントランスホールに突入した。

 夢の中でも雨多の見慣れた下足場は健在だったが、あいにくと靴をはき替えている場合ではない。

 少女たちは土足のままで廊下を走った。


「二人とも、屋上まではどうやって行くんだ? 私は校舎内のことには詳しくない」


「あっ、そうよね。プロメテウスはうちの生徒じゃないし」


 プロメテウスの疑問に、雨多は当たり前のことを思い出した。

 校内のカフェテリアに出入りしても、この美貌の主は百合ヶ丘女学院の生徒ではない。


 人気のない廊下を走りながら、まり花が代わって答える。


「シンプルなコースよっ。校舎中央にある階段を、グルグル上っていけばいいんだから! それにしても、ウタちゃんは春からの編入なのに、よく屋上なんて思いついたわね~」


「うん。こっちに移って早々は、クラスにいても落ち着かなくて……。時間つぶしに校内を見て回ったりしたの。図書館も静かだったけど、屋上付近はもっと人がいなかったわ。それで、驚いたんだけど、ここの屋上って施錠されてないのね」


 雨多の記憶では、頑丈な扉は重いが鍵はかかっておらず、横に滑らせれば開く。

 まり花の説明によれば、学校の歴史上、屋上に関するトラブルが一度もなかったからだということだった。


「ココもウタちゃんの記憶からできた建物で、実際の校舎とはちょ~っと細かいトコロが違ったりするケド……本人が行ったコトあるんだし、屋上までのルートは再現されてるんじゃない?」


 そうまり花が言ったとき、彼女たちが後にしたエントランスホール方向で、地面を揺るがす音が立った。

 それが、地面を突き破って蔓の柱が立ち上がったためのものだと、三人には確かめなくても分かる。

 恐怖に心臓をつかまれ、雨多がうわずった声で言った。


「来たっ!」


 黒薔薇の接近を知らせるサインに、彼女の鼓動が速くなる。


 ――追いつかれたらどうしよう。


 ――走らなきゃ、でも逃げきれるの


 ――そもそも、わたしの判断って正しかったのかな?


 今さらながらに繰り言が頭の中を駆け巡り、雨多の気力を削ぐ。

 自分の下した判断に、彼女も絶対の自信などなかった。

 この局面で何を選ぶのが正しかったのかは、雨多の方が教えてほしいくらいだ。


「二人とも、わたしの考えが間違ってたらごめんね」


 苦しげに雨多がそう言えば、まり花が勢いよく彼女に顔を向ける。


「なーんで! ウタちゃん、まり花はウタちゃんの判断にモンクなんてないわっ」


「私もまり花くんに同感だ。この場であなたの判断に勝るものはない。雨多、選択肢を選び採ったからには、後は迷わず進むことだ。」


 まり花が、プロメテウスが力強く雨多を励ます。

 二人のことばに冷静さを取り戻した雨多は、三つ編みの揺れるほどに頭を振り、「うん」とうなずいた。


 今さら後悔している場合ではない。

 何であれ行動しなくては、雨多も、彼女だけでなくほかの二人も、一巻の終わりなのだ。


「じゃま者は……除くわ。逃げても、むだ」


 暗く、うつろな声が三人の背後から聞こえる。

 思わず肩越しに後ろを見て、雨多は自分の目を疑った。

 蔓の玉座と共に移動していたはずの黒薔薇が、単身で廊下を飛ぶように追ってくる。

 そして、クラスメートの今日子を模した姿はそのままだが、失われたはずの左の目が、何事もなかったかのように元に戻っていた。


「黒薔薇が追ってくるわ。座ってたいすがないの。それに、目が……左目が、戻ってる!」


「あ~ら。さっきはボロッと見事に落ちたものだけど、眼球が再生したのかしらね~? あのイス、装飾過多っていうの? けっこーデコラティブだったもの。校内じゃ動きづらいから、乗り捨てたのかしらっ」


 まり花も後ろを振り返り、黒薔薇について推察する。

 素早く異形の少女を観察し、プロメテウスがいぶかしげに眉根を寄せた。


「人の姿を借りたとはいえ、元は黒薔薇だ。視覚に頼る必要もないだろうに……なぜ左目を復元したんだろうか」


「分からない! でも、わたしたちを追いかけてくるのは、変わらないみたいね」


 雨多が泡を食って言う。

 追跡者が目に見える距離に迫ったという事実が、彼女にプレッシャーを与えていた。

 緊張感に負けて、つい泣き言が出る。


「それにしても、いすから降りたなら足を使えばいいのに、飛んでくるなんてズルくない? こっちの方が絶対不利だもの」


「ウタちゃん、テンパってる場合じゃないわっ。階段よ!」


 彼女たちの行く手に、目指す階段が見えた。

 プロメテウスが鋭く確認する。


「あれを上がっていくんだな」


「ええ、そう――きゃあっ!」


 返答しようとして、雨多が突然に声を上げる。

 階段を目前にして、その入り口に当たる部分の床から、蔓が噴き上がったのだ。

 屋外の地面であろうが、建造物の床であろうが、苦もなく破るほどの力を蔓の集合体は備えている。

 その威力に雨多がぞっとすると、後ろから異形の少女の声が追ってきた。


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