私には愛している人がいる。と言った浅はかな男の末路
「私には愛している人がいる。お前のことを愛することはないと思ってくれ。この屋敷で自由に振る舞うことは許すが、私の妻だと思うことは許さない」
「ですが私達は結婚したんですよ!!」
「私の本意ではない。後のことはレイに聞け」
「おまちくださいっ!!」
「これ以上話すことはない!私はお前の顔も見たくないんだ!!」
「そんなっ・・・」
バンッ!!と大きな音を立てて寝室の扉が閉じられた。
どれくらい経っただろう?呆然としたまま時間が過ぎてノロノロと体が動いた時には時計の針は三時十八分を差していた。
体が冷え切っているせいだろうか?碌な考えが浮かんでこない。
結婚したその夜に夫に相手にされない妻の行き先で、幸せはありえない。
なんとか自分を慰めて眠って普段通りに振る舞わなければならないと考える何処かで、もう駄目だという思考に支配されていく。
夫に見向きもされない妻の辿る道は不幸しかない。
使用人にもまともに相手にされなくて、みすぼらしい格好になって、食事もまともにもらえなくなる。
本の読みすぎだと誰かがいればそう慰めることができただろうけど、残念なことにここには誰もいなかった。
与えられた私室に戻りこの縁談を決めた国王陛下と両親、仲の良い友人三人に手紙を書いた。
このまま死んだら手紙が届かない可能性があると考えて、実家から連れてきたエレの部屋をノックした。
「お嬢様っ!!」
「眠っているところをごめんなさい。この手紙を至急出して欲しいの」
「解りました。・・・あの、何かございましたか?」
「いいえ。何もなかったの」
「えっ?どういう意味ですか?」
「言葉の通りよ。お願い。急いでその手紙を出して欲しいの。必ず届くように」
エレが手紙を持って「必ず届けます」と言ってくれたのを聞いて、主寝室へと戻った。
寝乱れることがなかったベッドを見て涙がこぼれてくる。
どうしてこんな目に遭わなければならないなのかと心の中で夫となったキェスガートを恨みながら、テーブルの上に置かれていた果物ナイフを手に取り、ベッドの中央に寝転がってナイフで首を強く撫でた。
ただひたすらキェスガートを恨みながら。
翌朝、普段よりも遅い時間にエレは奥様となったシャルルの部屋の扉をノックした。
シャルルが誰よりも幸せな奥様になることを夢見て嫁ぎ先にまで付いてきた。
昨夜渡された手紙のことを不審に思いながらも主寝室の扉をノックするけれども、シャルルからもキェスガートからも返事がなかった。
扉の前で逡巡しているとこちらのお屋敷の執事長がやって来て「何をしているんですか?」と声を掛けられた。
「ノックをしているのですがお返事がなくて・・・」
「旦那様はもう食事も済まされましたのでお入りになっても大丈夫だと思いますよ」
そう言われて仕方なくエレは扉を開いた。
「奥様・・・」
声を何度掛けても応えはなく、仕方なく足を進める。
「奥様・・・?」
ベッドに人の足が見えたので、まだ眠っているのかと思って近寄った。
そこには血の気が引いた白い足先が見え、シャルルが昨夜着ていたナイトウエアが美しく広がっていて、その上はシャルルの美しい顔が、生きているとは考えられないほど蒼白になっていた。
首筋から赤黒いものが飛び散っていて、寝具の上はその赤黒いものが大量にこぼれ落ちていた。
「シャルル様・・・どうして・・・?」
叫びたいのに声が出なくてエレはその場に座り込んだ。
エレは最後に見たシャルルを何度も思い出しては目の前にいる息をしていないシャルルと見比べる。
どちらも美しい。エレにとって何よりも大切なお嬢様がどうしてこんな事になっているのかと涙がこぼれた。
どれくらい座り込んでいたのか扉をノックされて意識が浮かび上がってきた。
「エレ!いますか?奥様にお会いになりたいとご両親とご友人達がいらしているのですが、奥様のご用意はできていますか?」
返事はできなかった。
けれど扉が開いていく。エレは扉の方をゆっくりと振り返り、入ってくる執事長を見た。
「執事長・・・」
訝しげに執事長がエレを見る。
「そんなところで座り込んで何をしているんですか?」
レイの後方で「シャルルっ!!」と呼ぶ聞き慣れた声がする。
「旦那様・・・」
エレはようやく頭が動き始め「旦那様!!」と大きな声で呼び「シャルルお嬢様がっ!!」と叫んだ。
エレは四つん這いのまま執事長の方へと行き、これ以上先に進ませないように執事長の足に縋った。
「エレ?・・・離しなさい!」
「この先に行かせるわけにはまいりませんっ!!」
「何を?」
シャルルの父親である旦那様が扉の前に立ったのを見て「旦那様!!シャルルお嬢様がっ!!」ともう一度叫んだ。
旦那様はこの先は見なくても想像がつくのか、立ち止まる。
エレを見るのでエレは首を横に振った。
シャルルの父親はきつく目を瞑り、目を開けるとシャルルの母親に「ここで待っていなさい」と声を掛けて部屋の中に入ってきた。
ベッドの側まで行き、立ち止まって「シャルルっ!!」と叫んでベッド脇に膝をついた。
「どうしてこんなことにっ!どうしてだっ!!」
「あなたっ!!シャルルは?!シャルルはっ・・・!!」
「入って、きなさい・・・」
シャルルの母親が恐る恐る部屋の中へ入り、覚悟が決まったのかベッドまで小走りで近寄った。
シャルルの母親もベッド脇で一旦立ち止まり、それからシャルルに縋り付いた。
「どうしてっ!幸せになるんじゃなかったの?!ねぇ、あなたっ!!シャルルは幸せになるって言ったじゃないっ!!なのにどうして?!この姿がシャルルの幸せなの?!」
「すまん・・・」
「そんな言葉でシャルルが戻ってくるわけじゃないんですよっ!!シャルル・・・いやよ。私のシャルル・・・」
シャルルの母親は聞くに耐えられない慟哭を上げ続けた。
執事長がエレを振り払ってシャルルの両親がいない方からベッドを覗き込むと、その場に崩れ落ちた。
「若奥様・・・」
その場が収拾つかぬ内に第一王子とシャルルの友人たち三人もやって来て、シャルルが自害した姿を見ることとなった。
「本当に自害なのか?キェスガートに殺されたんじゃないのかっ?」
シャルルの父親が言い出し、第一王子がキェスガートを捕らえるよう指示を出した。
誰もが自害だとは解っていたが、事情を聞くためにもキェスガートを捕まえる必要があった。
キェスガートは離れで愛人といちゃついているところに執事長に案内された第一王子が踏み込むことになり、その姿に腹を立てた第一王子によって縄に掛けられた。
「第一王子!!いきなり何をするんですかっ?!」
「黙って付いてきなさい!!」
キェスガートは夫婦の寝室へと連れて行かれ、シャルルの亡骸と対面することとなった。
「なっ!!」
「どういうことか説明してもらいたいっ!」
「わ、私のほうが説明してもらいたいくらいです!!その女は死んでいるんですか?!」
「お前の妻だろう!!」
「・・・王命で無理やり結婚させられただけの相手です!」
「王命に逆らいたかったということか?!」
「あっ!それは・・・あの・・・」
「昨日結婚式の後はどうしたんだっ!!」
「それは・・・」
「『私には愛している人がいる。お前のことを愛することはないと思ってくれ。この屋敷で自由に振る舞うことは許すが、私の妻だと思うことは許さない』とか言ったそうだな?」
「それはその・・・」
「結婚したのにとシャルルに言われて『私の本意ではない』と言い返したのも本当か?!」
「どうして、そのことを・・・知っているんですか?」
「今朝一番にシャルルから手紙が届いたっ!!」
「・・・・・・」
「このまま何事もなく終わると思うな!陛下もお怒りである。貴族牢に入ってもらう!!」
「そんなっ!!私は殺していませんっ!!」
「実際に殺していなくてもキェスガートが殺したも同然じゃないか!!」
「手も下していないのに貴族牢なんてあんまりです!!」
「自分のしたことをよく考えることだ!執事長!!」
「・・・はい!!」
「先代を呼べ!当分キェスガートは執務ができない!それにこのままで済ますことはない。覚悟しておくように伝えろ!!」
「そのようにお伝えします」
「先代は子育てを失敗したな。王命での結婚の意味も考えることもできない愚かな子供だ!」
第一王子は怒りのままキェスガートを王城へと連れて行ってしまった。
それからはシャルルを棺に納め、実家へと連れ帰ることになった。
棺に入った状態で帰ってきたシャルルを見て兄弟、使用人は泣き崩れた。
葬儀はシャルルの実家で行われることになり、しめやかに執り行われた。
墓地には旧姓の名前で納められることになり、キェスガートに関わりのあるものの参列は拒絶された。
キェスガートの父親はなんとか穏便に済ませたくて、シャルルの父親と話をしようと手紙や、直接会いに行ったりしたが、シャルルの家族に会うことは終いぞできなかった。
どうして王命の結婚を拒絶したのか何度もキェスガートに尋ねたが、愛人を愛していたから王命を受け入れられなかったとしか答えなかった。
王命の意味を解っているかと尋ねても「嫌な相手と強制的に結婚させた陛下が悪いのだ」とまで言い出した。
それを言った時、近衛騎士団の団長が傍にいることが理解できないのかとキェスガートを怒鳴りつけたいのを必死で我慢していた。
その報告は陛下に直ぐ伝えられたようで宰相から「キェスガートは本当に考えの足りない子供なのだな」とその帰りに言われた。
キェスガートとシャルルの結婚は公爵家の力を一点に集中させないためのものだった。
力を持つサンセート公爵家がシャルルを妻にと望んでいた。
シャルルの家は侯爵家とはいえ、侯爵家の中で一番力を持っていた。
サンセート家と結びつくとその力は強大になりすぎるため、王家にとってありがたい結婚ではなかった。
そのため話が進む前にシャルルとキェスガートの結婚を推し進めることになった。
当然シャルルの父親もキェスガートの父親もこの結婚の意味は理解していたので、陛下からの話を一も二もなく受け入れた。
シャルルもこの結婚の意味は正しく理解していた。
が、キェスガートは理解できていなかったようで、キェスガートの父親は己の教育不足を悔いた。
陛下からキェスガートの処分をどうしたいかと問われ、あくまでもシャルルは自殺であって、殺したわけではない。無罪放免してもらえるとキェスガートの父親は思っていた。
が、シャルルの父親が殺人として最も重い罪で裁くことを望んだ。
流石にそれはないと高を括っていた。
陛下は陛下で、自分の命令を軽く見られたことに怒りがあった上、シャルルは側妃の姪で、陛下にとっても義姪にあたる。
シャルルが亡くなってから側妃は塞ぎがちになっており、何としても慰めてやりたかった。
陛下は王命を軽く見たこと、そのことによってシャルルを死なせたことを重く見て、キェスガートに国外追放を言い渡した。
あまりにも重い罰でキェスガートの父親は異議を申し立てたが、父親に罰金刑を言い渡されては黙る他なくなってしまった。
キェスガートが暮らしていけるようにと隣国の小さな村に家を買い使用人を付けてキェスガートと両親は今生の別れを交わした。
キェスガートはしたくもない相手との結婚を命じた陛下を恨んでいた。
その上シャルルが自殺すると邪魔者を追い出すために国外追放を命じられ、本当に国から追い出されてしまった。
その時に名字を取り上げられ、キェスガートは平民となってしまった。
父親はキェスガートが暮らしていけるようにと最低限の準備はしてくれたが、本当に食べていくだけでやっとというようなもので、公爵家の嫡男として育ったキェスガートには耐えられないものだった。
何通も父親に手紙を送ったが届いていないのか返事はなく、仕送りも援助を受けることもできなかった。
手紙を送る余裕もなくなり、頭と体も動かさなければ生きていけないことに気が付いた。
キェスガートが追放されてから三年ほどたち、キェスガートは庭を耕し自分で野菜を育ててなんとか食いつないでいた。
ある日、シャルルの父親がキェスガートの元を訪ねてきた。
「シャルルを蔑ろにしたことを後悔しているか?」
「後悔している・・・色々と浅はかだったと思う」
「それは今の暮らしが辛いからか?」
「それもある。けれど結婚した以上俺にはシャルルに対して責任があった。それを放棄するべきではなかったと思う」
シャルルの父親はその答えで満足したのかしなかったのか、二度と訪ねてくることはなかった。
キェスガートは妻を娶ることもなくひとりで三十二歳の若さで亡くなった。
死因は自然死だった。