10^-35 その6
登場人物
ヴィクティン:勅命機関勤務の男。ジネッタとは学生時代の友人。倉庫区画内の事件の後、自殺。チャネラー。チャットでのあだ名は『シドロフ』。
ジネッタ:艦の通信士。ヴィクティンとは学生時代の友人。リームナ、マルツェラはこの航行で仲良くなった友人。コンテナに隠れる。
リームナ:中年女性。ジネッタ、マルツェラの友人。ゆったりとした話し方。チャネラー。
マルツェラ:艦の調理士。正体は諜報員の男。チャネラー。チャットでのあだ名は『帽子屋』。
イェル:傭兵。戦闘種族エンデ。チャネリング能力者。チャットでのあだ名は『ペペ』。
ギュント:傭兵。戦闘種族フレン星人。身体は本体ではなく、人形と呼ばれる遠隔操作可能な端末。実は宇宙賊と兼業。
「研究者」
欲しかったものは全て手に入らないものばかりで。
やりたかったことは全て望みが薄いものばかりで。
なりたかったものはたった一つなのに、それは叶わないもので。
何者にもなれず。
何事もなせず。
何も得られない。
私とは、何だったんだろうか。
その光景は、今でも覚えている。
幼かった私は、自分が置かれている状況も忘れて思わず息を呑んだ。
初めて宇宙から見る母星は美しい球形をしており、誰かが冗談で用意したかのような黄土色に着色されていた。
これが宇宙で、これが星か。
チャネラーのネットワークを通して仕入れた情報と、自身の手に持つモニタ上に広がる情報を比較する。
言葉で伝え聞いたものより数倍、数十倍も美しい光景だった。
そしてこの小さな航宙艦は徐々に母星から離れている。母星が段々と小さくなる。
狭い航宙艦の中で父は額に手を当てて、無言で足元を見ていた。
母は眠っている弟の外殻を壊れそうなくらい強く抱きしめている。
航宙艦も外殻も星の外から持ち込まれた技術だ。二本の足で地面に立つなど、今まで考えもしなかったことだった。
星の外から技術がたくさん持ち込まれた。思想がたくさん持ち込まれた。それは私達に繁栄をもたらした。
しかし、私は幼いながらも考えていた。そのせいで皆の仲が悪くなったような気がする、と。
チャネリング能力で他の星の人間と話す機会が多かった私は実年齢よりも精神年齢を重ねていた。
だから父親が何に絶望し、母親が何に怯えているかは分かった。
手に持つモニタを見つめていると、この航宙艦の他にも二つ、航宙艦が見えた。その二つとも母星から遠ざかるような進路をとっている。
逃げているのか。
幼いながらにそれは分かった。だから父親に尋ねる。自分にとって一番大切なことを。
「もう……家に帰れないの……?」
外殻を着て、サル型人種の外見をした父親には見えない父親はゆっくりと答えた。
「分からない…。私にもわからないんだよ、ヴィクテイン」
いや、分かっているはずだと反論しかけて止めた。父親はわかってないのではなく、分かりたくないだけなのだから。
星を見つめる。
政府の高官だった父親は、暴動の隙を見て、私達家族を航宙艦に乗せ、外殻を与えて、そして母星から逃げた。
あの星には親戚もいた。友達もいた。
同じ教育機関に通う、仲が良かった異性の友人もいた。
二人っきりで将来何になりたいかを語り合ったこともあった。
あの子は恥ずかしそうに言っていた。
『うーん。思い浮かばないなぁ。あんまり大きなことじゃなくていいんだ。
ふつーに大人になって、ふつーに恋をして、ふつーに結婚して、ふつーに子供が大きくなっていくのを見守って、そんな風に幸せになりたい』
その将来を昔の私は小馬鹿にして笑う。
『そんなのの何がいいんだよ。どこが幸せだ?平凡だなぁ。
もっとワクワクするような夢を持てよ!
俺?俺はこの星の王様になるんだ!他の星みたいに皆がやりたいことやって笑って過ごせるような、そんな星にするんだ!
そしたらさ、お前をお妃にしてやるよ!
どうだ?ワクワクするだろ?』
嬉々としてそんなことを語った気がする。
もうその夢も叶わないのか、モニタを見つめながらそんなことを思った。
あの星の王制は滅茶苦茶だ。そしてあの子はあの星に取り残されている。
普通に幸せになりたいと、そう言っていたあの子の願いはもう叶うことが無い。
火にくべられた紙片を見守るような気分で、モニタを見つめる。もう手を伸ばしても助けることは出来ないのだ。
遅過ぎた。
母星から黒々とした太い線が伸びていた。いや逆か。母星に向かって黒い線が伸びている。
それはよく見ると黒い点の塊だということが分かる。
虫だ。
大量の虫が母星に侵攻している。宇宙空間も航行可能な生物なんてこの目でみるまで存在を信じられなかった。
しかし、自分の目の前で、その虫たちは母星を喰らいつくさんと移動している。
更には。
モニタがぱっと明るくなる。近くで何かが爆発したのだ。
「ひっ」
幼い私は思わずモニタを手放した。代わりに父親がそれを受け止め、モニタを見つめ、そして感想を呟いた。
「ああ……」
それ以上の言葉はなかった。並走しているはずの宇宙艦の一機が虫に襲われ、落とされたのだ。
次は自分たちの番かもしれない。
ねだるような情けない声で私は両親に訴えた。
「助かるよね?俺たち、助かるよね?」
両親は答えない。答えられない。誰もそんな保証出来ないからだ。
あんな風に死んでしまうのか。自分たちも宇宙に放り出されて、虫に喰われて。
嫌だ、そんなことは絶対に嫌だ。しかし自分たちが出来ることは黙って虫が見逃してくれることを祈ることしか出来ない。
そんな中、母がぽん、と手を叩く。
「そうね。
皆で楽しいことお話しましょう?それからお歌も歌いましょ?
パーシルも起こして、ね?
ほら、ヴィクティンもお父さんの……えーっと、お膝に座ったら?」
「そ、そう、そうだな。
ほら、おいで?」
ぽんぽん、と向かい合わせに座った父親が自らの膝を叩く。
その動作が私は嫌だった。自分がまるで心からサル型人種になってしまったようで。
「……こんな、変な着ぐるみごしは……やだ……」
私の我儘に対し、父親が何か言いかけたところを母親が制し、にっこりと笑って頷いた。
「そうね。明かりも消して、この外殻も脱いじゃいましょっか」
「いやそれは……」
父親が反論しかけて止める。
外殻からでてしまえば、何かあったときに航宙艦を操作する対応が遅れてしまうと、そう言いたかったのだろう。
それを言わなかった理由は簡単だ。
何かあったときとは、即ち自分たちが死ぬときに他ならないのだ。
だったら今を楽しく過ごした方が良い。
恐怖に震えて過ごすより、最期の時を家族皆で幸せに過ごした方が良い。
しかし、私の脳裏には先程の航宙艦の爆発がこびりついて離れなかった。
そのときに大量の虫が風のように移動していったことも。
神様。
どうか本当にいるのなら、助けて下さい。
何をしたっていうんですか。どうしてこんな目に合わなきゃいけないんですか。
明日から、いや今からはちゃんと大人の言うことを聞きます。困らせるような屁理屈も言いません。
だから、どうか、お願い、助けて、助けて、死にたくない。
そんなことを私は航宙艦の中でずっと祈っていた。
祈りが通じた結果かどうかは分からない。
私達が乗った航宙艦は奇跡的に大宇宙連合の加盟星にたどり着くことが出来た。
落とされた艦とは別にもう一艦いたはずだったが、そこにたどり着くことが出来たのは私達だけだった。
それから連合の役員に保護、という名目で厄介になった。
その間、両親は仲間が生き延びていないか、もう一艦が別の星にたどり着いたのではないかと、探しまわった。
しかし、あの星から脱出した艦は三つだけで、二つは虫に落とされたということが分かっただけに終わった。
つまり、生き残りは私達家族だけになってしまった。
大宇宙連合の人々は生態を調査する代わりに生活環境を提供することを提案してきたが、両親はこれを断った。
道具のように利用されることが目に見えていたからか、それともプライドがそうさせたのかは分からない。
ただ私達の家族は、誰からの施しを頼ること無く自分たちで生きていくようになったということだけは分かった。
新しい生活環境で働いていくのは両親も苦労したことだと思う。
子供ながら、私達兄弟も自分たちで稼げるものは稼いでいった。
外殻も、子供の外見のものから、大人の外見のものに変更した。
実年令とかけ離れているが、年齢を詐称するにはその外見が丁度良かった。
その星に居住する者として、義務教育を受ける必要があったため学術機関への通学が始まったのもその頃だ。
多種族混合のクラスだったが、それでも私達本体と似た外見をもつ種族はいなかった。
私達の外見はサル型種族から見ると年齢が上に見える外見をしていたため、多少浮いた存在になるだろうと思っていた。
しかしそれよりも特異な外見をした種族もいたため、別段迫害を受けることは無かった。
私達兄弟は無難に友人関係を築いていった。
友人関係に限っていえば、脳天気な弟の方が上手くやっていたように思える。
一方、早くからチャネラーとして他星の世代が上の人々と交流を持っていた私は、同世代の人々とは会話が合わないこともあった。
そもそもぐだぐだと興味が無いことを延々と話しているような関係は、私は嫌いだった。
それはお互いの交友関係を深めることにはなるかもしれないが、会話の内容が無意味だからだ。
私のこのような態度や価値観は、他人にあまり受け入れられるものではなかったらしい。それすら気にならないが。
しかしそれでも相談など、必要最低限のことが行える友人間関係はあった。
決して裕福ではないが、それでも慎ましやかに過ごしていた。そうやって私たちは自らの滅びを受け入れていった。
そんな生活は突如として破壊されてしまう。
突然両親がおかしなことを言い始めてしまった。
もう一度、自分たちの種族を繁栄させようと思う、と。
続けて彼らは言う。
これからお金の面で苦労をかけるかもしれないし、一緒の時間もなかなか取れなくなるが、これも一族を再興させるためなんだ、と。
聞き間違いだと思ってから、それが現実逃避だと気づいた。
何か悪いものに取り憑かれたのか、それとも同族が滅んでしまった事実を前に、ついに狂ってしまったのか。
理由は分からない。とてもではないが、まともな発言とは思えなかった。
両親の形をした何かはいる。しかし、私を育ててくれたあの優しい両親はもうどこにもいなくなったのだと思った。
両親からその話があった翌日、私は学術機関帰りの弟を捕まえ、お互いの感想を述べ合うことにした。
「どうって……そりゃ、正気じゃねぇなぁって……」
弟の感想は歯切れの悪いものだった。
こいつ、ちょっと押したら両親に賛同してしまうんじゃないか?そんな想像すらした。
街の高台にある公園から街を見下ろし、私は弟の発言を的確に言い直す。
「つまるところ、『何も考えてない』か?」
「ちげーよ、そうじゃねーよ!」
見透かされたのが悔しいのか、弟は反射的に声を大きくした。
弟は外殻のガタイと威勢はいいくせに、日和見主義で考え無しだから、今の状況を正確に把握しているとはとても思えなかった。
私よりも外見年齢が上の外殻を使っている弟は、その外見に似合わない反応をする。
「もういいだろ?この後用事があるんだよ。
兄貴に構ってらんねーよ」
その発言に私は眉根を寄せる。
身内だからこそ、この浅はかさが恥ずかしく思えた。
立ち去る弟に私は声をかける。
「本っ当にお前は考え無いやつだな。
いいか?
『あいつら』が本当に狂っているとしたら、今度は私達に自分たちと同じ事を強要するかもしれないんだぞ?」
立ち去ろうとした弟が立ち止まり、こちらを見る。表情から怒っていることは嫌でもわかった。
「……『あいつら』ってなんだよ……」
「あんな妄言を吐いている以上、まともな人間じゃないし、そう扱う必要が無い」
「だからって!」
「いい加減に理解しろ!現実を見ろ!
何が原因かわからないが変わったんだ!もう終わったんだ!」
それでも何か反論しかけて、なんの言葉も思い浮かばなかったのか、弟は俯いて歯噛みをする。
「何で……こんなことになっちまったんだよ……」
ようやく弟は理解したのか、悔やむようにそんなことを言った。弟や私が悔やんだところで、自らの何を悔めばいいのか。
私達がどう足掻いたところで、両親を止められはしなかったのではないかと思う。
「同じ感想だ。こんな事態が防げていたら、私だって全力を尽くす」
噛み締めるように、私は弟に同意した。
「なるべく一人で両親と会うのは避けろ。
両親への対応に何か迷うようなことがあったら、まずは私に相談しろ。これは必ず、だ。
いいか?勝手に行動は起こすなよ」
弟まで引きこまれてたまるかと、私は必死だった。
しかし呼び方が『あいつら』から『両親』へと戻っているあたり、私も割りきれていなかったのだと思う。
願わくば。
今日家に帰ったら、昨日の出来事は無くなっていて、今までと同じようなささやかな生活に戻っていれば、と思う。
本当に思う。
強く思う。
そんな現実があり得ないとしても。
「兄貴は…」
弟が震える声で呟いた。恐る恐る私に尋ねる。
「兄貴は……“ああ”ならないよな……?」
「当然だ。馬鹿にしてるのか」
即答だった。考えるまでもない。そう問われることすら侮辱だ。
だから想像もしなかった。
その後に、自分が両親の思想に共感することになるだなんて、全く想像しなかった。
その翌年、私たちは上位の学術機関に進学した。
懸念していた両親との仲は奇跡的に上手くいっていた。両親が家に不在になることが多かったのも原因の一つだろう。
弟は学生生活を謳歌しているようだった。学業よりも遊びに力を入れていたようにすらみえる。
一方の私は学業の成績もそこそこのくせに、弟のように開き直ることも出来ず、暇があれば情報室で閲覧制限がある論文を読みあさる日々だった。
母星が滅び、この星で暮らして八年ほどたつ。その間に、今までの自分では想像も出来ないような事実が世の中に溢れていることを知った。
そして私が残りの寿命を全て捧げても、それら全てを理解するに至らないことも悟った。
知らない、を知ることはとても楽しい。だが同時にそれは私に空虚を生み出していった。
こんなことを知ってどうする?今更学んで何になる?自分は滅ぶしかない種族なのに。
その空虚さを埋めたくて更に、知らないことに対する知識を身につけ、また空虚さを生む。穴の空いたコップに水を注ぐような虚しさに似ている。
弟は全く自身の運命について気にしていない。あのくらい考え無しに生きられれば楽なのかもと、思う。
自身が他人と接するときに使うこの外殻も、虚しさを加速させた。
どんなに自分が他人と触れ合おうが、所詮は偽りの身体に過ぎない。それが、ひどく虚しい。
いっそのこと、この外殻を脱ぎ捨てて暮らすのもいいかもしれないが、日が降り注ぐこの星では難しい。
それに、多種多様な種族が揃っているこの星でも、私達のような姿を持つ種族は存在しなかったし、記憶なんてものを喰っている種族も存在しなかった。
それでは弟と同じように開き直って『自分はサル型人種だ』と偽って生きていくべきか?
それも虚しいものに思えた。
たった四人しか残されていない種族なのに、自分がそれを捨てて偽って生きたら、生きながらにして自身の種族が滅びてしまう気がしてならない。
生き残りだからこそ、それを捨てたくは無かった。
だから自分がどのような種族かを隠しながら生活をするしかなかった。
水以外の飲食を行えないがそれをなんとか誤魔化し、時々クラスメイトや通行人を襲って食料を得ていた。
どんな生き方を選んでも、結局はどれも居心地が良いものではないように思えた。
だから、これから自分がどうしていくべきかが定まらない。
そんな毎日に一つの転機が訪れる。
「キミ、パーシル君のおにーさんでしょ?」
赤毛をポニーテールにした、イヌ型種族の女が突如として目の前に現れた。
読みかけの論文を表示していたコンソールを閉じ、面倒に思いながら私は彼女をあしらった。
「失礼なヤツだな。
名前も調べずに話しかけてくるのか」
「知ってるよー。
ヴィクティン・ピェルス・ブディーカさん」
「話し振りから私に用があるとは思えないな。帰れよ」
弟の兄、と呼ぶ時点で弟の方が目的なのは明確だった。
邪険に扱ったが、彼女はこちらの言葉をまるで無視して告げた。
「アナタに用があるの、ヴィクティン」
「はぁ?」
「アナタと友達になりたいの」
自分と彼女が友人になるメリットを考えてみる。彼女は何故友達になりたいと言った?接点などまるでない、初対面の自分に。
すぐに理由は思い至った。
弟か。
年齢が上の外殻で大人のような雰囲気“だけ”はあるし、性格も人当たりは良い。少なくとも私よりはずっとマシだ。
今まで何人かの異性と付き合ったこともあるのだという。
彼女の意図はおそらく、弟へのコネクションが欲しいのだろう。
満足のいく答えが推測出来て、私は笑みを浮かべながらそれを指摘する。
「あんたの意図は理解出来た。
将軍を殺すためにはまずは駆る馬から殺さないとな」
その言葉に彼女は笑う。こちらの予想通りだった。
「さぁ、どうだかね?
そういう理由でもいいでしょ?可愛い女の子と話せるなんて貴重な時間の使い方だと思わない?」
いけしゃあしゃあと良く言うものだ。
それからも彼女、ジネッタとの関係は続いた。
ジネッタは事あるごとに私の前に顔を出した。片手間に話してやるくらいならいいか、と私は特に拒否の意志をしめさなかった。
確かに、こんなダラダラと会話するような意味の薄い友人関係など今まで築いてこなかったので、これは貴重な体験だった。
時にはそこに弟が加わることもあった。それがジネッタの望むところだったのだろうが。
「やーめーろーよー。
兄貴の話は分りづらいんだよ。ジネッタだって困ってんだろ?な?」
「そう!分りづらい!」
手を叩いてジネッタが弟に同意する。
「お前ら人を何だと思ってんだ」
その発言に弟とジネッタは顔を見合わせる。
「兄?」
「友?」
「じゃあそれらしく礼儀を弁えろよ」
私の発言が可笑しかったのか、弟が笑いながら答える。
「兄貴だから言えるんじゃねーか」
「兄貴だから言うなって言ってんだ」
その様子をジネッタは不思議そうに眺めていた。視線だけで問いただすと、彼女は思っていた疑問を口に出す。
「二人は、その、実の……血の繋がった兄弟なんだよね?」
弟をにらみつけながら私は答える。
「不本意ながら」
「うるせぇな」
更にジネッタは続ける。おそらくこれが本当に訊きたかったことだ。
「会話とか聞いてると納得するんだけどさ、あんま見かけは似てないよね」
「そういうこともあるだろ」
私は即答して、押し切ることにした。
元々外殻は偽の身体なのだから、オーダーメイドでもしない限り似ているわけがない。
しかし自分たちがどういう種族かを説明する必要がないため、それ以上は語らない。
彼女の価値観に照らし合わせてみても、私の姿はひどく醜悪なものに見えるに違いない。それを敢えて語る必要もないだろう。
ジネッタとの会話はその次の日も、更に次の日も続いた。
「ヴィクティンはさ、何になりたいの?」
ある日はそんなことを唐突に尋ねてくる。
「大志を抱くような性格に見えるか?」
「誤・魔・化・す・な。
これでも私、将来の進路とか悩んじゃってるわけじゃん?
参考にしたいんだけど」
話を誤魔化した私の額を指で弾いてくる。
将来の進路で悩んでいることは聞いていたが、それが深刻なものであるとは思わなかった。
だったら私もそれなりに答えるべきかと思い、考える。
「難しいな」
将来の進路というものは、滅ぶ運命しかない私にとって、ひどく難しいものに思えた。
私は何をやっても次世代を作れない、引き継ぐことも託すことも残すことも出来ない。
だから将来というものがひどく望みの無いものに見える。
「私は、私が夢を持ってもいいと思えればいいのにな。
ただ生きて死ぬだけでなく、これをやりきったと思えるような何かがあればいいのに。
私が、意味のある存在になれたらどんなにいいことか」
「なにそれ?
電波系?」
ジネッタのその感想に私は呆れた。
「人がせっかく真面目に答えてやってるのにその感想かよ。
あんた最低だ」
言われたジネッタは責められることが心外とばかりに反論する。
それを。
それを聞かなければ良かったと思う。
聞かなければ何も悩むことは無かったはずだ。ただ空虚な気持ちに慣れてしまえばいいのだから。
ジネッタは決定的な言葉を告げる。
「夢を持ってもいいって……別に許可とか必要ないし、持てばいいじゃん。
持ちたいんでしょ?」
私は目を見開いて彼女を見た。
そう。
嘘だ。
そんな。
そうなのか。
彼女の言うとおりだ。
そのとき、私は気づいてしまった。
気づかなければよかったことに。
私は、夢を持ちたい。しかしそれを持ってはいけないということも知っている。
なぜならそれは絶対に叶わないから。
母星の王になる?星を作り変える?あんな子供の戯言ではなく…。
ずっと、引っかかっていた言葉がある。思い出してしまう。
それを夢だと気づかなければ、私は何にも悩まされることは無かったのに。
いつかの、もう名前も思い出せない誰かの言葉が思いだされる。
『ふつーに大人になって、ふつーに恋をして、ふつーに結婚して、ふつーに子供が大きくなっていくのを見守って、そんな風に幸せになりたい』
あの時に小馬鹿にした夢が、今どれほど自分が焦がれているかに気づいてしまう。
叶わないからこそ、それはとても魅力的に心を駆り立てる。
大人になることは出来るかもしれない。
しかし、同族がいない今、恋をすることも結婚をすることも、ましてや自分の子供を見ることすら出来ない。
不可能なのは頭では分かっている。
しかし、私はそんな夢を…平凡でありながら私には絶対に叶えることが出来ない夢を叶えたいのだと、気づいてしまった。
「私と付き合わない?ヴィクティン」
「あんた頭おかしいんじゃないか?」
いつもの雑談の中で突如ジネッタが告げた提案を、私は即座に否定した。
情報室に学食のオムライスを持ち込み食べていた彼女はその手を止める。
私の反応が心外だったのか、彼女が苛立った目を上目遣いにして、頬杖をついてこちらを見てくる。
「ふつー女の子の魅力たっぷりのお誘いを、そんな風に断るかなぁ?
なんでよー?」
「こちらのセリフだそれは。
あんたはパーシルが好きなんだろ?」
「んー。でもパーシル、もう彼女いるし競争率高いし」
この頃にはジネッタは弟を呼びつけで呼んでいた。それだけの仲になったということだが、どうやらそれを諦めるらしい。
「それで競争率が低い私で妥協か。
あんた節操が無いな。私に失礼だと思わないのか?」
いつもの通りに尋ねる。純粋に彼女の思考が理解出来ないからだ。
逆にジネッタは私の思考が理解出来ないらしく、小首を傾げる。
「そう?別に一人しか好きになっちゃいけないわけじゃないじゃん。
今まで話してきて思ったんだけど、私、結構ヴィクティンのこと好きだよ?」
会話の噛み合わなさに私は表情を険しくする。彼女とは根本的に、価値観の部分で大きくズレがあるように思えた。
それを確認するために尋ねる。
「つまりあんたは。ある一定以上の好意があれば誰とでも付き合うってことか?」
彼女はなぜそんな質問をされるのか分からないまま、きょとんとした顔で頷く。
「うん…。
え?何?それが普通なんじゃないの?
ヴィクティンは違うの?」
そこまで素で反応されると、まるで自分が間違っているかのように錯覚してしまうから困ったものだ。
ただ単に少数派な考えだというだけで、そこに正解も間違いもないはずなのに。
私はげんなりとした顔で答えた。
「そう。
私は違う」
「あーそぉー……」
ちょっと引いたような表情でジネッタは呆然と相槌をうった。
実際はといえば、ジネッタのような考えの方が一般的なような印象はある。
結婚や離婚を複数回行うような現在、重婚や一夫多妻、一妻多夫のような考えを持つ種族もあるし、それは世間に受け入れられている。
皆恋愛に関しては自由だし、開放的だし、それに『駄目だったらすぐに次』という考えがあるようにみえた。
それは母星の結婚観や恋愛観とひどくかけ離れており、私にはあまりなじまない考えだ。
「ヴィクティンって意外と保守的……。
そういえば前に恋愛に興味ないって言ってたっけ?今もそうなの?」
意味が違う。答えたのは『性欲が無い』だ。彼女に勝手に意味を変えられてしまったらしい。
私は無意味だと知りながらも。問われて、少しだけ考える。
恋愛に興味が無いわけがない。自分にだって本能ぐらいあるのだから。
自分と同世代の人々が恋愛話に花を咲かせたり、結婚だなんだという話をときには迷惑そうに、ときには嬉しそうに話している姿を見て、気にならないはずがない。
しかし私には恋愛対象が存在しない。
ジネッタを含み、二足歩行人種は結局のところ、どこまでいっても「違う種族」だった。だから恋愛感情が湧かない。
サル型種族はサル型種族と付き合うのはあり得る。
サル型種族がイヌ型種族と付き合うのは、これもまたあり得る。外見が似ているからだ。
サル型種族が知能が低い哺乳類に対し性的行為の対象とみることは、まぁ、あり得るのかもしれない。
しかし魚や鳥に対してはそのような思いを抱く可能性は限りなく低い。
それと同じだ。
自分にとって、二足歩行人種は魚や鳥くらい違う生物だ。
魚や鳥が知性を持って、こちらの承認欲求を満たしてきたとしても、高度な議論を繰り広げたとしても、彼らと恋愛関係になりたい二足歩行人種はほとんどいないだろう。
ジネッタに関しても同じことが言える。
彼女が私を認めてくれたことは素直に嬉しかった。しかし、それが恋愛感情に発展するかといえば、それはあり得ない。
種族としてのあり方が違いすぎる。
だから私は眉間に皺を作って答える。
「今も興味ない」
その答えが不服なのか、ジネッタは頬を膨らませて提案をした。
「あんた何が楽しくて生きてるの?」
「恋愛以外が楽しくて生きてるんだろ。
察しろよ」
「んー。
別にヴィクティンは誰かと付き合いたくないわけじゃないんだよね?
恋愛排斥論者なわけじゃないよね?」
「そうだな」
彼女の予測に私は同意する。
そこで彼女は閃いたのか、両の掌を打合せた。
「じゃ、本当に恋愛に興味がないか、試しに付き合ってみようよ」
「おい、話が戻ってる」
「体験しないと分からないことってあるよ?」
それはそうだろう。百回聞くよりも、一回体験した方が情報量が多い。
しかし、それに意味があるだろうか。種族としてあり方が違い過ぎるのに、恋愛感情を持つことが出来るのだろうか。
私の種族が滅びてしまった今、それはもう決して手に入らないものなのではないだろうか。
そこまで考えて私は彼女の顔が自分の目の前にあることに気づく。
彼女は机に身を乗り出し、こちらを潤んだ瞳でこちらを見つめていた。
彼女は無言。
行動の意図を確認しようと私が発言しようとする前に、彼女の唇が私の唇に触れる。
あまりに突然の行動で、私は彼女の行動を止めることすら出来なかった。
意図がわからない。この行為にどんな意味がある?
唇が触れ合ったまま、私は相手の意図を予測する。
彼女は他人に噛み付くほど空腹だったのだろうか?と本気で考えてから、ドラマでこんなシーンがあったなとようやく思い出す。
親愛の情を示す行動の一つだ。
ようやくそう理解したころには、彼女の顔がゆっくりと離れていくところだった。
彼女は顔を驚くくらい赤くして、恥ずかしそうに告げる。
「ちょっ……こういう時は目くらい閉じてよっ…!
恥ずかしいじゃん……」
『自分からしておいて何を言ってるんだ』等、心の中で彼女への罵倒を十個程思い浮かべてから、その全てを飲み込んで別の言葉を出す。
「あんたが正しいな」
彼女はこんな私を認めてくれている。
それが素直に、嬉しい。
では、もしかしたら。
もしかしたら、異種族間でも恋愛感情が持てるかもしれないではないか。
もしかしたら、私は虚しい存在ではなくなるかもしれないではないか。
普通に恋が出来るかもしれないではないか。
そんな期待に私の表情が緩む。
今までのような皮肉まじりの笑みではなく、心の底から期待して私は笑った。
「体験しないと、分からないことはあるな」
付き合ってみて分かったことといえば、自分は彼女の人柄が嫌いではなかったということだ。
こちらに物怖じもせずにつっかかってくる様は他の人間には無いものだった。
しかし恋愛対象としては、やはり難しいものがあった。彼女だけでなく、おそらく他の誰に対しても私はそうなのだろうが。
彼女の仕草や行動の意味を把握するまでひどく時間がかかる。彼女の感情が分からない。
通常であれば、異性同士で手を繋いでいると軽く興奮状態になるらしい。少なくとも彼女は嬉しそうだった。
それが理解できない。
外殻を通して彼女に触れたことは分かる。しかしこの外殻はどこまでいっても偽りの身体だった。
だから彼女と同じ感情にはなれない。理解し合えない。
何かの作業をこなすような気持ちで、私は彼女と付き合っていたと思う。
知らないから、知りたい。
彼女が言う恋というものはどんな気持ちなんだろうか。それは自分と同じなのだろうか。
彼女が感じる世界は、決して自分が感じることが出来ない世界なのでは、と思う。
彼女が美味しい美味しいと食べているオムライスの味すら、私には理解することが出来ない。
一度、興味本位で人形を扱ってそれを食べたことがあるが、私の種族の味覚に対応していないため、何の味もしないべちゃべちゃとしたものとしか理解出来なかった。
道行く人が、同じクラスの人が、当たり前に感じていることを、私は感じることが出来ない。
皆が自然と知っていることをどうして私だけ知ることが出来ないのか。こんな不公平があってたまるか。
栄養補給も兼ねて、恋愛自慢をしていたクラスメートを備品倉庫に呼び出し、記憶を喰ってみた。
倉庫内は日の光も届かないので、灯りのスイッチさえ入れなければ完全な暗闇だ。
暗闇は都合が良かった。
久々に外殻を脱ぎ捨て、相手の身体に侵入して記憶を喰った。
襲われた瞬間の記憶は不味いが、喰っておかないと大変なことになるのでやむなく喰う。
そしてそのクラスメートと恋人が付き合ってきた記憶の一部を喰う。全て喰ってしまうと恋人のことすら忘れて問題になるため、一部だけだ。
それは夢中で貪り喰ってしまうほど美味い記憶だった。ついつい食い過ぎてしまうくらいに。
美味さに身体が震える。
気分が良い。
それが『美味い』という言葉で表現され、消化されていくのすら勿体無いように感じた。
これは大量で上等の幸せの味だった。
これが、恋愛という感情なのだろうか。
他人が感じている恋という感情と、この美味さが同じものなのか、私には分からない。
他人は、この人間は、ジネッタは、いつもこんな気分なのだろうか。
私はクラスメートの身体から、自身の外殻に戻ろうと身体を動かす。
「あれ、暗……」
一瞬、倉庫内の灯りがつけられる。スイッチを入れた人間を認識した。
ジネッタだった。
「ひっ」
こちらの姿を見て驚いたはずみで灯りのスイッチが切れ、彼女は倒れこんでしまう。
何故、今、このタイミングで彼女が!?
それはともかく、見られてしまったからには彼女の記憶も喰わなければいけない。
幸い、倉庫内は暗闇で、私が活動可能な状態だ。
彼女は倒れた身体でもがきながら、震える声で威嚇する。
「いや……来ないでよぉ……」
そう、か。
化け物、なのだろう。私は。彼女にとって。
私の姿はどう見ても、醜悪なものだ。
以前に、ホラー映画で謎の生物が探査員を一人ずつ殺していくという内容のものがあった。
恐怖を煽るその生物の姿は、私の姿にそっくりだった。
だから、私は手に入れることが出来ない。
彼女の記憶を、私は喰った。
なるほど、構内で私を見かけたので、驚かせるつもりで後をつけてきたのか。彼女の行動の意味を理解する。
それから、彼女が私と居たときに感じていた嬉しさも、楽しさも、全て理解する。
彼女が私と居た時の記憶はそれほど美味かったのだ。
彼女はこれほど私を見ていたのだなと、改めてありがたく感じる。
こうして欲しかったのか、こうすれば良かったのか、と後悔が押し寄せる。
体験しなければ……体験しても知らないことだらけだ。
彼女にとっての恋愛とはこういうことなのか。
理解するのが遅すぎた。
もうやり直すことは出来ない。
翌日、彼女は情報室にやって来なかった。
メールも無かった。
通話も無かった。
通路であっても会釈する程度だ。
彼女の中で、私は唯の知り合いに戻った。
彼女と出会うきっかけになった弟への恋愛感情を持つに至った記憶も喰ったため、これで彼女が自分の前に現れることは二度とないだろう。
私は静かになった情報室で以前と同じように論文を読み耽る。
以前は気にならなかった静寂が、とても居心地が悪かった。
中々集中出来ない。
それがもどかしくて、苛立つ。
私たちは違い過ぎた。それは仕方がないことだった。
狂気の幕切れは呆気ないものだった。
両親を乗せた航宙艦が運悪くスペースデブリにぶつかってしまったらしい。
航宙艦会社から支払われた金額は、今後弟と十年ほど暮らしていける金額だった。
学術機関の修了も近く、本格的に働き出せば金の面で困ることもないだろう。
葬儀も形式的に行った。
自分たちの星の風習で、人が死んだときにどうするのかが分からなかったため、居住している星の形式に則って行うことにした。
葬儀が終わり、両親の遺品を片付けながら私は考えていた。
両親が生きた意味は、なんだったんだろうか、と。
一族再興などという世迷い事を掲げ、それを成すことも出来ず、運が悪く死んでしまった彼らは、何のために生きていたのだろうか。
彼らが生きていた価値はあるのだろうか。
狂ってしまった両親との生活は終わりを告げ、これからは肩の荷を下ろして生活することが出来ると安堵する一方、どうしても両親が不憫でならなかった。
自分が成さなければいけないと思ったことも成し遂げることが出来ず、ただ死んでいった彼らは……何のために生きていたのか。
そして両親の遺品を整理する中で、私は知る。彼らがどうやって一族を再興しようとしていたかを。
彼らが集めていた資料は、支配種族に関するものだった。
現最強種族である支配種族は人知を超えた力を持つ。彼らが望めば木からりんごが落ちることは無いし、水が流れることも無い。
それは物理法則に介入する力だという考察を読んだことがある。しかし支配種族はそれを肯定も否定もしなかった。
両親が集めた資料の中に、数千年前に支配種族の力によって蘇った国の記録があった。
いや、それは記録と表現するにも至らない、ただの伝承、おとぎ話だった。
竜に願って滅びた国を蘇らせる物語。
その他にもいくつも童話や伝承があった。いずれも灰色の竜が現れて、人知を超えた願いを叶えるといったものだった。
心臓が跳ねる。手が震える。
チャットで噂を聞いたことがあった。
支配種族の頂点、皇族十三家の一つ鈍色家の当主が自身を退屈で殺さないために、考えることを止めて片っ端から他人の願いを叶えているらしい。
そして彼の力は他の支配種族とは比べものにならないもので、死んだものを蘇らせることも、終わったものをやりなおすことすら可能にするらしい。
鈍色家当主、鈍色の欠け月の第二子。
彼に会うことが出来れば、そして願うことが出来れば、滅びた星も取り戻すことが出来るのではないか。
数々の伝承はそれを裏付けている。
両親は狂ったわけではなかった。少しでも実現性のある事実に望みを託したのだ。
しかし、それが成就する確率はこの広い宇宙でゼロにも等しい。
それでも両親は願わずにはいられなかったのか。
このまま、彼らの行ったことを無意味にしていいのか?彼らの生きた意味を無価値に貶めてもいいのか?
一族再興を出来るかもしれないのに。
そうすれば、私の叶うはずもない夢も叶えることが出来る。
私も恋をして、結婚をして、子供を見守って、そんな幸せを掴むことが出来る。
叶うことが無い夢だと思っていた。それでもなお、焦がれた夢だった。
鈍色家の当主に謁見さえ出来れば、私は夢を叶えることが出来る。
両親の死も無駄ではなくなる!
この二足歩行人種ばかりの社会で、虚しさに殺されることも無くなる!
それがどんなに成功率の低いものか、分からないわけではなかった。
それでも手段を知ってしまったからには、目指さないことなんて出来ない。
その誘惑をはねのけることなんて出来ない。それは両親の死を踏みにじることと同じだ。
私には、この道しかない。
すぐに弟に打診をした。
弟は驚いた顔で私を見ていた。
「……え?」
「だからっ……!」
察しの悪さに私は苛立つ。両親の発見が理解できない弟に再び説明をする。
「ここの資料の共通事項にあるように、願いを叶える灰色の竜がいるんだ。
それは滅びた国すら復活させる力をもった存在だ。
支配種族が圧倒的な力を持っているのはお前も知っているだろう?
支配種族の、皇族十三家当主ならば圧倒的な力を行使することが可能なんだよ!
私たちの星を復活させて、全てを取り戻すことが出来るんだ!
父さんと母さんがやっていたことは間違いじゃなかったんだよ!」
私は熱っぽくその事実を訴える。しかし、弟は「そ、そうか」と短く答えるだけだった。
単語も伝わっている。文の意味も明白だ。
しかし、感情が伝わらない。
弟の目は、あの日に両親に向けた私の目と同じだった。
弟には伝わらない。信じていない。私の頭がおかしいと思っている。
この宇宙でたった二人だけの同族なのに、距離がこんなにも遠い。
「嘘じゃない!冗談でもない!
何故わからないんだ!」
「そうじゃない、分かってる、分かってるよ」
弟が必死に取り繕う。しかし、私の言葉を信じていないのは明白だ。
どんなに言葉を尽くしても、私の言葉は弟には届かないのか。
チャネリング能力で知った鈍色家当主の話もするべきだろうかと一瞬考え、止める。それこそ信じてもらえないだろう。
その日から、私と弟は一族の再興を目指した。
しかし、弟は本心からそう思っていたわけではないのは明白だ。
二人で暮らして、たった二人だけの種族で、同じ事を目指しているはずなのに、私と弟の距離はどんどん離れていった。
鈍色の欠け月の第二子勅命特別区調査研究機構、通称、鈍色研究機構というものに所属することが当面の目標だった。
そして、その研究機構で目覚ましい成果を上げて、鈍色家当主と謁見することが最大の目標だった。
鈍色研究機構に入るのは凡庸な才覚しかない私には不可能に近かった。
それでも、私は私の夢を叶えるために目指さないわけにはいかなかった。
一分一秒すら惜しかった。
寝る間も喰う間も惜しみ、笑ったり泣いたりする時間すら惜しんで生物学の研究と勉強に時間を注いだ。
他人との交友は最小限にとどめた。
好きだったドラマも見ることを止めてしまった。
毎週予約録画していた番組も、予約を止めてしまった。
外殻のメンテナンスも回数が徐々に減らしていった。
何かを読んで笑うのも、悲しい気分になることも全て無駄に思えた。だから好きだった読書も論文漁りも止めた。
お金に余裕があったらしてみたいと思っていた長期旅行も、諦めた。
周囲が恋愛話や旅行話や、最新の流行の話で盛り上がっている中、ひたすら研究に励んだ。
更には自分の時間だけでは間に合わないため、他人の勉強した記憶を喰うことで知識を盗むこともあった。
危険なことだったが、学会での対抗馬の記憶を喰って、陥れることもしばしばあった。
それらの記憶は不味いものばかりだったが。しかし、選り好みが出来る立場ではなかった。
そこまでしなければ、私の夢は叶えられない。
両親の人生が無駄で無かったことが証明出来ない。
幾つかの栄誉ある学会で論文発表を行い、それなりの評価を得て、ようやく鈍色研究機構への挑戦権を獲得することが出来た。
なりふり構わない努力が報われたのか、誰かの意図か。
私は自身の研究を鈍色研究機構へ売り込み、そこに所属する許可を得ることが出来た。
しかしこれで終わりではない。最大の目標は鈍色家当主と謁見することだ。私は更に研究に注力した。
一方、弟はまるで駄目だった。
私よりも才覚があるはずなのに、権威のある学会にエントリーする権利すら得られない。
私と弟の差は明白だった。
弟は、やる気がないのだ。信じていないのだ。私を狂っていると思っているのだ。
弟は上辺だけは私に合わせているが、本心では私を馬鹿にしている。
その態度に苛立つことは少なくなかった。うまくいかない弟にあたることは数え切れないほどあった。
私は全てを捧げて努力を重ねて鈍色研究機構に入ったのに、この弟は何も捨てず、何の努力もしない。
それが腹ただしくてしょうがなかった。
数年たち、弟は私の前から綺麗に消えた。
『兄貴の足を引っ張りたくないので、出て行きます。
さようなら』
そんな短いメッセージだけが家に残されていた。
全てを捧げてここまできた結果、私はそれを悲しいとも嬉しいとも感じなかった。
そう感じることすら捨ててきた。
もう、どうでも良かった。
宇宙の端調査艦の搭乗依頼が来たときには即座に断った。私には関係がないことだからだ。
物理学者や自然科学者の出番であり、生物学者の出番ではないはずだ。
しかし、五度ほど断ってから、所長代理からの命令に遂に格上げされ、搭乗するか鈍色研究機構から出て行くかの二択にまでされた。
納得しない思いを抱えながら、私はそれに渋々了解した。
こちらは一族再興のために一分、一秒すら無駄にしたくないのに。
そして私は、私と他三名のチャネラーは宇宙の端と出会ってしまった。
簡潔にいえば、『そろそろ宇宙が滅亡する』という宣告だった。
私がもし、万が一、一族を復活させて、私たちの同族を取り戻すことが出来ても、結局遠くない未来に全て滅ぶというのだ。
なんだこれは。
どういうことだ。
私が今までやってきたことは。
両親が己の生涯を賭けてきたことは。
全ては、何だったのか。
どんなに血眼になって努力したところで、待っているのは宇宙の滅亡ではないか。
私がやってきたことは無駄だったのだろうか。
生きてきたことは無駄だったのだろうか。
好きだった本も、番組も、味も、全て我慢して、楽しむことも喜ぶことも笑うことも全て捨ててここまでやってきたのに。
その我慢も廃棄も全て無駄だったのか?私は今まで何のために自身を押し殺してきたのだ?
知ったからには認めなくてはならない。
私は。
私のやってきたことは。
全て無駄だった。
『はぁい?起きてるかしら?シドロフ?
私、リームナよ?』
『宇宙の端調査艦』の一室で私が窓の外を眺めているとき、リームナからチャットを持ちかけられた。
『何の用がある?』
『『宇宙の端』の話よぅ』
リームナに告げられて私は反射で眉間に皺を寄せた。
反射的に重い気分になったことを無理矢理誤魔化しながら、リームナとのチャットを続ける。
『あれ以上話すことがあるか?』
『あるある、大ありよぅ』
嬉々としてリームナは答えた。
宇宙の端が答えた様々なことを思いだし、私は目を伏せる。
あんな事実、知らなければ良かった。
『あの中で、ペペの発言に違和感があったの。
あの場では私達の意見に賛同したフリをした……そんな感じなのよねぇ?
特にね、全てのチャネラーを消せば宇宙の端を消すことが出来るのかって質問……とっても違和感よ。
フツー、『チャネラーを消さないと消すことが出来ないのか?』って聞くわよねぇ?
殺る気満々みたい』
『まどろっこしい話は止めてくれ。それと私と何の関係がある?』
『あるわよぅ。
簡潔に言うわ。
ペペは私達を殺すつもりだと私は考えてるわ。でも確証がない。
だからあなたに囮になって貰って、その確証を得て無力化したい』
しばらく返事を忘れて私は考えた。協力すべきか否かを。
答えは否だ。
私には関係が無い。
『断る。勝手にやれ、私を巻き込むな』
『あなたにとってのメリットを提示するわ』
溜息をつく。どんな条件を提示されようが、今の私にどれほどの価値があるというのか。
この会話自体に意味がない。
もう、念話を強制終了するか?
私がそう考えたときに、リームナはすかさずこちらの興味をひく言葉を告げた。
『あなたは自殺するつもりね』
答えなかった。しかし、それは無言で肯定していることと同じだった。
『ペペと同じく、質問からそういう意図を読み取ったわ。
自分で死ぬのって想像よりも大変なことよ。
それだったらペペに殺される可能性があるなら、あなたにとっても好都合じゃないかしらぁ?
私にとっては勿論メリットがあるし』
宇宙の端との会話で、チャネラーが死んだ後の発狂プログラムの動きについて確認したのは、完全に蛇足だった。
おかげで知らなくていい奴にまで私の意図が知られてしまった。
ニヒト星人は私と弟のみ。
このまま宇宙の端が動き始めれば、二人共発狂プログラムに感染して死亡する。
しかし、宇宙の端の発動前に私が死ねば、弟が発狂プログラムを発症することは無く、宇宙が畳まれるまでの四十八時間を生き延びることが出来る。
結果を比較すれば、私がやらなければいけないことなど明確ではないか。
しかし、その思考を良しとしない部分もある。
家を出て行ってから死んだ者として扱っていた弟を、ここにきて都合が良く生きている者として扱っている自分の矛盾に苛立ってくる。
結局、私は……もう諦めたいだけなのではないか?
全てが無駄だったと分かった今、そしてそれが取り戻せない以上、もう『降参だ』と宣言したいのかもしれない。
だったら。
『分かった。あんたの話に乗る。
言っておくが私は何もしないぞ。
囮としてただいるだけだ』
他人に背中を押してもらう方が良いのかもしれない。
私の答えを聞き、リームナは嬉しそうに声を上げる。
『そう?良かったわぁ。それでいいわよぅ、仕込みはこちらでやるから。
実はね、ちょっと監視の目の届かないところで宴会をやるつもりなのよぅ。
ペペにわざと動いてもらえるような環境をそうやって作るの。
あなたはそれに参加してくれるだけでいいわぁ。
私とあなたの繋がりはギリギリまで隠したいから、別ルートで誘うけど』
『…別ルート?』
こちらで何かをする必要は無さそうだと思っていたところに、不意におかしな言葉が出てきた。
そしてリームナは更におかしな言葉を重ねる。
『あなた、ジネッタと知り合いなんでしょう?』
急に出てきた名前に思わず言葉を失う。反応が遅れる。
何故今その名前が出てくる?
いや、ジネッタも艦内にはいるが……。
何故、自分がジネッタと知り合いだと分かった?
混乱する私を無視してリームナは歓声を上げた。
『はい、せーいかーい!
シドロフくんは、ヴィクティンくんでしたー!』
『何故……分かったんだ?』
今までリームナに対して本名を明かしたことは無い。また、自分がチャネラーだと知っている者もこの艦にはいないはずだ。
何故だ?
『チャットをするときの生活リズムが一番の理由ね。
いつチャットをしていることが多いか。いつしていないか。日次で週次で月次で年次でどうか。
以上を総合すると、あなたって結構生活リズムが日次でコロコロと違うから、結構自由な勤務形態をしていることが分かる。
それから生物学についてちょっと詳しいのも要素の一つ。
あとこの艦に乗っている大概の種族のチャネラーのハンドルネームを、私は知っている。
あとこれは何よりも重要。この艦に乗っている研究員たちのうち、暇なのはあなただけってこと』
リームナ・マガホニーといえば、大宇宙連合が表彰した『二百人の賢き者』の一人だ。
それは彼女の研究がそれだけ価値の高いものだという意味に過ぎないが、そんな評価を受ける研究を行うほど彼女の知能が高いことも暗に示している。
だからといって……数多くのチャネラーの生活リズムやら何やらを記憶し、そこから個人を特定するなど人間の成したことだとはとても思えない。
あらかじめ相手を特定する気だったらまだしも、特定するつもりもないのに記憶してしまっていることが信じがたい。
『ジネッタにあなたを宴会に誘うように仕向けてみるわねぇ。
そしてその場にペペらしき人物も誘い出す。
あとは座っているだけでいいわ。頃合いを見てペペの動向を見ましょう』
その才能に溢れた悪女はクスクスと笑いながらそんなことを言った。
宴会はリームナの予想通りに進んでいた。
イェルがペペだという確証も得られたし、私とイェルを二人っきりにすることで、イェルの考えを確かめる機会も得ることが出来た。
「滅多に無い体験といえば……ヴィクティンさんは『宇宙の端』というものをご存知ですか?」
そしてリームナの思惑通りに、イェルは宇宙の端について語り出してきた。おそらくはこちらが本当に関係者だということを確かめたいのだろう。
そんなもの、先ほどのリームナの三窓チャットで明らかだというのに。
念話でリームナが感想を述べる。
『探りを入れて来たわね』
『まどろっこしい奴だ』
聞きたいことがあるのならば、ためらわずに聞けばいいのにと思い、私は発言する。
「時間の無駄だ。
あんたもさっきリームナとチャットしてたんだろ?
あんたがペペだ」
私の発言に相手は面食らう。こちらが気を利かせて本題を進めているのに、その話に乗ろうともしない。
「え……あ……」
面倒になって私は更に問う。
「で?わざわざ探りを入れてきた理由はなんだ?」
しばらくイェルは沈黙していたが、誤魔化すように笑ってから質問に答えた。
「あははは……バレてますか……。
確かに僕はペペです。
探るようなことをして申し訳ないです。ただの興味本位で聞きたかったんですよ」
そう言いながらイェルはレジャーシートの上に置かれた調理器具を手に取る。
鍋であったはずのそれは、使用者の意思に反応して即座に変形した。
「えーっとあなたは……シドロフ?帽子屋?」
いつの間にかイェルが手に持っているものは一本のナイフとなって、こちらに刃先を向けられている。
ああ、こいつは本当にやばいやつだったのか、と私は理解した。
殺意はあるはずなのに、いつも通りにニコニコと笑っていたし、声音も天気でも尋ねるくらいに普通のものだった。
しかし、有無を言わさない迫力がこちらに向けられている。
言わなければ刺す、と暗に言われていた。しかしきっと言っても刺すのだろう。
振り絞るような気持ちで、私は答える。
これが、私の最期の言葉だ。
「シドロフだ」
イェルが動こうとした。
これで、私は死ぬのか。殺されるのか。私が終わるのか。
何も成せず。
両親の思いを継ぐことすら出来ず。
何にもなれなかった私が終わる。
全て無駄だった私が、終わる。
終わる。
終わって…。
…。
終わるはずなのに。
『目を閉じなさい!』
脳内にリームナの声がする。
反射的に目をとじる。
…ああ、くそ。
今になって。どうして。こんなこと。
(嫌だ!)
身を捩りながら左腕で自身の身体を守る。
左腕の痛覚が悲鳴を上げた。
それとは別にナイフの落ちる音と、イェルのくぐもった悶絶する声がする。
おそらくリームナの置いていった、強烈に発光する式で目を手痛くやられたのだろう。
私はそれを無視して、目を閉じたまま、方向転換し、すぐに立ち上がりながら無様に走りだす。
恐怖に顔を歪めながら、おぼつかない足取りでなんとか身体を動かし、イェルから離れる。
なんで。
私はいつもこうなんだ?
いつも、いつもだ!
夢をもつにしてもそうだ!
恋愛についてもそうだ!
全部そうだった!
気づかなければよかったことに、気づいてしまう!
やるべきことと、やりたいことはいつも違う!食い違う!思い通りにいったことなんかない!
必死で走る私は絶望的な気分で、その、自分のやりたいことを認める。
(死にたくない……ッ!!!)
何も成さないまま、何にもなれないまま、自分の人生が無駄だったと後悔したまま死にたくない。
死にたくない!
死ぬべきなのに!
ああ。なんてちぐはぐだ。
噛み合わない。
皮肉だ。
通路にリームナを見つけ、その目の前で止まる。
恐怖から全力で走ってきたため、息が整わない。少し気分が悪い。
リームナが不満気に言う。
「ちょっとぉ。お礼はともかく、返事くらいしたらどう?一瞬イェルが来たのかと思ったじゃないのぉ」
その言葉は遠く聞こえた。どうでもいい。
今、私が気づいたことに比べれば、とても瑣末なことだ。
あんなに死ぬべきだと。
死にたいと。
そう思っていた私が、実は『死にたくない』だと?
なんとも滑稽な話だ。
もはや悲劇を通り越して、喜劇だ。
滅茶苦茶ではないか。
あれだけ格好つけて死ぬべきだとか真剣に思っていた姿が、今ではとても間抜けに見える。
おい、そいつ本当は、情けない姿で逃げ出すほど死にたくないんだぞ。
いざ殺されるとなると、ひぃひぃ悲鳴をあげながら逃げ出すやつなんだぞ。
馬鹿が。
間抜けが。
それが、私か。
その事実が可笑しくて、私は思わず笑う。
少しだけ笑ったつもりなのに、抑えが効かない。たがが外れたように私は笑った。
「ふははははははははははははははははははは!!はははははは、ははははははは!!」
これ以上に可笑しいことがこの世に存在するだろうか。
私は、死にたくないのか。そうか。そうなのか。そうだったのか。
リームナが雑音のように告げる。
「ちょっといい加減にしなさい。
イェルはしばらくは目が潰れているとは思うけど、すぐ復活して追ってくるわ?」
目をやられたイェルがじきに復活するという意見は正しい。
私は止まらない笑いをなんとか抑えながら、二つ、頷く。
今がイェルと対峙しているときだということをすっかり忘れてしまっていた。
それほど私は、自身が滑稽だった。
「こんなに笑ったのは久しぶりだ」
「どうでもいいけどさっさとこの場から離れましょう?
さっきの誰かさんの声でこっちにいるってバレバレよぅ?」
その言葉すらどうでも良かった。可笑しかった。
「そうか。そうだよな。そうなるな」
死にたくない。
しかし、私は死ぬべきだ。
だからといってあいつに殺されて納得出来るはずが無い。
だったらやることは決っている。
走りだそうとしたリームナを止めるように声をかける。
「リームナ」
自分がこれから今、どうするかを決めた。決まった。
死にたくないのならすることは一つだ。
「私はあんたに積極的に協力する。
あのイェルをなんとかするのに協力してやる」
それから私はリームナに自身の種族の特性と、これから何をするかについて説明する。
そして自身がその種族だということの証に本体の姿も見せた。
しかしそれでもリームナがこちらを疑わしそうに見るため、私は問う。
「今、私の姿を見ただろう?
あんたはこれ以上何を疑ってるんだ」
「そうねぇ…」
腕を組み、首を傾げたまま彼女は尋ねた。
「あなた、なんで急に協力的になったの?」
問われ、私は苦笑する。
私は。
私は気づいてしまったんだ。
死ぬべきだと理解しつつも、尚死にたくないと思う、自分の本心に。
そしてその事実に心底困ってしまった。
困ったことを誤魔化すような笑みで、私は告げた。
「生き方は選べなかったからな。
死に方くらい選びたかった。
それだけだ」
その後、リームナとマルツェラと協力し、イェルの記憶を喰うことには成功した。
しかし、予想外の事態が発生する。
ジネッタにその現場を見られてしまった。
ジネッタを追って、私は暗闇を歩く。
幸い、ジネッタは叫びながら走っているため、自ら場所をアナウンスしてくれている。
あとはその方向に向かえばいいだけだ。
首を切断されたおかげで、貧血気味の外殻が思うように動かない。
それでも気力で外殻を動かす。
なぜ、私は一人でジネッタを追うといったのだろうか。
マルツェラが言うように、三人で追ったほうが効率的だ。しかし、敢えて効率的でないことを選んだ。
自分でもよく分からなかった。
ただ、イェルの記憶を喰ったところを見られたときに、反射的に学生時代を思い出した。
あのときも、ジネッタに現場を見られてしまった。そしてジネッタの記憶を喰うことになった。
これから死のうとしている私の、感傷なのだと思う。
ジネッタの悲鳴が止まる。
不思議に思い、私は足早に現場へと向った。
それに伴って足音が鳴る。
こつこつこつこつこつこつこつこつこつこつこつこつこつこつこつこつこつこつこつ。
床に座る彼女を見つけることは簡単だった。どうやらギュントにつまずいたらしい。
光球に照らされた彼女はこちらを見て恐怖の色を表情に浮かべる。
こつん。
私は足を止める。
……よく考えたら彼女には私が見えていないのではないだろうか。彼女の明かりの範囲に私は入っていない。
自分が暗視出来るため、すっかりと忘れていた。
そして。彼女は絶叫する。
「きゃぁああああああああああああああああああああああああああああああああああ!!」
軽いパニックか。
私はそう判断すると、素早く拳を握り、全力で彼女の頭をぶっ叩く。
ごん、と重い音がした。
彼女が痛みに顔を歪め、反射で頭を押さえる。
その間に私は手早く光球を発生させると、自分と彼女との間に配置した。
そしてかがみこみ、彼女の様子を見守る。
やがて痛みがひいた彼女は涙目をキッと吊り上げ、私を睨みつける。
睨みつけてから、拍子抜けした顔をした。
「……え……ヴィクティン?」
「なんだそのアホづら。
化け物に見えるか?」
「あ、ごめん。
そうじゃないけど…」
そこまで言ってから、彼女ははっと気づく。
「なんであんた、今私叩いたの!?」
「あんた、そんなことも分かんないほどイカれたのか?
パニクってたからに決まってるだろ」
「そうだけどそこじゃない!」
彼女はショックを受けたように頭を抱える。
「フツー可愛い女の子がパニクってたら!
優しく抱きしめて『もう大丈夫だ』とか言うもんでしょ!?
もしくは腕に噛み付かれても『大丈夫、怖くない』みたいなこと言ったりして!
どこの宇宙に叩いて正気に戻す馬鹿がいるの!?」
必死に彼女は訴えるが、なかなかに面倒くさい注文だった。
私はひとつ溜息をついてから提案する。
「最初からやり直せって言ってんのか?
ほらじゃあ、あんたが阿呆みたいに悲鳴あげてたところからやり直せよ」
「ああああああああああ!反省が全っ然感じらんない!
あんたどれだけ自分が常識外の行動とったか分かってんの!?」
「あんたの提案より効率的な方法だってことは分かってる」
「うがー!」
彼女はそう叫びながら髪を掻きむしる。
まぁ、そうやって恐怖に捕らわれていた自分を鼓舞しているのだろう。どうにかこれが日常の延長線だと、自身に言い聞かせているのか。
では、それに便乗するか。
「どうでもいいけど、もう宴会が終わって片付けてるんだ。
とっとと戻るぞ」
「え?」
今度は本当に彼女は不意をつかれた顔をした。
私は理解の遅い彼女に苛立つように告げる。
「だから、宴会がもう終わるんだって。
あんた今までどこ行ってたんだよ」
「そ…。
そんな、そんなはずない!
私見たよ!?男の幽霊も、うじゅうじゅした変な化け物も!」
変な化け物で悪かったなと心の中で呟きつつ、私は彼女の訴えに答える。
「はぁ?あんたそこまで頭がおかしくなったのか?
幽霊とか何言ってんだ?」
「だって、マルツェラもイェルもギュントも……」
「その三人なら今宴会の片付けをしてる。
……あんた本気で頭打ったんじゃないのか?」
ここからは賭けだ。近くにギュントが倒れていることを誤魔化さなくてはいけない。…ジネッタに生体反応を調べさせては駄目だ。
それにそろそろ約束の一時間がたち、ギュントが目覚めるため、ここから離れなくてはならない。
「だ、だっていたよ!?
ギュントがここに倒れて……」
「どこだ?」
私は自身の光球を動かす。上手くギュントを避けるように。
パニックと、頭を叩かれた衝撃で方向感覚が狂った彼女は首をかしげる。ギュントがいないことに納得しつつある。
彼女が自分で探し出す前に私は彼女に告げた。
「いないだろ。
ほら、とっとと行くぞ」
そして手を差し出す。
とりあえずギュントが近くにいるこの場から、とっとと立ち去りたかった。
しかし彼女は手を取らない。
こちらに身体を向けようとしているのだが、冗談でやっているように動かない。
そして彼女の陥った状態を想像し、私はげんなりとした表情をして額に手を当てた。
彼女は恥ずかしそうに上目遣いで告げる。私の想像通りの言葉を。
「……立てない……」
腰を抜かしたらしい。
彼女への罵倒の言葉を五十個ほど考えてから、私は溜息をついた。
ここで悠長にしていてはギュントが目覚めてしまう。
ここから性急に移動する必要がある。
(最悪だ……)
彼女は口元に人差し指を当てると、恥ずかしそうにねだるような声で告げた。
「……おぶって……くれない……?」
『くたばれ間抜けが』と反射的に言いかけた口を閉じ、私は溜息をつきながら彼女に背を向けながらしゃがみ、言う。
「乗れよ」
「ううううう……ごめん……」
彼女の細い腕が私の首に回される。私は彼女の両足をそれぞれの腕で抱え、ゆっくりと立ち上がろうとする。
ゆらゆらと揺れながら私は彼女を背負って立ち上がった。
やはり事前に想像した通り。ほとんど鍛えていない私の筋力は、人を一人背負うことが難しいほど貧弱だ。
私は絞りだすように感想を告げる。
「重……い……」
彼女はヒステリックに叫ぶ。
「うるさいわね!わかってるわよ!馬鹿!
気づいても言わないでよ!傷つくでしょ!」
背中でぎゃあぎゃあ騒ぐ彼女を無視して私は歩き出す。
仕方ない。ここにいるギュントからいち早く離れるためだ。
ここでもしギュントが目覚めたら、どう反応すべきかお互いに困るだろう。
一歩。
また一歩。
重く。
足取りを。
刻んでいく。
「ご、ごめんね……」
彼女が気遣って私に話しかける。しかし、私には反応する余裕が無い。
『そう思うんならとっとと降りろ』と、よっぽど言いたかった。
何歩進んだだろうか。
通路の十字路を抜け、その先のT字路に差し掛かったところで私の力は尽き、しゃがみこんで彼女を下ろした。
ついでに私は反転して、通路に大の字に倒れる。
「もう無理だ……」
「うう……ごめんなさい……」
私はずりずりと這うと、上体を起こし、コンテナに寄りかかって、大きく息をついた。
はずむ息を整える。
ジネッタはまだ歩けないのか、同じように床を滑るようにコンテナに近づくと私の隣で、同じような体勢で座り込んだ。
「重かった…?」
恥ずかしそうに彼女は尋ねた。だから私は答えた。
「重い」
正直に。
その答えを聞き、彼女は怒りに顔を歪ませてから、両頬を膨らませてそっぽを向く。
じゃあ聞くなよ、という言葉を吐く元気も無かった。
「まぁ……そういう答えもヴィクティンらしいのかな……」
彼女はぽつりと呟いた。そしてこちらを向いて微笑む。
「なんか、ちょっと安心した」
彼女の真意を測りかねて、私は訊いた。
「体重が重いことに?」
「しつこい!」
彼女に一喝されて私は黙る。
それから彼女は加えた。
「なんか、ね。
この艦で、前にヴィクティンと話したとき……なんか怖くって……。
ずーっと不機嫌そうな顔してるしさ。すぐ話打ち切っちゃうし。
昔と変わっちゃったなぁって思ってたんだ」
少しだけ返答に困る。私は彼女のことを知っている。しかし、彼女は私のことをあまり知らないはずだ。
「あんたと私、そんなに親しかったわけじゃないだろ。なんだ昔と変わるって。あんたが私の昔をどれくらい知ってるって言うんだ」
「あー。そうだよね。そう。
おっかしいよね。学生時代もちょっと話しただけだったのにね。なんか、昔と違ったって思ったんだよ。
まー自分でも変だと思うけどさー」
彼女は誤魔化すような笑みを浮かべてそう告げる。
「なんか、気になったんだよ。
あんたのこと」
記憶は喰ったはずだ。
それなのに彼女は私のことを気になったと言う。彼女にはもう私に関わる理由がないというのに。
しかし、私の喰い残した記憶の欠片、そんなものがあるのだとしたら。
彼女の思いはなんとなくというものではなく、過去の残滓だ。
「でも、昔と変わってなくて安心した。
なんか今までの会話、懐かしい」
心地よさそうに目を閉じて彼女は安心感に包まれるように告げた。
同感だった。ただそれを告げるのは止めておいた。
代わりに試すような気持ちで私は言う。
「体験しないと分からないことってあるんだな」
私の唐突な発言に彼女は不思議な顔をした。
「?
どしたの急に。当たり前じゃん。
何かの引用?」
彼女がそう反応することこそ、当たり前だ。
彼女がそう言った記憶を、私自身が喰ったのだから。覚えているわけがない。
自分の浅はかさに笑みを浮かべながら、私は彼女に顔だけ向ける。
「私には体験してみたいことが色々あるが、多忙で時間が無い。
あんた、やりたいことないんだろ?
私の代わりにやってくれないか?」
自身で申告したはずの彼女は不満気に回答する。
「他人を薄っぺらい人間みたく言わないでよー。
まぁ、やること無いからいーけどさー。
何?」
「星を六つ巡るような長期旅行をしてくれ。水の星って呼ばれているヴォーデは必ず旅程にいれろ」
「……今の職業、長い休暇取りやすいからいいけど」
「それから」
「え?複数個あるの?」
「当たり前だろう」
不満気に驚く彼女の質問を私は肯定する。やりたいことがこれだけのはずがないだろうに。
「ドラマを飽きるほど見ろ。特に宇宙牢獄脱走シリーズは絶対、だ」
「随分古いタイトル出すじゃん。あれって私達が学生のときのでしょ?」
彼女の言うとおりだと首肯する。研究のために途中で視聴を止めてしまったため、最後がどうなったのか知らないのだ。
「あとオムライスを食ってくれ」
「いきなりしょぼい!」
彼女の感想は最もだ。私は不満気に答える。
「達成しやすいんだからいいだろ。あんた、好物だろ?
あと読書もしろ」
「それは今もしてる」
「どうせ何の得にもならない占いやら心理ゲームやらの本ばっかだろ。
歴史小説とか読めよ」
「なんで私の本の趣味知ってるの…そして馬鹿にするの……」
彼女はショックを受けたように泣きマネをする。しかし無視。
「それから」
喉の奥から絞り出すように私は言う。
「普通に恋をして、普通に結婚して、普通に子供が大きくなっていくのを見守って、そんな風に幸せになってくれ」
ジネッタが沈黙する。
私の言葉がそれだけ不自然だったのだろう。
しかし、伝えずにはいられない。託さずにいられない。
それらは全て、私がやりたかったことだ。
そして諦めたことだ。
出来なかったことだ。
私は天井を仰ぎ見て、溜息をつく。
何を馬鹿なことをしているんだ私は。こんなことをして何の意味がある。どうせ彼女は忘れてしまうのに。
突如、彼女が私の胸に飛び込んでくる。私は小さく尋ねる。
「なんだよ」
私の胸に顔を埋めたまま、彼女は答えた。
「こうして欲しそうな気がした」
「なんで」
私の言葉を遮るように、彼女は顔を上げて私を見つめる。その真剣な眼差しに思わず言葉がつかえる。
彼女は囁くように尋ねた。
「…なんで泣きそうな顔してるの?」
自覚はなかったし、外殻には感情に起因して涙を流す機能がない。
それでも彼女の指摘は正しいように思えた。
「そうか。
なんでだろう」
他人ごとのように言う私に、彼女はくすぐるような声で告げる。
「他人任せの寂しいこと言うからだよ。
私が代わりにやるんじゃなくて、自分でやりなよ。
……一人で無理なら一緒にやるからさ」
ああ。そうだな。それが出来たらどんなに良いか。それはどんなに楽しいだろう。
左手で彼女の頭を撫でる。昔、彼女がそうして欲しいと思っていたな、と思い出しながら。
「一緒に……。手伝ってくれるか?」
そうすれば、私は幸せになれるだろう。
でも、もう私には出来ない。
出来ないんだ。
彼女は潤んだ瞳を上目遣いにして、私を見る。
「ヴィクティンと一緒なら……いいよ」
ジネッタにとって私は、唯の知り合いなのに、まるで学生時代に戻ったみたいだった。
それは都合の良い解釈かもしれないが、こんなときくらい、そんな幻想に浸っても良いじゃないか。
私は彼女の頭を撫でていた手をゆっくりと肩へと移動させる。右手は彼女の背中に。
私とジネッタは見つめ合ったまま、間合いを図るように互いに言葉を発しなかった。
こんなときくらい。
最後の別れのときくらい。良いじゃないか。
私は掠れてしまうくらい小さな声で告げる。
「こういう時は、目を閉じるんだろ?」
これが別れの言葉だ。
この宴会の記憶も。彼女の恐怖の記憶も。……私と彼女がこうして話していた記憶も。
彼女はきっと全て忘れてしまう。
(さよなら、ジネッタ。
最後に会えて嬉しかった)
倉庫区画の一件の後、準備は驚くほど早く終わってしまった。
拍子抜けするくらい酒と睡眠薬は簡単に入手出来、適当な遺書を作成することも終わってしまった。
一日目は酒と睡眠薬を見つめて、ひたすら溜息をついた。何度か手に取ったが、それを飲むことはなかった。
二日目に差し掛かって、部屋の物に当たり散らした。「なぜ自分なんだ」と、「ふざけるな」と喚いて暴れた。
三日目になるともう暴れる力も無くなってしまった。外殻への栄養供給を絶っているため、力が回復することも無い。
いっそのこともう、何もかも忘れて、宇宙が滅亡するそのときまで呑気に生きるのも良いかもしれないとすら、思い始めてきた。
弟をたった四十八時間生かして何になる?いや、そもそも弟はもう野垂れ死んでいるかもしれないではないか。それこそ意味が無い。止めてしまえ。
そんな声が徐々に大きくなっていく。
そうだ。弟がもし、もう死んでいたら。
私はベッドに仰向けになりながらコンソールを呼び出し、メールを確認する。
研究に関係しないプライベートなメールはほとんど未読のままだった。
もし、もしその中に弟が死亡したという知らせがあったら、酒と睡眠薬を捨てよう。そう決めてメールを検索する。
しかし、そのようなメールは出てこなかった。
弟からのメールも勿論無い。
代わりに見つけたものは、学生時代の友人からのメールだった。
仕事で私の弟と会ったという報告と、何かあったのかと心配する内容だった。
メールの日付は、三ヶ月前。
生きている。
生きていた!弟は今も行きている!
祈るように、私は額を両手にのせる。
いなくなったときには気にもしなかったのに、今、生きていると分かったことがこんなにも嬉しいとは。
自分勝手な話だ。
良かった。本当に良かった。
私は立ち上がり、自室のデスクの上に置かれた小瓶とグラスに目を向ける。
パーシル。
お前に滅亡までの四十八時間を贈ることが、私が兄として同族として最後に出来ることだ。
あんな、宇宙の端だとかよく分からない存在を、ぶん殴ってこい。
最後まで自分勝手な私を、お前は理解しないだろうし、許さないだろう。
宇宙の滅亡の回避なんてものを託されても迷惑だろう。可能かどうかすら分からないものな。
だけど、私は、せめてお前に託すことで、私の意味を見出したいんだ。自分を意味のあるものにしたいんだ。
「許してくれ」とも「すまない」とも言わない。そんな言葉で許されはしないだろう。
ただ「生きろ」。
お前は生きて、私たちの死が無駄ではなかったと証明してくれ。
自分勝手な兄を持って……運が無いな、お前も。
睡眠薬の小瓶を開けて一気に飲み込む。それが私の本体に到達する前にグラスに少しだけ入った酒をすかさず飲む。
一気に感覚が痺れていく。思考が鈍化する。
フラフラとしながら私はベッドに倒れ込んだ。
アルコールでどんどん呼吸が荒くなっていく。身体が熱い。
睡眠薬の影響で身体が動かない。だが脱力するのが気持ちが良い。
宴会中、皆が飲んでいたものをようやく飲めた。皆こんな気分だったのか。
ようやく、知ることが出来た。
二度寝をするような幸福感。ああ、久しぶりだな、こんなの。
次に目が覚めたら、今度は面白おかしく生きてみよう。
仕事をサボって旅行に行って、時間を忘れてドラマを観て、たくさん読書もして。今度はもっと笑ってみよう。
そうだ、オムライスも食べてみよう。きっと美味しそうだと思えるし、どんな味がするのか楽しみだ。
それから、恋をしよう。他人を好きになろう。気持ちを通わそう。
そして結婚して、ささやかな家庭を築こう。自分の子供を見て、どの部位が自分に似てると下らない主張をしてみよう。
ときには反抗的な態度をとる子供を厳しく叱ってみたい。子供に手を焼かされながらも、自由に育てて、自分より身体が大きくなったことに驚きたい。
一人前になった子供を見て、寂しさと共に達成感を感じたい。
ああ、きっと。
それは幸せだ。




