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2-1

 学校で佐藤さんと挨拶するようになって気がついたのだが、彼女は孤立してはいなかった。一人の子がいると声をかけてグループに取り込むタイプの気遣い屋がいて、その子のお陰か馴染んでいた。

 平時と同様、昼休みは教室を抜ける。今日は駅でパンで買ったので、いつもの花壇の縁に腰掛けて食べる。職員室に近いからカツアゲの心配もない。

「……えっ、なに?」

 思わず低い声が出た。怖い先輩がいたわけではなく、佐藤さんが校舎の影からひょっこり顔を覗かせていた。ストーカーみたいに後をついてきたのだろうか。

 佐藤さんは恥ずかしそうに肩を窄めてすり足で寄ってきた。半透明で足のないサムシングみたいにスルーッとした動き方だ。前に立たれると肉厚ボディが壁みたいで威圧感があるけれど、ちょうどおっぱいの位置に視線の高さがくる。学校指定のジャージだと太って見えた。

「後ついてきたの? なんか用?」

「えっと……すみません」

「いいよ。隣座る?」

 頷いてから、拳一つ開けてちょこちょこと腰掛ける佐藤さん。

 佐藤さんは黙っている。僕は残りのパンを口に押し入れて、パック牛乳で流し込んだ。おわり。

「……で?」

 ぐしゃっとビニールを潰してポケットに押し込む。佐藤さんは学校指定ジャージの裾をぐしゃぐしゃに握って、力んでいる。

「ち、ち、チケットを……買って、いただきたくて」

「いいよ。いくら……」

 鞄から財布を出そうとして、職員室の教員がこっちを興味津々に見ていることに気がついた。

「ごめん、先生が見てるから後にしよう。あんま学校で財布出したくないしな」

「す、すみません。先にチケットをお渡しします、ね……?」

 鞄を漁る佐藤さんから、濁点のついた「あっ」が漏れた。

「家にわすれちゃいました……」

「はあ~? なにやってんの?」

「忘れないようにって、いつもと違うことしたら、逆に忘れちゃったみたいです……」

「器用な逆張りだな。まあ、家近いし、明日も会うし。いくらでも渡す場所はあるからいいよね」

 だいたい徒歩二十分の距離だ。チャリならもっと早い。佐藤さんの家は僕の家よりも駅から遠く、ゴミゴミしているわりには寂れた場所にある古めのマンションだった。

 佐藤さんはV系の人みたいに首やっちゃいそうな勢いで激しく頷く。家が近い、という事実が嬉しいらしい。

「他の子には声かけた?」

「はい。軽音部の子に」

「ふうん。軽音部には入ってないの?」

「入ってますよ。お昼とか放課後とか、よく練習してます」

「へえ。部室はどこ? 音楽室?」

「部室棟の方です」

 部室棟は離れにあるため、靴を履き替える必用がある。昼休みに楽器背負った彼女とすれ違った理由がわかって「なるほど」と相槌を打った。

「最初は、軽音部だけでやっていたんですよ。軽音部の子の友達からチケットが来て、みんなでライブを見に行きました。そのときのトラップドアスパイダーズの曲がとっても素敵で、私、やってみたいなって……」

 ……ああ、そんな名前だっけ? バンド名を忘れかけていた。

 佐藤さんはいつもより熱っぽく、まるで体が一センチ地面から浮いているみたいに、楽しそうに話していた。

「ダメ元で、チケットをくれた子を通じてお願いしたんです。そしたらちょうど前のギターの子が卒業しちゃったみたいで。入れ替わりで混ぜてもらえたんです」

 当時の興奮を思い出して噛みしめているのか、うっとりと目を細めている。よっぽど嬉しかったのだろう。

「思ったより行動力あるんだね……」

 彼女の陰気っぽい見た目からは想像できない、勇気ある突撃だ。誰かから声をかけられるのを待っているだけじゃないのか。

 弱点を突かれたみたいに佐藤さんは体をすぼめる。赤いのか青いのかわからない、不健康な顔色になった。

「その、わ、私、思い込みが強いらしくて、見境がなくなっちゃうみたいで……恥ずかしい、です……」

「マジか。怖っ。ストーカーになりそう」

「はうっ……!」

 致命傷らしい。真っ青になって沈黙してしまった。距離取った方がいいかな。まだ間に合うだろうか。まあ。自覚があるなら、大丈夫か。自分でビョーキっぽいと客観視できているなら自制することもできるはず。

「この間のライブにも軽音部の子っていたの?」

「あ、いえ……日程がかぶっちゃって。その日は、他のところで演奏してました」

「てことは、くれたチケットは余ったから回ってきたわけね」

「そういうわけでは……ないことも、ないのですが……」

「ないんかい」

「で、でもでも、そういうつもりだけではなくてですね……」

「はいはい。なんで他のクラスメイトは誘わないの?」

「そ、それは……衣装が……」

 言いかけて、膝の上でぎゅっと拳を作る。

「いえ。本当は、クラスの友達に、学校の外でやってる活動を言うのが怖いんです。軽音部ってことしか言ってません。みんなにも、それほど興味を持たれませんし……」

 他の誰にも聞こえないように慎重に抑えた声。複雑な微笑み。いかにも人に気を使わせる側の陰気な格好のくせして、のほほんとしているわけではないらしい。

 記憶の嫌な部分のど真ん中を抉られた。僕は潰れたあんパンみたいに、顔をぐしゃぐしゃにしかめる。

「場合によっては悪目立ちすることもあるからね。自分のこととしてよくわかる」

「つぐみ君は、ご自身で言われたんですか? ええと、その、投資? のこと……」

「FXね。親から広がったんだよ。保護者会のときに、僕の親から友達の親へ、友達の親から友達へ、友達から知らん人へ。クッソ最悪な伝言ゲーム。尾ひれもついちゃってさ。どっから広がったのか、高校に来てもまだ言われてる」

「どうして始めようと思ったんですか?」

「家から出たくてね。でも世の中、金があるだけじゃダメなんだな。妙な校則はできるし、先輩にはカツアゲされそうになるし。佐藤さんも気をつけなよ。変に目立ったらトイレに呼び出されて囲まれるかもしんないよ」

「ああ……目立った記憶は、ないんですけどね……」

 佐藤さんは暗い目をして俯く。怖がるというよりは落ち込んでいた。

「経験者か」

「中学の頃に……」

「素直についてっちゃうんだね。僕、めちゃくちゃ逃げたよ。毎度ブッチしてた。それから校内での追いかけっこが禁止になったね」

 笑い飛ばしたら、佐藤さんもちょっとつられ笑いをした。

「知らない先輩だったので、委員会とかかと……。調子に乗っていると言われても、私が何をしたのかわからなかったんです。だから、学校では目立たないようにしようって、思って……でも、いまだに何が悪いのかわからないんです」

「ああ。なるほどな。とりあえず、目立たないって方針は成功してるっぽいね」

 彼女はいじいじとジャージの裾を擦っている。地味な女の子のコスプレを褒められたいわけじゃないのだろう。

「つぐみ君は、私の何が悪いか、わかりますか」

「うーん、そうだね。僕もエスパーじゃないし、中学の入学式の時の写真を貰わないと、はっきりしたことは言えないなあ?」

「昔の写真は、恥ずかしいですよ……」

「じゃ、わっかんないな~」

 もちろん想像はついている。でも、タダでなんでも教えるつもりはないのだ。ご褒美がないと。

 佐藤さんは唸っている。検討中なのだろう。妙な間を、猫の威嚇みたいな声が埋めていく。バニーより恥ずかしいわけないだろうに。

「君にとって学校は色々難しいみたいだけどさ、外で思い切りの良い活動してるから無視していいんじゃないの? 別に学校が全部じゃないよ。社会のどっかにいられればいいじゃん」

 これは自分のための哲学でもある。学校と、家と、数字のために見る社会は、それぞれがまったく乖離していた。社会の打撃は家にも学校にも響くというのに、僕の傷は誰にも響かない。お互いを気にしているようでちっとも構っていない。身勝手だ。学校だって家だって自分にとっての全部じゃない。

「本当に、いいんでしょうか……学校生活がダメだと、なんだか自分の全てがダメなような気がしてしまうんです」

「え? ダメって、今いじめられたりとかしてる? それとも、そんなに成績悪い?」

「え、ええと、いじめはないですし、全体的に平均より少し下くらいかと」

「ちょっと悪いくらいをダメっていうのは誇張しすぎでしょ。僕なんか性格悪いけど自分のことダメだって思わないよ」

 しばらく佐藤さんは黙ったまま小首をかしげていた。時計を眺めて待つ。性格の悪さ、否定してくんねぇのか……。

「私はダメ……と思ってしまうのは、呼び出されたのが、まだ怖いから、かもしれません。本当に、怖かったんです」

「怖いのか。でも、最近見かけてないんでしょ?」

「違う高校にいったそうなので……」

「そう。そいつらもう死んでんじゃね?」

 僕は笑って言った。そういうことを思っているときは、カラッと晴れた清々しい気分になる。しかし佐藤さんは「えっ」と非難めいた聞き返しをした。

「だってもう会わない相手だろ。死んだも同然じゃん」

「その、せめて、どこか遠いところで元気にしている、くらいが、いいですね……」

「僕は別になんでもいいけどさ。もし会ったら僕に言って。面白半分で仕返ししとく」

「そ、そういうのは、よくないかと」

「そう? まあ、実際にやるかどうかは別にして、気をしっかり持つためのお守り程度に考えときゃいいんじゃない」

 同意しかねているのだろう。佐藤さんは、口を閉じたまま温泉に浸かったカピパラみたいにじっとしている。

 僕は伸びをした。時計を見ると長針と短針が縦一直線、金額に換算して一万五千円。昼休みは残り半分、暇だ。

「あのさあ、なんで僕のことライブに誘ったの?」

 不意打ちを食らったみたいに、佐藤さんは「はっ」と驚いた声を出した。会話の途中で一人の世界に入られても。

「動画を見ていてくれたので……。だらしない格好だと怒られたような動画ですから、あの衣装も、そうそう変わらないのではと……思ったんですけどお……」

「いや、かなり違うでしょ」

「はい。ぜんぜん違いました。恥ずかしすぎます。トモちゃんの嘘つき……」

 佐藤さんは両手で顔を覆う。お面で顔が隠れても、ぴったりしたスーツは体のラインを露わにしていた。どんな口車にのせられて着てしまったのだろうか。

「ええっと。トモは、あのお嬢様風の子か。いいセンスしてんじゃん」

「トモちゃんは変態です。ああいうアイデアだけはたくさん出てくるんだから……」

「素晴らしいね」

 ブーイングの視線。恥ずかしさから怒っている女の子ほど健全に可愛いものはない。

「でもいいです。つぐみ君は口が硬いので。少し変でも言いふらさないから、来て貰っても大丈夫だって思ったんです」

「それこそ思い込みだよね。一度もそんな約束してなかっただろ」

 するりと顔が上がる。佐藤さんの大きな目が、説得するみたいに真剣に僕のことを見つめてきた。

「だって、動画のことは誰にも言ってませんよね? あの日、午後になったら質問攻めなのかなって、少し怖かったです。でも、誰にも、何も言われませんでした」

 言い返せなかった。茶化すこともできなかった。しばらく黙ってしまう。

 確かに僕はクラスの誰にも言わなかった。教室に帰ってすぐにニュースにしていい内容だろう。なんで話さないかって、スクープを話したらその瞬間は自分が話題の中央になってしまう。それが嫌だった。グループの中にいるなら、話を聞く方が楽だ。

 気まずそうに佐藤さんの目がそれる。

「それに……つぐみ君は、みんなと距離を置いているので。クールだし、ゴシップみたいに浮ついた話は好きじゃないのかなと」

 憎々しい気持ちを込めて佐藤さんを睨む。

 僕が彼女を見ているよりも、彼女は僕の方を観察していたらしい。いや、悔しがることなんかない。興味ねえもん、他人なんか。

「よく見てんじゃん。なに? 僕のこと好きなの?」

 困らせたろ。実際、どうなのか気になるし。好きなんだろう、という自信はある。

 両手で口元をおさえる佐藤さん。目がおろおろと左右に泳ぐ。

「え、ええと……クラスのみんなも、つぐみ君の時間割、よく知ってますよ」

「え? そうなの?」

「前、昼休みに違うクラスの女の子がつぐみ君を尋ねてきて……いないよって。そのとき、みんな聞いてたと思います」

 思い当たりがある。身長が同じくらいの女の子に声を掛けられて「誰?」って言ったら踵を返して帰っていった。酷いやつだって、教室で長いこといじられたっけ。

 教室の中ってそんなことでニュースになるんだな。仮に僕が見ているだけの立場だとして……まあ、覚えているだろう。アホ臭いとか言ってやろうと思ったけれど、これは完全に僕の負けだ。

「僕、けっこう間抜け?」

「え、ええ? そうは思いませんけど……ただ、一人が好きなのかなって。ミステリアスですよね」

 頭の中まで覗かれていないのだから良しとしよう。

「一人が好きってわけじゃないんだけどさ」

「この間も言ってましたね」

「みんなが嫌いなわけでもないんだけど」

 考え込むように、佐藤さんは「んん……」と相槌を打つ。

 理由なんか考えたことなかった。でも、考えれば言葉はするりと出てきた。

「楽しい場所は居心地が悪いのかも。君は、教室や部室だけじゃなくて、学校の外にもネットの中にも、いろんなところに居場所を持っててすごいね」

「みんな、つぐみ君のこと、好きだと思いますよ?」

「それは嬉しい。でも、僕がみんなのこと拒否ってるだけだよ」

 クラスには不良もオタクも明るいのも暗いのもいるけれど、男子は普通に横並びでそれなりに仲が良い。僕は仲良し大型男子グループにふんわりと身を置いている。だけど、それ以上は踏み込まれたくない。

 僕は立ち上がる。佐藤さんも慌てて跳ねるように立った。

「あっ、ど、どちらに?」

「普通に教室戻るんだけど」

「私、自販機寄ってっていいですか?」

 お前、一緒に帰るつもりかよ。佐藤さんは悪気なくニコニコしていた。

「一人でいって。僕トイレ寄って帰るから」

 手を振って追い払う。挨拶するようになるだけで興味深々にからかわれるのだ。教室まで一緒に帰ったら、実質付き合っていると見られてもおかしくない。教室にはそれくらいしか楽しみがないのだから。


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