28.長男の弟
28.長男の弟
加奈子がやって来たのは電話を受けてから40分後だった。時刻はまだ6時半を回ったところだ。来るなり加奈子は勇馬に駆け寄った。
「ねえ、勇馬さん。お母さんに会いたくはない?」
フライパンに生卵を落とすところだった勇馬は予想もしなかった加奈子の言葉に持っていた卵を握りつぶしてしまった。
「お母さんって何のこと?」
驚いて言葉を失っている勇馬の代わりに早紀が答えた。
加奈子は昨夜の勇とのやり取りを話して聞かせた。
「びっくり!もしそれが本当なら、勇馬さんにもう一人弟が居るってことじゃないの」
「そうなのよ!しかも、そいつの名前が勇樹っていうのよ。佐々木さんの名前が勇だし、勇馬さんにも“勇”の字が付いているし、そいつにも“勇”の字が付いているんだから間違いないわよ」
加奈子は興奮していた。勇馬はすぐに気を取り直して目玉焼きを作り直している。
「ただの偶然だよ。だって、親父も母さんが居なくなった時は仕事もほったらかして死に物狂いて探したんだよ。それでも見つからなかったのに…」
冷静に言葉を綴る勇馬を遮るように加奈子は口を開いた。
「バカね!人を探すったって、当時と今とじゃ全然違うのよ!今ならネットでワールドワイドなんだから」
ワールドワイドのくだりはどうでもいいけれど、早紀も加奈子の言う事は的を射ていると思った。
「その事はマスターに話したの?って言うか、マスターの名前が勇だっていうのには驚いたわね」
「あら、そこ?」
早紀のボケにさりげなく突っ込むことも忘れない加奈子は熱くなっているようだけれど、意外に冷静なのかもしれない。
「取り敢えず、朝食にしようか」
そう言って勇馬は三人分の食事を用意した。
結局、勇馬は一緒に来なかった。
「有紀と麻紀ちゃんに朝食を食べさせなければならないからね」
というのが理由だった。
加奈子が勇樹と待ち合わせしたのは午後1時。早紀と加奈子は12時にその場所に来ていた。早く来たのには理由があった。早紀が待ち合わせの相手に会う前にもっと詳しく事情を聞きたいと言ったからだ。道中、早紀が運転するピックアップトラックの中でも加奈子は詳しく話をしてくれた。しかし、早紀が知りたかったのは勇馬の母親の所在でも勇樹と勇馬の関係でもなく、加奈子がマスターとどうしたいのかという事だった。話を聞けば聞くほど、加奈子がマスターにぞっこんだということが判って来た。
「もし、マスターがその人のことを吹っ切れたとしたら、あなたになびいてくれるとでも思っているの?」
「それは判らないけれど、可能性はゼロじゃないでしょう?今のままではほとんどゼロだもの」
「マスターはあなたのお父さんと変わらない年齢なのよ。下手したらもっと上かも知れないじゃない」
「人を好きになったことがないあなたにはこの気持は解らないわ」
人を好きになったことがない…。加奈子にそう言われて早紀は言葉を出すことが出来なくなった。確かに、早紀は今まで恋愛を経験したことがない。ただ、それは今までの話だ。今の早紀の心の中には気になる人が居る。けれど、それは誰にも言えない人なのだ。それを改めて自覚した時、早紀は加奈子にどうこう指図する資格はないのかもしれないと思った。そう思うと、もう加奈子に対して何か言おうとするのは無駄なことのようにも思えた。
そんな悪い雰囲気を断ち切るようにウエイトレスが注文していた料理を運んで来た。
「まあ、その話は後回しにしましょう」
早紀は助かったと思い、運ばれてきたパスタにフォークを絡ませた。
食事を終えて、コーヒーを飲んでいるところに若い男性が声を掛けてきた。
「加奈子さんですか?」
その男性は早紀と加奈子の顔を交互に見ながらそう聞いた。二人はその男性の顔を見た途端に確信した。勇馬にそっくりだったからだ。
「はい!」
加奈子が手を上げた。
「榎本勇樹です」
勇気はにっこり笑ってもう一度二人の顔を見た。
「ごめんなさい」
早紀はそう言って、加奈子の隣に席を移った。勇樹は頭を軽く下げて二人の向かい側に座った。




