2.
部屋を出てから階段を上り、上り、右に曲がってまっすぐ歩くと、そこには落書きだらけのトンネルがあった。それもかなり大きく、長い。そして不法投棄が多いからか、それとも電灯の光が当たっていない奥のほうに生ごみでも捨てているのか、まぁどちらにせよひどい臭いが混ざっていた。彼女…伊藤 真由子は顔を歪ませながら、そのトンネルに入っていった。まるで細い丸太の上をフラフラと歩くかのように、電灯の光が届いている地面の上を歩いた。彼女のスプレーで固めたマッシュルーム・カットがたまに光に反射して変にてかてかしている。
真ん中あたりまで来ただろうか。彼女はぴたりと止まると、わざとらしくお辞儀をするようにして上半身を倒しながら後ろを見た。まだ入り口は見えている。体制を元に戻し、短く舌を打つとまた歩き出す。二、三歩進んだ所で、ジーンズの生地が細かく揺れた。
またかと気だるそうに立ち止まり、ポケットの中から携帯電話を取り出す。着信だ。それもつい先ほどまで話していた奴。緑色の通話ボタンを押すと、重い声で「なに?」と応えた。声が壁に反響して向こうまで流れていく。
「家、出たの?」
「…今トンネル。」
「ああ、良かった。もう始まりそうなんだ。早く来てくれ!」
「は?あんたさっきまで…」
ブチ、という音。どうやら一方的に切られてしまったようだ。眉間にまた深い皺をよせ、今度は反響しないようにごくごく小さく舌の奥を鳴らした。先ほどまでは開始が一時間も遅れるという知らせだったのに、今の知らせはすぐに始まるというものだった。
彼女はコンビニエンスストアに唯一繋がっている臭いトンネルを後戻りすると、中学校行きの一本道を進み始めた。できれば一度部屋に戻って服を着替えたかったが、もう時間もないし仕方がないのでそのままの格好で行くことにしたようだった。ガリガリと、まるで地面を削るかのように荒々しく一本道を歩く。別に怒っているわけではない。腹がたっているのだ。
ふと思い出したように立ち止まると、路肩に止めてあるシルバーの車に近づいた。フロントガラスに映る自分の唇を確認した。思ったとおりに、擦れて赤色が剥がれている。彼女はあわててポケットに両方の手を突っ込んだ。しかし口紅は部屋に置いてきてしまったし、あるわけが無かった。探る場所を失った手が、不自然に浮いていた。すぐに変わりの物が無いかと周りを見回すと、チカチカと何かが電灯に反射して光ったのが見えた。
安全ピンだ。ああ、良かった。ちょうどいいものが手に入った。