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始まりと4日間

童話テイスト文学です。誰が何と言おうとそうなんです。そうなんですったら!

連載ものです。全3話を予定しています。

どこかで出会っていたら、何かがどうにかなっていた、そんな夢。

それを見つけられなかった彼女らの、ほんのささやかな青春を、味わっていただけたら幸いです。



 どういうわけか人生における私の使命とは、

 人をできる限り不安にさせることらしい。

 人はみなできる限り不安になるべきだと思うんです。

 世界というのは不安なものだから。

              ──エドワード・ゴーリー

 


 誰も彼女を必要としない。

 それは、私も同じだった。

 少なくとも、自分で思っていた程度の深さの心理では。

 けれどもそれはきっと、真理ではない。

 真理などではなかったのだ。

 決して。

 ……しかし、彼女は去った。

 逃げるように去ってしまった。

 だからせめて彼女の話をしよう。

 知らぬ間に──子供を僅かに通り過ぎてしまった、彼女の周りの彼らに捧げる童話のように。

 語ろう。




○日目(いつかのどこか)


 彼女の名前は×××××。

 けれども彼女はその名前が嫌いでした。

 理由なんてありません。

 ただ単に嫌い。それだけです。

 彼女はいつしか自然に、その名を捨ててしまいたいと思うようになっていました。


 ある時、彼女の頭のなかにふと疑問が湧いてきたのです。


 ──名前を捨てるにはどうしたらいいのでしょう。


 こうして、彼女の探求の日々が始まりました。



一日目。(月曜日)


 彼女は筆入れにマジックだけをいれて学校に向かいました。

 カバンはカラカラと音を立てます。

 学校に着くと、ロッカーや机を周って自分のノートを集めて席に着きました。

 彼女は早速、ノートの名前をマジックで塗りつぶし始めます。

 きゅっきゅっきゅきゅきゅ。

 リズムを奏でるようにその発泡スチロールのこすれるような音を使って、名前を塗ります。

 黒く、黒く。

 黒く、黒く、黒く。

 小学生のころに塗りつぶした、あるお話に出てくる傘を思い出しました。

 何度も何度も色鉛筆でテカテカになるまで塗りなおした傘の絵です。

 きゅっきゅっきゅきゅきゅ。

 まわりの人はその音を気にして、時折顔を歪めます。

 けれどそんなことは関係ありません。

 だれも注意してこないし、彼女はその音をとても心地よいと思っていたからです。

 その証拠に彼女は、目をきつく閉じて、音に聞きほれたように笑い顔を作りました。

 口元だけを、三日月型に屈折(まげ)させて。



二日目。(火曜日)


 次の日彼女は校舎の裏の雑木林に向かっていました。

 その両手には自分の名前の書かれた教科書を、ごっそり持って。

 その道のり。

 少しだけその重みにふらついたり、教科書をいれていた袋が破れて廊下に散らばったりしましたが、彼女はその度に一人で立ち上がり、拾い集めてまた歩き出しました。

 途中何人かの人がすれ違っていきましたが、誰も助けてはくれませんでした。

 けれども彼女は気にしませんでした。

 いつものことでしたし、彼女は一人が好きだったからです。

 雑木林に着いたときには流石に少し疲れていました。

 だから、丸太に腰掛けてその教科書達を開くのです。

 どのページを見てもただただ印刷された文字があるだけ。

 落書き一つありません。

 それを見て、少しだけため息をつきます。

 なぜそんなものが出たのか、彼女にも解かりません。

 少しだけ悩みましたが、解からないものを考えていても仕方がありません。

 彼女は立ち上がり、顔を上げました。

 その視線の先には古い焼却炉。

 それは、少し昔にダイオキシンがどうとかで、使われなくなったものでした。

 けれど彼女にそんなことは関係ありません。

 焼却炉に火をいれ、次々とまっさらな教科書を放り込みます。

 ぱちぱち。

 ぱちぱち。

 名前が燃えていく音。

 遠くから、鐘の音が聞こえましたが、彼女はそれを無視しました。

 彼女の勉強するための理由はもう燃えてしまったからです。

 ぱちぱち。

 ぱちぱち。

 彼女はその場にうずくまりました。

 もくもくと上がる煙が少ししみたのでしょうか?

 こほん。

 一つだけ、咳の音が聞こえました。



三日目。(水曜日)


 彼女はその日学校には行きませんでした。

 その代わりに、水筒にお茶をいれて学校と反対方向に歩き出しました。

 背中にはリュックサック。

 彼女の歩調にあわせて、かさかさと音が鳴ります。

 彼女の家は街の外れにあり、学校のほうに行けば多くの人と会いますが、逆に反対側には殆ど人の家がありません。

 彼女はその静けさに引き付けられる様に歩きました。

 そうしてどれくらい歩いたでしょうか。

 いつしか彼女は山際の綺麗な川のそばを歩いていました。

 堤防の上のその道は、アスファルトが所々剥がれ落ちていて、少し歩きにくくなっていましたが、ずっと下を見て歩いていたのであまり気にはなりません。

 彼女は何度かつまずきながらも転ぶことなく歩いていきます。

 そしてようやく綺麗な川にかかる橋を見つけて、その真ん中を陣取って、欄干にもたれました。

 リュックサックを下ろして隣に置き、水筒のお茶を三杯飲んで、大きく深呼吸。

 彼女は何か決心したようにしゃがみこみ、リュックサックを開きました。

 蓋がぱかぱかいうリュックサックを抱えて、立ち上がり、川に突き出して一気に中身を開放しました。

 バサバサバサっ。

 鳥の羽音のような音を立てて飛び出したのは、白い紙切れの山。

 その紙には、学級通信だとか、数学だとか、他にも美術、英語、国語、理科、音楽、学年便り……様々な文字がバラバラに書いてありました。

 その中の共通点はもちろん──名前。

 たくさんの彼女の名前はひらひらと、真下の川に落ちていきました。

 それはまるで、季節はずれの桜吹雪か、霞散る滝のよう。

 風にも舞わず、音も立てずに落ちるその紙ふぶきを、再びしゃがみこんだ彼女は、欄干の柱の隙間からじっと見ていました。

 紙が全て落ちても、それが流されて行っても。

 彼女は空が赤くなるまでずっとそこで名前の行方を眺めていました。

 まるで──自分(いちまい)だけそこに引っかかってしまったように。

 


四日目。(木曜日)


 ──気がついたら夕方でした。

 随分と長く眠っていたようです。

 昨日の遠出が響いたのでしょうか。と彼女は少しぼんやりとする頭で考えます。

 しばらく呆けている間に、今日やるはずだったことを思い出して、ベッドから降りました。

 昨日の夜のうちに用意しておいた二つの鞄を机の一番下の大きな引き出しから取り出します。

 片方の鞄からバラバラと何かがぶつかりあう音。

 彼女は目を細めてそれを聞きます。

 ああ、ああ、まるで子守唄のようです。と、彼女は聞いたこともないそれを連想しました。

 また眠くなる前に済ませてしまわなければ。

 彼女は鞄を両手に持って階段を駆け下り、靴を履いて、外に出ました。

 夕暮れの道。

 家の前の大きな、しかし街灯のない道を昨日の川とは逆の方向へと歩きます。

 途中見慣れた制服とすれ違いましたが、顔はわかりません。

 誰そ彼。

 そんな時間の少し前。

 けれど、たとえ街灯があったとしても彼女が制服に声をかけることはなかったでしょうし、制服も彼女に声をかけることはなかったでしょう。

 彼女はそういう存在でした。

 すこしだけ駆け足ぎみに彼女は大通りを進みます。

 急がなければならないのです。急がなければならないのです。と彼女は自分に言い聞かせます。

 完全に日が暮れる前に。彼女が眠くなる前に。

 制服とすれ違うのが苦しいのではありません。

 急がなければ、ならないのです。

 また少しだけ街の方へ向かったところで、大きな道からそれて小路に入ります。

 細く細い、一人の人間と猫がようやく一緒に通れるくらいの道です。

 ほぅ、と彼女は息をはきました。

 足取りにも少し余裕が出てきました。

 目的地はここを抜けるとすぐ。どうやら間に合いそうです。

 小路をぬけると一気に視界が開け、黒い幕が降りました。

 ──夜が来たのではありません。

 その証拠に、幕の内側はほのかなオレンジで飾られています。

 そこは、林。

 いくつもの木が重なり、夕焼けの光をその隙間から垂らしています。

 彼女はその幕を潜り抜け、枯葉の層を踏みしめながら、林の中心近くの少し開けた場所にたどり着きました。

 そこに一本だけある、樹高の低い、しかし横に広く枝を張った樹の前に立ち、鞄を地面に。

 片方の鞄からビニールの紐を出して樹に括りつけます。

 いくつもいくつも。

 用意してきた本数を全部の太い枝に括りつけた後、一息ついて空を見上げます。

 周りの木々に切り取られた、濃紺とオレンジが混ざり合った狭い空。

 一番星はまだ、見えません。

 思ったより時間がかかってしまいました。と彼女は作業を再開します。

 スピードを上げて。

 ペチャンコになった片方の鞄を退かして、もうひとつの鞄から円盤を取り出しました。

 銀色の面がかすかな光を受けて、透明な七色を返してきます。

 彼女はそれを、つるした紐に括りつけていきました。

 自分の名前や写真の入った円盤。

 ディスク。

 それをひたすら吊るしていきます。

 吊るされたその円盤は手が離れると同時にくるくると回り始めました。

 そうしてすべての円盤をつるした後、彼女は樹の幹を一度なでました。

 これは柿の木。

 だれかがここで育てていたのでしょう。それがそのまま取り残されてしまった樹。

 CDは鳥よけになるのです。彼女はどこかで聞いたその知識を口に出しました。

 ただ捨てるよりはきっと役に立ちます。だから、あなたにあげましょう。ともうひと撫で。

 さわさわと弱い風が葉を揺らしていきます。

 その風はふと、彼女の疑問を呼び起こします。

 なぜ役に立てたいのか。

 名前は捨てたいのに。

 なぜそれを残したいのか。

 彼女は昨日の夜少し疑問に思いました。だから晩くまで起きていたのです。

 その自分の感情に説明はついていませんでした。

 解らない。

 解らないけれど、行動はしなければいけない。

 そう思って準備を整えて、彼女はここに来ました。

 決心したのです。そう呟いて、樹の幹から手を離して、ゆっくり背をむけました。

 瞬間。

 突然強い風が吹いて、一枚だけ銀板が地面に落ちました。

 彼女はそれを見て、しゃがみこんで、指でなぞってから、

 ああ、混ざってしまっていたのですね、と呟いて、

 そのままにして、そこを去っていきました。

 誰もいなくなった森に再び吹く一陣の風。

 舞いあげられた木の葉が薄闇の中、銀の円盤の上を覆って隠していきます。

 それは、秘密を嘘がうずめる様子に似ていました。


To be continued









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