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公子は、日を改めてゴメス家を訪問した。
公爵夫人の件は一件落着してすっかり大人しくなったこと、その節は大変世話になったと、わざわざ礼の品を持参していた。
ゴメス家には人形を作るためにかなりのお金を使わせたというのに、将軍は金銭を受け取ってくれないと少し嘆いた後、公子はわざわざ取り寄せたという珍しい品を差し出した。
「南方でしか取れないという果物だよ」
それは、グロリアが初めて見るものだった。色は黄金のように黄色くて大きな人の手のような形をしている。
「名をバナナという。手で簡単にむいて食べることが出来、濃厚で柔らかく芳醇な味わいだ」
房から一本ぽきりともいで、公子はグロリアの父へと差し出した。微妙なカーブを描く果物を握って、父親はどう食べていいか分からないようで首を傾げた。
更に公子は、長兄へ次兄へ、そしてグロリアへと渡す。ナイフのように握りやすい形だ。彼女は手の中にあるそれを見つめた。
そして公子の指導の元、ゴメス家の面々はその珍しい黄金色の果物の皮をおそるおそるむいた。中から現れる白い実。
「そのままどうぞ」
笑顔の公子にいざなわれ、ゴメス家の四人は同時にぱくりとバナナにかぶりつく。
何と柔らかく、不思議な味わいだろうかとグロリアは目を見開いた。
追熟したような甘みと、なめらかな舌触り。口の中でとろけていくその果物のおいしさに、思わずグロリアは家族を見た。父や兄たちもまた、驚いたような目で互いを見ている。
最初に食べ終わったのは次兄だった。中身を失って力なくぷらんとぶら下がる皮を寂しげに見つめていた。
全員が食べ終わった皮をぷらんとぶらさげた状態で、なんとも言えない物寂しさを味わう。房にはあと三本残っていたが、まだゴメス家には母と末の妹がいる。彼女らの分を取っておくと、残りはあと一本。全員がその計算をした直後。
次兄は言った。
「兄上、どうぞ!」
「そうです、お兄様どうぞ」
グロリアも弾かれたようにそう告げていた。今回、一番ゴメス家で苦労したのは長兄である。それは誰もが認めるところだった。まだ戻りきらぬそのやせた身に、きっとこのバナナは良い栄養になってくれるだろう。父をちらりと見ると、父もまたうむと頷いた。
最後の一本のバナナをめぐるゴメス家の心温まる光景を、公子は楽しそうに、そして少し寂しそうに見ていた。
父と兄たちとバナナが部屋を出て行き、応接室には公子とグロリアだけが残った。グロリアはまだ皿の上に残るバナナの皮を見ていた。これを植えたら、バナナの芽が出ないかしら、と。
「あーあ……もうお前にあの姿を見せたくなかったのにね」
向かいの席を立ってグロリア側に回るや、公子は少しふてくされた顔で彼女の隣へと座った。突然こんな近い距離に座られるとは思わず、グロリアはバナナの皮のことを忘れてどぎまぎとした。
「大丈夫です。お綺麗でした!」
慌てた彼女は、それでも背筋をシャキンッと伸ばして精一杯公子をフォローしようと言葉を尽くした。
それは勿論──逆効果だった。
隣の公子は、がっくりと肩を落としたのだ。
「あのねグロリア、僕はもうお前に男の僕だけを見て欲しいんだよ」
やめたはずの女の姿でグロリアの前に出るのを、本当に公子はいやがっていた。これほど美しければどちらでもいいのではないだろうかとグロリアは思うのだが、本人はそうはいかないらしい。
上手な言葉を探せずにもじもじしていると、公子ははぁとため息をついた。
「いいよ、もう。しかしお前の上の兄はすごい人だね。頭も切れるし強くて度胸もある。若くして宰相補佐官をやっているだけのことはある。勿論、他の家族も素晴らしい。僕はお前を大事に思っているが、今回お前の家族もとても大事に思えるようになった」
「そ、それは光栄です」
「僕は必ずお前を妻にして、そしてお前をお前の家族ともども幸せにしたいと思うよ」
「あの、公子さま」
グロリアは、彼の言葉が半分しか頭に入っていなかった。
「公子さま……お顔が、近い、です」
一言しゃべるたびに、公子の顔が近づいてくるせいだ。
「実は、僕はまだバナナを食べていないんだよ」
間近すぎる距離で、公子が微笑む。美しい金の公子の直撃弾をグロリアは身をそらしてかわそうとしたが遅かった。
彼女は己の口の中にあるバナナの残り香を、公子に奪われてしまったのだった。
その後、王宮でいくつか変わったことがあった。
ひとつめは、王女が隣国へと嫁いで王宮からいなくなってしまったこと。
ふたつめは、宰相補佐官の身体が元通りに戻ったこと。
みっつめは、王女はゴリラの人形を一体だけ隣国へ連れていったこと。そのため、九体は王宮へ残された。
ゴリラの人形は、王女の置き土産として王宮のあちこちで椅子に座って警備をすることとなった。
日によって座っている場所が違うので、王宮を歩く者たちはゴリラに出会うとその日何体出会ったかを人と自慢しあうようになった。
時折、出会うゴリラの数が十体以上になる場合がある。しかし、それは決して間違いではなかった。王宮には、人形のゴリラ九体の他に、それに大変よく似た三人の男たちが勤めていた。ごくごくまれに現れるもう一人を加えて、最高で十三。
この十三の全ゴリラと一日で会えた幸運な人間は、ゴメス家の人間を除いてただ一人──金の公子だけだった。
『終』