原因
集落の端に、男の言う広場はあった。
かつては運動場として使われていたのか、楕円形の地面は均され、周囲には簡素な柵が立てられている。今は訓練用の広場と化しており、杭に巻かれたぼろ布のカカシが、戦闘訓練用の標的として並んでいた。
俺はカカシを相手に剣の訓練をしていた一人を捕まえ、門番の男に言われたことを伝えた。
男は一瞬、渋るような素振りを見せたが、結局は手続きを進めてくれた。
もっとも、俺たちの素性を疑っていないわけではない。
応対する間も、いくつか確認の質問を挟まれたが、それでも最終的には滞在が許可された。
手続きが済むまでの間、俺は広場の一角で待機を命じられた。
周囲では数人の覚醒者たちが、それぞれの訓練に励んでいる。彼らが使っている武器は剣や槍が中心で、銃火器は見当たらない。魔物相手に、銃は決定打になりにくいからだ。
覚醒者が扱う魔力は、直接手で触れたものだけにしか流せない。
そのため、銃身には魔力が宿っても、発射される弾丸には付与されない。
結果として、実戦では十分な効果を発揮できず、今では銃火器を扱う覚醒者もほとんどいなくなっていた。
ふと、広場の隅で木剣を振っている少女が目に入った。
華奢で、小柄な少女だ。年の頃は十二、三といったところか。すらりと伸びた手足は細く、腰まわりなどは俺の半分もない。銀色の髪が腰まで流れ、切れ長の瞳は澄んだ青を湛えていた。
少女は誰に声をかけられるでもなく、ただひとり、黙々と木剣を振り続けていた。
体捌きはぎこちなく、踏み込みも浅い。剣の軌道はぶれ、重心も不安定。――型として見れば、どこを取っても稽古になっていない。
それでも、彼女は手を止めなかった。
不器用な動作の奥には、何かにすがりつくような、切実な執念がにじんでいた。
(……新人の覚醒者か?)
俺は足を止め、しばらく彼女の動きを見つめた。
一見、勢いはある。だが、ただの腕力頼りだ。膝は流れ、踏み込みの角度は悪く、刃筋も通っていない。なにより、その剣には、「斬る」意志がまったく感じられなかった。
「その構えじゃ、腕を折られるぞ」
思わず口をついて出た言葉に、少女の動きがぴたりと止まった。
「……え?」
「切っ先が開きすぎてる。刃筋も通ってないし、踏み込むときに膝が流れてる。斬るつもりなら、もっと腰を据えろ。じゃないと、相手に跳ね返されて終わりだ」
「……すみません、あまり意味が……」
「要するに、もっと腰を落として、しっかり斬れってことだ」
それは叱責でも慰めでもない。ただ、目の前にある技術的な欠点を、淡々と指摘しただけの言葉だった。
だが、少女ははっと小さく息を呑み、手にしていた木剣をそっと下ろす。
「……わたし、誰にも教わったことがなくて。独学で……見よう見まねでやってるだけなんです」
「だろうな」
その動きには、誰かから手ほどきを受けた痕跡がまったくなかった。努力の跡はあるが、独学の限界というやつだ。
少女は戸惑いを浮かべながら、そっと俺を見上げてくる。
「あの……あなたは?」
「赤坂仁。〝協会〟から派遣された覚醒者だ」
即座に答えると、少女の目がぱちりと見開かれた。驚きとも、疑いとも取れる反応だったが、続く言葉は意外にも素直なものだった。
「協会から? ということは、外から来たんですね」
少女の声は柔らかく、少し上ずっていた。
疲れからか、それとも緊張からか、唇が微かに震えている。整った顔立ちに汗が光り、白い首筋を伝って鎖骨の窪みに消えていく。その姿は幼さと凛とした気高さが混ざり合い、不思議な存在感を放っていた。
俺は少女に向けて頷く。
「ああ。今日、島に上陸したばかりだ」
少女はしばらく何かを考えるように黙り込み、それから小さく呟いた。
「……やっぱり、本当に来ることもあるんだ」
「何の話だ?」
「いえ、ただ……父が、生きてた頃によく言ってたんです。この島が本当に危なくなったら、いつか外の覚醒者が助けに来てくれるって」
その口調はどこか寂しげで、けれど、ほんの少しだけ希望の色を帯びていた。
俺は問い返さず、無言のまま小さく頷く。
「その……また、教えてくれますか。剣のこと」
視線を逸らしながら、少女がぽつりと呟いた。
その声には、年相応の遠慮が混じっていたが、それ以上に、強くなりたいという強い意志が感じられた。
一拍、間を置いて、俺は答える。
「気が向いたらな」
それだけ言い残し、踵を返す。
背後で、少女が小さく頷いた気配がした。
広場の入り口まで戻ると、ちょうど滞在手続きが終わったところだった。
「赤坂さん、滞在場所の準備が整いました。こちらへどうぞ」
案内されたのは、集落の外れに設けられた布張りの大きな天幕だった。
中は六畳ほどの広さで、雨風をしのげる程度の簡素な造りだ。地面は剥き出しのままで布張りすらなく、灯りを点せる道具も置かれていない。
あるのは、簡易ベッドが一つ、小さな机と椅子が一組だけ。それらが砂地の上にぽつんと置かれており、どこか寂しげな空気が漂っていた。
中に入ったテルミナが、げんなりした顔で呟く。
「何よここ。まさか、こんなところで暮らせって言うの?」
「屋根があるだけマシだろ。外から来た人間に家をあてがえるほど、この島の連中に余裕はなさそうだ」
そう返しながら、俺は手にしていた装備を無造作に机の上へ置いた。
つい先ほど、とある老人から頼みを引き受ける代わりに譲り受けたものだ。グレイウルフの牙を素材にした使い古された短剣と、コボルドの鱗で作られた胸当て。
どちらも倉庫で眠っていたボロにしか見えないが、魔物由来の装備は一般的な素材よりも価値がある。外見は傷んでいても、攻撃力や防御力はそこらの剣や鎧より高いはずだ。
疲れた身体を引きずるようにしてベッドに向かい、ごろりと横になる。俺の体重を受けた簡易ベッドが、ギシリと悲鳴を上げた。
占領されたことが気に入らなかったのか、テルミナが文句を言ってくるが、聞き流した。
灯りのない天井を見つめながら考える。
着の身着のまま、わけもわからないうちに過去へ飛ばされてきたが、今のところどうにかなっている。武器も寝床も手に入った。食事は一日二回、集落の備蓄から配給されるとのことだったから飢える心配はなさそうだ。足りなければ、自分で野生動物を狩ればいい。
最低限、生きる環境は整った。
「テルミナ。今日出会った人たちの中に、協力者はいたか?」
「……答えられないわ」
ため息混じりに、テルミナが椅子に腰かける。
「何度も言うけど、私の意見であなたが協力者を見つけるのはルール違反よ。あなた自身の手で探さなきゃいけないの」
「じゃあ、質問を変える。協力者は本当に俺に協力してくれるんだな? 敵対する可能性は?」
「それはないわね」
きっぱりと断言した。
「あの子だって、この島の滅びを止めたいはずよ。それが契約の条件であり、私が課した『制約』でもある。だから、あなたと敵対することは絶対にない」
「……なるほど」
俺はテルミナの言葉を口の中で転がした。
(今の言い方からして、協力者は若そうだな)
少なくとも、俺に武器と防具を手渡してきた好々爺ではないらしい。
「明日からは、ここを拠点に未攻略のダンジョンを潰して回るか」
「協力者は探さないの?」
「敵対しないなら、焦って探す必要もない。むしろ、先に自分の戦力を整えた方がいい」
武器と防具は手に入り、拠点となる場所も確保した。
目立つ行動を取っていれば、そのうち向こうから接触してくる可能性も高い。
「ひとまず、魔物の異能を集めるのは決定事項だ。異論は?」
「あなたがそう決めたなら、私は何も言わないわ」
テルミナは頷く。それからふと、疑問を口にする。
「そういえば、ここに来る途中でも気になってたんだけど。地上より地下に魔物が多いのって、何か理由があるの?」
「今が侵攻の時期じゃないからだろうな」
俺はベッドに仰向けのまま、天幕の薄い布越しに揺れる天井を見上げながら応じた。
「時期が来れば、嫌でも地上を埋め尽くす奴らを見ることになるさ」
魔物たちは、一定周期で地上と地下での活動を繰り返している。
地上での活動が活発になると、領土を広げるため他の地域へ侵攻する。一方、地下での活動が活発になると、自らの巣穴――つまりダンジョンを拡張し、地下空間をより複雑にしていく。
今、地下での魔物の活動が活発なのは、そういう時期だからだ。
「じゃあ、この島が魔物の手に落ちたのも、そういう周期のせい?」
「……いや」
俺は静かに否定し、続けた。
「今の時期、魔物たちは地下での活動が中心のはずだ。もし地上侵攻の時期だったなら、この島だけじゃなく、他の地域でも大きな異変が起きている」
そう言いながら、俺は十年前の記憶を探る。
あの頃、俺はまだ覚醒者でも何でもなかった。ただの一般人として、日々の暮らしに追われていた。
それでも、魔物が各地で暴れ回っていたなんて話は聞いた覚えがない。
多少の騒ぎはあったかもしれないが、それは局地的な事故や地下での事件として片づけられていた。
もし本当に大規模な侵攻があったなら、あのときの俺にも記憶に残っていたはずだ。
「ってことは……」
「この島で地上侵攻が起きたのは、周期的な現象じゃない。他に原因があるはずだ」
そう断言すると、テルミナがわずかに目を細めた。
「つまり、この島では〝何か〟が起きている……というわけね」
「ああ。何かが、この島に異常を引き起こしている」
その〝何か〟が何なのか、現時点ではまだ掴めていない。
だが一つ確かなのは、これは偶然や周期の誤差といった生易しいものではないということだ。