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公子立会いの元、グロリアは見合い相手と模擬戦をすることになった。
事情を聞いた父親は、頭を抱えた。長兄は眩暈を覚えたようだ。次兄はそんな二人を「模擬戦ですから」となだめた後、グロリアの方を振り返った。
「グロリア、お前は剣の腕はなかなかかもしれないが、自分が女性であることは忘れないでおくれ。みな心配している。まあ、気持ちは分からないでもないが」
ため息をつきながら、同じ武の脳を持つ兄に諭されてグロリアは胸が痛んだが、それでもやると決めたことを彼女が翻すことはなかった。
グロリアは、公子が借りた訓練場の真ん中でついに剣を抜く。将軍の孫は、前に立たれるととても大きく威圧感があった。しかし、深呼吸をして剣を握る。公子はそんな二人の横で、苦い顔をしながら立っていた。
グロリアは頑張った。正々堂々戦った。
そして──負けた。グロリアは「おさすがです」と、文字通り兜を脱いだ。手がじんじんと痺れている。やはり、男性と比べるとどうしても力が足りなかった。向こうも軽く手をさすっているところを見ると、彼女もまたそれなりにしびれさせることは出来たようだ。
しかし、結果は結果だ。グロリアは出し切った。おそらく、このような強い女は嫁に欲しいとは思うまいと彼女が思っていた直後。
「じゃあ、次は僕の番だよね」
すらりと剣を抜く公子。さきほど彼女に勝った武官へ、よどみない足取りで向かって行く。
「こ、公子さま!?」
彼女は驚きに声がひっくり返った。
「もともとこれは僕が売った決闘だよ? グロリアはもう満足しただろう? じゃあ今度は当然僕が出るさ」
彼が最初からその予定だったことは、明白だった。そして、公子は更に続けた。
「お前は相手を理解するために剣を合わせると言ったね。僕は違うよ。僕は、奪うために剣を合わせるんだ」
振り返りながら悪い笑みを浮かべる顔を、グロリアはこれまで見たことがなかった。男の姿で剣を持つ姿を見るのも、これが初めてだ。
あれほど見慣れていたはずの公子の剣を、しかしグロリアはハラハラしながら見守った。ある瞬間では、思わず手で顔を覆ってしまったくらいだが、指の間がほどよく空いていたので完全に見ない、までには至らない。
火花が出るほどの力と力のぶつかりあいに、彼女は指を開いたり閉じたりしながらも何とか見つめ続けていた。一瞬、力負けしたかのように公子の態勢が崩れそうになった瞬間。
「公子様、がんばって!」
こらえきれず、グロリアは大声を出していた。片膝をつきながらも、公子は剣を受け止め、すぐに弾き返した。
それからの公子ときたら、水を得た魚のように笑みすら浮かべながら激しく剣を振るったのだった。
「お前が応援してくれるのは嬉しいものだね」
相手の剣を弾き飛ばして勝利した公子と共に自宅へ向かうグロリアは、大変複雑な気持ちを抱えていた。このまま公子はグロリアの父親に直に申し込むと言うのだ。
将軍の孫は、落とした剣を拾い上げながら苦く笑って立ち去ろうとした。グロリアが慌てて言葉を尽くそうと足を踏み出しかけた時、彼自身が「もう結構。十分伝わりました」と、静かに背を向けられる。
そういう経緯もあり、グロリアはまだ自分の結婚について浮かれる気分には到底なれそうになかった。しかし、公子はその気のようだし上機嫌である。
「あの…早くはありませんか?」
往生際悪く、グロリアは彼の歩みを止めようとした。
「グロリア……お前は何歳だい?」
しかし、公子は歩みも止めなかったし、言葉も止めなかった。
「……24です」
答えながら、グロリアは肩を落とした。自分が言った「早い」という言葉が、どれほど間抜けなものであったかを十分に思い知ったところだ。
公子の言葉は、彼女を墓穴に突き落とすためにあるかのように思えた。しかし、彼は墓穴に落ちそうなグロリアの手を取って引き止める。
「お前を嫁き遅れさせた責任は、ちゃんと僕が取るように王女殿下に命じられている。いや、僕の権利だ。僕がお前の家族以外では一番お前を知っている。お前が僕を理解出来ないというのであれば、何度でも剣の相手をしよう」
墓穴と公子の間で、グロリアは公子の熱いまなざしにさらされた。そのまなざしが、切なく細められた長いまつげの陰に隠される。
そして、公子はこう言った。
「だからもう……『はい』と言っておくれ、グロリア」
グロリアの女心という名の大岩を、グラっと揺らすほどの威力がある一撃だった。思わず彼女は、現実でも足を踏みしめなければならなかった。
「どうして公子様はそんなに熱心に手を差し伸べて下さるのでしょうか。家柄も見劣りしますし、公子様ほどのご身分の方ならばよりどりみどりでございましょう」
ずっと気にかかっていたことを、グロリアは公子に問いかける。彼女の父親は将軍だが、あくまでも軍人として成り上がっただけで、身分としては貴族というわけではない。領地もなく、国からの給金で生活しているという点では、役人と大差なかった。
すると公子は、馬鹿馬鹿しいと言わんばかりに鼻を鳴らす。そして、その両手を彼女に向かって大きく広げて見せた。
「グロリア……この世界のどこに、僕と一緒に戦場に立った女がいるのか。愚かなほどまっすぐに旗を立て続けた女がいるのか」
公子は、騎士団時代を思い出しているように、懐かしくも美しいものを見る目で彼女を見た。その広げた両手が、己の胸に押し当てられる動きを、グロリアはただ見つめていた。
「お前は強い。強いが、男ではない。女だった。お前が女であればあるほど、僕はずっと男になりたかった。早く男になりたかった。そしてなった。僕は男になったんだ」
詰め物の何もない胸。女だけの白百合騎士団の騎士服でもない胸。その胸に彼はその手を押し付け、グロリアに向け男である自分を見せつけているかのように見えた。
その胸に押し当てられた手が、ぎゅっとその胸の布地を掴む。いや、布地の下にある胸ごと、その胸の下にある鼓動ごと掴む強さ。
「お前は、僕がいま男として生きている証だ。だから、公女でいたあの8年間よりもっと長く、公子の僕と一緒にいてくれ。これからはずっと、男としてお前の前に立ちたい」
グロリアの言葉の理解より早く、公子は言葉を続ける。ただ深い身の内から搾り出されるその声は、痛切な響きとなって彼女の耳に残った。
グロリアは、我知らず涙を浮かべていた。このお方は、おかわいそうだったのだと陳腐な言葉が頭に浮かんだ。
けれど、その「おかわいそう」を自分の力で討ち果たして、いまグロリアの前にいるのだと理解した。もう公子は、彼女がお守りする公女ではない。自分で自分を守れる一人前の男だった。それどころか、グロリアさえも守り抜けるだろう。
「ご立派なお姿で…ございます」
ようやく選び出したグロリアの言葉は、公子にとって良いものではなかったようだ。
その眉間に深い皺が刻まれ、不服そうに口を開く。そして、ちゃんと音のついた声でこう言うのだ。
「お前は本当に節度のある女性だね」
それは、皮肉のこもった低い声だった。
「ほら、手をお出し。いまから僕はお前の手を握るから、いやなら振り払うといい」
そして公子は、言葉を最後まで聞かずに素直に手を出したグロリアの手をぎゅうっと握った。痛いほどの力で、だ。力では彼にかなわないグロリアからすると、この手を引きはがすのは至難の業である。
「あの、公子様」
「ほら早くお前の家に行くよ」
握られた手を引っ張られグロリアは歩かされる。選択肢があるように見えて、もはやないも同然だ。死に物狂いで振り払えば何とかなるかもしれないが、そうする理由がグロリアには見当たらない。
「もうちょっと、あの、手をゆるめて、いただけます?」
「振り払うためかい?」
「い、いえ…それは、しませんので」
「そう…でもダメだよ。もうほんの小さな隙間も作りたくないからね」
そして──公子の手にぎゅっと握られて、グロリアは帰宅する羽目になるのだった。
『終』