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グロリアが混乱しながらも、夜会から家に帰った後のこと。
ようやく事情を自分の中で納得し消化し終えた彼女は、父の部屋の扉をノックした。この家で一番いかめしい顔のゴリラが、そこにいる。
「あの……父上、縁談の絵姿を見せてくれませんか?」
こういう話をどう切り出したらいいのか、グロリアはよく分からなかった。もじもじしながら、父に視線を合わせられないまま彼女はそう父親に告げる。
「どうしたのだ!?」
あれほど縁談に対して無気力だった娘の突然の反応に、グロリアの父はとても驚いているようだった。そう強い反応をされると、彼女はもっと恥ずかしくなるのだが。
「いえ、あの、気になる方が…」
もじもじもじもじ。
スカートの布地に触れていた手を落ち着かなく握ったり離したり。あまり父親が長い時間グロリアを羞恥にさらしていると、きっとそのスカートにはひどい皺が出来てしまうだろう。
しかし、ここから話は予想外の方向へと転がり出す。
「その件なのだが……」
言いにくそうに、グロリアの父親はこう続けた。
「実は、是非にと頼まれた人がいてな」
「え?」
まさか、本当に父親が縁談を進めているとは思ってもみなかった彼女は、驚きそして戸惑った。縁談というものは、それが動き出すまでが長く、一旦決定されて動き出すと、なかなか覆すことは難しい。
「お前も誰でもいいと言っていたので、話を進めかけているんだが」
その難しい方向へと、重い岩がいままさに転がりかけようとしていたところだった。止めるなら、出来る限り早い内でなければならないし、こじれないようにしなければならない。
聞けば相手は、父親の先輩格の将軍で。武官の道を進んでいる孫に、是非にという話だった。父親の目から見て、申し分ない相手ということだ。
とりあえず無碍には断れないので、グロリアは父に紹介される形で出会うということで夜会へと出席した。その折りに、ダンスフロアではあるが二人になる手はずはすんでいた。そこで、うまく彼女が話を持っていかなければならない。
「いやはや、こういうところは苦手でして」
はにかみながら重々しく笑う素晴らしい肉体を持つ男性は、確かに夜会向きではなかったが、とても穏やかで誠実そうな人だった。とても悪い人ではなく、グロリアはとても申し訳なく思った。
女性らしく、曖昧な断り方もいろいろ世間にはあるだろう。一度会った後、父親を通して粘り強く断ってもらうことも出来るだろう。だが、グロリアはそんな不誠実なことを、この方にしてはいけないように感じた。
その気持ちをうまく言葉にしようと考えをめぐらせているグロリアの背後に、冷ややかな気配が近づいたことに、彼女はすぐには気づけなかった。
「やあ…奇遇だねグロリア」
まさかの、金の公子の登場である。いや、よくよく考えれば「まさか」というのは言いすぎだろう。遅い社交界デビューを補うために、彼はいま精力的に夜会などに出席して顔を売っている真っ最中だった。将軍の孫や自分とは比べ物にならないほど、出席している確率は高いだろう。
「これは公子さま」と、どぎまぎしながらも淑女の挨拶をしようとするグロリアに、手を差し出す公子。騎士の挨拶を望まれていることに気づき、彼女はひざまずく。ドレスがふわりと床に広がった。
そんな彼女の手を、挨拶の形のままぐっと手を握る公子。驚いて顔を上げると、彼の顔はグロリアではなく、若き武官の方を向いていた。
「僕は、彼女に求婚しているんだよ……もし割って入るのであれば、君は僕と決闘しなければならないね」
グロリアの手を握り、公子は彼に牽制する視線を向けていた。突然の公子の登場と発言に、武官は怪訝な表情を浮かべる。
こじれそうになる空気の中。
「あの、公子さま……」
グロリアは、彼の手を引くように立ち上がった。
「お前は黙っていなさい」
しかし、彼は非常に不機嫌な様子で彼女の話を止めようとする。しかし、止められては困るグロリアは、もう少し強くその手を引いた。
「恐れながら公子さま……実は、私もそれを言おうと思っていたのです」
「は?」
グロリアの恐る恐るの言葉は、公子の不機嫌の池の中に違う色の水を投げ込むものだった。驚いた顔が、彼女の方を向く。
「ですから、私はこの方と剣で戦ってみようかと」
それが、グロリアの考えていたことだった。元々は自分の態度が発端で起きたことだ。父親は悪くないし、この人も悪くない。では、その始末は彼女がつけるべきだった。
「はぁぁぁ?」
彼女の言葉に、ますます公子が妙な表情で首を傾げる。二人のそんな様に、武官が横を向いてぷっと笑ったのをグロリアは見てしまった。
「私も騎士の端くれに身を置いたものです。おそらく、この生き方をこれからきっと私は大きく変えることは出来ないでしょう。ですから、剣を交えて互いを知った上で、これからのことをきちんとお話出来ればと思っております」
勝つとか負けるではなく、苦手な言葉ではなくおそらく得意であろう剣で語り合えば、分かってもらえるかもしれない。つくづくグロリアは、自分が武の脳をしていることを、こういうところで思い知る。
「お前は……本当に……何というか……阿呆だねぇ」
それを、公子は端的に一言で表してくれた。「阿呆」と。しかし、何と優しい「阿呆」の言葉であるか。あきれながらも、公子がグロリアという人間を理解しているのは、きっと過去に何度も剣を合わせたからだろうと彼女は思った。
「申し訳ありません」
だから詫びながらも、どこか彼女は笑顔を浮かべてしまう。
「あんまり深く理解しあわないでよ。それから……立会いは僕がするからね」
その笑顔に、チクリと厭味の棘をさされた後、公子はすみやかに具体的な話を進め始めた。そんな二人の様子に、武官は何とも微妙な苦い笑顔を浮かべていたのだった。