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終わりと終わり

    八日目。(月曜日)


 彼女は風を一身に浴びていました。

 ザァ、と風をうけて膨らんだ制服が、少しだけその重さを増します。

 学校。

 柵なんて無い屋上。

 そのきわ、一歩踏み出せば世界がひっくり返るだろうその場所に、彼女は静かに立っていました。

 そこで待っているのです。

 久しぶりに自分の意思で自分の心を自分の文字に乗せて呼び出したその誰かを。

 影を。

 待っていました。

 自分の結論を伝えるために。

 びゅおう、と風が何度か流れ、

 ……がちゃん、と扉が開かれる音。

 彼女はそれを聞いて振り返ります。

 影が、そこに立っていました。

 息を切らし、けれど、彼女から目をそらさずに。

 そこに。

 彼女と影は向き合ったまま、何も話しません。

 けれど、そこには何らかの繋がりが感じられました。

 やがて、ぽつりと。


 いらっしゃい。彼女は呟きました。

 影は何も言いません。


 ここはいい所でしょう。彼女は呟きました。

 影は何も言いません。


 私はここが好きなのです。彼女は呟きました。

 影は何も──。


 ありがとう。彼女は呟きました。

 影は。

 影、は。


 それは、なんのお礼だよ。と絞り出すように、初めて言葉を口にしました。

 いろいろ。と彼女は言います。

 微笑んで。

 そうして、彼女は語りだしたのです。


 私はこれまで、自分の名前を消してきました。

 ずっと。

 ずっと嫌いだった自分の名前を。


 ……知ってるよ。影は彼女の眼を強く見つめて言います。


 塗りつくして、燃やしつくして流しつくして、吊るしつくして削りつくして埋めつくしたのです。

 けれど、その途中で気がついたことがありました。

 ひとつだけ、気づいてしまったのです。

 自分の名前を役に立たせていたい自分が、どこかにいることに。

 柿の木に吊るした銀板のように。

 果実を守る砦のように。

 役立たせたい。

 名前そのものは確かに消したいのです。

 けれど、『証拠』は残したいのです。

 それが何の証拠か、なんてことは私にも解らなかったのですけれど。

 けれど、残したいのです。

 その悩みにぶつかった時は本当に、解らなくて。

 考えました。

 行動もしてみました。

 それでも、解らなかったのです。

 けれど。

 あの夜。

 名前と一緒に、きっとその悩みすら埋めてしまっていたあの夜。

 貴方に会ったのです。


 …………。影は、沈黙したまま思い出していました。

 夢が欲しいと、彼女が呟いたその夜を。

 クスリ、と彼女が笑った夜を。

 今、彼女は。

 その時と同じ表情で、話して──


 それで、私は悩みを取り戻しました。

 自分の嘘という材料も、手に入れました。

 貴方の存在も、確認しました。

 私は、ニンゲンに戻ったのです。

 そして、昨日。

 私はずっと、考えたのです。

 悩みの答えを。

 明日からの貴方の存在を。

 考えて、考えて。

 そうして、結論を出したのです。

 

 彼女の微笑みは──より柔らかに。


 私の悩みは、貴方とつながっていたのですよ。

 私は名前を消して、私が世界にどのくらい残るか試してみたかったのです。

 それこそが私自身の証拠。

 だから、名前を消したのです。

 

 それで? と震える声で影は問いました。

 それで、どうだったんだよ? と。


 結果は、私にとって好ましいものでしたよ。

 名前は消せました。私の中からは、完全に。

 それでも、貴方は私の名前を覚えていてくれました。

 それこそが、私の悩みに対する答なのです。

 名前を全部消しても、覚えてくれる人がいるなら、

 それはきっと、私の存在は、役割は忘れられていないということなのですよ。

 私は自分の中から名前を消したい。

 けれど世界からは消したくない。


 それは──。

 我儘だ、と影は言葉に出そうとしました。

 けれど、彼女はそれよりも早く、


 これは私の我儘です。

 けれど本能でもあるのです。


 そう言い切りました。

 影はもう、その言葉を──いえ、どの言葉も口にすることは出来ませんでした。

 その先の、彼女の言葉が解ってしまったから。

 彼女が出したその帰結を、感じ取ってしまったから。


 

 だから、もう、私はいらないのです。



 影は、もう彼女の眼を見ることはできませんでした。

 ぼやけて、ぼやけて。

 どんどんと彼女が霞んでしまっていくようで。


 ……もともと、そのための準備だったのですから。

 寄り道はしましたけれど、結局は同じ結論にたどりつきました。

 だから、この答えは間違っていないはずなのです。

 

 だけど──。影は、どうにか言葉を紡ごうとしました。

 けれど、そんな中身に感情を詰め込めない言葉はりぼてはまたも、彼女の言葉で遮られます。


 貴方は。

 今日からの貴方は私の録音機。

 私の幼いころからの姿を、声を、性格を知っている。

 私という人間がいたことを証明してくれる。

 きっと忘れないでいてくれる。

 忘れられなければ、私は死んでも生きている。

 なら、もう私はいなくてもいいのではないでしょうか。

 そんなことを、思ったのです。


 影に向けられたのは残酷な、けれどもある意味では最も純粋な、信頼とも言えるその言葉で。



 ああ、確かに。

 ──確かに貴方は私の夢だったのですね。



 彼女は穏やかな声で、そう、言いました。


 だから、ありが──。


 違う!

 影は自分に()かれた鎖を千切るような声で、叫びました。

 違う。僕は、そんなことでお礼なんて言われたくない。

 僕は、そんな夢にはなりたくないんだよ……。そんな影の言葉が屋上に響きます。 


 彼女は、少しだけ驚いて。

 影のその言葉にではなく、

 影が、それを覚えていたことに。

 驚いて。

 そうですね。と彼女は答えました。

 あの歌を、私に教えてくれたのは貴方ですから。


 まだ、彼女が名前を嫌いになる前に。

 まだ、世界が、影が、彼女を認識してくれなくなる、ずっと前に。

 自分の好きな歌だと言って渡してくれた銀板に。

 今は、森の中で一枚だけ落ち葉に埋もれているそのCDに。

 その歌は、七色に刻まれていました。

 けれど、

 貴方の考える夢と、私の考えた夢は、どこかきっと違うのです。と、彼女はしっかりと影の瞳を見て、言いました。

 それこそ、歌うように。

 孤独を歌い、奏でるように。


 影はもう言葉を出せませんでした。

 思い浮かばないのではなく。

 言いたいことが多すぎて。

 伝えたいことも多すぎて。

 けれど、それが頭から口の間で混線してこんがらがって。

 喉元でつまって。

 結局、声にならなくて。

 

 彼女はそんな影に言います。

 今度こそ、最後まで。

 少しだけ、さっきと違う言葉を。

 

 『だけど』、ありがとう。


 彼女は心の中で、ありがとうの理由をたくさん考えます。

 私に夢を教えてくれて。

 私の夢になろうとしてくれて。

 私を、守ろうとしてくれて。


 ──ありがとう。

 

 そして彼女は半歩、後ろに歩を進めました。

 影も、それに合わせた様に、半歩前へと進みます。

 潤んだ瞳をぬぐうこともせずに。

 言葉も出ないままに。

 瞬間、一筋、影の頬に透明な線が走りました。


 ああ、そうなのですね。

 貴方は、まだ。

 こんな我侭を言った後でも、まだ、私のために泣いてくれるのですね。


 その言葉を聴いた瞬間、影の喉から一つの言葉が飛び出してきました。

 当然だろう!

 迷いも、つまりも、全部突き破って。

 その肯定の言葉は、確かに形を持ちました。

 同時に、堰を切ったように涙が。

 影の目から。

 ボロボロと。

 そして──


 ◆


 「なあ──僕じゃお前の夢にはなれないのか?」


 そんな問い。

 そんな心からの、暖かい問い。

 けれど、その言葉には答えずに。

 その代わりに彼女は──私は、心の底から影に向かって、精一杯微笑んで、

 とんっ、と。

 軽い、音を立てて。つま先で地面を蹴って。

 その、世界の際から。


 ──飛んだ。



 「××!」

 影は──彼は、『何か』を叫んで私を追うように、屋上から身を乗り出して、左手を伸ばして私をつかむ。

 いいえ。

 つかもうとした。

 けれど、すり抜ける。

 すり抜けて、落ちていく。

 彼の、その伸ばされた腕を見て。

 「ああ、左利きだったのですね」なんて、どうでもいいことを考えて、また少し、笑えた。

 世界を、傍観して。

 気づいていたことに気づかないふりをして。

 気づいていないことに気づいていたふりをして。

 私も彼も、あくまで物語の登場人物の一人として見て。

 その心情も何もかも、予想して、俯瞰して。

 それでようやく、気づけた。

 何に?

 答えに。

 気付けた。

 だから、


 「──ありがとう」


 私は、念を押すように、感謝のこトバヲ




 ──ドシャ。ブツン。












    ×日目。(どこかのいつか)


 私は、生き残った。

 体はこれでもかというほどにズタズタになってしまったけれど。

 それでも、生き残った。

 生き残ることが、出来た。

 どうにか。

 なんとか。

 あの時、私は確実にその命を捨てるつもりだった。

 もうぼかすことも比喩を使う必要も無く、死ぬつもりだった。

 少なくとも、『自分で思っていた程度の深さの心理』では。

 でも、私は生きている。

 花壇に落ちる、なんて、ありがちだけれど十分に奇跡に列せられるそんな出来事は、きっとそう、本当に偶然だったけれど。

 それでも、今の私は、昔の私が無意識でそこに飛んだのだろうと。

 『言葉』に動かされて、助かろうとしたのだろう、と。

 そう思いたい。

 心から。

 ともかく、その結果私はこうして生きている。

 けれど、学校は去った。

 当然といえば当然だろうか。

 あれだけの騒ぎを起こして、もう一度戻れるなんてことは思わない。

 それにやっぱり、戻ろうとは思わなかったし、戻りたいとも思えなかった。

 ……後遺症は少しだけ。

 あれだけの傷を身に受けて、多くはなかったけれど何人かの人を悲しませてしまった代償にしては、少しだけ。

 端的に言えば、私には左手の感覚が無い。

 当然のように動かないし、何を触ってもその硬度も温度も知ることは出来ない。

 もう、何をしても戻ってこない。

 けれど、かまわない。

 それでもいいと、今ではそう思うのだ。

 だって、

 私は右利きで。

 彼は──左利きだから。

 隣にあるぬくもりも、優しさも厳しさも全部、右手で感じるから。

 一度は、私の我侭で歪んでしまった夢の形。

 けれど、今、私と彼のソレが一緒であると、感じることが出来るから。

 だから私はこの話を、こう締めくくろう。

 我侭でも、身勝手でも、ご都合主義でも。

 そう、今度こそ。

 言うなれば、今度こそ間違いなく。


 『──(かれ)は、彼女(わたし)の夢になったのでした』

 


                       ──happy end?

                          The ending is up to you.

そんな訳で、歪んだ童話でした。

夢に『憧れた』彼女らのお話、いかがでしたでしょうか。


最後まで読んでくださった方、本当にありがとうございました。

少し内容に触れた後書きは、活動報告で書く予定です。本当に気が向いたらそちらもどうぞ。


次回作も読んでいただけたら幸いです。

ではでは、またその時に会えることを祈って。

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