亡霊の弔鐘
1965年のフランスはフランドル地方の漁村、サン・セレスタン村。
木組の掘立て小屋の中に、旧式の錆びかけた通信機が置いてある。そばにおかれたイスには無精ひげを生やした中肉中背の男が腰かけていた。
「そろそろ電話番も交代だな・・・・・・」
電話番ー通信機を見張る人のことーであるこの男が、軽く背伸びをしたときーー。
「こちらクリル2号! Uボートだ! ナチスのUボートがーー」
急に通信機が声を上げた。男は急いで通信機にしがみつき、側面のボタンを指で押し込む。
「こちら地上管制、クリル2号、どうした」
沈黙が小屋の中に広がる。
「クリル2号、応答しろ」
通信機は何も答えない。
「まずいぞ・・・・・・」
男は胸に手を当て一息つくと、ふたたびボタンを指で押し込んだ。
「クリル2号が消息を断ちました。通信が聞こえている全船は捜索ねがいます。想定海域はーー」
結局クリル2号は発見されず、代わりに見つかったのは3人の乗組員の溺死体だった。海岸に並べられたシートの上に3人の遺体が安置されている。
「アデラール、だめだ!」
アデラールと呼ばれた青年は男にはがいじめにされていた。青年の青い目は暗く沈んでおり、それでもシートの方に行こうと男の腕の中でもがいている。冷たい海風が2人を叩く。
「見ちゃだめだ、小屋に戻れ!」
「離してくれ! あれが父さんだという確証があるのか!」
その言葉を聞いた男に、一瞬の隙が生まれた。その隙を突き、アデラールは男の手をふり払うとシートの掛けられた遺体に駆け寄る。男にしては長い茶色い髪が風にたなびく。
ーーそうだ、父さんが死ぬわけない。だって、父さんは立派な漁師でーー。
アデラールは息を小さく吸いシートをめくる。
数秒後、悲痛な叫び声があたりに響きわたった。
サン・セレスタン村ではここ1ヶ月ですでに3隻の漁船が行方不明になっていた。そしてこの村にはかつてUボートのブンカーーUボートを爆撃から守るコンクリートの小屋のようなものーーがあった。
「ナチスのUボートの亡霊が、漁船を撃沈しているんだ」
そんな噂がたつのに、そう時間はかからなかった。
「Uボートって、旧ドイツ軍の潜水艦だろ? もう大戦から20年経ってるんだぞ。ブンカーにあったやつもとっくに連合軍に接収されてるし」
「でも、通信ではUボートって言っていたんだろ?」
「あのじいさん、駆逐艦乗り上がりだろ。そのときのが体に染み付いてて、ついUボートって言ったんじゃないのか?」
「何でもいいけど、漁に出れないのは勘弁してほしい。せっかく魚群探知機付きの新型漁船を買ったてのに、そのとたんこれだ」
「要は、確かめてくればいいんだろ」
アデラールのその言葉に、今まで口々に喚いていた青年たちが静かになった。
「お前、まさかーー」
「亡霊は、俺が捕まえる」
父さんを海に葬り去ったあのナチスの亡霊を、必ずやー。
数日後、アデラールは木造の漁船を1人で操っていた。冷たい海に白い航跡が広がっていく。
ーー村人に止められると思ったんだが、案外そうでもなかったな。
Uボートの亡霊を探しに行く。アデラールがそう言うと最初は止めた村人たちだったが、そこまで強くは引き止められなかった。
ーーあいつらとしては、早く亡霊の正体を知りたいんだろうな。このまま漁に出られないと困るし、そのために俺1人が犠牲になるくらいなら内心いいと思ってるんだろう。
自嘲ぎみに苦笑いをする。
「・・・・・・父さんの船が行方不明になったのは、ここら辺か」
飲み込まれそうな暗い海をじっくりとのぞき込む。そのときーー。
「なんだ!」
船に向かって海中を突進してくる黒い影がアデラールの視界に入った。
ーーまずい、避けなければ!
急いで右手でハンドルを切り、船を右旋回させる。
「最大船速!」
左手でレバーを非常出力域までいっきにたたきこむ。エンジンが低いうなりをあげ船体をきしませる。さっきまで船がいた場所を影がかすめていく。
「なめるな!」
ーー小型だが今まで沈められてきた漁船よりはだいぶ速くて小回りもきくんだ。大丈夫、対抗できる。せめて正体は暴いてやりたい。
海中のそれは切りかえすとふたたび船に突進してくる。
ーーUボートならあんなすぐに方向転換はできないはずだ。いったい何だあれは。
影が船にぶつかる寸前、船を左旋回させかわす。勢いのままに水しぶきとともに海中から飛び出してきたそれはーー。
「クジラ・・・・・・。ザトウクジラか?」
ゴツゴツとしたコブのついた青い巨体と、大きな胸びれ。船の全長の倍はあろうかというザトウクジラだった。奥まった、その巨体にしては小さなクジラの目と一瞬、視線がかち合う。
何度も船に突進をかけるザトウクジラをなんとか避け、アデラールは港に帰ってきた。
ーーここは水深が浅い、もう追ってこないだろう。
船をゆっくり接岸させる。
ーークジラなら大型の捕鯨船を呼べばー。しかし待てよ。
アデラールの頭に一つの疑問が浮かんだ。
ーーなんで本来は大人しいはずのザトウクジラが、船を襲うんだ?
その後政府により組織された捕鯨隊が出した結論は、皮肉なものだった。
「なぜ臆病で大人しいザトウクジラが船を襲うのか」
スーツを着た学者が村人の前でマイクを握っている。小屋の中は暗く、よどんだ空気をまとっていた。
「この地域では大戦中、鯨油を目的としたナチスによるザトウクジラの乱獲が行われていました。ザトウクジラは知能が高い。その復讐とみるのが妥当でしょう」
1人の男が不満そうな顔つきで手をあげる。
「しかし、終戦からここ20年、今までこんな事件はなかった。なんで今になっていきなり襲いはじめたんだ?」
「この村は最近魚群探知機付きの新型漁船を導入しましたよね?」
男がゆっくりうなづく。
「魚群探知機は要は低出力のソナーです。そしてソナーはナチスも使っていた。ソナーの仕組みは知っていますね?」
「ああ、音波をあてて海中の様子を見るんだろ?」
「はい。そのためザトウクジラにはその音が聞こえます。周波数帯が近いんですよね。ナチスの駆逐艦や潜水艦が使っていた対潜ソナーと、魚群探知機の中周波ソナーが」
・・・・・・そういうことか。
アデラールは目を伏せ歯を食いしばる。
「かつてこのザトウクジラはソナーの音ともに仲間を殺された。そして最近ソナーの音を聞き、ふたたびその記憶が蘇った。そのため無差別に船を襲うようになった。そう考えるのはどうでしょうか」
ーーナチスによって殺された仲間の復讐、というわけか。ある意味「ナチスの亡霊」というのは間違いではなかったのだな。ナチスが産んだ怨念が多くの船を沈めたわけだから。しかしーー。
軽く舌打ちをする。
ーーいったい俺は、誰を責めればいいんだ? もうとっくにいなくなったナチスか、仲間を殺されたクジラか。
行き場のない怒りを飲み込むように、拳を握りしめた。
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