失敗したのはなぜ?
「なるほど……。単純な話じゃ済まなそうね」
テルミナは険しい表情を浮かべながら、背もたれに身を預け、重く息を吐いた。
「一度、情報を整理しない? 今日だけでも、いろいろ話を聞いたじゃない」
「そうだな。この島の今について、最低限の情報は揃った」
俺は寝転がったままの体を起こし、ベッドの端に腰かけた。
向かいの椅子に座るテルミナと、ようやく正面から視線を交わせる位置に戻る。
「今日の日付は十月二十四日。魔物災害が起きるのは十月三十一日……つまり、あと六日だ」
「六日もあれば異能はだいぶ集まりそうね。じゃんじゃんダンジョンに潜って、ぐんぐん成長しなさいよ」
その軽口に、俺は小さくため息を吐いた。
「そう簡単にはいかない」
「どうしてよ?」
「ダンジョンに続けて潜れば、それだけ瘴気が身体に蓄積される。瘴気を抜くには、地上でしっかり休息を取るしかない。潜っていた時間が長いほど、その分だけ回復にも時間がかかる」
「えっと……つまり?」
「瘴気を溜めたまま無理に潜り続ければ、どんどん蓄積されていく。そして限界を超えれば、瘴気酔いを起こす」
俺は淡々と続ける。
「最初は魔力の制御が乱れ、攻撃の精度が落ちる。それが進むと幻覚や幻聴が現れ、感覚も鈍る。最悪、意識を失う」
「……それ、普通に死ぬわよね」
「そういうことだ」
だからこそ、覚醒者はダンジョン攻略のあとに必ず休息を挟む。
どんな状況でも、無理をすれば必ず代償を支払う羽目になる。
「それじゃあ、何度もダンジョンに潜れないの?」
「そういうことだ。残りの日数で攻略できるダンジョンの数にも限りがある」
今日潜ったのはF級ダンジョンだったから、瘴気の濃度も薄く、身体への影響はほとんどなかった。だが、E級以上ともなれば話は違ってくる。
吸い込む瘴気の密度が上がれば、その分、地上での休息も長く必要になる。
ダンジョンの等級は、内部の広さや魔物の強さだけでなく、瘴気の濃度もひとつの基準だ。
等級が上がれば、それだけ身体に蓄積される瘴気の量も増える。
「F級ダンジョンなら、ある程度は連続で攻略できる。だが、それでも二、三回が限界だな。それ以上となれば、最低でも半日は地上で休まなきゃならなくなる」
「危険を冒せば、それだけのリスクがあるってことね」
テルミナが呟くように言い、俺は静かに頷いた。
話題は自然と次へ移る。
「あと分かったことと言えば、金北山の山頂に新しいダンジョンが出現して、調査隊が向かったってことだな」
これは、門前で出会った男から聞いた話だ。
「ええ、その調査隊が戻るのが三日後って言ってたわね」
「戻り次第、攻略隊が編成されるはずだ。だから、今のうちに参加の意思だけは伝えておこうと思う」
「攻略隊に? まさか、この時代の人たちと一緒に動くつもりなの?」
テルミナがじろりと鋭い視線を向けてくる。
「あなた、もしかして『制約』のことを忘れてるんじゃないでしょうね」
制約――
女神であるテルミナと契約した俺につけられた、厄介な首輪だ。俺の力と自由を奪う、原因でもある。
俺はテルミナに向けてため息を吐き出した。
「分かってる。だけど俺は〝協会から派遣された覚醒者〟という立場でこの島にいる。攻略隊が動き出すのに、まったく関与しないのは不自然だろ?」
「……まあ、それはそうだけど。でもそれなら、前線には出なければいい話じゃない」
「そのつもりだ。表向きは協力姿勢を見せて、実際の戦闘には関わらない。……もっとも、そう言わずとも、俺を前線に出すような連中じゃないだろうがな」
「どういう意味?」
「俺がF級だって告げたときの、あいつらの反応を思い出してみろよ。戦力としては、もうとっくに見切られてる」
「ああ……そういえばそうだったわね。あなたが今の等級を告げた瞬間、みんな顔が引き攣ってたわ」
テルミナの言葉に、俺は小さく笑った。
「あの様子だと、俺は攻略隊に参加しても荷物持ちが中心の後方支援に回されるだろうな」
だが、それでも構わない。
俺の目的は魔物の異能を集めることではなく、この島の魔物災害を未然に防ぐことだ。
異能を奪って力をつけるのは、その目的を果たすための手段にすぎない。
(それにしても――)
心の中で呟く。どうにも気になることがあった。
この島の覚醒者たちの態度だ。協会から来た俺に対して、歓迎どころか迷惑がっているようにさえ見えた。まるで何かを隠しているかのような、妙な緊張が空気に漂っている。
(それだけじゃない。まさか、本当に攻略隊が組まれていたとはな……)
思考に沈んだ俺を見て、テルミナが不思議そうに顔を覗き込んでくる。
「なによ、その顔。眉間に皺なんか寄せて。何か気になることでも?」
「ん、ああ……ちょっとな」
考えごとが顔に出ていたらしい。俺は視線を逸らし、支給されたぬるい水をコップに注いだ。
一口含んでから、思ったことをそのまま言葉にする。
「攻略隊が、本当に動いていたんだなって。俺が知っていたのは、C級ダンジョンから魔物が溢れ出したっていう〝結果〟だけだったから……。てっきり、誰も動けなかったのかと思ってた」
「……? でもダンジョンを攻略するのは、当然の対応なんじゃないの?」
「理屈の上ではな。けど、分からないか? 現代に残ってる記録には、この島が魔物に蹂躙されたっていう〝結末〟しか残っていない。つまり今、ここで編成されている攻略隊は歴史上、確実に〝敗北する〟ことが決まっている部隊だ」
「それが?」
テルミナが首をかしげる。
「ただ攻略に失敗しただけなら、まだいい。けど、聞いた話をまとめると……それがどうにもきな臭い」
俺は水を飲み干し、短剣の柄を使って地面に図を描き始めた。
「調査隊の帰還は三日後。そして、それを受けて攻略隊が正式に動き出すはずだ。現時点で確認されている参加予定の覚醒者は、十五人だと聞いている」
「十五人……それって多いの?」
「多い。少なくとも、D級ダンジョンを攻略する規模じゃない。人員構成だけ見れば、C級ダンジョンの攻略に必要な戦力を優に満たしている。しかも、その内訳がこれだ」
俺は地面に剣、盾、杖、十字架、目のマークを刻み、それぞれの下に数字を添える。
「アタッカー四人、ディフェンダー三人、バッファー三人、ヒーラー二人、スカウト三人。参加者の大半はC級やD級だが、中にはB級の覚醒者もいる。通常のC級ダンジョン攻略に必要な戦力の、少なくとも1.5倍以上の規模だ」
「……つまり、失敗するほうが難しいってわけね?」
「ああ。戦力だけ見れば、万全といっていい」
「なのに、現代ではこの攻略隊がダンジョン攻略に〝失敗した〟ことになっている?」
テルミナは地面に残った数字を見つめ、低く呟く。
「たしかに、きな臭いわね。失敗するはずのない編成で失敗した……となれば、何かしらのアクシデントが起きた可能性が高いってことじゃない」
「ああ。俺もそう思ってる」
鼻の頭に皺を寄せながら言った。
昔から、こういう勘はよく当たる。おそらく、攻略隊の失敗はただの失敗じゃない。現代の記録には残されていない、何かが隠されている。
会話が途切れて、沈黙が落ちた。
深夜の静寂が、天幕の外からも中からもじわじわと染みこんでくる。
まるでこの島そのものが、何かの胎動をじっと息を潜めて待っているかのようだった。
「ひとまず、攻略隊に参加するのは決定だ。それまでに、できるだけ魔物の異能を集めておこう」
「分かったわ」
こくりとテルミナが頷いた。
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お盆休みのお供になれば幸いです。