武器について2
武器については書いたのでもういいかと思っていましたが、あれから見聞きしたことも含めて、もう少し書いておきたいと思います。
YOUTUBEで見たのですが、アメリカのTV番組が検証して日本刀が武器として最強であるというのを見ました。
その番組の検証方法としては
1衝撃力
2武器の有効距離
3扱いやすさ
をあげていました。
私も異論はないのですが、以前書いたようにメンテナンスなどを考えれば刃のついた武器というのは、使い続けるのは難しいと思います。
よくなろうでも出てくる二刀流ですが、日本人ならおそらく宮本武蔵が頭にあると思われます。
二刀流で無双など、私としても大変憧れるのですが、よくよく思い出してみれば、武蔵が二刀で暴れるというようなドラマを見たことがありません。
小次郎との戦いでは舟をこぐ櫂を削って小次郎の長い刀に対抗しましたよね。
吉岡道場との戦いでは、幼い大将を切りつけ、その後は逃げたといいます。
また、二刀で戦ったときでも片方は刀ではなく木を削ったものとの二刀流であったとの記述もありました。刀が折れたりして継戦できなくなるのを恐れたためとありました。生涯無敗だった理由のひとつにこういったことがあったのだとおもいます。
もちろん武蔵は二天一流を創始した人ですし、おそらく二刀で戦ったこともあると思います。ただ命のかかった真剣勝負やぎりぎりの勝負のときは万難を排して刀は使っていないと私は考えています。
言っておきますが、私は歴史学者でも武蔵研究家でも武道家でもありません。だからこれらは私の個人的な考えですので、異論もあろうかと思いますが、このように考えたほうが納得がいくのです。
これは武蔵の記録にまともなもが残っていないのが原因のひとつです。有名な五輪書さえも原本は存在せず、写本のみです。記録も又聞きだったり、弟子の口伝だったりして、はっきりとしたことが今現在は言えないのです。五輪書さえも異論があるようですから。
さて五輪書が原本がないといいましたが、同時代のもう一人の巨人、柳生宗矩の書いた兵法家伝書のほうは原本も残っています。彼は時代最強とうたわれ武蔵もかなり意識していたといわれています。
そのなかに無刀の書というのがあるそうです。
これはいつでも刀があるとは思わず、刀のないときでも戦う用意をするようにと、無刀の技が書いてあるそうです。
武蔵はこれを恐れて無刀にならないようにしたのだと思います。
ではこれから無刀の技を書いていこうと思います。といっても武蔵の時代ならともかく現代に生きるわれわれなら無刀の技と言えば武術や格闘術になりますよね。
まず武術と拳法。調べたところ拳法には三つの時代があるようです。それは時代別に武器を相手にする武術、銃が出てきた後の時代の武術、もうひとつはボクシングが出てきてからの武術。武術は大まかに言ってこのように分けられるということです。
まず銃の時代では、近接から遠隔まですべて銃のほうがすべてにおいて武術に勝っています。昔は火縄銃ですから少しは戦えましたが、近代では近接では短機関銃、遠隔ではライフルやアサルトライフルと、普通これに対して真正面から戦いは挑みません。ですのでどちらかといえば武術というより暗殺術といったものが研究されたと思います。
ボクシングの時代には相手は武器を持っていませんし、1対1の戦いですからファンタジーの世界では役に立たないでしょう。
それでは古い武術の話です。
近年流行の詠春拳では相手が武器を持っていることを前提に練習します。ですから構えのときから手のひらは相手に向けず、手の甲を向けるそうです。手のひらを相手にむけてたら、ナイフで動脈をスパッと切られておしまいです。また相手の武器の内側に入った近接戦闘が詠春拳の間合いとなります。近ければ武器の威力は半減するそうです。
古い流派の中国武術は基本的に武器を相手にすることを前提にしているようですから、転移したら必ず鍛錬するようにしましょう。
私なら鍛錬の方法を知らないのでまずは太極拳からでしょうか。
あとは重い鎧をつけた相手なら一部の柔道技など有効でしょう。もちろんみんな見様見真似ですけど。
もうひとつの格闘術ですが、これはすべて第二次世界大戦後に発生しています。ですので歴史としては非常に浅く、また新兵として入隊したものを短期間である程度の形にするために、非常にわかりやすく単純であるといいます。狙うところは急所のみで、殺すことを目的としてますから。また自衛隊や米軍など、個々の格闘術はあるようですが、表には出てきませんので、なんとも評価しづらいです。