10^-35 その3
登場人物
ギュント:傭兵。戦闘種族フレン星人。身体は本体ではなく、人形と呼ばれる遠隔操作可能な端末。
マルツェラ:艦の調理士。ジネッタ、リームナの友人。さばさばとした女。
ジネッタ:艦の通信士。ヴィクティンとは学生時代の友人。リームナ、マルツェラはこの航行で仲良くなった友人。
ヴィクティン:勅命機関勤務の男。ジネッタとは学生時代の友人。失礼な発言が多い。
イェル:傭兵。戦闘種族エンデ。小柄と尖った耳が特徴。常にニコニコとしている男。
リームナ:中年女性。ジネッタ、マルツェラの友人。ゆったりとした話し方。
「傭兵と調理士」
必死にいつも生きてきた。そうしなければ生き残れなかったから。
何のために生きるかは考えもしなかった。そんなことを考えている暇も無く必死だったから。
それでは必死になっていたのは何のため?
ビッグ・クランチは昔に提唱された仮説だが、それは最早過去のものだった。
プランク長から始まった宇宙は加速膨張し、広がり続ける。
その中で星々が生まれ、交流が始まる。交流が始まれば協力関係が結ばれ、敵対関係が生じる。
そして一つの大きな戦争があった。
戦闘種族であるフレン星人は当然の結果として戦争に駆り出される。
それがその後の命運を分けた。
フレン星人は最強の戦闘種族。その筈だった。しかし、その称号は現三大支配種族の一つが出現することによって、いとも簡単に剥奪される。
敗残兵であり、支配種族と直接戦闘をしてしまったフレン星人への侮蔑と畏怖は避けようもないことだった。
そして大戦を生き抜いた者の一人であるギュントは傭兵へと身を堕とした。
傭兵といっても警備員に毛が生えた程度のものだった。
戦闘種族のプライドは、日々の生活の中で忘れ去られていった。
巨大な機械である自身の身体は、とんでもない維持費用を欲した。
かつての戦争屋としてフレン星人であれば、そんな費用は問題なかったが今は時代が違う。
戦争稼業は禁止され、差別され、仕事すら選べずに傭兵をやっている身にとって、生きていくための費用は途方も無い金額に感じられた。
ギュントは思う。
誰だって生きるために生き物を殺す。
人が人を殺すことは罪に問われるが、人が家畜を殺すことは罪に問われない。
誰もがそうしなければ生きていけないからだ。
ならば、自分が生きるために犯罪に手を染めることも同じではないだろうか。
生きるための手段であれば、背徳的な行為は見逃されるのではないか?
ギュントはサングラスのまま暗い通路を歩く。
サングラス越しに暗視機能が展開されて通路は昼間のように見える。光がなくても歩くことに困ることはなかった。
イェルから受けた指令は「マルツェラを守る」だった。
だから酒を取りに行ったマルツェラの後を追うようにギュントは歩いている。
だがその指令に従う意味はない。そして従わないことにメリットがある。
ギュントはマルツェラが歩いて行った方向とは違う方向に向かっていた。
傭兵というだけでは満足な金を稼げなかった。
だから宇宙賊なんてものに手を出した。
暗闇をギュントは歩き続ける。手には一枚のカードが握られている。
こちらの座標を仲間に伝える発信器だ。
跳躍空間内では意味がないが、通常空間に戻れば仲間の宇宙賊がこの信号を頼りにこの船に強襲をかけることが出来る。
この船をターゲットとした理由は、調査船であるがゆえに戦闘力が極端に低いことにある。
『宇宙の端調査船』。
そんな金持ちの道楽みたいな調査船を襲うことぐらい、わけがない。
この船で一番の戦力はギュント自身だ。襲われたときには適当にやられたフリをすればいい。
自分が敵と内通しているなどとは、あのお人好しのイェルは思いもよらないだろう。
普段の宇宙賊行為では自分が護衛しているターゲットを襲わせるなどということはやらずに、他社の情報を横流しする程度しか行わない。
自分の会社が絡むものだけ宇宙賊に襲われれば、ギュント自身が疑われてしまうことは馬鹿でも想像がつく。
今回は旨みのあるターゲットだけにそのルールを犯して、宇宙賊行為を行うことに同意した。
船内にいる間は二人一組で行動しており、迂闊な行動はとれない。更には船内の監視をくぐり抜けて、いつ発信器を取り付けるかが悩みどころだったが、この宴会は良い機会だった。
イェルが宴会に参加したいと申し出たのは嬉しい誤算だ。あとは隙を見て宴会中に行動を起こすだけになる。
自身が酒を取りに行くことで単独行動をとる予定だったが、マルツェラに先に行動されてしまった。
予定とは違ったが、結果的に単独行動を起こすことが出来たので良しとする。
マルツェラの進んだ方向を無視し、倉庫区画の一番隅の区画に差し掛かる。
ギュントは屈むと、目の前のコンテナへ手に持った掌に収まる程度の銀色のカードを貼り付けた。
跳躍空間以外では、発信器を設置した記録が残るだろうが、今は跳躍空間内であり、しかも倉庫は監視レベルが落ちている。証拠は残らない。
これで仲間たちは跳躍空間内を脱出次第、この船の位置を把握するだろうし、いざとなればこれを爆破して船員を混乱させることも出来る。
戦闘種族としての誇りはどうした?と、心のどこかが疼く。しかし、黙殺。
かつて戦場で己の生を謳歌していた自分は、こんなにも下らないことをしている。
誇りだけでは生き残ることが出来なかった。
蔑まれ、恐れられてどうすれば真っ当な手段で生き残ることが出来たというのだろうか?高額な維持費用を誰が支払える?
そのような境遇を呪うように、ギュントは舌打ちをする。
「どしたの?」
突如、自分以外の声がした。
女の声。
振り返ると同時、相手の鳩尾に正確に一発、拳を当てる。続けざまに相手の顎の位置を即座に把握しもう一発。
ばさり、と女は倒れる。その衝撃で床に頭を打ち付けて、一回跳ねてから通路に倒れこむ。
ギュントは倒れた女の近くに屈みこむ。
マルツェラだ。
ギュントは彼女の顔を両手で掴むと頭部を左右に動かし、床に倒れたときの傷を確認する。
予想通り、倒れた時に頭を割ったのか頭部の右側が血で濡れていた。
生体反応があるため死んではいないし、死ぬような怪我でも無い。
ギュントは目を伏せて彼女の処遇を冷静に検討する。
おそらく自分の行為を見られたのだろう。
何故気づかなかったのか。
普通に接近してきたのであれば足音で気づくはずだ。
足音を殺して近づいてきた?その理由がマルツェラには無いし、その技術も無いだろう。
(跳躍空間じゃなければな)
跳躍空間内でなければ、本体の観測により彼女がどのような動きをしていても把握出来ただろうに。何もかもが歯がゆい。
見られてしまったのであれば仕方がない。
目撃者は全て消すべきだ。
まずはマルツェラの身体を拘束し、どこかに隠す必要がある。
跳躍空間内を出るまでに隠し切れればこちらの目的は達せられる。
その思考に反応し、サングラス上に周囲のコンテナの中身が浮かび上がった。
一時的にどこかに隠して生体反応を消した上で、原型が残らないほど細かく加工するか消し飛ばす方が良さそうだ。
ここであまり時間をかけても他の人間に怪しまれる。
が。
足音がした。
こちらに近づいてくる。
聴覚情報を本体で分析。……実際に本体が観測している情報でないため、精度が悪いが大体のことは分かるだろう。
分析終了。近づいてくるのはジネッタか、もしくはリームナだ。
ここで何事もなかったかのようにマルツェラを隠すことは出来る。しかし、その後には必ず全員でマルツェラを探し出すことになる。
そうなれば生体反応で位置がばれてしまう。
ここで殺して、死体を隠す時間は無い。
ならば。
別の一人の犯行を装った方が得策か。
ギュントは仰向けに倒れているマルツェラをうつ伏せにする。これで後ろから殴られたように見えるだろうし、一目で彼女が襲われたということが分かるだろう。
血の跡が床に残っているためおかしなことになるが、暗い中では気づくまい。ジネッタもリームナも夜目が効く種族ではない。
遠くから灯りが近づいてくる。
ギュントは静かに、マルツェラから離れた。
灯りに、倒れたマルツェラが照らされる。
「マル……ツェラ……?」
声を分析。ジネッタだ。
好都合。先ほどの宴会での印象では、リームナよりも騙しやすそうだった。
「退け!」
暗闇の中、叫ぶ。
その声に驚き、彼女は周囲を見渡す。
(頃合いだな)
そう判断し、ギュントは彼女の前に飛び出て両肩を掴む。
「ここは危険だ!
退却しろ!」
彼女はわけが分からない、と表情で訴える。
ここからは勢いで押し切る必要がある。
「何者か分からねぇが敵襲だ!」
声を荒げて、彼女に言い聞かせる。こちらの目論見通り、彼女は混乱したように目を白黒させた。
「でもっマルツェラがっ」
「お前までああなるぞ!」
これで彼女に冷静に意見を言う隙がなくなった。
これ以上の面倒を避けるために、ギュントは無理矢理彼女を両手で抱える。
「きゃ……」
「動くな」
緊急退避。とにかくマルツェラから離れる。
「ひっ」
焦りすぎたのか、足の出力を上げすぎた。
おそらく敵から全力で逃げるためだと誤解してもらえると思うが、ミスには変わりない。
「すまん、出力を上げすぎた。
今度は上手くやる」
(落ち着け。勘が鈍ったか。
跳躍空間内の、しかも警備システムが切れた倉庫区画内だ。
何の問題がある?)
未だに状況が飲み込めていないジネッタが腕の中で声を上げる。
「ちょ……。
マルツェラは!?
敵って!?
どういうこと!?」
通路を跳躍しながらギュントは答える。
「知らん!
俺が見たのは倒れたマルツェラと、俺に襲いかかってきた『何か』だ」
その嘘で納得してもらえたのか、ジネッタは恐怖に顔を歪めて身を固くする。
そのとき、ギュントの聴覚に何かが聞こえた。
……ははははは……。
笑い声だ。男の。
即座に対象を特定するため、本体で精度の悪い解析を行う。
イェルではなさそうだ。では……ヴィクティンか。
あの無愛想な男が、笑っているのか……?先ほどまでの姿からは想像もつかない。
しかし何故ヴィクティンが笑っている?
その思考に反応し、サングラス上に倉庫区画全域と、生体反応の位置が表示される。
まず、端に生体反応が一つ。マルツェラのものだ。
中央に向かおうとしている通路に二つ。これは自分とジネッタのもの。
それからその隣の通路の奥に二つ。そこから少し離れたところに一つ。宴会場には誰もいない。
数は全部で六つ。数はあっている。しかし、なぜイェル達は宴会場から移動したのだ?
そんな疑問を押し殺す。ジネッタにも話さない。その方が都合が良いからだ。
ギュントは先程の宴会場へとまっすぐに向う。
生体反応が示す通り、そこには誰もいなかった。
「おかしい」
予め決まったセリフのようにギュントは呟いた。
ジネッタを下ろすと、彼女はその場で座り込んでしまった。
「え?」
彼女を無視して現状の解析を行う。
何かに襲撃されたかのようにレジャーシートの上の物がひっくり返り、線のような血がこぼれている。
鋭利な物で表面を斬ったかのような血だ。おそらく斬られた人間はこの分ならば無事だろう。
しかし解せない。
「イェルがいて……このザマだと……?」
思わず呟く。
イェルは温厚に見えるが、あれでも戦闘種族だ。身体能力だけでいえばこの人形の身体とは比較にはならない。
そんなイェルがいて、襲撃を許すのか?
しかもこの場所を離れていることから察するに、ここで決着をつけることが出来ずに逃げ出している。
相手はそれほど強敵ということらしい。
先ほどの笑い声を思い出す。
まさかヴィクティンが?
あり得ない。身体能力は観察した限り、ジネッタと同程度だった。とてもではないがイェルの相手にならない。
ジネッタはこちらを見上げてかすかな声で言った。
「た、……誰かに……助けを……」
想定の範囲内の提案。しかし実際に助けが入ってこられたら問題だ。
なぜなら奥のマルツェラを片付ける必要があるため。
そんな内心の思考を押し込め、ギュントは淡々と答えた。
「同意見だ」
ジネッタをコンテナの中に閉じ込めたギュントは一人、通路スレスレを跳躍する。
ここまでは順調にきているな、と内心ほくそ笑む。
倉庫区画の出入り口は閉まっているかのように演技をした。
実際には開けようと思えば開けられたが、ギュントが開ける命令を扉に行わなかったために開かなかっただけだ。
通信も同じく、実は問題なく行える。
こちらの演技にジネッタはすっかり騙されてくれた。
それはこちらの演技力以上に、彼女がこちらを信頼してくれていることが功を奏している。
もしも彼女自身が扉を開けようとすれば、一発でバレてしまうような簡単なトリックだった。
それから空いているコンテナを探し出し、彼女を閉じ込めることに成功した。
中からも開けられるが、彼女の様子を見ると、出ようとは思わないだろう。
これで余計なお荷物から解放されたことになる。
あとはマルツェラの処理だ。
ギュントは先程よりも力強く床を蹴り、マルツェラを置いてきた場所に向かう。今まで抱えていたジネッタがいない分、身体が軽かった。
移動しながら思考する。
一つ気になることがあった。イェルたちを襲った犯人だ。
この倉庫区画には……本当に『何か』がいるのか?
戦闘種族であり、この身体が本体ではない自分が恐怖を感じる状況ではないが、それでも気にかかる。
そうこう考えている内に、マルツェラを置いてきた場所にはすぐにたどり着いた。
しかし。
(なに…?)
いない。
場所はあってる。自分が間違うはずがない。
しかし、マルツェラがいない。
あの怪我で動けるのか?もう意識が戻ったのか?
焦る内心を押し殺し、ギュントは生体反応の位置を走査する。
サングラス上に倉庫区画の地図と生体反応の光点が浮かび上がった。
生体反応は六つある。
倉庫区画の対角線上に一つ……これはジネッタだ。
そこから少し離れて二つ。更に離れて一つ。リームナ、イェル、ヴィクティンか。
そして。
ここに二つ。
(馬鹿な!)
ここにはマルツェラがいないのに!?自分の人形しかない!一つのはずだ!
なぜ二つだ!?
注意深く周囲を見渡す。しかし人らしきものは何も映らない。
サングラスの表示を変えてコンテナの中身を確認するが、人が隠れている様子はない。
自分しかいない。それなのに二つあるわけがない。
しかしそこで、戦闘種族としての勘と予測が訴えかける。
上だ!
そう判断すると同時、上から人影が落ちてくる。狙いは自分の真上。
ギュントは距離を取るために現在地からステップバックをして離れる。
何者かは分からないが、敵対行動とみなし、反撃・無力化すべきだ。
相手の着地の瞬間を狙って右拳を叩き込む。
自分の予測通りに落ちてきた人影に拳が届く……はずだった。
一瞬、拳の勢いが落ちる。自身に何か不調が起きたわけではない。ただ水中で拳を振るうように、何らかの抵抗する力が生じたのだ。
その一瞬が結果を分ける。人影が反撃する余裕が出来た。
人影はその拳を左手で掴み、右の拳で肘をつかもうとする。
狙いは関節か。
人形の出力を更に上げてギュントは身を捩り、右手を身体の後方へと引っ込めつつ、相手との距離をとる。
(素人の動きじゃねぇな…)
改めて相手を見た。
青年と中年の間くらいの外見で、顔つきが丸く、垂れた目も合わせて、とてもではないが先ほどの機敏な動きは想像がつかない。
その男は緩く笑みを浮かべると感想を告げた。
「惜しかったね。
腕の一本をもらうはずだったのだけれど」
男はコートを翻す。前開きのコートの下には閉じられたジャケットとワイシャツ。
とても戦いに向く格好には見えない。
そもそも男自身が戦いに向いた人物には見えない。
しかし彼は言った。
「ワンダウン、戴こうか」
どこからその自信がくるのか。
この広い宇宙で見た目通りでない戦闘能力のヤツは五万といる。
だからギュントはその男の言葉に警戒を強める。
何よりも勘が告げていた。
目の前の相手は強い、と。
しかしこちらは更に強い。
「俺相手に啖呵をきるとは……冗談にしても笑えねぇな」
「ははははは。そっちの冗談も大概にすると良い。
いくらフレン星人とはいえ、跳躍空間内で本体による観測が行えないんだろう?
そんな状態での君たちなんてそこまで強くないよ。もちろんそれを見越して啖呵をきったわけだけれど」
ギュントはその言葉に一瞬眉を寄せる。挑発と受け取ったわけではない。
(なぜこいつは、俺がフレン星人だと知っているんだ?)
つまり目の前の男は船員の情報をそれなりに調査して覚えているということだ。
(諜報員か何かか?)
男は構える。左手を目の前にかざし、右手は脱力して身体の側に。
奇妙な構えだ。とても効率的だとは思えない。
「君、宇宙賊かい?もしくはどこかのスパイ?
設置しようとしていたのは発信器だろ?」
答える義務は無い。しかし、こちらの微妙な反応から相手は察する。
「宇宙賊か。
落ちぶれたな、元最強。
がっかりだぜ」
相手の正解を称える意味も無い。
こちらの種族に対する誹りなどもう慣れた。
相手がそれ以上何か言おうとする前に、通路を蹴る。
蹴った勢いをそのまま蹴りの威力に載せる。
しかし。
「この程度か。ポンコツ」
威力が一瞬落ちる。速度が削がれる。
そのトリックを推測し、驚愕する。そもそも第一撃に違和感があった時点で相手のトリックに幾つかの仮説が立てられていた。
今のこちらの攻撃はその検証のために行ったものだ。
二十三個あった仮説が一つに集約する。
そして驚愕する。それはとても確率の低い仮説だったからだ。
こちらの頭部を狙った蹴りを相手は紙一重で避け、こちらの懐に入り込む。
相手は徒手空拳。武器は無い。
その予測が正しければ、これから相手が放つ一撃は大したことがないものではなく……。
(こちらの命を十分に奪いうる!)
相手の次の攻撃を避けることに全力を注ぎ、半ば身を仰向けに投げ出すように状態をそらす。
ついでに懐に飛び込んできた相手の顎を狙って左足で蹴り上げる。
相手はそれを考慮していなかったのか、見事に当たる。しかし間合いが近すぎて威力が十分ではない。
バランスを崩しつつ通路に倒れこむ身体を、通路に両手でついて支え、すぐさま半回転のひねりを加えて右足で相手の顔を蹴り飛ばす。
出力は最大。
例え相手がまた同じトリックを使ってこちらの威力を減衰させようが、十分なダメージになる一撃だった。
しかし、必殺の一撃である右足が止まる。
減衰ではなく、空中で止まってしまった。その先に何か見えない壁があるかのように。
(馬鹿な!)
「甘い」
冷静に相手はそう告げるとこちらの胸部に右手を張り手のように叩き込む。
勢いは無い。見た目から観測した威力は問題にならない程度のダメージだ。
しかし相手の一撃の勢い以上の威力が胸に叩き込まれる。
冗談で胸を叩かれたと思っていたら、大きなトンカチで叩かれたかのような威力が胸部に炸裂した。
その勢いで半ば宙に身を投げ出していたギュントは通路に叩き落とされる。
反射的に生理的にその威力に咳き込む。
それは致命的な隙だった。
馬乗りになった男にフライトジャケットの襟を捕まれ、上体を起こされる。
男のゆるい声が緩く告げた。
「死ね」
男は左手の指先を揃えてこちらに向け、端的にそう命令する。
今なら判断出来る。
相手のその一撃はこちらの頭蓋を貫くだけの威力がある、と。
(“気”による場の制御。
ここまでの使い手がいるなんて、嘘だろ?)
今はボタン一つで人が殺せる時代だ。道具の発達により、身体技術そのものを磨くことよりも道具を扱う技術が重視される。
だから、道具を用いずに戦う技術は徐々に廃れつつある。“気”に関しても廃れた技術の一つだ。
空間に存在する気の流れを制御し自身の攻撃の威力を上げ、相手の攻撃の威力を減衰させるような流れを作り出す。
言葉だけの説明では簡単だが、実際の技術の習得……しかもあれだけの威力の“気”の流れを制御するには十年程度の歳月がかかる。
そんな非効率的な技術を扱う人間が未だにいることなど、確率が低すぎて度外視していた。データ上にも存在しない。
本体での観測ができていれば、一撃目の時点で相手のトリックと熟練度が測れたものを…!
まぁ、いい。
これは所詮人形。自分の本体が死ぬわけではない。この男の存在をほかの人間に知らせることが出来る。
相手の手刀がこちらに叩き込まれ
「はぁい、ストップよぉ」
手刀がこちらの額に触れる寸前で止まった。男の手が襟首から離れたため、上体が通路に倒れこむ。
その女の声と同時に二人分の足音がする。
通路に倒れたままでは視認できないが、……リームナと……もう一人誰かいる。イェルかヴィクティンかは検討がつかなかったが。
手刀を作ったままの男を見上げると、こちらとの間に宙に光で描かれた文字が浮かんでいる。
解析の結果、それは時限式の爆発する力を持つ文字だということが分かる。
「ちょっと事件を今起こされると面倒なのよぅ。
人殺しが起きるだけじゃなくて、勿論、賊に襲われるのも、ね」
後半は自分に向けられた言葉だと察する。それを見越したように、リームナがこちらの表情を覗きこむように座り込んできた。
視界一杯に中年女性の笑顔が広がる。
「あなたも大変よねぇ?
お金が欲しいからこんなことしてるんでしょお?
プライドが高いフレン星人にしてみれば屈辱よねぇ?
でも背に腹は変えられないわけだ」
ニコニコとリームナが微笑みながら核心を突く。
誇りを捨ててまで宇宙賊をしているのは、結局のところ生きるためだ。
リームナの指摘は正しい。だからといって今更生き方は変えられない。
「いいわ。
あなたの誇りを満たしつつ、貴方がお金を得る方法を提示すれば、それって私達双方にメリットがあるわよねぇ?」
リームナのその言葉で、次に来る言葉が察しがついた。
そしてそれを断る理由が自分にはないことも。
誇りを満たしつつ?どこが?
自然に口元が歪んだ。
フレン星人は、自分たちはもっと義理堅い種族ではなかったか?
「いいわよぅ。
宇宙賊が提示した金額が幾らか分からないけれど、それの二倍支払うわ。
今回は私につきなさい。
適当に理由をつけて失敗の理由を説明するくらい、どうってことないでしょぉ?
少なくとも死ぬよりはマシよね」
ニコニコと笑うリームナの笑顔が、ひどく歪んだ物に見える。
金で動く自分の、ただ生きるために生きている自分の、どこに誇りがあるというのか。
誇りが無い。
情けない。
全く情けない。
しかし、自分たちの種族を追い詰めたのもその誇りとやらではなかったか?
(金に生きるか……誇りに死ぬか、か)
死にものぐるいで金を稼ぎ、今まで生きてきて、そして何が残っただろうか。
そんなにまでなって、何のために自分は生きたかった?
決心し、サングラスの奥で目を伏せてギュントは短く告げる。
「……五倍だ。
一千万セトメ。それなら乗る」
こちらに馬乗りになった男は苦笑した。
「自分の立場を理解しているのかい?
君、死ぬ瀬戸際なんだけど」
「いいわ」
口元に笑みを浮かべたまま、こちらを覗きこむリームナはあっさりと受諾した。
「私も鈍色研究機構に吹っかけてね、今回もらいすぎちゃったのよぅ。
信じられるぅ?小惑星が買えるぐらいよぉ?出す方もイカれてるわよねぇ?
だからあなたの言い値にのってあげる。
運がいいわよぉ。普段だったらそんな舐めた交渉、許さないんだから」
そう言いながら、リームナは立ち上がりこちらに背を向けて離れていくような足音をたてる。
こちらに馬乗りになっていた男も納得したのか、その答えを聞いて身を引いた。
あっさりと受諾されてしまった。
倒れたままでギュントは内心驚く。値引き交渉覚悟で言った値段が通ってしまったのだから。
これでは相手の要求を断る隙も無い。
観念したようにギュントは倒れたまま尋ねた。
「それで?俺はどうすればいい?」
「忘れなさい」
端的にリームナは告げた。
「今日のこの夜、この倉庫区画に起こった一切のことを忘れなさい。
あなたは今日、ここには居なかった。それでいいわぁ。
あと人形の制御を今から一時間、打ち切って。
その後制御を戻してこの倉庫区画から出ること。途中で荷物を拾ってもらうことになるけど」
一時間ほど寝てろという指示だ。それだけで一千万では詐欺のような商売ではないか。
気になってギュントは尋ねる。
「何をするつもりだ?」
リームナは振り返ると、ニコニコと笑いながら口元に人差し指を近づけた。
「それを言っちゃあつまらないでしょぉ?
気にしない方がいいわよぅ」
その後のことは、フレン星人の観測を持ってしてもよく分からない。
リームナに告げられた通り、一時間後に人形とリンクする。
周囲を見渡しても誰もいない。ただ自分が設置したカードが破壊された状態で置いてあったのでそれはポケットにいれて回収する。
それからギュントは、リームナに言われた通りに倉庫区画の扉へと向かう。
その扉の近くで倒れていたイェルを回収し、倉庫区画から脱出した。
詮索はしようとも思わなかった。それが雇い主であるリームナからの注文だったのだから。
しかし、腑に落ちないことがたくさんある。
例えば、途中でマルツェラの生体反応が消えたのは何故だ?
てっきりマルツェラはあの男に殺されたのだと予測していた。
しかし、翌日に食堂へ顔を出すと元気に配膳をこなすマルツェラの姿があった。
こちらと目があったときも、特に怯えることもなく不思議そうな顔をしただけだった。
まるで初対面の人間と会うような素振りだ。
あの宴会があり、自分はマルツェラに危害を与えたわけだから何かしらの反応があるはずだが、彼女にはそれが認められない。
まるであの倉庫区画の出来事を全て忘れてしまったかのように。
マルツェラは生きていた。
そうだとすると、生体反応の数が合わない。
まさか、あの突然現れた男の生体反応が無いのか?
ジネッタやイェルがしていた怪談を思い出す。
まさか。
あり得ない。
あの男の正体が……そんなわけがあるわけがない。しかし、そうでもなければ生体反応の数が合わない。
そういえばジネッタも時折すれ違うことがあったが、やはりこちらを会ったこともない他人のように無視をする。
イェルも倉庫区画での話は全くしない。
あの倉庫区画での出来事が無かったことになっている。
まるで自分だけが夢を見ていたかのように。
一切のことを忘れろとリームナに言われている。だから詮索はしない。
しかし、一度だけ、イェルに聞いてみたことがあった。
跳躍空間を抜けた後、場所はリフレッシュルームで、森林の中という環境設定のときだった。
「最近機嫌が良いな」
「そうですか?
今まで調子が良くなかったわけでもないんですけど」
テーブルを挟んで対面に座るイェルが、木漏れ日の中で笑みを深める。
跳躍空間を抜けたため、もう眼鏡はしていない。同じ理由でギュントもサングラスをしていない。
無線通信の制限がなくなり、眼鏡による補助情報が不要だからだ。
イェル本人に自覚は無いらしいが、ギュントの観測によればどこかすっきりとした表情をしていた。例えば、悩み事が解決したかのような。
「もうすぐ家に戻れるからですよ、きっと」
「船上暮らしは肩が凝るからな」
「『船』じゃなくて『艦』です。そういう古い言い方をしていると歳がバレますよ。
今回の艦は長距離航行を想定として、遊び部分も多かったからマシな方だとは思いますけどね。
やっぱり人間、自宅が一番なんです」
ギュントは腕を組み、その意見を鼻で笑う。
「家族がいる人間は気楽だな」
宴会場でしていた会話を思い出しながら、試すような気持ちでギュントは告げた。
ちなみにこの会話は宴会場でもギュントは聞いていないことになっている。その会話をしていたときには、ギュントは既にマルツェラを追って席を外していたためだ。
宴会場から離れながらも会話に聞き耳を立てていたときに意図せず仕入れた情報だ。
これを聞いてイェルはどのような反応をするだろうか、と思い彼の顔を見る。
イェルは、尖った耳をひくつかせて不思議そうな顔をした。
「何を言ってるんですか?
僕は一人暮らしですよ?家族なんていません。
珍しいですね、君が勘違いするなんて」
今度はギュントが驚く番だった。しかし、表情には出さない。
あの宴会場で結婚していると言ったのはイェル自身だ。あの場で嘘をつく意味がない。
気になって本体で今のイェルの仕草を観測するが、分析した結果分かったことは、イェルが嘘をついていないという事実だった。
本当にあれは、夢だったのではないか。
全ての事実が、そう告げている。
いや、夢でも現実でも構わない、か。
自分が受けた指令は「忘れろ」なのだから。
「僕は君の方が機嫌が良いように見えますよ?」
からかうようにイェルが頬杖をついて告げる。
「そうか?」
尋ねながらも、内心そうだろうなと同意していた。
リームナとの交渉の中で気づいたことがある。
自分は生きているために必死だった。
それでは何のために必死だったのか。今までそんなことを疑問にも思わないほど必死に生きてきた。
しかし、自分が必死だった理由に気づく。
死にたくない。ただそれだけだ。
何の生産性もない、ただ死への恐怖から逃げるために、がむしゃらに生きようとしていた。
ならば今度は、がむしゃらに生きただけの意味をつけようと思う。
生きた意味がなければ今までの行動が全て無意味になってしまう。生きたと、胸を張って言えなくなる。
死なないためでなく、生きるために生きてみるべきなのではないだろうか、とそんなことを考えた。
(俺も若ぇな)
そんな気持ちを誤魔化すように、ギュントは言う。
「跳躍空間内の事件で面倒ごとが増えた分、そんなに機嫌が良いわけがねぇけどな」
「あははは。そうですね。
まぁ、あれは我々の落ち度は問われないでしょう。どちらかといえばメンタルケアの問題ですな」
イェルが呑気に見解を告げる。そしてそれはもっともなものだった。
跳躍空間内の事件というのは、無論、倉庫区画での一件の話ではない。
倉庫区画内の一件の三日後、一つの事件が起きた。
搭乗員の自殺。
自室で睡眠薬と酒を飲んで死亡。元々か弱い種族だったため、少量摂取しただけで死にいたってしまった。
部屋は密室、遺書もある。気味が悪いくらい疑いようがない自殺だった。
跳躍空間内を抜けた後にも詳細な調査を行ったが、自殺という見方で問題が無さそうだった。
しかし解せない。
自殺するような人物には見えなかった。むしろ他人を蹴落としてでも生きようとするような人物にのように見えた。
何のために生きているのか、明確に分かっているような人物だった。
自殺という言葉から程遠い人物に見えた。
自殺したのはヴィクティン・ピェルス・ブディーカ。
あのヴィクティンだった。




