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超能力探偵 蕗野到の事件簿

 私の立てた計画は完璧だった筈だ。準備は入念に行ったし運にも恵まれた。

 落ち度なんて一切なかった。

 なのに、なのに私の目の前にいるこの男は……!


「いますぐ自首すべきだ」


 超然とし、あらゆる物を見透かすようにそう語った。


「君に自首するという意思がないなら仕方ない。俺が知り得た事を全て警察に話す事にする」


 男は、一点の曇りもなく犯人が私だと確信していた。








蕗野到ふきのいたる二十九歳。職業は興信所をやっている。今日は阪田氏から受けた依頼の報告に来た」


 俺の言葉にスーツ姿の男(ってか刑事)は手帳に書き込みをしていく。

 それを見ながら俺はどうしてこうなったのかを思い返す。

 先程刑事に言った通り、興信所を営む俺こと蕗野到はとある人物から妻の浮気の調査を依頼されてその最終報告に赴いた。


 屋敷に行き、家政婦に客間で待っているように言われたので、待っていたら俄かに騒がしくなってきた。

 それからあれよあれよという内に救急車やらパトカーがやって来た。

 そして俺は依頼人が書斎で刺殺されたと教えられた。


 後から知った話だと、俺が知らない間にはこういう事があったらしい。

 いつもは自分一人で起きる被害者が今日に限ってはなかなか起きてこなかった。

 家政婦が書斎の前でノックをしてみるが反応がない。この時点で多少の違和感を覚えたらしいが、昨日は知人との食事会で遅くまで飲んでいたのでそれが原因だと思ったらしい。

 たまにある事だったのでその場は引き下がったのだが、三十分後、来客 (俺)があったので再度起こしに行ったのだがまたしても反応がない。この時になっていよいよおかしいと思い始めたのだという。

 悪いと思いながらも家政婦は合鍵を使って書斎に入った。そしてそこで死んでいる被害者を発見する。


 検死の結果、死亡推定時刻は深夜であり、俺は運よくアリバイがあったのだが、警察が到着した段階では死亡推定時刻は分からないし、その後の共犯者として証拠の処分を行う可能性があるとかで、屋敷に留まる事になった。

 まあ、今日中にやらなければならない仕事もなかったし、後から色々と疑惑をかけられたくなかったので大人しく了承した。

 警察の方も念の為の処置だったので対応も柔らかく、苦にはならなかった。




 個室での聴取が終わったので居間に行くと、そこには既に取り調べを終えた、いわゆる容疑者が集まっていた。

 容疑者の殆どは被害者の家族と家政婦ではあり、俺は彼等とはそれなりに面識がある。

 浮気の疑惑がある妻に対して牽制でもしたかったのか、被害者は頻繁に俺を家に呼んで中間報告をさせていたからだ。

 そして俺の事務所より広い居間の一角では、被害者の妻、長男夫婦、次男夫婦の五人が目に見えて険悪な空気を醸し出していた。


「母さん、良かったな。親父が死んで」


 椅子に足を組んで座っていた中年の男性が同年代、ともすれば年下にも見える女性に向かって皮肉げに呟く。

 その女性は顔を歪めて不快さを露にする。この二人は被害者の妻と次男だ。妻が若く見えるのは後妻であり、実際に若いのだ。

 被害者は資産家であり、再婚当初から色々言われていたらしい。


「何ですって?」

「知ってるんだぜ? 親父はあんたの浮気を疑ってた。いや、半ば確信して証拠集めをしている段階だった」

「……」

「もし証拠を掴まれれば離婚は確実。慰謝料も払わなくてはならない。財産目当てで結婚したあなたにとっては最悪の展開だ」


 次男の言葉を長男が引き継ぐ。浮気をした上に実母でないので言葉に容赦がない。それぞれの妻も夫と同じ心境らしく、声こそ出さないが嫌悪に近い眼差しを向けている。

 拙いな。修羅場に遭遇してしまった。職業柄、経験がない訳ではないが、大抵の場合は修羅場になる前に依頼は終了して手を引いているのだ。

 彼等と視線を合わせないようにして離れている椅子に座る。


「こんにちは、蕗野さん」


 すると、別のテーブルにいた年若い女性が立ち上がって俺に話しかけてきた。

 香水だろうか。芳しい匂いが鼻孔をくすぐる。


「あ、どうも」

「御一緒してもいいですか?」

「……まあ、お好きに」


 ここには足の短いテーブルを挟んで二つの椅子がある。俺がその片方に座っていたのが、彼女は残っている方の椅子に腰かけた。


「姉さん達とは一緒に居辛くて」


 確かにあの中に入りたくはないだろう。

 あ、そういえばまだ報酬を貰っていない。だが言い出せる雰囲気じゃないよなぁ。


「理恵さんも色々大変そうですね」

「ええ、本当に」


 困ったように相槌を打つ彼女の名前は里井理恵。大学院生で被害者の義理の妹に当たる。

 優しそうな雰囲気を持った女性で、俺もこの屋敷で何度か話す機会があり、そのたびに和やかな気分になったものだが、今は全然だった。ひたすら早く帰りたい。


「まったく。いつものように報告書を持ってきただけなのに。仕事先で事件に遭うなんてミステリー小説だけで十分だ」


 つい愚痴ってしまう。

 警察に任せてしまえるだけフィクションの探偵よりはマシだが。


「でも探偵というのはロマンがあるお仕事ですね」

「ははっ。現実はそうでもないですよ。収入は少ないし、依頼によっては不規則な生活をする事にもなります。肉体的にも精神的にも辛い事が多いですよ」


 今更ながら何でこの仕事にしちまったんだろう? 前の職場を退職した段階で他にも選択肢はあったよな?

 いや、でも自分の気質を考えると結局この系統の職種に落ち着くのか?

 そんな感じで人生設計について自問自答していると、


「それくらいは自分で判断しろ!」


 突然の怒声に、思わずその発信源を確認する。

 俺と理恵さん、被害者の妻と息子組以外にもこの居間には第三の集団があった。といっても二人だが。

 そこでは初老の男性二人が渋面を作って携帯に向かっていた。


「しばらく解放されそうにない。指示はお前が出せ」

「だから来客には失礼がないようにお引き取り願え」


 誰だろ? あの人達。


「鴻誠司さんと北島信夫さんです。邦和さんの友人で昨日は食事会があってそのまま泊まっていかれたんです」


 理恵さんが教えてくれた。二人とも一企業の社長なのだという。

 なるほど。比較的自由に時間を取れる自分と違って、拘束されたら経営者は堪ったものじゃないだろうな。


 そんな時、居間の扉が開き、皆の視線がそちらに集中する。

 入ってきたのはくたびれたコートを着る大柄の男だった。

 俺はその男と視線があった瞬間、思わず、げっという声を出してしまった。

 向こうもその事に気付いた筈だが、特に反応を見せずに居間を見渡す。


「不自由を強いて申し訳ありません。今後も話を伺いに行くかもしれませんが、この場は解散していただいて結構です」


 その言葉に経営者二名は素早く立ち上がって部屋を後にする。

 だが、残りは殆どがこの屋敷の人間である。家主が死んだ以上、これから葬式の手配や事情を知って尋ねてくる訪問者への応対などで、屋敷を離れる訳にはいかないのだろう。誰も動こうとしない。


「……あれ?」


 冷静に分析していた俺は、今になって二人の後に続いて帰れば良かった事に気付く。

 やべえな。何となくタイミングを失してしまった。

 それになんかさっきの男が俺の前まで歩いてくるし。


「よう、妙な所で会うな。蕗野」

「……やっぱりあなたでしたか。お久しぶりです。麻薙警部」


 麻薙警部は俺が刑事課にいた時の上司である。新米の頃は色々と教わったものだ。

 しかし、ドロップアウトした後に元上司に会うのってかなり気まずいな。しかも現在の仕事はいまいちときてる。

 安く手に入ったとはいえ近場に事務所を構えるんじゃなかった。


「はっはっは。捜査は難航してたがお前がいるならこの事件もすぐ解決かな。なあ、名探偵?」


 快活に笑いながら俺の背中をバシバシと叩く。本人は軽くやったのかもしれないが、熊のような体格である警部にやられると洒落にならない。


「名探偵?」


 理恵さんが興味津々といった感じで身を乗り出す。


「ええ。こいつは今でこそ興信所なんてやってますが元は刑事でね。私の部下だったんですが、その頃のあだ名なんですよ。どんな事件でも難なく解決するってんでね」


 ……事実とはいえ恥ずかしいな。卒業文集を朗読されてる気分。


「この事件も現役の時みたいな調子でさらりと解決してくれないか?」

「……本職としてのプライドはないんですか? 元部下とはいえ外部の人間に頼るなんて」


 俺が指摘すると、警部は小さく笑って胸ポケットに入れてあるタバコを取ろうとし、しかし周囲に配慮したのか手を止める。


「最近は管轄内で物騒な事件が多発しててな。この間なんか辻斬りが出た」

「新聞に出てました」

「お陰でどこも人手不足だ。俺なんてもう一週間家に帰れてない」

「大変っすね」


 俺に言われてもな。まあ、立場上部下には愚痴れず、完全な一般人に愚痴るのは職務上問題がありすぎるだろうが。


「そういやお前、事務所に女子高生連れ込んでるって聞いたぞ? 最近は色々と五月蠅い御時世だ、気をつけろよ」

「文句は向こうに言ってください。俺も迷惑してるんです」

「ははっ。そういう事にしといてやるよ」


 豪快に声を上げると、身を翻して居間の出入り口に向かう。

 容疑者の皆さんに解散の許可を告げる為だけに来たらしい。

 それくらい部下にやらせればいいものを。


「はあ……」


 全身の力を抜いて椅子に深く体を沈める。何だか一気に疲れた気がする。

 薄く目を閉じていると、瞼の向こうが暗くなった。

 何事かと思いゆっくり目を開くと、中腰の理恵さんと視線がぶつかった。


「……何でしょう」

「あの、本当に名探偵なんですか?」

「昔、そう呼ばれていたのは事実です」


 大方からかい半分だろうが。


「どうか義兄を殺した犯人を見つけてください」


 理恵さんがずいっと身を乗り出す。


「は、はい!」


 決して声には出さないが、顔を近付けるのはやめてほしい。

 心臓が嫌にバクバクする。


「……ええ、微力ながらお手伝いしましょう」

「ありがとうございます!」


 にこりと笑い、膝の上に置いていた俺の手を掴む。

 女性の方が体温が低いというが、理恵さんの手を温かかった。


「えっと、じゃあ警部……さっきの人に話を聞いてきます」


 しどろもどろになりながら答えると、急いで立ち上がって扉に向かう。

 廊下に出ると何となしに両手を擦り合わせてみる。

 うーん、変な汗をかいてしまった。いきなりあんな事をされるとは思わなかったからな。


「ま、今はそんな事より捜査捜査」


 警部が出て行ってまだ時間は殆ど経っていない。

 廊下を小走りになって警部に追いつく。


「どうした?」

「あの、現場見せてもらっていいですか?」

「おう、見てこい。どうせ捜査員の半分は顔見知りだし、こき使っていいぞ」

「ありがとうございます」


 一礼して書斎に向かう。

 しかし、自分で頼んでおいてあれだが、これ、ばれたら警部は懲戒免職だろうな。そして俺は捜査妨害でしょっぴかれる。

 まあ、ばれなきゃいいんだ。本当に捜査員の半分が顔見知りなら誤魔化してくれる筈……!


「どうか義兄を殺した犯人を見つけてください、か」


 あんな事を言われたらやらない訳にはいかないな。

 我ながら単純で困る。




 殺害現場である書斎に着くと、中では数人の男達が慌ただしく動き回っていた。

 ある者はハケでスタンドや本に粉を振りかけ、ある者は室内の写真を撮り、ある者は逐一メモを取っている。


「お、名探偵のお出ましか」


 鑑識の一人が俺に気付くなりおどけたような声を出す。だからそれはもういいんだよ。

 それに俺はどちらかといえば迷の方だし。


「あれ、もしかして蕗野さんですか?」


 適当に部屋の中を見渡していると横から声をかけられた。

 声の方向を向くと、スーツ姿の若い男がいた。


「確かに俺は蕗野だが」

「ああ、やっぱり! 自分は和杜駿かずもりしゅんといいます」

「刑事か?」

「はい! 今は麻薙警部の部下をしています」


 という事は俺の後輩か。

 見覚えはない。垢抜けない様子は学校を出立てといった感じだし、俺が辞めた後に配属されたのだろう。


「しかし、だったら何で俺の名前を知ってたんだ?」

「それはですね、先輩のみなさんに聞いたんですよ。昔刑事課にいた名探偵の話」


 俺は無意識に一歩後ずさっていた。

 一緒に仕事をした人間以外にも広がっているのか。どうやら簡単に放してくれる気はないらしい。


「……だがそれもひとまず置いておこう。おい和杜、俺は警部から捜査に協力するように言われている」

「そうなんですか。分かりました。自分に出来る事なら何でも言ってください」


 ところで、俺には物心ついた頃から不思議な力があった。

 そのせいで子供の時は奇異な目で見られたが、まあそれはこの際どうでもいい。

 その能力というのは手を使わずに物を動かしたり人の心を読んだりするような分かりやすいものではないが、捜査関係者なら誰しもが切望するかもしれない。


 ぶっちゃけ誰が犯人かはもう分かっている。

 面倒なので説明は省くがそういう能力なのだ。容疑者を見れば一発。刑事時代にこの能力が犯人を外した事は一度もない。


「簡単な物でいいから容疑者のリストとかないか?」

「あ、自分のメモでよければ」


 そう言って和杜は手帳を開いて見せる。


阪田邦和 (67) 被害者

阪田君子 (31) 妻

阪田圭一 (42) 長男

阪田晴美 (40) 長男の妻

阪田悠介 (17) 孫

阪田浩二 (38) 次男

阪田舞  (38) 次男の妻

阪田孝太 (13) 孫

里井理恵 (24) 義妹(妻の妹)

佐藤律  (62) 家政婦

鴻誠司  (59) 取引相手

北島信夫 (53) 取引相手

蕗野到  (29) 興信所員


 同居人多いな。流石に金持ちだ。

 お、次のページには屋敷の簡略化された見取り図がある。居間から書斎までの時間を元に算出すると、屋敷のどこにいても十分もあれば犯行は可能か?


 自分の能力はこれまで犯人を外した事はないのだが、実はそれほど万能でもない。

 言ってしまえば、図書館で時々見る一ページ目に犯人の名前が落書きされた推理小説のようなものだ。

 分かるのはあくまで犯人だけなのだ。

 推理小説で犯人を当てる際には、登場人物一人を犯人と仮定して犯行が可能かどうか思考するやり方があるが、自分の場合はそれを正解の一人に絞れるだけ。トリックなどは自分で考えなくてはならない。

 もっとも、大抵の場合は普通に捜査すれば犯人は分かるので自分が動くまでもない事が多いのだが。


「被害者の死因は?」

「心臓を一刺し。発見当時は仰向けで凶器の包丁は胸に刺さったままでした。死亡推定時刻は昨夜の十一時半から一時までです」


 殺害方法に不審な点はなしか。

 そして凶器を現場に残すとは、やっぱり内部犯かな。外部犯なら逃げる時に一緒に持ち去ればいい訳だし。


 ……本当は分かってるんだけどな、犯人。

 ただ、しらばっくれられた時のために「推理」をしておかなければならない。

 まあ、トリックが分からなくても口先だけで案外どうにかなるが。


「事件時の被害者の行動ですが、十一時までは居間で家族や客人と雑談をしています。それから書斎に行くのが目撃された最後です」

「犯行時刻はそれから一時までか。もっと絞り込めないのか?」

「被害者は趣味でボトルシップを作っていたそうなんですが……」


 言いながら写真を見せる。写真にはビンが映り、そのビンの中には作りかけの船があった。

 ああ、さっき鑑識の人が細長い金属の棒や手袋を調べてたが、もしかしてボトルシップの道具だったのかな。


「専門家に窺ったところ、ここまで作るのは熟練者でも最低一時間はかかるとか」


 一時間。被害者が最後に確認されたのが十一時だから殺されたのは十二時以降から一時までという事か。

 ……いやまて。


「被害者が書斎に戻ってから作り始めたとは限らないんじゃないのか? 前日一時間作業していて事件当日に作業しようとした直後に殺害されたとか」


 これだと犯行時刻は絞れない。


「このボトルシップは昨日の食事会の時に北島さんがプレゼントしたものだそうです」


 つまり、犯行時刻は十二時から一時までで決まりか。


「アリバイはどうなってるんだ?」


 事件当時屋敷にいたのは被害者を除けば十一人。しかも深夜となればアリバイなしも結構いそうだな。


「被害者が書斎に籠るのと同時に長男夫婦と次男夫婦も部屋に戻っています。両夫婦はそのまま十一時すぎには眠ったそうです。彼等はそれぞれ同じ部屋で眠っていますが、途中で配偶者が部屋を出ても気付かないだろうとも証言しています。里井さんも十一時半まで居間にいたそうです。残った鴻さんと北島さんは一時過ぎまで一緒に飲んでいたと証言しています。ただ、トイレ等で相手の所在を確認出来ない時間はあったそうです」


 一度に言われると頭がこんがらがってしまう。しかもまだ途中なのだ。

 取り敢えず重要なのは長男夫婦と次男夫婦の四人にはアリバイがない事(次男の子供についてはこの際無視しても大丈夫だろう)、客人二人は一応のアリバイがある事。


「家政婦の佐藤さんはおつまみを作ったり戸締りをしたりと色々と動き回っていたようです。目撃証言もありますが、そうでない時間の方が圧倒的に多いですね。長男の息子である悠介君はずっと自室で勉強していたらしいのですが、その、途中で眠ってしまったとか」


 あー、あるある。


「十時過ぎに佐藤さんが夜食を持っていた時には起きていたそうようなんですが……」


 和杜君の声が段々と尻すぼみになる。これで阪田悠介にもアリバイなしか。

 まあ、俺視点じゃ犯人でないのは確定だからどうでもいいんだが。


「里井さんは十一時半に部屋に戻った後はネットをしていたそうです。えーと、ライブチャットっていうんでしたっけ? 顔も見えるチャット」


 ふーん。理恵さんはアリバイありか。

 なんとなくそんな気はしてたけど。


「君子さんですが、何でも友人達と食事に行っていたとかで夕食に参加していません」


 ただでさえ浮気を疑われているのに大胆な。それとも自棄になったのか?


「それで帰宅は?」

「九時過ぎに妹である里井さんが車で迎えに行っています。ただその際に帰宅を拒否したそうで、友人宅に泊まったそうです」

「ん、アリバイあるのか?」


 居間での口論のせいでアリバイなしだと思っていたが。

 事件発覚後に呼び戻されたのか? しかし、俺が屋敷に来た時にちらりと見た記憶がある。


「それなんですが、君子さん本人の証言によると一眠りした後で気が変わって帰宅したそうです。それが三時前。友人は十時には寝て、それ以降君子さんが何時に帰ったのかは分からないそうです」

「厄介だな。この屋敷って監視カメラとかはないのか?」

「邦和さんが文字通り監視されるのは嫌だと言って取りつけていなかったとか」


 不用心な。

 君子さんのアリバイは不明瞭だが、慰謝料請求されそうになっているという動機もあるし、一応容疑者候補にしておこう。


「そういえば各人の動機は?」

「まず鴻さんと北島さんですが、二人とも仕事の関係で揉める事もあったようですが、流石に殺すほどじゃなかたようです。食事会にも参加してますし。ただ、口論になって思わず、という可能性は捨てきれません」


 いわゆるカッとなって殺った、というやつだ。これが意外に多い。

 人間は殺人というものに相当な忌避を感じるが、一時的な怒りはそれをたやすく飛び越える。


「また長男である圭一さんが社長、次男の浩二さんが役員を務める会社が業績不振で被害者と言い争う事もあったと聞きます」

「それで?」

「ですけど、被害者が資金援助をしていたそうですから自分の首を締めるような真似はしないでしょう」


 それでも遺産目当てという可能性は付き纏うがな。


「君子さんについては改めて説明する必要もないと思います。今分かっているのはこれくらいです」


 なるほど。目に見えた動機があるのはそれだけか。

 もちろん他の容疑者が白になった訳ではない。加害者と被害者の間だけに問題が生じていたなら、それは加害者が口を噤めばそれだけでなかった事になってしまうからだ。


「ちなみに書斎の鍵はどうなってる?」

「この部屋はオートロックです」

「オートロックか」


 昔のヨーロッパにありそうなデザインの扉だったが、中身はそうでもなかったらしい。


「まあ、容疑者は身内だったり親しい間柄だから入室に関して特に障害はないな」

「密室じゃなくて良かったですね」

「密室だろうがなかろうが刺殺なら大差ないけどな」


 仮に完全な密室が構成され、誰にも犯行が不可能だと思われる状況であっても、他殺なら警察には関係ない。

 トリックなど気にせず被害者の人間関係を洗い、容疑者を絞り出して事情聴取をする。


 現実に起こる犯罪は穴が多い。

 凶器に指紋が残らないように手袋をしておきながら、ばっちり素顔を監視カメラに録られる殺人犯。誘拐の手際は見事なのに非通知設定にし忘れた誘拐犯。関係者全員に事情聴取していただけなのに、犯行が露見したと勘違いして自供を始める犯人もいた。

 結局そういうものなのだ。麻薙警部は優秀だし、本来なら自分が出る幕はない。

 この事件も良心の呵責に耐えられなくなった犯人の自首とかで終わるかもしれない。

 ならば何故こうして現場に足を運んでいるのかと問われれば、


『どうか義兄を殺した犯人を見つけてください』


 理恵さんの言葉が頭をよぎる。

 理由は自分の気まぐれとしか答えようがない。

 ……駄目だなぁ。自分の感情を優先させるのは警察を辞める破目になった時と変わらない。それが俺の本質なのだと言われれば反論の余地はない。


「……犯人はあの人か」

「もう分かったんですか!?」


 半分驚き、半分疑いといった感じで和杜は俺を見る。


「現場に行かず椅子に座ったまま解決する探偵だっているんだ。現場で調査すればすぐ終わる」


 いや、本当は皆目見当がつかないんだけどな。

 多分これ、推理小説でいうなら序盤から中盤。容疑者達の確執や推理に繋がる新事実が手に入る頃だ。


「といってもまだ確証はないからもうちょっと調べないとな」


 あるかどうか分からないが、証拠を処分されると困るし、さっさと終わらせてしまおう。

 和杜に背を向けて俺は書斎から出ていこうとする。

 その背中に、


「あの、そんなに優れた力があるのに何で警察辞めたんですか? 警部も不思議がってました」

「……」


 この時の俺は酷い顔をしていただろう。背中を見せていたのは僥倖だった。

 和杜の言葉は知り合いには最低一回は聞かれる事だ。


「収入は少ないし、山によっちゃ不規則な生活をする事にもなるからな。肉体的にも精神的にも辛い事が多いし」


 一抹の本音ではあるが、決して正解でもない回答。

 それだけ告げると和杜が二の句を継ぐ前に書斎を出る。

 向かうのは居間だ。まだ残っていると良いんだが。


「聞けば必ず相手が本当の事を言う能力もあったら便利かな。いや、精神病みそうだな」


 居間に戻ってお目当ての人物を探すが、その人の姿はどこにもない。

 控えていた家政婦の佐藤さんに居場所を聞いたところ、自室に戻ったという。和杜の手帳に見取り図が描いてあって良かった。


 その人の部屋に行く途中、洗面所があったので気を落ち着かせる為にも水で顔を洗い、ポケットから取り出したハンカチでしっかりと顔と手を拭く。

 そこでネクタイが歪んでいた事に気付く。事務所には鏡がないから確認していなかった。

 自分の姿が反射する物は極力身近に置かないようにしているが、仕事の時くらいはきっちりするべきだったかもしれない。


「ふう。これからが正念場だぞ、蕗野到」


 顔をぱしっと叩いて気合を入れる。

 もっとも、これが駄目でも警部に頼んで監視してもらえば何かボロを出すだろう。

 流石にこうまで早く判明するとは思ってないだろうし。


 そう考える事で少しでも緊張を解す。




 その人の部屋の前に辿り着き、扉を二回ノックすると、中から「はい」と返答が来る。

 部屋が合っていた事に安堵しつつ、


「蕗野です。少し話があるのですが」


 扉の向こうの人が小さく息を呑んだ気がした。


「……どうぞ。鍵はかかっていません」

「失礼します」


 ゆっくりとドアノブを捻り、扉を開けて入室する。

 俺から見て正面に机があり、そこに理恵さんがいた。

 椅子に座る彼女は怪訝な表情でこちらを見る。


 俺は扉を閉めると逃げ道を塞ぐようにそこから動かない。

 この行動の意味に彼女は気付いただろうか。どちらにせよ直後にはっきりと思い知る事になるが。


「悪い事は言わない。いますぐ自首すべきだ」


 理恵さんの顔に一瞬だけ驚愕がよぎったのを俺は見過ごさなかった。


「あの、名探偵さん? 何を言って……」

「今更取り繕う必要はない」

「……」


 その言葉に理恵さんのおしとやかな雰囲気は鳴りを潜め、周囲の空気がピリピリと緊張してきた。


「もしかして私が義兄を殺したっていうんですか?」

「そうだ。君が犯人だ」

「私にはアリバイが……」

「ああ、あれは中々のトリックだった」

「……っ、どんなトリックを使ったっていうんですか」


 理恵さんの声に焦りが混じる。動揺しているのだろう。

 俺も似たような状況だからよく分かる。


「それをわざわざ説明する必要が? どんなトリックだろうと君が犯人だという事に変わりない」

「……」

「こんな問答を繰り広げる時間は君には惜しい筈だがな。俺は君と僅かとはいえ親交があったから自首を勧めた。だが捜査員達は違う。手柄も欲しいだろうし、トリックに気付けばすぐさま報告するぞ」


 理恵さんの口元が醜悪に歪む。

 彼女とて俺が何の確証もなくこんな事を言う訳がないと理解しているだろう。

 俺の確証は他人に説明出来るものではないが、俺はそれによって揺るぎない自信を得ている。

 そしてその自信は相手に「自分のトリックが完全に露見したのではないか」という幻想を与える。


 推理小説ではトリックと一緒に動機についても言及するが、それは無視。というか知りたくないというのが本音だ。

 もし同情出来る理由での犯行だったらやってられん。

 確実に犯人が分かる。そんな能力を持っていると自分が犯人を捕まえなければならないという使命感を抱くが、今の俺に言わせれば面倒なだけだ。

 今回の件にしても見て見ぬ振りをするという選択肢もあったし、途中までそうするつもりだったのに、些細なきっかけから犯人を追及している。


「君に自首するという意思がないなら仕方ない。俺が知り得た事を全て警察に話す事にする」

「……それには及ばないわ」


 彼女は大きく息を吐き、体を脱力させる。そこには諦観があった。


「用意したトリックの中でまず使わないだろうと思っていただけにむしろ有効な気がしたのに」

「人が考えた以上、完璧など有り得ないからな」


 トリックなど全てを見抜いていれば格好いい場面なんだろうな、ここ。


「……逃げ場はないみたいね」

「逃げたければ逃げればいい。罪が重くなるだけだがな」


 理恵さんは再度溜め息を漏らす。


「あなたの言う通り自首するわ。……ただ、少し時間が欲しいのだけど」

「別に強制するつもりはない。好きにすればいい」


 そう言って俺は後ろを向き、ドアノブに手をかける。

 扉を開けようとした時、ふと心の中でわだかまっていたものの存在に気付く。


「……一つだけ。聞いておきたいことがある」

「何かしら?」

「どうして俺に犯人を見つけろなんて言ったんだ?」

「……大した理由じゃないわ。ただ、身内を殺された人間の反応としてあれが自然だと思っただけ」

「……なるほど」


 そんな知恵を回す余裕がなければ俺が動く事もなかったのに。


「聞きたい事ってそれだけ?」

「そうだな」


 素気なく答えると今度こそ扉を開けて退出する。

 本当、一時の感情だけで行動するもんじゃない。時間が経過したら最大級の自己嫌悪に陥りそうだ。







 その日の午後、俺が事務所で自称助手の相手をしていると、警部から理恵さんが自首してきたと携帯に連絡があった。

 彼女は自分が被害者を殺害した事以外は殆ど何も語らなかったらしいが、警部はタイミング的に俺が一枚噛んでいると気付いたらしい。


 通話を終え、何気なく外を見ると空は夕陽で赤く染まっている。

 窓ガラスに自分の姿が映っていたので、窓を開ける。


「どうしたんですか? 黄昏ちゃって。似合ってませんよ」

「別に。ただ、それこそ似合わない事はするもんじゃないなと」


 石のように動かず、口も開くべきではなかった。

 覚悟のない人間がしたり顔で首を突っ込んで何やってんだか。


 そうやって済んだ事をいつまでも気にするのも自分の悪い癖だ。


「依頼人の息子から報酬も貰ったし、今日は豪勢に外食でもするか!」

「お供します!」


 取り敢えず美味いもんでも食ってれば嫌な事は忘れる。

 明日も仕事はあるんだ。いつまでもネガティブではいられない。

 ま、今度も浮気調査だけどな!

ノックスやヴァン=ダインに真っ向から喧嘩を売ってる作品。

当初は口先探偵というタイトルだったけど思いの外口先に頼ってなかったので没に。


この事件、本来なら序盤ですらなく「実は以前にも被害者の周辺で殺人事件が発生しています。その時の容疑者も今回とほぼ同じ」的な感じで語られるお話かも。

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