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等しく消える

作者: 工場長

この小説はテーマ小説「消」の参加作品です。

この企画に参加されている方の作品は、「消小説」と検索すると(「」はいりません)読む事ができます。是非、ご覧下さい。

「あっ、消えた」

「こっちも消えた」

「こっちも消えたわ。今日はよく消える日ね」

 穏やかに、そしてゆっくりと流れる川の水面を三人の男女が眺めている。

 一人は頭髪を町人髷に結い、木綿でできた黒の羽織と袴を着て、草履を履いているずるがしこそうな顔の男。年は四十頃といったところか。

 その隣にいるのはカーキー色の軍服のボタンを襟までしっかりと留めている短髪の大人しそうな二十代くらいの青年。

 もう一人は黒いセーラー服に身を包んだ黒髪の長い明るい笑顔の少女。

 このように姿も年齢も異なる三人が色とりどりの花と金と銀の羽を持つ蝶が舞う川原にうつ伏せに寝ながら川面を眺めているのだ。

「さて、そろそろ消えた連中がやってくる頃だな」

 町人髷の男が立ち上がって楽しそうな表情で樫の木で作られた棹を手にした。

「忙しくなりそうですね」

 軍服の男も樫の棹を手にして立ち上がる。

「応援を呼んだほうがいいでしょうか、ちょっと多いみたいですよ」

 セーラー服の少女も樫の棹を手にしている。

「いやー、応援を呼ばなくてもなんとかなるだろう、ほら行くぞ」

 町人髷の男の声を合図に三人はそれぞれ自分の舟に乗った。舟の大きさは、公園の池でカップルがよくデートで利用する観光用の木製ボートを二回り大きくしたぐらいであろうか。

 その舟を三人は樫の木でできた棹を動かすことで操り、反対側へと渡った。向こう岸は彼らがいた岸と同じような花園が広がっている。

 三人が岸に舟を着ける。そこには人が十数人呆然と立ち尽くしていた。

「ここは一体どこですか? 私はどうしてここにいるのですか?」

 全身を黒のスーツで身を固め、黒縁の眼鏡をかけたいかにも真面目そうなサラリーマンが町人髷の男を見つけると、戸惑いながら尋ねた。

「ここかい、二十一世紀を生きた人間でも一度は聞いたことはあるんじゃないのかい? ここは三途の川さ、つまりあんた達の言うこの世とあの世の境目さ」

 町人髷の男の答えに尋ねたサラリーマンだけではなくその他の者達も動揺した。自分が死んだという事実が受け入れられないらしい。

「驚いたかい? 驚くだろうねぇ。だけどこれが現実なんだよ。向こうでのあんた達の命は消えちまった。つまり死んだってことだ。あんた達はこれからこの三途の川を渡って天国か地獄かどちらかに行くわけさ」

 町人髷の男は人々の動揺を気にせず目を大きく見開かせ、辺りを見回しながら早口で一気にしゃべった。

「そして俺たち三人は三途の川の渡し守ってわけだ」

 町人髷の男が誇らしげに棹を掲げると、軍服男もセーラー服の少女も彼の真似をした。

「さあさあ、さっさと舟に乗りな。ここまで来ちまったからにはもう向こうの世には戻れないんだ。あきらめてさっさと乗りねぇ」

 町人髷の男は気が短いらしい。眉間にしわを寄せながら未だ落ち着きの無い人々を適当に三つに分けてそれぞれの舟に乗せてしまったのだ。

「それじゃあ三途の川を渡りましょうかい。おっと名を名乗るのを忘れていたな。俺は三次さんじって言うんだ、よろしくな」

 三次はそう叫ぶと、棹をゆっくりと動かして舟を岸から離した。一匹の蝶が彼の舟を追いかけてその舳先へさきに止まった。川は穏やかにゆっくりと流れている。


「あの向こうで舟を操っている軍服の男は正二しょうじ、さらにその向こうの舟のセーラー服を着ているお姉ちゃんは真理まりって言うんだ」

 舟を操りながら三次は仕事仲間を自分の客に紹介した。

「あの子私と同じくらいかしら……」

 白いセーラー服を着たまだ幼さが残る長いストレートヘアの少女が真理を見て呟く。

「そうだろうねぇ、あんたと同じくらいの年だろうねぇ」

 三次は少女と真理を見比べてそっけなく呟いた。

 すると先ほど三次に質問をしたサラリーマンが急に三次を睨み付け、叫びだした。

「私はね、この春部長に昇進したのだよ、やっと自分の思い通りに仕事を動かせると思っていたのに……。家のローンだってもう少しで払い終えるのに……。死んでしまうなんて不公平じゃないか! 私にはまだやるべきことがあったんだ!」

 サラリーマンの文句を合図に他の乗客たちも次々に自分の事情を語り始めた。最近恋人ができた者、仕事をやめて新しい道に進もうとした者、ガンの手術を受ける三日前だった者……。

 三次はそれぞれの言い分を聞き終えた後、穏やかに彼らを諭した。

「俺に文句を言ってもしょうがねえよみなさん。人間誰だって死ぬときは死ぬのだから。命なんていうもんはどんだけ偉かろうがお金を持ってようが消えちまうときに消えちまうんだよ」

 三次はそう言って真理のほうを見つめて呟いた。

「まあ……、たまに自ら命を消しちまう奴もいるけどな……」

 その呟きを聞いて舟の客はみんな沈黙した。舳先の蝶は羽を水平にしてゆっくりと揺れている。暫く続いた静寂を白いセーラー服の少女が左手を上げることで破った。

「三次さんはどうしてこの世界に来たのですか?」

 「ああ、俺か」と三次は頭をかきながら答えた。

「どうやら人違いをされたらしい。夜の町を歩いていたらいきなり、天誅! と後ろから声をかけられて刀で背中をバッサリだ」

 左腕で人を切る仕草をした後、三次は正二のほうを指差した。

「正二は軍のお偉いさんの学校を出た後、輸送船で戦地に向かう途中に敵さんの潜水艦にやられちまったそうだ。まあ無事に戦地にたどり着いていたら人殺しの罪で地獄に落ちていたかもしれねえな」

 三次は真理のことは触れずに再び舟を操ることに専念した。客も真理のことは三次の先ほどの呟きで聞かずとも分かっていた。

 どちら側の岸から来たのか、蝶が一羽ひらひらと金と銀の燐粉を巻きながら舳先に止まっていた蝶と戯れている。

「ところで私たちはどこへ向かうのですか? 天国ですか? それとも地獄?」

 サラリーマンの男が心配そうに三次に尋ねる。

「それはわからねえなぁ。あの岸に着いたら土手の上にある大きな門をくぐって閻魔えんまさんのお裁きを受ける。そこで天国行きか地獄行きかが決まるってわけだ」

 三次があごで示す方向には三次たちがいた色とりどりの花が咲き誇る川原があり、その土手には煉瓦作りと思われる大きな城壁が立っている。その中央にそびえ立つ瓦葺の大きな門が三次の言う門なのだろう。

「天国はいいところだぜ。働かなくてもお金がもらえるし、飯がいっぱい食えるし。好きなことして暮らせる。俺ら三人がこうして渡し守をしているのも好きでやっているからよ」


 やがて舟は岸に横付けに着いた。バランスを取りながら客達は次々に舟を降りる。

「みなさんどうもお疲れさんでした。まずはあの門をくぐって閻魔さんのお裁きを受けてくださいな。誰が天国へ行くか地獄へ落ちるか俺には分からないけど、よいあの世の暮らしを送って下せえ!」

 三次はそう言って客を急かせた。彼らは最初戸惑ったが、やがて三次の示す門の方向へと一人また一人と足を進めていった。

 彼らがそれぞれ閻魔にどのような裁きを受けるのかは自分の知る領分ではない、だが天国に行けた者には後で会うこともあるだろう、と三次は門へと歩く人々の背中を見つめながら思った。

 真理が乗せた客も、正二が乗せた客もそれぞれ瓦葺の門へと向かう。しかし、その中で一人の老婆が正二の両手をとって何かを話している。正二は戸惑いながらもそれに答えているが三次には何を言っているか聞こえない。

 やがて老婆は名残惜しそうに正二から離れ門へと歩いていった。途中で彼女を待っていたのであろう一人の老紳士に何か話した後、二人手を繋ぎながら門へと向かう。

「おい、どうした正二。涼やかな顔が老婆の心をくすぐったか」

「正二さんは昔から年上の人に好かれていたんですよね」

 三次と真理がからかいながら正二を肘でつつく。いつもは照れながら否定する正二だが、このときは真顔で答えた。

「私の婚約者だった人です。六十五年ぶりの再会でした」

「そ、そうか……そうだったか……」

 正二が困ったように頭をかく。真理は申し訳なさそうに両手で樫の棹を握り締めた。

「あそこにいた老人は彼女の夫です。二人で温泉へと出かける途中で事故に遭ったようです」

 先ほど三次の舟にいた蝶だろうか、二羽の蝶が戯れながら正二の前を通り過ぎた。

「愛する人と一緒に死ねたのですから、きっと彼女は幸せでしょう。天国でいつまでも二人仲良く暮らしてほしいものです」

 自分を愛していた人を残して先に死んだ自分のことには触れず、正二は川原に寝そべって水面を見つめた。

「さて、また誰が消えるか見ておかないと……」

 三人は天国で永遠に二人仲良く暮らせるということは、下の世界と同じで不可能だということを知っている。あの二人はいつまで一緒にいられるのだろう、三次はそう思った。

「あっ、また消えた。若くて格好いい男の人!」

 正二の隣で寝そべっていた真理が喜びの声を上げた。

「三次さん、正二さん、私が迎えに行きます! 私の好みのタイプなんです」

 真理はそう言って元気良く樫の棹を手に取った。しかし舟に乗ろうとした瞬間、がくんと真理は膝から崩れ落ちた。

「真理、どうした大丈夫か?」

 三次が真理の背中をさする。

「三次さん……、正二さん……全身があちこち痛くて苦しいよぉ……」

 真理全身が細かに震え、時々背中が激しく揺れる。

「三次さん、これってもしかして……」

 正二が三次の顔を見る。三次は確信の表情で頷いた。

「ああ、間違いねぇ。俺はこういう奴を百四十年も見てきたんだ」

 真理にもこの震えの意味するところが分かったようだ。ここへ来てまだ一年しか経っていないが、こうなった人間を全く見なかったわけでは無い。

「嫌だよ……三次さん、正二さん。私、もうあの世界へ戻りたくないよぉ……」

 震える手で三次の手を握り締めようとするが、その手に力はもう無い。

「嫌だと言っても俺も正二もどうすることもできねぇよ、この世界ではいつ死んだか、どんな風に死んだかなんて関係なくいきなり消えちまうんだから」

「戻りたくないよぉ……」

 真理の声が弱弱しいものとなる。それに反比例して全身の震えが大きくなる。

「ううう……あああっ……」

 もうまともな言葉を話すことすら不可能になっている。激しくなる体の動き。それが頂点に達した瞬間真理は大きく叫んだ。

「おんぎゃあ!」

 叫び声とともに真理の姿は消えた。後に残されていたのは彼女が持とうとした樫の棹と彼女によって荒らされた草花だった。

「一番後に来た彼女が、一番先に生まれ変わってしまいましたね……」

 荒れた草花を撫でながら正二が呟いた。

「おんぎゃあ、って叫んだからには人間だな」

「人間ですか、とすると今頃は……」

「ああ、今頃はどこかで大きな泣き声を上げているだろう。今までの記憶も胎児の時の記憶とすり替わっているさ」

 三次はさっきまで真理がいた草花の上に口づけするように顔を近づけて叫んだ。

「真理ー、聞こえてねえだろうと思うけど、よく聞けよー。次は自分の力でこっちに来るってえ馬鹿なことはするんじゃねえぞー! お前の命が自然に消えるその瞬間まで精一杯生きるんだぞー」

 「聞こえるわけがねえけどな」と三次は寂しそうな表情で鼻をすすりながら顔を上げた。

「次こそは幸せになるといいですね」

 正二は再び草花を撫でた。暖色系の色をした花粉や花の汁が彼の指につく。

「さてと、人が足りなくなっちまったな……」

 そう言って三次は真理が持とうとした樫の棹を手にした。

「正二、男は俺が迎えに行くからお前は町まで行って渡し守の募集を出して来い」

「分かりました三次さん。さっそく町へ行ってきます」

 と三次へ背を向けて門へと向かおうとした正二だったが、立ち止まって振り向くなり真顔で三次を脅かすようにこう言った。

「三次さん、あなたが男をこっちへ連れてきたころには私は消えているかもしれませんよ」

 正二の脅しに三次は笑って答えた。

「はははっ、正二の言うことももっともだな。だが正二よ、お前はそう言いながらも六十年以上ここにいるじゃないか」

 三次の応えに正二も微笑む

「そうですね、私はもうここへ来て六十年も経っていますね」

 三次は正二を見ながら舟に片足を乗せると自分を指差した。

「お前に比べたら俺なんか百四十年もここにいるんだぜ、順番から言って消えるのは俺のほうかもよ……」

 三次の冗談を正二は笑顔でとがめる。

「何を言っているんですか三次さん、だいぶ前にこっちに来ようが最近来ようが関係ないじゃないですか」

「分かっているよ、正二。天国ではいつ死のうがどんな死に方しようが何者であろうが関係なく……」

 三次の顔から笑みが消えた。正二も笑みを消して頷く。

「消えるときに消えるんです」


 正二は門のほうへと走っていった。門をくぐって天国の町へ新たな渡し守を探しに行く。

 三次は正二が門をくぐったのを確認すると舟を岸から離して真理が好みのタイプだと言っていた男を迎えに行った。

「下でも上でも消えるときに消えるんだ」

 三次が川面を見つめて呟いた。彼の視線の先でまた一つの命が消えた。

 客は二人か、と三次は棹を操るスピードを速めた。

 柔らな日の光を反射させながら、川は穏やかにゆっくりと流れている。 

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― 新着の感想 ―
[一言] 偶然たどりついて読ませていただいたので、評価いたします。 全体的なテーマに筋が通っていて、難しいはずですがしっかり書かれているのが好印象でした。 ただ情景描写ばかりで心情描写が少ないことから…
[一言] はじめまして。 短編という短い中でここまで完成度が高く、何か奥の方にズンと来るものを書けるなんて本当に羨ましいです! 他の作品も読ませていただきます。
[一言] 時代も年齢も全然違う三人に、消えることに対する平等さのようなものを感じました。まさに題名どおり「等しく消える」んですね。 産声を上げてうまれかわった女の子が印象的でした。
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