1話.甘い獲物
人間が踏み込めば徐々に精神が汚染されていく、簡易結界のない大地。
「懲りもせずに新しいマイスターが派遣されたって聞いたから、見に来てみたけど」
相手に認識されないよう、かなり遠くから観察していた僕は、その光景に危うく大声をあげて笑いそうになった。
自分の身を守ってくれる唯一の道具、簡易浄化装置をまさか、前哨基地に置いていくなんて。
あんなの、自殺行為じゃないか。
それとも、自分の瘴気耐性に余程の自信があるのかな?
華奢な娘は結界の外にあっさりと踏み出し、瘴気まみれの中をトボトボと歩いていく。
「なにあれ……全然ダメじゃないか」
一体どれほどの耐性と覚悟を持って現れたのかと思えば、その足取りはあまりに心もとない。
「あはは。見てよ、あの震える足。……すっごくいい」
恐怖に顔を白く染め、瞳からぽろぽろと涙を流しながら周囲を警戒している。
あんな状態なら既に発狂していてもおかしくない。それなのに彼女は、必死に生にしがみつきながら、地面に這いつくばる勢いで何かを探している。
「あんなに怖がっているのに、どうして戻らないんだろう。……ああ、そっか。そこまでして、何かが欲しくてたまらないんだ」
そうして彼女が見つけ、大事に抱きかかえて持ち帰ろうとしているのは、瘴気に侵されかけた木の実だった。
あんなゴミ同然の素材のために命を投げ出すなんて、誰よりも狂気をその身に孕んでいるのかもしれない。
「決めた。あの子は僕のものにしちゃおう」
甘さの塊みたいな彼女を僕がこの手で絶望のどん底に叩き落としたら、一体どんな風に壊れてくれるんだろう。
僕は彼女の震える背中を視線でなぞる。
もっと必死になって、もっと足掻いて。
そうして築き上げた物が全て崩れた瞬間、僕にすがるしかない状態にしてやりたい。
名前は……アマネって言ったかな。
「あはは、名前まで甘さを出して。そんなに僕を誘惑して、一体どうしてほしいんだろう」
ずっと退屈していた僕の庭に、これ以上にない獲物が迷い込んできた。その事実に、僕は確かな高揚感を感じている。
彼女が拠点に戻っていくのを見つめながら、僕は気づかれないよう闇の中へと溶け込む。
その胸には彼女と同じ、マイスターバッジが冷たく光っていた。




