ゴブリンの巣穴
次の日の朝、俺は早くから行動を開始した。
目的地は、発見されながらも未攻略のまま放置されているダンジョンだった。島で活動する覚醒者の数が少なく、手が回らないために後回しにされている、危険度の低いダンジョンがいくつかあるらしい。
今の俺にできることは限られている。まずはそうした比較的危険度の低いダンジョンを潰して回り、魔物の異能を集めるところから始めることにした。
秋晴れの冷えた空気のもと、一時間ほど田園地帯を歩くと、魔物に荒らされた畑が見えてきた。
目的地に辿り着いたことを告げると、テルミナがやれやれとばかりに息を吐く。
「ここが、例の魔物に占拠された畑? まったく……武器と防具を受け取る代わりに、ずいぶん面倒な見返りを引き受けたものね」
それは昨日、滞在許可を得て間もない頃のことだった。
寝床となる天幕が用意されるまでのあいだ、島の事情を探っていた俺に、一人の老人が声をかけてきた。
曰く、先祖代々守ってきた畑を魔物に奪われ、困っているという。だが、他の覚醒者たちは人手不足を理由に誰も相手にしてくれない。彼は最後の望みとばかりに、俺にすがった。
その老人こそ、昨日俺に装備を譲ってくれた好々爺だった。
頼みを聞く代わりに、倉庫に眠っていた魔物由来の装備を受け取る。そういう取引だった。打算もあるが、俺にとっては悪くない条件だった。
俺は肩をすくめながら言う。
「別に、理由もなく助けるわけじゃない。ここのダンジョンはE級らしい。なら、俺の霊格も昨日より成長するだろ?」
霊格は、苦難と逆境の中でこそ伸びる。より危険な場所を踏破するほど、得られる糧も大きくなる。
「なるほど。ちゃんと考えて動いてるのね」
テルミナが納得したように頷いた。
俺は畑の奥、ぽっかりと口を開けた縦穴を見つけると、縁まで歩み寄って覗き込んだ。
底に散らばる土の上には、長靴らしき足跡がいくつも残されていた。あの老人のものだろう。自力で取り戻そうとしたのか、横穴の入口付近まで踏み込んでいる。だが、そこまでだったようだ。途中で踏みとどまり、引き返している。
だが、それだけではなかった。
その脇に、小さな足跡が交じっていた。
(子供の足跡か)
俺は黙って跪き、目を凝らす。
足跡は途中で途切れておらず、そのまま横穴の奥へと続いていた。
(入ったのか……)
胸の奥に、冷えたものが這い上がる。
無邪気な好奇心か、あるいは老人の孫か。理由はどうあれ、こんな場所に子供が入ったとなれば、無事では済まない。
魔物の気配がある以上、生存の可能性は低い。だが、確かめずにはいられなかった。
「中に、子供が入ったかもしれない」
そう口にすると、テルミナは一瞬だけ目を見開き、すぐに小さく息を吐いた。
「ほんと、あんたって……。分かったわよ。さっさと片づけましょ」
俺は黙って頷き、縄を近くの木に結びつけ、地中へと降りる。
底には狭い坑道の入口が開いていた。身体を屈めねば通れないほどの大きさだ。
その入口付近には、微かに瘴気の気配が漂っていた。
それを感じ取ったのか、テルミナも鼻の頭に皺を寄せる。
「辛気臭い場所」
「昨日よりも瘴気が濃い。……さっさと行くぞ」
腰の短剣を確かめ、俺は膝をついて穴倉の奥へと身体を滑り込ませた。
しばらくは窮屈な通路が続いたが、進むにつれて空間が徐々に広がっていく。
膝立ちだった姿勢は次第に立ち上がれるほどになり、すれ違いも困難だった幅は、やがて二人並んで進める程度には広くなった。
「入口は小さいけど、中は広いのね」
膝をつくのを嫌ったのか、姿を消していたテルミナが再び現れ、俺の隣に並ぶ。
俺は坑道の奥に目をやりながら短く答えた。
「それだけ、このダンジョンにいる魔物が、群れで行動するってことだ」
「分かるの?」
「勘だけどな。けど、まず間違いないはずだ」
巣穴の構造は、そこに棲む魔物の性質を映し出す。
昨日攻略したF級ダンジョンでは、単独行動を好むコボルドばかりだったため、坑道も狭かった。だが、今回は違う。
入口が小さいにもかかわらず奥が広いということは、おそらく――この先に潜んでいるのは〝群れで行動する、背丈の小さな魔物〟だ。
「該当するのはいくつかいるが……ここがE級なら、まずゴブリンだろうな」
「ゴブリン?」
「ああ。ずる賢い連中だ。他の魔物より頭が回る」
緑色の肌に濁った黄色の瞳を持つ、小柄な魔物。一体ごとの戦闘力は低いが、繁殖力が高く、集団で動く習性がある。
とある研究者の論文では、ゴブリンの知能は人間の五歳児程度とされている。ただし、長く生きれば生きるほど、その知性はさらに発達するとも書かれていた。
「成長した個体は、罠を使うこともある。油断はできない」
「ダンジョンの構造から、そこまで見抜くなんて……」
感心したように、テルミナが頷いた。
俺は『夜目』を活かしながら、暗い通路をゆっくりと進む。そして、すぐに魔物との接触があった。
――現れたのは、やはりゴブリンだった。
ギザギザの歯を剥き出しにして威嚇するその姿に、俺は小さく息を吐く。
「……やっぱり、群れで出てきたか」
予想通り、奴らは一匹ではなかった。
奥からぞろぞろと仲間が現れる。その手には、手製の棍棒や石斧、中にはボロボロの鍬や錆びた鎌を振り回す個体もいた。
さらには、底に穴の開いた鍋を兜代わりにかぶっているものまでいて、その滑稽な姿は、どこか人間の覚醒者を真似ているようにも見えた。
「何よこいつら、ずいぶん立派な装備しちゃって。何様のつもり?」
テルミナが鼻白んだ声で呟いた。
俺は短剣を抜きながら、淡々と言い返す。
「頭がいいって言ったろ。魔物の中でもこいつらは特殊なんだ」
近づいてくるゴブリンの数を素早く数えた。
……全部で五匹。
数としては多いが、対応不可能というほどではない。十数匹相手なら撤退も考えたが、この程度なら問題はなさそうだ。
「下がってろ」
俺はテルミナに軽く合図すると、地面を蹴って前へ出た。
「ゲギャギャギャギャギャ!」
ゴブリンたちが喚きながら、いっせいに襲いかかってくる。
俺は鍬を振り下ろしてきた一体の懐へ滑り込み、骨ばった脇腹へ短剣を突き立てた。
鋭い悲鳴とともに、ゴブリンが倒れる。奪い取った鍬でその頭を叩き割り、即座に次の個体へと向かった。
「ギ、ギィエッ!」
鎌を持ったゴブリンが鎌を振り回してくるが、動きは単純だ。
俺はその手を掴み、関節をへし折るように捻り上げ、悲鳴を上げたゴブリンに鎌を突き立てた。骨が削れる音とともに、ゴブリンが沈黙する。
(残り三匹)
奇襲が利くのはここまでだ。
俺はじりじりと後退するゴブリンたちへ視線を向けた。
「ギェッ! ギイェ、ギイイエッ!」
「ギィ、ギイイグ!」
背後に下がりながら、ゴブリン達が威嚇の声をあげた。
俺がその声を無視して間合いを詰めていくと、やがて逃げることが出来ないと諦めたのか、ゴブリン達はそれぞれの武器を構えてみせた。
「ギイイイ!」
一番前のゴブリンが鍋兜をかぶったまま飛び出してきて、折れた長剣を振るってきた。
俺はその刃を躱し、短剣で反撃――しようとした瞬間。
カァン!
鍋を兜に使った頭突きが俺の短剣を弾いた。
「ゲギャギャ」
得意げに笑うゴブリンに、俺は舌打ちしつつ体勢を立て直す。
「ギイイア!」
長剣の一撃を、俺は短剣の側面で受け流した。その反動で腕が振られた隙を突いて腹に膝蹴りを叩き込む。
「グェ」
蹲ったゴブリンの首筋に短剣を滑らせ、静かに息の根を止めた。
(これで残り二匹)
そのとき、ヒュッと風を切る音が耳を打った。
咄嗟に短剣を振ると、飛んできた石が刃に弾かれて地面に落ちた。
残るゴブリンたちは、攻撃手段を投石に切り替えていた。
「ゲギャギャギャ! ゲギャギャギャ!」
何かを叫びながら、ゴブリンたちが必死に石を投げてくる。
俺はたった今仕留めたゴブリンの死体を盾代わりに掲げて、突進した。
行為を非難するかのように、ゴブリンたちの叫び声が強まる。
だが、そんなことは知ったこっちゃない。人間を襲う魔物相手に、倫理を説かれる筋合いもない。
俺は盾にした死体の陰から短剣を突き出し、一体を刺し倒した。それを見ていた最後の一匹が悲鳴をあげて逃げ出し始める。
「逃がすかよ」
俺はその背中へと短剣を投げつけた。刃は背中に突き立ち、ゴブリンが前のめりに倒れ込む。
俺は呻くゴブリンへとゆっくりと近づき、その首を掴むと一気に力を籠めてへし折った。
ごきり。
嫌な音が響き、ゴブリンの全身から力が抜けた。俺は背中から短剣を引き抜き、念のためにとどめを刺した。
「どうにかなったな」
息を整えながら、刃についた血を拭う。
「どうにかって……心配する必要もないぐらい無双してたじゃない」
姿を現したテルミナが、呆れたように言った。
俺は小さく肩をすくめながら答える。
「結果として問題はなかったが、この身体での集団戦は何が起こるか分からないだろ。下手をすれば、攻撃を受けていた可能性だってあった」
以前の身体とは違い、今の俺は傷を負えば簡単に命を落とす危険がある。慎重に動くべきだったが、戦闘になればそれどころではない。
「異能が一つでも手に入ればいいが……」
俺はゴブリンの死体へと手を翳し、【吸収】を発動させる。
黒い闇が広がり、死体を包み込む。しかし、次の瞬間、闇は弾け飛んだ。
失敗だ。
舌打ちをしながら、次の死体へと手を向ける。何度も試したが、結果は変わらなかった。
そして、最後の一体になってようやく、異能の吸収に成功した。
「やっと成功したか」
安堵の息を吐きながら、テルミナへと視線を向ける。
「何が手に入った?」
問いかけると、彼女は探るような目を俺に向けながら、答えた。
「今のは……『危機察知』の異能ね」
「『危機察知』?」
「身に迫る危険をいち早く察知する異能よ。たいてい臆病だったり、力の弱い魔物が持っていることが多い異能ね」
「へえ……使い勝手は良さそうだな」
攻撃系ではないが、生存力を底上げする異能だ。
俺は手のひらを握りしめ、新たな力を確かめるようにゆっくりと開いた。