あたしメリーさん。今、魔王戦の前にいるの
邪悪と言い表す他に無い姿の城。その奥にある一室の前に、勇者と呼ばれる者達は辿り着いた。
「やっと、この戦いを終わらせることができるんだな」
騎士が小さくつぶやく。ある国で有数の実力を持つとされた彼は、長い旅を経て大きく成長し、世界でも勝てる者は片手で数えるほどしかいないであろう実力者になっていた。決戦を前にした彼の口元は笑みが浮かんでいる。まるで勝つことが当然であるかのように。
「またそうやって油断して痛い目を見るんですね」
仲間の女性が呆れるような声を出す。彼女は一国の王女であり聖女と讃えられている人物である。彼女の言葉はいつものやりとりの一つであり、その後無茶をして死にかけるのもいつも通り。そんな戦いを繰り返して生き残ってこれたのは彼女が世界でも有数の治癒魔術の使い手だったからに他ならない。
「でもこれが最後になるのは本当だろう。勝っても負けても、この長い戦いに一つの終止符が打たれる。絶対に勝つなんて言えないけれど、後悔しないよう全力で戦おう」
青年が皆に声をかける。他の者達も世界で有数の存在だが、彼以上に限られる存在はいない。何故なら世界に一人しかいない、勇者と呼ばれる存在だからだ。
彼が口にしたのは、激励と言うにはあまりにも拍子抜けするような事実の確認。けれどここにいる皆にとってはそれで十分だった。彼の元に集まり戦いを繰り返した皆にとって、多くの言葉は必要ない。ただいつものように、当たり前とばかりに確認をする。気負いすぎず、力を入れ過ぎず、全力で戦えるが大切だと知っている。だからこそ出た言葉だった。
そんな三人のやりとりの傍ら、小さな人形は自身の状況を改めて確認した。
「あたしメリーさん。今、魔王戦の前にいるの」
その言葉には「どうしてこうなった」という思いが含まれていた。
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時は大きく遡る。
メアリーという名前の少女がいた。少女が大切にしている人形があった。人形の名前はメリー。少女の名前を元に付けられた名前だった。
メアリーが成長したある頃、遠い国へ引っ越すことになった。荷物を整理していた時に大切にしていた人形は間違えて捨てられてしまった。他の荷物に巻き込まれただけの、本当にただの偶然であり、メアリーはその事を悲しんでいた。
人形にとっては違っていた。捨てられたという事実のみが残った。意思の無いはずの人形は、捨てられたという事実に対して恨みに近いものが宿った。人形はいつしか自力で動けるようになり、メアリーを探す旅を始めた。見つけて何をしたかったのか、会ってどうしたかったのか、それは本人にも分からなかった。ただもう一度会いたいという思いがあったのは間違いが無かった。
数年後、クラッキングを繰り返し各地の情報を仕入れたメリーさん(人形)は、ついにメアリーの居場所を突き止めた。それまで巡っていた場所と違い海を渡る必要があったが、ストーキングと電子機器の技術を異常なレベルで身に付けたメリーにとってはまるで障害にならなかった。人が多い場所では気配を消して紛れこみ、少ない場所では誰もいないことを確認してから動く。全てを利用した隠密行動はさながら現代の忍者と呼べるほどだった。長い金髪(何度も切れて何度も自分で作り直した)とかわいらしい服(最初のはぼろぼろになったので自作した)は忍者のイメージにまるで合わなかったが、それでも忍者を連想させるに足るだけの身のこなしをしていた。例えば犬に見つかった時に木の棒に意識を逸らさせ一瞬でその場を離れた姿。知る者であれば誰もが変わり身の術を連想できるほどの完璧な動きだった。
メリーはメアリーの住んでいるマンションの前に着いた。よくある都市伝説のような電話で居場所を伝えるなんて真似はしなかった。また国外に逃げられるようなことになっては面倒だと思っていたからだ。ここで国外逃亡を「面倒」の一言で済ませることができる辺りメリーはおかしな領域にいるのだがそれを指摘できる者は誰もいなかった。
「なかなかのセキュリティね」
マンションの入り口、そこにはパスワードを用いた電子ロックと網膜認証があった。しかし本気を出したメリーの前では無力。既に各国の重要機密を容易に引きぬけるほどの能力を身に付けたメリーにとって、民間で使われている技術の警備などあって無いようなものだった。
だがそこには一つだけ問題が残っていた。防犯カメラによる監視である。ただ設置してあるだけなら問題無い。だがリアルタイムで監視カメラの映像を確認されていてもおかしくはない。そうなると下手な行動は侵入がバレてしまう。そうでなくとも後で確認されれば自分の存在は明るみになるだろう。隠密行動がバレるということはその道を極めるが如く学んできたメリーにとってはある種の敗北であり望まくない選択である。しかし昼間の人が少ない時間なので人混みに紛れるようなことはできない。いざとなれば壁をよじ登ってでも向かうつもりではいるが、これもまたセキュリティに対する敗北を認めたことに他ならない。メリーは自身の美学に反する選択肢の全てを最終手段として保留した。
何か手は無いかと影で気配を消しながらも悩むメリーの前を一人の青年が通る。それはメアリーの義兄に当たる人物だとすぐに分かった。メリーにとって相手の情報を探ることは基本中の基本であり、母親の再婚やそれによってできた新しい家族の情報は持っていて当然の情報だった。
しめたとばかりに彼の影に隠れる。気配を一切感じさせず、周囲の人物の目だけでなく防犯カメラにすら映らない完璧な予測と位置取り。それは一種の芸術と呼べるほどのものだった。何も起きなければ間違いなくメアリーの部屋に忍び込むことができただろう。
ここで一つ、予想外の出来事が起きた。
ロックを解除し多重にガラスで仕切られた扉の一枚目を通り過ぎた後、メリーは嫌な予感がした。勘と呼ぶには鋭すぎる感知能力がはっきりと警告を鳴らした。けれど逃げようにも既に後ろの扉は閉まっている。前の扉もまだ開いていない。泥棒対策も兼ねてそれぞれに異なるロックが採用されている為すぐに逃げることはできない。電子機器に手を出そうにも時間がかかる。何よりも余計な動きをすれば確実に見つかる。これらの問題に加えて、人の住む場所で起きる危険など極限られたものである。その認識からそれまで通りメリーは隠れ続けた。同じ条件下でその気配を感じることすらできない者が大半なのだから、この選択を咎められる者はまずいないだろう。
突然、メアリーの義兄の足元から光が上がり、周囲を包みこんだ。他の者から見れば突然人が輝き消えたような現象。すなわち異世界召喚が発生した。そしてメリーはそれに巻き込まれたのである。
それから話は大きく動く。
まずメリーがメアリーの義兄に見つかった。これは予想外すぎる出来事に驚き硬直してしまったことが原因である。足元で相手に合わせて動きまわるメリーはその動きに自信があった。自信があった為に近付きすぎていた。だからメリーが硬直した時、動揺して大きく動いた彼にぶつかっても仕方の無いことだった。次に召喚された彼を中心に勇者としてどうたら的な話が始まった。その合間でメアリーの義兄から「お前誰だ」と言いたげな視線を受け続けたメリーは誤魔化すように視線を逸らしていた。長い間ネットでしか友人関係を築けなかったメリーにとって、目を合わせるということはハードルが高かった。仕方がないことだったがその場にそれを知る者はおらず、ただただ挙動不審な人形という認識になった。
二人に対する周囲の認識は魔王復活の預言を切っ掛けに呼び出された勇者とその仲間。そして戻る手段は不明というテンプレにより、戻る手段を見つけるまでの間に何かあっても困るということで魔王復活を防ぐ方向で各地に協力して動くことになった。勇者が戦いを中心に動く一方、メリーは気配を消しての策敵、罠の探知や解除、果てはあらゆる鍵の解除と、裏方ではあるが確かに重要な役割をこなし続けた。それは旅の過程で仲間になった騎士に「お前の能力って盗賊っぽいよな」と言われる程だった。試しに何か盗めるか仲間で試したこともあった。結果を言うと、まるでできなかった。近付くところまでは一切気付かれないのにいざ盗む段階になると失敗する。気付かれない技術には長けているが、接触して何かをするのは苦手だった。これもまた人との接触が少なくなった弊害であった。だが気付かれない技術に限れば異常だった。視界にいたはずなのにいつのまにか懐に潜り込んでいるほどで、これは最早暗殺者の能力じゃないかと一同は思った。王女とその護衛を兼ねている騎士、そんな二人の政治的に面倒な事情を知っている勇者にとって、暗殺者という存在は抱えているだけで周囲の不信を買うという認識だった。しかしその能力は一同にとっては重要なものだったので、自然と誰も何も言わないことに決まった。
メリーは誰かの持ち物を盗むということを苦手としているだけで、別に盗みそのものが苦手なわけでもなかった。この時に盗んだ物として上がる例は厳重な警備の奥に置かれているような物が大半である。厳重と言っても、過去に電子ロックやら赤外線やら指紋認証やら網膜認証やらそれらのシステムを守る技術やらと高度なセキュリティを相手にしても容易に解除できるメリーにとって、魔力の波長を全面的に信用するようなロックはザル警備もいいところだった。他には囚われの王女を助けだしたのも見方によっては盗んだに含まれる。逃げる途中で王女を牢獄に入れた下種とそいつの従える魔獣に遭遇しその命を奪ったのもある意味盗んだに含まれる。この過程で助け出した王女の心もまた盗んだわけだが、メリーがそれに気付くことは無かった。
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そして現在。魔王城と呼ばれる場所の奥地へと辿り着いた。復活は阻止できなかったが、その過程で得た力は個人で持つには途方もなく大きいものとなった。そこにはこれまで出会ってきた者達の想いが、願いが、希望が詰まっていた。例え災厄と呼ばれた魔王が相手であっても、戦えると信じ立ち向かった。
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戦いが始まって数刻が過ぎた。状況は最悪。皆、地に倒れ、立っているのは勇者一人。まだ誰も死んではいないが誰一人として満足に動けそうにない。むしろ生きていることが不思議なぐらいだった。魔王との戦いは、一人を除いて攻撃を当てることすらできず、唯一当てることのできているメリーも攻撃の威力がまるで足りず決定打とはならない。メリーにとってこの現実は受け入れ難いものだった。自身が攻撃を当てたからこそ、他の皆の内誰かの全力の一撃を当てたとしてもそれだけでは倒せないとも分かってしまった。予想を遥かに超える力を前にただ蹂躙されるしかないことは受け入れ難い残酷な事実だった。
メリーは思った。何故自分はここにいるのかという疑問が湧き上がった。そもそも自分は元々ただの人形なのに、何故こんなところにいて苦しんでいるのかと思った。思っただけで口にしたわけではない。だから「ただの人形の範疇を遥かに超えている」というツッコミをできる者はいない。メリーは理不尽な現実に対して怒りを燃やした。そもそもこの世界の問題なのだからこの世界で解決すれば良かったのではないか。何故他の世界を巻き込んだのかと、巻き込んだ者に対する怒りが湧いてきた。全ての問題はこの世界で完結していた。魔王はこの世界で生まれた存在であり、魔王を蘇らせたのはこの世界の者であり、その切っ掛けになった道具もまたこの世界の物だ。なのに何故、異世界を巻き込んだのだと、本当に最初の頃に感じた疑問が今更になって蘇った。この世界の者だけが勝手に滅びれば良いじゃないかとすら思った。
魔王は勝てると思っていたことを馬鹿馬鹿しく感じるほど強い。まるで勝てる要素が見つからない。正しくは一つだけ思い当たるのだが、できれば使いたくない。だからメリーは倒れる仲間に対して言いたかった。ただ一言、逃げよう、と言いたかった。勇者達には身体がほんの少し動ければ逃げられるような手段が幾つかある。それは勇者達を送りだした者から与えられた保険のようなもの。一度も使わなかったそれを使うべきだと思った。一旦出直せば良いと、勝てないなら諦めるのもまた一つの答えだと、もしかしたら逃げた後の短い期間で元の世界に帰る手段が見つかるかもしれないと、そしてその世界でまた皆と一緒に―
メリーの口からそれらの言葉は出てこなかった。皆の表情には迷いも諦めも無かった。それを見ると、弱気な言葉を紡げなかった。何故まだ戦おうと思えるのか。何故まだ諦めないのか。メリーには分からなかった。いや、本当は理由ぐらい、考えるまでもなく分かっている。ただ認めたく無かっただけだった。メリーはこの世界に召喚された者に巻き込まれただけ。巻き込まれただけなのに、被害者なのに、この世界の為に力を使うなんておかしいじゃないか。そう思いながらも結局ここまで来てしまった。何故ここまで来てしまったのか。何故途中で投げ出さなかったのか。それはこの世界を好きになってしまったから。守りたいと思ってしまったから。メリーはこの世界で旅をした。世界を見て、触れて、感じた。この世界を守りたければ戦わなければならないと知った。そして今ここにいる。もしここで逃げればもう二度と立ち向かえないと分かるほど、ボロボロな姿で、弱音を吐きそうになり、諦めかけたけれど、それでも確かに、今、ここにいる。
メリーは辿り着いた。何をしたいか。その為に何をするべきか。迷い、己に問い続けた疑問の答えに、漸く辿り着いた。それが早いか遅いかは見る人によって分かれるだろう。だが、手遅れにだけはならなかった。ここに来た事実こそが、この世界を認め、助けたいと願ったその証明であると理解した。
メリーの手の内にあるのは修復したペンダント。それは魔王復活の為に使われた道具の一つであり、命を対価に様々な力を扱えるというもの。使われ砕けた後にその欠片を集め、修復し、容易に扱えないよう厳重なロックをかけた物。正しく機能すれば強大な力になるであろう物。これを使ってどれだけの成果が得られるかは分からない。魔王を倒せるかもしれない。致命傷を与えることができるかもしれない。封印できる程度に弱らせることができるかもしれない。あるいは怯ませるだけかもしれない。ほとんど効果が無いかもしれない。そんな曖昧な結果の為に命を使うなんて選択はしたくなかった。自身の命でも他の者の命の時と同様に力になるかすら分からないのに使うなんて、そんな分の悪い賭けはしたくなかった。だが今は違う。皆を守りたい。ただその一心だった。自己犠牲の精神などでない、目的の為の力として奮う覚悟ができた。
騎士さんはきっと怒るだろう。聖女様はきっと泣くだろう。勇者はきっと、悲しむだろう。でも今ここでできることは、そして勝てる可能性は、これしかないと思った。
迷いは無かった。自分にできること。勝てる可能性。勝ちたいという思い。それらが揃った今、迷うはずがなかった。いつも通り、気配を消し背後に回り込む。その動きに気付ける者は一人としていなかった。気付かれていないことを確信しつつ、いつか言うつもりでいた言葉を思い出し小さく笑みを浮かべる。
「あたしメリーさん。今、魔王の後ろにいるの」
原作の「後ろにいるの」で終わる感じを残そうとしてこうなりました




