攻略中の日々徒然:ささやかな非日常を携えて
花を買って帰ろう。
そう思ったのは、初めてかもしれない。
「あ、須藤君、ちょっと手伝って欲しいんだけどー」
大学の構内を歩いていると、少し離れた所から声をかけられた。
用件は、荷物を運ぶの手伝って欲しいという、よくある頼み事。
細い薄いとよく言われるが、こう見えて吸血鬼。普段は抑えてるだけで力はあるから、いつも安請け合いするんだけど。
その荷物とは、花束だった。
花は、ちょっと困る。
僕の身体は、定期的に血液を必要とする。長いこと必要最低限に抑え続けていたそれは、慢性的な渇きとなってしまっている。
血液以外でその欲を満たす方法も、一応はある。生き物の命や魂といったエネルギー。要は「生命力」が得られればいい。有名なのは植物だろうか。花に触れることで、その生命力を得る。
これが合わさると、不意であれ故意であれ、僕の肌が触れた植物は枯れてしまう。
なんとかならないかと試行錯誤したこともあったけど、渇きが深刻なのか制御が下手なのか。触れた植物は例外なく萎れ、渇き、粉々になったので諦めた。
そんな僕に花束を託すという。
セロファンと紙で包まれてるからなんとかなるだろうか。いや、ちょっと自信がない。誰かに渡すであろう大事な花を枯らしてしまってはいけない。柿原でも呼びつけて、手伝ってもらうべきだろうか。
そんなことを考えてるうちに、依頼人は僕に花束を抱えて渡してきた。
「はい、これ」
「うわ、ちょっと待っ……て、って。あれ?」
「どうかしたの?」
「あ、いや。なんでもない……」
僕の腕の中に花束がある。いい香りがする。
頬に触れるかすみ草がひやりとくすぐったい。
視界いっぱいに広がる瑞々しい花びらが……枯れて、ない。
枯れてない。
花束を片腕で抱え直し、そっと指先で触れてみる。白く可憐な花は、押されるままに揺れた。その中にあるものを吸うイメージをして力を込めると、花弁はみるみるうちに枯れ落ちた。
なんで、と思わず声が漏れた。
血を飲む頻度は変わっていない。量も変わってない。
僕自身に何か変化があった? 心当たりが――。
「いや」
変化というなら、一点。同居人が増えた。
灰色の髪に赤い目をした、座敷童の少女が。しきちゃんが家に居る。
もしかしてそれだろうか?
彼女の血には、確かに普段の比じゃない充足感があった。
今思えば、呪いで疲弊してる間も血を吸う頻度が上がらなかったんだから、その効果は相当だ。
あれは単純に飲んだ量の問題だと思っていたけど、僕の渇きが満たされるほどの何かがあるのかもしれない。
確信があるわけじゃない。一時的なものかもしれない。
でも。今なら花に触れても枯れないというのは紛れもない事実で。
それがとても嬉しくて。
花を買って帰ろう。そんな気分になった。
□ ■ □
そんな訳で帰りに花屋に寄ってみた僕は。
思った以上の種類に圧倒されていた。
可憐から華やかまで。鉢植え。切花。色とりどり。何も決めずに来たものだから、目移りどころかクラクラする。
店員が「贈り物ですか?」と聞いてくれたけど、買おうと思った理由が「そんな気分だから」なので、曖昧な返事しかできなかった。
そうして悩むこと数分。
「あれ、須藤じゃん。なにしてんの?」
背後から聞き覚えのある声が飛んできた。
「いいところに!」
パッと顔を上げて振り返る。不思議そうな顔で立っていたのはイメージ通り、さっぱりとした茶髪の同級生。柿原だ。
帰るところだったのだろう。鞄を肩にかけた彼は、僕の横にやってきて花を覗く。
「花買うの? しきちゃん誕生日かなんか?」
「いや、僕達に誕生日って概念……いや、あるの、かな」
僕はもう無いも同然なんだけど、彼女はどうだろう。曖昧な返事に、彼は呆れた顔をした。
「お前な。そのくらいリサーチしとけよ」
「えっ、うん」
頷いた僕に小さな溜息を返し、「それで」と話を戻す。
「なんで花?」
「なんとなく……いや、体質改善の確認、かな」
「体質? ああ」
そういうことかあ、と彼は頷く。理解が早くて助かる。
「どの花にするかってイメージあんの?」
「いや、特にないから困ってて」
「ノープランすぎる」
「偶然と思いつきだからね」
「なるほど? まあ、吸血鬼っていったらバラが相場と決まって――そうだ」
彼は何か思い付いたらしく、真っ直ぐ立てた指先をこちらに向けた。
「うちのバラ持ってけば?」
「君の家の?」
柿原はアパートで一人暮らしのはずだ。バラを育ててたりするんだろうか? 柿原が? なんというか、快活な彼のイメージにちょっと合わなくて首が傾く。
そんな僕の反応に何か思うことがあったらしい。
「お前失礼なこと考えてないか?」
「いやいやそんな」
軽く笑って否定する。
「期待に添えなくてなんだけど、実家な。育ててるのは祖父母だ」
「ああ、なるほど」
それならなんか納得だ。実家はそんなに遠くないとも聞いたことがある。それなら……って、いや待て。
「君の実家って」
「教会だけど?」
だよね。と頷く。
確かに教会なら庭にバラがあるのもなんか納得できる。できるけど。
「吸血鬼にそんな提案するのすごいね?」
「別に平気だろ?」
「まあ。平気だけどさ……」
言葉を濁す。
僕は別に、十字架や教会がダメな訳ではない。彼にそう話したこともあるし、やろうと思えばクロスのシルバーアクセサリーを身に付けるくらいはできる。やらないけど。
じゃあ何が嫌かって、振り翳される信仰心が怖い。そこにいい思い出がない。それだけだ。
寄った眉間に、彼は「じゃあいいじゃん」とあっさり言った。
「庭は裏手だし、待っててくれたら俺が数本見繕ってくるぜ?」
「まあ、そのくらいなら。お願いしようかな」
「よし、決まりだ」
□ ■ □
教会の裏にある小さな庭園は、広くはないけど、手入れが行き届いている良い庭だった。
「入る?」
「ここまで来たしね。お邪魔していいかな」
「おう」
じゃあこっち、と慣れた様子で歩く彼に付いていく。
「何本くらい要る?」
「確認なら一本だけど、家に持って帰る分含めて二、三本もらえると嬉しいな」
「オッケー」
バラだけでなく、小さな花壇もある。満開の花も、つぼみの花も、まだ育っている途中のものもある。
通路も綺麗に掃いてあるし、きっと、四季折々散歩も兼ねて楽しめるのだろう。
「今だと確かこの辺が――っと」
先導する柿原がふと足を止めた。僕も同じく足を止める。
誰かが立ってた。
僕達と同じくらいの女性だ。ひとつに束ねた髪が肩にかかっている。Tシャツに長めのスカート、スニーカー。動きやすそうだけど、元気すぎない色合いにまとまっている。
手にしたハサミでぱちん、と枝を切った彼女は、僕達の気配に気付いて顔を上げた。
快活そうな目元が、「あれ」と少し丸くなる。
「広喜」
「おう。来てたのか」
うん。と頷いた彼女の視線が、柿原の隣に立つ僕に向く。「誰?」と問われる前に柿原が先回りで答える。
「こいつは同級生の須藤」
「ああ。あなたが須藤君。はじめまして。三沢です」
「はじめまして、須藤です。って、柿原。僕のことなんて話してるのさ」
「世話のかかる友人?」
「む。……まあ、そうだね?」
あながち間違ってなくて文句も言えなかった。
彼女はそんな僕達を見てクスクスと笑っている。
「それにしても広喜が友達連れてくるとか珍しいなあ」
「そんなことないだろ」
「いやいや、ここに誰か連れて来たことないじゃない。話には聞いてたけど、実際は友達居ないんじゃないかって心配してたんだよ?」
「実在疑われてるぞ、須藤」
「それ、僕のせいじゃなくない!?」
思わず声を上げると、三沢さんが笑った。柿原も一緒に笑っている。
柿原は誰とでも仲良くなれるから知人が多い。けど、彼女はその中でも群を抜いて気が置けない仲なのだろう。そんな空気を感じた。
ひとしきり笑った三沢さんは、「でも」と柿原に疑問を投げる。
「今日は帰ってくる日じゃないって聞いてたのにどうしたの?」
「ん。花をちょっともらいに。こいつがな」
ニヤリと笑った柿原が親指で僕を差す。
「プレゼントに必要らしくて」
「!?」
咄嗟に否定しかけたけど、すんでの所で飲み込んだ。
彼女に詳しい理由を話す訳にはいかない。それならここは穏便な理由で通した方が良い。
それに、柿原の言葉も間違ってる訳じゃない。あのまま買って帰っても、きっとしきちゃんにあげただろう。それならいいじゃないか。うん。
「そう。でも、その。花には疎くて」
曖昧に頷いた僕の答えを照れと受け取ったのだろうか。彼女の目が嬉しそうに細められた。そして頷きながら咲いている薔薇を見渡す。
「じゃあ、ちょっと見繕いましょう。プレゼントって一口に言っても色々あるけど、理由とか聞いても?」
「えっと別に何かあったわけではなくて。……あえて言うなら日頃の感謝、ですかね」
「ふむ。その子のイメージってなんかありますか?」
「イメージ……」
考える。しきちゃんの姿を思い浮かべて、いくつか並べる。
「真面目で。しっかりしてて。小柄で、優しい……」
「なるほどー」
バラを選ぶ彼女の横顔が楽しそうに笑っている。何か変なこと言っただろうかと柿原を見ると、彼も何か分かったような顔で頷いている。僕だけが何も分かってない。
なんだよ、と視線で問う。何も、と言いたげに視線を伏せられた。
そうこうしてるうちに、三沢さんは花を選び終えたらしい。慣れた様子で棘を取り、紙で巻いて差し出した。
「これでどうでしょう」
白い紙の中で、赤、ピンク、白のバラが一本ずつ。どれも綺麗に咲いている。
香りも良く、園芸に疎い僕でも丁寧に手入れされたものだとなんとなく伝わる。そんな花だ。
恐る恐る受け取ると、バラは瑞々しいまま僕の手に収まった。
「ありがとうございます」
「いえいえ。喜んでもらえると良いですね」
「そうですね」
きっとしきちゃんは喜んでくれるだろう。その表情も、なんとなく思い浮かぶ。
少し遠回りになったし、そろそろ帰らないと。
僕は二人にお礼を言って、庭を後にした。
□ ■ □
玄関の前に立つと、左手の花束が急に存在感を主張してきた。
花を見つめる。途中で枯れるかもという心配をよそに、三色のバラは綺麗に咲いている。いい匂いもする。普通ならその香りは緊張をほぐしてくれるんだろうけど、それが逆に、普段と違うことをしているという事実を突きつけてくる。
「……」
なんだか急に気恥ずかしくなってきた。
いや。僕はただ花を持って帰ってきた。それだけ。ただの思いつきだし、深い意味もない。買い物ついでにお菓子を買ったのと大体同じだ。
普段通りでいいはずなのに、なんだか緊張する。人に花を贈るなんて、久しぶりすぎるからだろうか。
いや、色々考えたってしょうがない。僕は頭を小さく振り、鍵を取り出す。
玄関を開けると、こっちへやってくる足音が聞こえた。
彼女は灰色の髪を肩で揺らして、もう数歩で姿を見せるだろう。
僕はドアノブから手を離し、花束に持ち替える。
ぱたん。とドアの閉まる音と同時に。しきちゃんが顔を出した。
「おかえりなさい。お兄さん」
「うん。ただいま」
花は触れたら枯れるもの。触れても枯れないというのは、彼にとって非日常に他ならない。