2. 適応と競争
曇天の下、ティオはリズとリナに連れられてレンガの道路を歩いていた。ティオは自分の母に会った記憶が無かった。物心ついた頃には、すでに祖母と二人暮らしであったため、祖母から少し話を聞いてはいたものの、とても話し辛く感じる。さらに、これから長いこと一緒にやっていくことを思うと失敗ができない。前を歩くリズは言った。
「ティオ、緊張してるの?」
「まあ...。」
リズの横を歩くリナは、クスッと笑って後ろを歩くティオに言った。
「エルナもウルテガも良い人だよ。」
「...はい。」
ほぼ会話もないまま、目的地の家に着いてしまった。外観上、どの家も同じようなものだが、心無しか少し庭の手入れが行き届いていないように見える。リナは間髪入れずにノックし、扉の前で行儀よく待っている。心なしか笑顔でいかにも「会えたことが嬉しい。」と言いそうな表情である。ティオに対する配慮だろうか。しばらくして、扉が少し開いて子どもが首を覗かした。
「はい、どちら様ですか?」
ティオと同じ顔の男が出てきてリズは驚いた。リナは空気を変えることなく、にこやかに言った。
「昨日お隣に越してきたリナですが、エルナさんはいますか?」
ウルテガが呼びに行くことなく、エルナはドタドタと足音を立ててやってきた。
「あれ?リナじゃない。あっ、まさか...ティオ?」
そう言いながら、エルナは扉を全開にした。少し太った印象を与えるショートカットの中年の女性だ。ティオとウルテガを見比べ、再度ティオを見て驚いていた。ウルテガは、ティオよりわずかに肉がついていて小綺麗である。リナは気を遣ってか、ティオに話をさせることなく全て説明した。エルナは突然の事に驚いたが、事情を察して、同情の目をティオに向けた。リナの言う通りに、エルナはティオを住まわせることに同意して告げる。
「あなたの父の部屋を使わせてあげる。」
ティオはすぐに追い出されるだろうと思い、身をこわばらせる。それと同時に捨てられないように頑張ろうと思った。
「はい。」
リナとリズは、別れを告げ去っていった。
「じゃあ今日は歓迎会しないとね。」
エルナはそう言い、ティオを家に招き入れた。ティオは迷惑に思われていると思っていたので少し喜んだ。調理を始めたエルナを横目に、ウルテガと挨拶をした。
「初めましてだね、兄貴。俺はウルテガ。」
「初めまして。僕はティオ。」
「オルクテから来たんだって?」
「うん。」
ティオは不思議と愛想のいいウルテガのおかげで緊張がほぐれてきた。
「俺は3か月後から、神契士学校に行くことになっているんだけど、兄貴はどう?」
囲炉裏の前で座るように誘導するウルテガ。ティオは誘導されるままに座って言う。
「神契士の学校?行きたい行きたくないじゃなくて行くしかないんじゃないかな?」
「...そうだ...けど、そうなんだけど!」
なんだか軽く捉えているウルテガと違って、ティオは重かった。しかしウルテガは重く捉えたくないようで抵抗していた。
「行きたくないって気持ちでいたくないだろ?」
「え?」
「だから、感情を入れずに言う。俺は学校に行く。」
「え??」
「でも、ただ行くんじゃない。志を持って学校に行くんだ。」
ティオにはよく分からなかった。ウルテガは続ける。
「何の志かって?それはニグを守ろうっていうやつさ。」
「...今のは段取りを踏んでいたの?心がそう受け入れるように。」
ウルテガは首をかしげる。
「えっと。ニグを守ろうって気持ちは正直あんまり無いんだけど、でもこうやってステップを踏むようにすると本当に前向きになれる気がするんだよ。」
「へぇ。面白い!」
ティオは素直に感心した。エルナは囲炉裏に鍋を設置しながら空気を読まずに言う。
「じゃあ暖まってきたところで、自己紹介いってみるか。」
「では、言い出しっぺから。どうぞ。」
「うわっ。えっと、エルナです。毎日、服の縫製の仕事をしていて、朝早くから夕方まで働いています。息子2人と一緒に暮らせるようになって喜んでいます。よろしくね。」
エルナは少し茶化して自己紹介した。
「俺はウルテガ。入学までは兄貴と一緒に食べ物を調達したいと思ってる。よろしくな。」
「僕はティオ。早く一人前の戦士になりたい。皆を守れる強い神契士になりたいです。ご迷惑をおかけします。よろしくお願いします。」
3人は食事をして早めに寝た。
ティオは夜、うなされた。
「うわぁぁあああ!」
ティオは起きた。汗をびっしょりかいていた。トントントンと足音が聞こえて、扉をノックする音が聞こえた。
「大丈夫?」
エルナは何があったのか確認しにきた。
「だ、大丈夫。」
「部屋に入っても良い?」
「ダメ。」
エルナは扉の前で話を聞くことにした。
「何があったの?」
「悪夢を見ただけ。」
「そう。どんな夢だったの?」
「オルクテ村が襲撃された時のこと。」
エルナは追体験したと判断した。扉を開けてティオの前に座った。ティオは文句を言おうとしたが言葉にしなかった。
「そう。それでどう思ったの?」
ティオは言いたくなかった。
「...別に。」
「言いたくないのね。辛かったのね。」
「そうだよ。」
「でも言った方が良いんだよ。」
ティオにはそう言う理由が分からなかった。
「もう良いよ。寝て。」
「良くない。また悪夢を見ちゃうよ。」
「なんで?」
「ヒトに説明すれば、心の整理がつくのよ。あなたに後ろめたいものがあるから、悪夢となって現れるの。」
「後ろめたさ?無いよ。」
「認められないの?強がらないで。」
「...。」
「あなた自身のために素直になって。」
ティオは観念した。
「…僕は神契士として、村を守ろうとしたんだ。」
ティオは自身の心に目を向けた。そうしたら思いの外、口からポロポロと言葉が落ちてきた。
「うん。」
「【戦士になって、この村を、皆を守る。】そういう風にずっと言われてきた。だから僕は、そういう風に誓った。だから守ることができて当然だった。」
「うん。」
「でも力を開放しようとした時、意識を失ってしまった。目が覚めた時には家は壊されて、ヒトはバラバラになってた。村はメチャクチャで、皆、死んでたんだ。」
「無力だったのね。辛かったね。」
「そうなんだよ。」
「じゃあどうしたら皆を守れたの?」
「禁足地に踏み込んで、イノシシを狩るワナを仕掛けたんだ。それを発見した牙人が村の存在に気付いて、襲って来たのかもしれない。」
「立ち入り禁止の場所に入ってはいけないという約束を破ってしまったのね。」
「それもある。何より鍛練が足りなかった。もっと僕が強ければ守れた。僕は弱すぎた。」
「うん。」
「それだけ。」
「本当にそれだけ?私にはまだティオの非が見えないかな。」
ティオは目を見開いて考えた。なぜ母はそう言うのか。
「おばあさんの言う【村を守れ】っていうのは、おばあさんのわがままよ。あなたにはあなたの人生があるの。もちろん、社会が個人に与える役割っていうのはある。でもあなたにはまだ早い。あなたが村を背負うには、若すぎるって思っちゃうな。」
「若いからなんだって言うんだよ。」
「若いっていうよりは青いっていうのかな?あおびょうたん。」
「?」
「やっぱり早すぎるのよ。その反応を見れば分かるわ。おばあさんも罪深いわ。こんな子どもに重い責任を背負わせちゃうなんて。」
ティオは考えた。しかし母の言うことを理解しきれない。
「遅かれ早かれ村は滅びる運命だったのかもね。たった一人の戦士で守れるの?軍事のことは私には分からないけれど、あなた一人でどうこうなっちゃうのは、それはそれで問題なんじゃないかな?」
「確かに。村は隠れ潜むように生きていくしかないのは、確かだったかも。」
「そうよ。頑張って隠していても、いずれ存在は明るみになるものよ。私が言いたいことは分かった?」
「半分くらいは理解できたかも。」
「そう。今、全部を理解できなくてもいいわ。でも、ティオだけに問題があって、そうなっちゃったなんてことは無いってことよ。私はそう言いたいのよ。」
「ありがとう。なんか救われた気がするよ。」
ティオは妙に納得した。
「いいのよ。今まで一緒にいられなくてごめんね。」
エルナはそう言って自室で眠りについた。ティオはこれまで強がって生きてきたことに気付き、自身に刺さった罪の杭が小さくなるのを感じた。
初めての朝、ティオはなんだか眠気と疲れが取れなかった。しかしウルテガが気を利かせてくれたのか、村に居た頃よりも少し遅い朝だった。
「おはよう。」
ウルテガは起きるのを待っていたのか、ティオが朝の挨拶をする頃には支度ができているようだった。
「おはよう!腹減ってるだろ?早く行こう。」
ウルテガは寝ぼけ眼のティオを起こすように愛想の良い元気な挨拶をした。エルナはもうすでに職場に行っているようで、ウルテガにはいつもの事のようだ。
「リズは呼んだ?お隣さんなんだけど。」
「いや、呼んでない。ちょっと呼んでくるよ。」
昨日は気づかなかったけれど、ウルテガは良い奴だった。ティオと違い、活動的で愛想が良くて気を遣ってくれて優しい。ティオはなんとかやっていけそうな気がした。ティオが用意をして外に出ると、ちょうどリズがこちらに歩いてくるところだった。
「ティオ!私も一緒に行くことにした。よろしくね。」
「うん、行こう。」
3人で食料調達するために森へ行くことになった。ウルテガが先頭を歩き、いろいろ教えてくれる。リズは一歩後ろを歩きながら話し相手をし、ティオはそれについていく。晴れの日のレンガ畳を歩いていく。
「ここは平民街で、都市の中心に行くほどエラいヒトが住むんだよ。」
「エラいヒトってどういうこと?」
「ニグには平民と政治部と王、あと軍部の階級がある。」
「村にはそういうの無かったよ。なんで必要なの?」
「平民は食料生産する必要がある。専業農家のヒトもいるけど商人も農家だったりで、生産者だね。政治部と王は皆に関わる約束事を決めるヒト達で、これが無いと皆一丸となって戦えない。軍部は主体的に牙人と戦闘するけど、農業もする。俺たちは軍部に所属することになるな。」
「じゃあきっと軍部は神契士だけで構成されているんだね。」
「そうだな。でもお腹の契約紋の部分をケガして神契士の力を失うこともあるか。その場合はどうなるんかな?」
「学校卒業後はすぐに中心付近に引っ越しすることになるのかな?」
「それは俺も知らない。たぶん申請が必要で、このままの家に暮らすのが自然かな。リズは引っ越したいの?」
「...あ、そんなことはないけど、聞いてみただけ。」
レンガ畳を越えて、門に着いた。
「通門証は持ってる?さっき渡したよね。」
「うん。持ってる。」
「通門証は自分達が素手で触っても変化が無いけど、牙人が触ると黒くなる。」
「そうなんだ。」
「でも簡易的な方法でしかないんだってさ。【牙改め】の方が効果的なんだろうね。」
そういってウルテガは衛兵に見せると手振りをして通してくれた。リズもそれに続き、ティオもたどたどしく続く。門をくぐり都市の外側に出たら辺りは見晴らしの良い平原だ。1km位先に森が見える。
「この平原は意図的に作られたものだよ。」
「そうなんだ。なんで必要なの?まさか戦闘場所にするため?」
「そうだよ。牙人が近づくのは普通すぐ気がつくんだけど、難しい時もある。見やすくするためにも必要なんだってさ。」
「詳しいね。どうして?」
「父さんが母さんに教えてくれてたみたい。でも物心つく頃には、父さんは遠征に行ったきり帰ってこないんだ。」
「遠征ってまさか牙人の館に行ったってこと?」
「うん、今も館はあるし、残念だけど父さんは任務達成できなかったんだろうね。」
「...生きてたら帰ってくるだろうってことね。」
森が近くに見えてきた。村の森と違って、なんだか地面に届く光が多いように見える。
「村ではどうだったか知らないけど、普通はすぐにお腹いっぱいになれるよ。」
「食料となる植物がたくさん植えられているってこと?じゃあここも畑みたいなものね。」
「そうだね。牙人を遠ざける植物も増やしているし、大きくなった木は建築材料として持ち帰ったりしている。実質この辺りもニグなんだよ。」
3人は森へ入り、辺りを見渡した。木々は割と等間隔で生えていて、背の低い植物も日光を浴びることができる位になっていた。
「毒草もあるから注意してね。」
リズはこの辺に生えている植物はだいたい知っているような素振りをしていた。勉強する機会があったのだろう。
「要らない雑草は捨てて、有用なのは植えたりしているからね。都市からちょっと遠いこの辺りからは僕らが自由に採っても大丈夫な場所。整備するのも同時にやろうね。ちなみにあの山の向こうに牙人の館があるって聞いた。」
「意外と近いのね。」
「でも牙人が来る時は見張り台の鐘が鳴るから、音を聞いてから急いで戻れば間に合うかな。」
「見張り台って?」
「牙人の侵攻を早期発見したいんだよ。平民も軍部も侵攻の初動が戦争の行方を大きく左右するんだってさ。早期発見のために、レンガ造りの見張り台があるんだよ。都市から3kmほど離れた位置に計4か所あって、そこにいつも兵隊がいるみたい。」
「どれ位の頻度で戦っているのかな?」
「だいたい10年に1度位って聞いた。すぐに終わることもあるけど、2か月以上戦うのが普通みたい。」
ティオは聞き役で、だいたいリズとウルテガの会話だった。敵からしたら難攻不落の都市なんだろうけども、都市に引っ越してきた2人もすぐに戦士として徴兵する辺り、必死なのが伺える。そう思うと今は穏やかでも、すぐに血生臭いことが起こることが分かって、なんだか背筋に緊張が走る。しかしウルテガはどこかリラックスしている。
...2時間後。
「お腹いっぱいになったかな。そろそろ帰ろうか。」
ウルテガが花の蜜を吸いながら、カゴを背負った。リズは木の実をジャンプして掴み取り、カゴに入れて言う。
「だいたいやることはやったかな。ここにあるものは分かったし。」
ティオは何も言わずに帰る準備をした。それを見てウルテガは歩き出した。帰りは皆疲れているのか何も言わずにいた。
「必ず集積所で食べ物を分けることになっているんだ。」
ウルテガは衛兵に収穫物を全て渡すと、ティオ達に同じようにするように促した。若干の抵抗が感じられたが何のためにするのか考えれば、渡さざるを得ないのは分かる。ティオがゆっくりのっそり収穫物の入ったカゴを渡してすぐに、ウルテガの取り分とカゴは返却されていた。それから短い帰路を歩き、家の前でリズと別れると、エルナが言う。
「おかえり。食べ物は見つかったかい。」
「いつも通り。」
そう言ってウルテガはエルナに収穫物を渡し、ティオもそれに続いた。疲れた様子だった。囲炉裏の前でゆっくりとしている時に、ティオはふと村に居た頃を思い馳せ、ウルテガに尋ねた。
「神契士の鍛錬はしている?」
「してないよ。どうせ3か月後には、始めるんだから今は必要無いよ。」
「瞑想だけは、しておいても良いんじゃないかな?」
「何それ?」
ティオはずっと教えられっぱなしだったので、得意になって教えた。唯一ではないのだけれども、数少ないヒトに教えられることだったので嬉しかった。ウルテガは素直でティオの言う通りに目を閉じて姿勢を正して座って瞑想をしていた。ティオも教える側なので瞑想をした。
「あ、今、光が見えたような...。」
ウルテガは早くも成長の兆しを見せた。しかしティオはなぜかうまくいかなくなっていた。
「そう、その光の中に潜っていくのがコツみたいなんだけど...。」
「なんだけど?」
ティオは浮かない顔をして言葉を選んだ。
「調子の悪い日もあるのかな。今日の僕には光が見えない。」
エルナは空気を読まず、2人の思考を遮るように口にした。
「じゃあご飯にしようかね。ご飯の後、私にも瞑想を教えてね。」
その日、3人は食事の後、静かな夜を過ごした。
三か月後、神契士学校に初登校の日が訪れた。学校と言っても親衛隊の宿舎の一部を借りて臨時的に行われるのみで、教室も一つで訓練場も狭いのが一か所あるのみだ。制服は軍と共通で、白地に金の装飾が施された軍服だが、ボタンの色が異なる。生徒が地味な印象を与えられているのはボタンの色が白だからだ。クラスは1つでリズ、ウルテガ、ティオ、ルクシ、シシカゲの合計5名であった。ルクシもシシカゲも短髪で筋肉質な男であるが、ルクシは中背でシシカゲは大柄である。教官は教室に突然入ってくるなり、すぐに皆の前に立った。髪型はオールバックで、中背の筋肉質な男だ。
「席に着け。席に名前が書いてあるだろう。」
リズは黙って席に着いたが、他の4人は困った様子だ。ルクシは言った。
「文字が読めないので、どこに座れば良いか分かりません。」
「いいだろう。ならば読めない者は、そのままそこで立って聞いてくれ。私の自己紹介をしよう。」
教官は黒板に大きく文字を書いて言った。
「キアンだ。40歳で2児の親で、第62西門援護部隊の隊長でもある。この中の一人位は直属の上司になるってことだな。よろしくな。」
気さくで話しやすそうな雰囲気を漂わせながら、キアン教官は今後の教育内容を説明した。それによると、神契士技術、個人戦闘術、ニグの防衛方針、神契士の戦略的連携、文字、サバイバル技術について勉強することになる。
「ニグ文字は全部、表意文字であり表音文字でもある。だから一つの発音に対してたくさんの字があるってことだ。...。」
よく使う文字を一通り書いてもらって発音してもらったら、立っていた4人は自分の座席がどこにあるのか理解できるようになった。
「これで座席がどこか分かっただろう。座ってくれ。」
皆、無言で座った。
「ひとまず、文字については最低限理解できただろう。とりあえず書き写しておいてくれ。それが終わったら、神契士技術をやろうか。」
リズは見るからに喜んだ。それはもちろん文字の予習をしており、退屈していたからだろう。キアンは皆が書き終えるのを確認すると、チョークを置いた。
「今日はこれができるまで帰っちゃダメだ。手本を見せるから、大人しく見ておけ。」
そういって胸の前で手を合わせ、力を籠めるような素振りをして、胸の前で手と手の距離を取ると、そこから光の短刀が出てきた。短刀は床に落ちると音を立てて、光の粒子を出しながら消えた。
「おぉ!!」
4人は興奮した様子で歓声を上げたが、リズの表情は変わらなかった。キアンは言った。
「道具生成という神技だ。道具の具現化持続時間は今日の内は気にしなくていい。最終的に手を離しても1分位残るようにできれば、それで卒業できるレベルだ。コツは己の内に光を感じて、それを手の平に集めるってところかな。リズ、やってみてくれ。」
「はい。」
リズは、やって見せることを意外とも思わなかったようだ。その素振りから予想できる通り、キアンほど簡単そうではなかったものの、一度目の挑戦でできてしまった。
「じゃあ、皆もやってみてくれ。」
キアンがそう言う前にすでに4人ともチャレンジし始めていたが、誰もが皆できなかった。それでも30分の内に、ウルテガが出来、シシカゲがそれに続き、ルクシも出来るようになった。
「お先に失礼します。」
ルクシは丁寧に言うと、一番に帰宅した。それに続きシシカゲもウルテガもあいさつをして帰っていった。意外にもリズは残って練習を続けていたが、さすがに遅くなってきたので帰った。一方ティオだけは一度も上手くいかなかった。
「自分の中に光を感じられない...。」
ティオの問題がキアンには分からなかった。なぜできないのか分からない。
「カタチだけでも真似てやってみてくれ。」
キアンは声をかけたが、それでもできないということが分からない。キアンはイラついたがそれを悟られまいとし、ティオに背を向け考えた。
「ダメだ...。どうしてできなくなったのだろう...。」
ティオは溜息混じりに教室で力尽き、大の字になって転がった。キアンは以前はできたようなことを言うティオを訝かったが、口には出さなかった。そうこうしているうちに、日が暮れ始めたことに気づき、これ以上付き合ってられないと思い始めた。
「とりあえず今日はここまでにしよう。最悪、来週までにできればいいさ。」
「家でも練習してきます。そ、それでは。」
そそくさと帰るティオ。ティオは自分の劣等生ぶりがキアンを困らせていることに気が付いていた。なんとかしなければならないと思いつつ、足早に家に帰った。
「ここまでの劣等生は初めてだ。どうしたものか...。」
キアンは、これまでの自分の教え方について振り返りつつ、明日からの教育計画を練り直した。
2日目、ティオはエルナと同じ時間に起きて早めに学校に行った。昨日一生懸命頑張って練習して、寝たらイメージが定着してきた。だから登校中は、なんだかできるような気がしていた。朝、皆が来る前までに何とかできるようになろうと頑張った。頑張って頑張ったがうまくいかなかった。しかしキアンの用意した学習内容は神契士技術を避けてくれていたので、ティオが特段遅れるようにはなっていなかった。講義内容は戦士の心構えだった。とはいっても特段新しい思想ではない。
「戦場では死体が転がっている。それが普通だ。逆に転がっていない方がおかしい。戦場に行くということは、死にに行くようなものなんだ。だからイメージトレーニングをしておこう。自分が死ぬ様を。仲間が死ぬ様を。できるだけリアルに想像しておこう。そうしないと、とっさに対応できない。死を受け入れられない。戦士ならば死ぬことが分かってもパニックにならない。前に踏み込むんだ。なるべく味方のためになるように、前のめりになって死ぬ。死ぬ直前まで、あるいは死んでも敵の侵攻を食い止めるために戦うんだ。そしてそれを見た戦士は、その死を無駄にしないように懸命になって戦う。歯を食いしばって、ただでは死ぬまいとして、苦しみながら抗う。そして死ぬ。そうやって皆が耐え難きを耐えながら戦うんだ。その結果、ニグは守られているんだ。」
キアンは皆が静かに聞いている中、続ける。
「だから戦士が戦場に行くのであれば、それは死を前提とした戦いであるべきだ。断じて死の覚悟無しで戦うものではない。それは時に、味方を危険に晒すことになり、敵に有利に働くからだ。命がけで任務を遂行せよ。皆の努力に報いる働きをせよ。死力を尽くして祖先に恥じぬ戦いをせよ。将来世代にできる限り多くを残せる生き様を見せよ。」
キアンは皆の様子を見た。皆聞いたことのある話で伏し目がちだ。
「死にたくないのか?だが我々は生まれてしまった以上、いつかは死なねばならん。寿命で死ぬのか戦死するのか分からんが、必ずヒトは死ぬ。避けられないことだ。自分が死んでからのことを考えたことはあるか?あの人はあぁだった、こうだった、と評価される。それが普通。よくあることだ。死んでその者の人生が完結する。自己満足の人生にするのではなく、誰かのためになる人生にしようじゃないか。だから俺達は牙人と戦うんだ。つい最近、村が滅ぼされたよな。ウカウカしていたら、ニグも滅ぼされるだろう。戦士であるならば、主体となって守ることができるだろう。自分勝手に生きるのではなく、他人に感謝されるような人生にしよう。」
キアンは生徒に質問する。
「ニグの戦士は、帯剣をしている。なぜか分かるか?」
キアンは、自身の腰にぶら下げている剣を掲げて見せるが、誰も理由を知らなかった。
「戦士は腹にある契約紋をケガすると、神契士の力が弱まったり使えなくなったりする。仮に力が使えなくなっても、成し遂げねばならないことがあるんだ。それが戦士だ。必要ならこの剣を抜き、自身の体が動かなくなるまで敵に立ち向かっていこう。これはその覚悟の証とも言える。」
他にも、戦士の美徳についても語っていた。
「『いかなる状況でも上官の命令を遵守し、印象・錯覚に囚われず本質を見抜き、耐え難き苦境を乗り越え、仲間を信頼しつつ連携して己が役割を果たす。』これは戦士にとっての基礎だ。必ずテストで出題されるので、暗唱できるようにしてくれ。」
生徒は皆、声にして覚えようとした。
「錯覚には、『上官が上位互換であることを前提とする。』ということがある。上官には上官に求められる資質があり、部下には部下に求められる能力がある。だから上官の能力を疑うようなことがあっても、それがただの錯覚でしかないことはよくある。他にも『会話が上下関係を決めるもの』になってしまっていることがある。理想は【真実の探求】であるところだが、ストレスがたまると特にこれができなくなるので注意が必要だ。」
講義後、皆は帰ったが、ティオは居残って、昨日できなかった道具生成をしようとした。どうも自分の体の中に光を感じることができない。なぜできないのかが分からない。悩んでいるところに、キアンが言う。
「体の中に光を感じるというのは、完全にリラックスしてしまうとできない。かといって、緊張しすぎてもいけない。リラックスと緊張の波を作って、光を感じられる時を作ってみてはどうか。」
「はい、やってみます。」
ティオは思考を遮られたが、素直に受け入れて言われた通りにやってみた。静かに座禅を組んで、ゆっくり目を閉じた。これを何度か試みたが、何の成果も得られなかった。キアンは首をかしげて、今日の居残り授業は終わった。家に帰っても頑張ってみたができなかった。
3日目、居残り授業ではリズのアドバイスを聞くことになった。
「体の中心、ヘソの辺りに力と意識を向ける。そうすると特に力が湧いてくる。」
リズなりに何かコツを掴んでいたようだ。ティオはリズと自分を比較してガッカリしたが、わざわざ教えてくれるのだから、ありがたいとも思う。
「ありがとう。やってみる。」
ティオはこれならさすがにできるだろうと思って、リズの方法を見よう見まねでやってみた。しかし、昨日と同じで全くうまくいかなかった。さすがにあてが無くなってやる気が無くなった。その日は家に帰っても何もやらなかった。
4日目。ウルテガはティオを起こした。
「よう、兄貴!いつまで寝てるんだよ。」
「ん...。」
ティオは昨日から朝起きられなくなっていた。
「うまくいかないのは分かるんだけど、まだ4日目だぜ。期限切れまでやれることは全部やっておこう。早く学校に行こう。」
「...そうだね。ありがとう。」
とりあえず学校に行くしかない。問題は無策で挑むことだ。これまで体の中に光るものを探していた。ならば逆に考えて、体の外に意識を向けるべきではないだろうか。あるいは別の何かを探すのが良いのではないだろうか。とにかく教えてもらった通りにやろうというのが間違っているのではないか。そんな風に考えていると光明が見えてきた。この日の居残り授業は、ティオにとっては一番気合いの入ったものだった。しかしキアンにとっては、それは本人が諦めるための過程の一つに過ぎなかった。結局その日もティオはできなかったが、まだできることを全部やった気がしていなかった。その日は家に帰っても頑張っていた。
5日目、実質最後の日だ。まだティオは最初の神技ができていなかった。しかしというよりだからこそ、ティオは朝の内にできるように早く起きて学校に行って試みた。すると、光なんか感じられなくても良いことが分かった。
「そういうことか!」
ティオは言葉にできない何かを自分の中の遥か彼方に感じ取ることに成功した。しかし他のヒトにはティオの成長が分からない。その日の授業はティオは心半分で妙に高揚した気分で終えた。恒例の居残り授業では、妙に気合いの入ったティオとアンニュイなキアンの姿があった。
「やりますよ!」
ティオはキアンの様子を伺うことなく言い放ち、そのまま立ち姿勢のまま勢い良く手を合わせ、祈るように目を閉じ、左手から光る棒を取り出すような動作をした。キアンは驚きながら言った。
「えっ!...いつの間にできるようになったの?」
「今まさに、できるようになりました。」
ティオの右手には最初にキアンが作り出した短刀と同じようなものがあった。
「なるほど、ティオにはティオのやり方があったってことかな?」
「村では先生のやり方でできたと思います。でも、こっちに来てからは...。」
「うーん。」
納得のいかないキアンであったが結果が良かった分、大して考える必要も無いという心理がはたらき、「こういう事もあるのかな。」程度の理解でこの場は収まった。
帰り道、ティオはリズと一緒に帰ることになった。空はもう暗くなってきていて、松明が少し灯され始めていた。ティオは聞いた。
「どういうヒトになりたい?」
唐突な質問に、リズは珍しく答えが出せそうになくて戸惑っていた。
「...ティオはどうなの?」
ティオは意外な返答に困り、自分でも上手い答えが出せないことに焦りながら答えた。
「...最初は隊長クラスの全体が見渡せるくらいの人物になりたかった。でも、これまでの自分を客観的に見てみるとそれどころじゃない。今は母とウルテガの恥にならないような戦士らしい戦士になりたいよ。」
「世間体が気になるの?戦士らしい戦士って何?」
「戦士っていうのは、授業でやってた【戦士の美徳】だよ。信念を押し通せる強さが欲しい。守りたいものを守れる強さが欲しい。」
「社会が求めるヒトになりたいの?でも私も同じようなものなのかな。」
リズは自分自身の気持ちがいまいち分からなかった。
「私はただやらなきゃって思ってる。目の前のことで精一杯だよ。」
「え?!目の前のことで精一杯なのはこちらの方だよ。リズはクラスの誰よりも神契術ができるのに誰よりも努力家じゃん。それでも頑張らなきゃいけないと思うんだ。」
「...うん。」
リズはティオの評価に喜んでいるようだが、それを隠しきれていない様子だ。
「私は誰よりも凄い神契士になりたいのかな。道具生成にしても、身体能力向上にしても。今、そう思った。」
「どういうヒト?って聞かれてその答えはないよ。それは能力の話で人物像ではないよ。」
リズは質問の意味を考え、ハッと閃いた素振りをした。
「私はティオに認められたいんだ。凄いヒトだって。」
2人はリズの家の前に来た。すぐ隣はティオの家だ。
「じゃあ、また。」
リズはティオの返事を待たずにそそくさと自分の家に帰っていった。ティオは足を止め、暗くなった空を見上げた後、家に帰った。
それからもティオに対する神契士技術の評価はマシにはなったものの低いままだった。この日の授業も例外ではなかった。
「道具生成は奥が深い。一言で道具生成と言っても形状の複雑さ、質量、体積、硬度と粘度、持続時間、同時生成数など、意識するべき要素が多いのは皆も気付いているはずだ。今日は、手の平から手の平までの長さの道具しか作れないと思っている諸君のために、俺がこの問題を解決して見せよう。」
キアンは手を合わせ、手と手の間から二つ折りにしたロープを生成した。ロープの端を掴み、80cm程あることを示した。
「実際の戦闘で使う長尺の武器は、折りたたみ構造の柄をもった物だ。」
キアンは引き続き、手を合わせた。今度は手と手の間から3つ折りにした槍を生成して、空中で掴んで展開した。
「複雑な形状の物を作ることになるが、頑張ってみてくれ。」
各人それぞれ思い思いに挑戦し始めた。リズはすでに経験があったのか、あっという間にロープを生成し、生成した2本のロープを結んだりして2つ以上の物を同時生成できることをアピールしていた。他のヒトは、まずロープの生成に苦戦していたものの、コツを掴むと次々と長いロープを作っては消してを繰り返し、疲労していった。一方ティオは、ショートカットして折りたたみ構造をもった棒を作ろうとしていた。キアンは聞く。
「ティオ、ロープを作らないのか?」
「関節部分を作りたいと思っていまして...。」
「いや、2つ折りにするイメージが難しいから、カーブさせたロープから作るのが簡単なんだよ。ロープなら最初から最後まで同じ構造だからさらに簡単。」
「…?ロープの方が難しそうですが…。」
そう言ってティオは、棒と棒を繋げた関節部分を含む物を作った。手で開閉して調子を確かめる。キアンは思いのほか早くできるようになったことに驚いたが、できるようになれば問題ないと考えた。キアンは、「うん。」と頷いて、にこやかに笑ってみせて話をする。
「それじゃあ、皆。今やっているのができたら、2種類同時生成を試してみてくれ。剣と盾とかね。」
キアンは素早く片手剣を作り地面に突き刺し、盾を作成して、剣と盾を持って見せて説明した。
「複数の道具を生成することは実戦でもよくあることだ。疲労感も増すが、一つでは出来ない事ができるようになる。皆も挑戦してくれ。」
リズはそれを見ても顔色一つ変えずにいた。そして、素早くククリ刀、バックラー、コンバットナイフを作り出し、バックラーにククリ刀をぶつけ強度を確かめた。リズはできるヒトであり続けた。それがリズらしさになっていた。しかしそれはキアンにとってプレッシャーだった。先生として常に先を進む者であるべきだと思っているからだ。というより、思い込んでいるからだ。神契士一年生には負けるわけにはいかない。そう思うと手に力が入る。ゆっくり深呼吸をし、そして、考え方を変えた。
「リズ。良くできてるな。でも疲れたら休んでも良いぞ。時間があったら、同じ形状の物を重さを変えて作ってみてくれ。」
「はい。」
キアンは張り合わないことを選んだ。自分には自分の、リズにはリズの課題があると思うようにしたのだ。次にキアンはティオを見た。ロープを作ることに苦戦していた。さすがにキアンには良いアドバイスができそうになかった。しかし、辛抱強く見守っていれば皆できるようになる。今回もそうだ。とは思っていたものの、終了時刻になり、いつも通りティオとリズが残っていた。リズは全部こなすことが出来ていて、要求もしていない複雑な形状の作成にてこずっていたが、ティオは2種類同時生成が難しいと感じているようだった。
「もはや恒例の居残り練習だな。良いぞ。」
「その、良いぞってどういう意味ですか?」
「付き合ってやるって意味さ。」
ティオはホッとした。残業奨励の意味で「良いぞ。」と言ったわけではなかった。ホッとしたティオを見てキアンは疑問に思ったが口にはしなかった。その日の居残り授業では、ティオは休まず頑張っていたが、リズは休み休み凝った道具を生成していた。
「2人ともうまくできるようになったね。」
その日の夕焼け空の帰り道、リズは満足そうに言った。
「リズは元々出来てたんじゃないの?」
「ばれてたか。」
リズは全然悪気を感じさせずに、むしろ気付いていて当然位の素振りをしていた。
「リズはできるのに居残りしてくれて、なんだか自分は楽だよ。」
「楽なの?」
「気分的にね。どう?楽しい?」
「道具生成は疲れるなー。でも奥深さを感じるし、特に差がつく分野だから力が入っちゃう。自分にはただただプレッシャーだよ。」
リズは明るいトーンで言った。
「そうなんだ。僕には、リズが楽しんでるように見えるよ。」
「そうかな?...でも楽しんでできるなら良いことだよね。」
「そうなの?…うーん…、そうだね。」
「楽しみを見つける努力をしたら良いよね。」
「確かに辛いと感じることもあるけど、できるようになったら嬉しいし、楽しくなるね。」
「スキルが身に着く喜びは、私にもあるよ。でもそれとは別に、新しい自分を知ることができるかもってこと。それが私にとっては特に嬉しいことかな。」
「そっか。そうだね。いいなー。」
「どうしたの?」
「僕も前向きになれるように、そういう風に思えるといいな。」
「うん。」
リズは家の前でそっけなく別れの挨拶をすると、ティオの挨拶を背中で聞いて帰っていった。
ある日の授業でキアンは言った。
「身体能力向上と自己治癒の練習をしよう。ヒトによってはこれらを別物扱いするが、初心者は特に同一視しても問題は無い。まず簡易的にその場でジャンプして練習してみよう。」
各人特に教わることなく、練習する内にすぐに体得できた。しかしティオは左足と右足の力加減が上手くいかず、真上に飛べなかったり、着地に失敗したりした。
「傷の治癒も同じ感覚でできるので、各人、ケガした時に試してもらいたい。」
「はい。」
その後、キアンが牙人と同程度の力で跳躍してみせた。
「1.5m程度だな。それ位飛べれば牙人と同等の身体能力になるだろう。」
これにはリズも含めて全生徒がゴクリと生唾を飲んだ。
「実戦では常に身体能力を上げておかないと戦力にならない。練習時でも身体能力向上をしながら、道具生成しつつ、維持しつつを心がけよう。」
簡単かと思いきや、急に突き放すことを言う。ティオからすると、キアンの良くやるやり口だった。だがキアンはただただ、早く牙人に負けない戦士になってもらいたかっただけだ。
休み時間になり、シシカゲはティオに話しかける。
「よぉ!身体能力向上はできるようになったかよ。俺が教えてやろうか?」
すでに皆、ある程度はできるようになっていた。
「いや、いいよ。」
「ははっ!連れないこと言うなよ。しかしリズはいつも優秀だよな。ティオと知り合いみたいだけど、お前らでバランス取ってるのか?」
「...。」
案外リズも冷ややかで教室が凍りついた。
「俺がぶん殴ってやって、自己治癒の練習もさせてやろうか?」
リズは冷たくあしらう。
「そういうのいいから。ティオは昔からどんくさいだけ。」
「そうか、そうか。」
シシカゲは嬉しそうに笑うと、ティオの肩を叩いて教室に向かった。シシカゲは自信家でエネルギッシュだった。そしてティオをライバル視していた。道具生成の中級テクニックの時もティオは習熟に時間がかかり、シシカゲはその事を強調するように話していた。
「よく突っかかってくるよな。」
ティオが不満そうに言うと、シシカゲは眉間にしわを寄せて顔を近づけて威嚇する。
「アァ?!」
ティオはビクッとしたが、そのことがシシカゲをいい気にさせてしまった。ティオはシシカゲに苦手意識を持った。
「シシカゲ、やめときな。」
ルクシはシシカゲに忠告した。シシカゲは不機嫌になりルクシにつっかかるが、ルクシは毅然とした態度をとる。
「シシカゲ。ティオとあんたと俺は対等だ。威嚇して良い間柄じゃない。」
「強い者、優れた者が上に立つ。それが自然の道理だろ?ティオは弱いから俺の方が格上だよな。」
「それはそうかもしれないが、ヒトの社会ではそれを理不尽っていうんだよ。だからそうならないようにする必要がある。」
「違わないね。俺の人生には幾らでもあった。」
「確かに現実には起きてしまう。だが、弱者が虐げられるような無情の世界では、豊かな心で生きていけない。理想社会ではない。」
「お前自身で認めてるじゃねーか。弱肉強食、それが真理だろ?!」
「それだけでは全てを語るに足りない。強者だって、運やタイミングが悪ければ弱者になる。これが自然の道理だ。」
「...?!」
シシカゲは怪訝そうにルクシをじろりと見た。
「あんたも蹴落とすこと考えてないで存在を認めな。そうすれば自分の良い所を見てもらえるようになるさ。」
「...上からクセェこと言いやがって。」
シシカゲは首を触りながら教室に向かった。不機嫌そうにしながらも何か思うところがあったようだ。
ティオは恒例の居残り練習をしていた。リズも練習を続ける。空は赤みを帯びて、再び帰りの時間が一緒になった。
「知ってる?マリフェルは牙人を操れるんだってさ。」
唐突にリズは話した。
「え?マリフェル?どうやって?」
「マリフェルは赤毛の牙人だよ。マリフェルは魔術を使って牙人を操ってるんだよ。」
「魔術かー。だから戦争ができるんだね。単独行動を好む牙人が団結するんだから、違和感があったよ。」
「隊長とかもいないみたい。」
「必要ないってことか。」
「そう。皆がやること分かっているなら、必要ないんだよ。」
「撤退のタイミングとか攻撃を集中させる時とか、指揮官がどうやって伝えたら良いのか分からない時ありそうだけど、その難しさも無いってなると相当強いね。」
「ヒトの世界では、負け戦が続いたら不信になって内乱が発生したりするけど、それすら無いみたい。」
「操られるとどう変化するのかな?」
「一挙手一投足をコントロールするのではなくて、気持ちの制御と情報伝達をしてるんだと思う。」
「そっか。僕たちも意思疎通をすることで、お互いに影響を与えているけれども、気持ちの強制はできないよね。」
「うん。誤解はよくしているけどね。きっとね。」
「マリフェルのは、究極の意思疎通。」
「うらやましい...。でも意図不明な言葉をあれこれ考えるのも楽しいかも。」
「違うよ!それは僕にとっては苦しいことだよ。」
「例えばー?」
「言葉足らずで、キアン先生に嫌われたかもとか考えるとなんかね。」
「ティオって、なんかちょっと女々しいところがあるんだね。」
フフッと笑うリズ。少し間をおいてリズは言う。
「ちょっと矛盾するけど、相手がどう思ったかなんて考えても仕方ないと思わない?」
ティオは意表を突かれたような表情をしてから言う。
「その通りって思ったけど、気持ちがついていかないよ。つい考えちゃう。」
「うん。それはそれで、なんか分かる。」
「ちゃんと誤解無く伝えられるようにしたいね。分からなかったら聞きたいね。」
「...うん。ちゃんとコミュニケーション出来てる気がしない時もあるよね。分からないって言える人間関係とか、コミュニケーションのテクニックが欲しいよね。」
「テクニックかー。ついカッコつけちゃうんだよね。」
「うん、私も。じゃあまたね。」
いつの間にか、リズの家の前に来ていた。ティオが手を振ると、リズは振り向いて小さく手を振り、目前から去っていった。
神契士技術の授業も終盤の頃、比較的必要としない技術として対物障壁の授業が行われた。いつも通り、訓練場でキアンは言う。
「とっさに部分展開ができれば致命傷を避けることはできるかもしれないが、隊長クラスでもそれはできないだろう。展開に時間がかかる上に防御力が低い。扱いづらいので、重要性は低い。身体能力向上で素早く回避行動がとれれば、必要とされないと言われている。しかし学ばなければできるようにはならない。まずは全身展開をして投石のダメージを防げ。この石を俺に投げてみろ。」
キアンは拳より一回り小さい石をリズに渡して5m先で仁王立ちした。
「全力で投げます。」
「全力で投げないでくれ。下投げで。」
「はい。」
リズがそう言うと、キアンは対物障壁をノーモーションで全身展開しつつ「来い。」という仕草をしてみせた。対物障壁は時折、光を屈折させて揺らいで見せる。しかし展開の有無を肉眼で、はっきり見極めるのは難しい。しかしリズはしなやかなフォームで、キアンに石を投げつけた。投げられた石はキアンの鼻っぱしらに命中したかのように見えたが少々跳ね返って地面に落ちた。キアンは言う。
「粒子を身にまとうイメージで展開できるはずだ。通常の神契士ならば、全身展開に2秒ほどかかるのが一般的なんだが、大抵の神契士の戦闘ではまず見ない。展開ができれば理由が分かるはずだ。それでは皆、やってみてくれ。」
ティオは神契士技術の講義に苦手意識をもっていたが、初めて他のヒトより早いスタートを切ることができた。そして先ほど言われた通り、展開すると極端に動きづらくなることに気が付いた。体を動かすと展開した障壁同士がぶつかることが原因だ。キアンは言う。
「満足に動けないかもしれないが、部分展開ができるようになれば、今より動きやすくなる。走れるようにもなるぞ。」
ティオは珍しく優秀で、部分展開もできるところまで習得していた。それと比べるとシシカゲは全身展開も未だに習得できていない。シシカゲは自分よりできないと思っていたティオに勝てないことを恐れ、焦っていた。キアンはいつも通り劣等生のティオに張り付いているが、今回はいつもと違う結果になっているのに気付かず、ティオのサポートを続けていた。
「ティオ、できたか?石を投げるぞ!」
「全身展開で受けてみます!...準備OKです!」
キアンは恐る恐る石をティオの腹に投げた。石は隊服を変形させることなくコツンと跳ね返り、地面に落ちた。
「良し!出来てるな。とりあえずそれで歩き回ってみろ。それができたら部分展開を素早くできるように練習してみろ。」
「はい!」
ティオは早く出来たことが嬉しくなった一方、他のヒトを焦らせるような結果になったことが申し訳なくなった。しかしそういった態度こそが失礼に思えて、そう思われないように皆と目を合わせないようにふるまった。一方リズは、全身展開している状態でぎこちなく歩く姿を見せてキアンに話しかけた。
「先生、試してもらって良いですか?できています。」
自信のありそうなリズだが、キアンは石を下投げでお腹に向かって放り、障壁にぶつかったのを確認した。
「部分展開の練習をしてくれ。コツは全身展開してから、展開した粒子を1か所に集めるようなイメージだ。」
「はい。」
リズは他のヒトの目を気にしないような素振りで淡々と学んで実践しようとしていた。だが実際にはシシカゲと同様にティオのスキル習得の進捗状況が気になるようだ。ティオはすでに部分展開を習熟しようとしているようで、展開速度の向上や部分展開の面積や強度を気にしているようだった。
「くそっ...。」
シシカゲは人一倍競争していた。皆の習得具合に意識がもっていかれる。特に神契士技術では熱が入っていた。成績トップは全てリズがとっており、シシカゲは全ての技術で遅めの習得であった。本当は全てでぶっちぎりのトップを取りたかった。今はそれどころか劣等生である。ここにいる皆に勝って、成績トップになって称賛されながら卒業したかった。
「切磋琢磨だろ?競い合うことで努力が生まれて技術が磨かれていくんだ。」
過去、シシカゲはそう言っていたが、今は自分の技術の習得に集中するべき時である。
「向上心を持て。競争するな。」
ルクシは自分を戒めるかのように言った。ルクシは元々良かった姿勢を崩して再び姿勢を正し、部分展開の練習をしていた。シシカゲはそうしたルクシの姿を見て目を閉じ心を静めた。そして自分の中にあるものに意識を集中した。結果、全員が全身展開がしっかりできるようになり、授業は終了した。
ティオは実技試験の成績が悪かったが、座学試験では普通より上なのが救いであった。リズはいつも優秀で将来が有望視されていた。なんだかんだ言って5人は揃って期日通りに卒業できた。卒業後の進路は、リズ、ルクシ、シシカゲは第21東門側辺部隊に、ティオは第62西門援護部隊に配属された。実戦で最も重要視される実技が劣るティオが、キアンに押し付けられるカタチになったのだ。しかしキアンは嫌な顔をすることなくすんなり受け入れた。ウルテガは第15西門守衛部隊に配属された。
43歳、短髪の女性の親衛隊隊長アジレラは、以前からニグ王に下知されていた。
「汚職とまではいかないかもしれないが、イゼルグ司令官の動向を見ておくように。」
司令官と以下の軍隊は警察の役割も担う。一方、親衛隊は王宮の警護と軍隊を取り締まる立場である。ある日、アジレラは王宮からの帰り道、道を行く第15西門守衛部隊 隊長ルージュに声をかけ、親衛隊長の個室へ招き入れた。25歳、ウェーブのかかった長髪のその女は、問題のある戦士だ。ルージュは自分に支給された装備を削って装飾したり、穴を開けて装飾品をつけたりしているのだ。そのことを問題視している者が、アジレラ自身も含め、数多くいる。しかしその半面、注意されてもやめないことから出世欲が無いことが分かる。出世欲のある人物は、イゼルグに取り入ろうとして捜査が暗礁に乗りかねない。協力者として安全そうなルージュを選ぶのは当然だ。
「イゼルグ司令官とその周辺人物の不審な行為を報告してもらいたい。」
ルージュは小さなため息混じりに言う。
「あまり他人の事には興味ないけど、任務ということなら仕方ないわね。協力するわ。」
ルージュはそう言った後、つい最近聞いた話を思い出した。
「新人の中に優秀な者がいる。親衛隊に配属されるヒトがいても変ではなかったのでは?」
などと言うことだ。実際の所それが実現された前例はなく、必ず何回かの実戦を経験してから親衛隊に配属されるのが通例だ。無理のある話が流布されたが、そんな話は雲散霧消した。話の流布の経路がどうなっているのか突き止めるのが、アジレラの仕事のようだ。
「イゼルグに加担しない隊員に協力してもらって、汚職する人物を特定してください。」
「汚職とはどういった事ですか?」
「不審死が相次いでいる。まさかとは思いますが、誰かが傷病兵を殺しているのかもしれません。他にも軍の支給品を横流ししている者もいるかもしれません。」
「親衛隊は軍を取り締まる役なので、警戒されない第15西門守衛部隊に協力してもらいたいということでしょうか。」
「いいえ。部隊全体ではなく、あなたとあなたの信用できる友人にご協力いただきたい。」
「むっ。」
ルージュは固まり、予想外の反応にアジレラは意表をつかれた。
「まさか、信用できる友人がいないということでしょうか。」
「...そうですが、やってみせますよ。」
「心許ないですね。ですがその言葉、信用しましょう。」
アジレラは、隊長となったルージュを頼ったが、言葉とは裏腹に信用しきれないので自身も成果を上げようと考えた。
卒業生は卒業したその日、すぐに各部隊で紹介されることになった。ティオは第62西門援護部隊のミーティングに初参加した。キアンはティオを紹介した。
「こちら、劣等生だったティオ君だ。」
ティオは申し訳なさそうにしたが、隊員は皆眉間にシワを寄せて聞いていた。キアンは続けた。
「しかし学校を卒業した。きちんと習得してきているはずだ。皆もサポートしてやってくれ。」
気合いの入った表情でティオは言った。
「足を引っ張らないよう頑張ります。よろしくお願いします。」
「ティオ、6か月で一通りの仕事をやったことになる。それまではキツいと思うが、ヘコたれるんじゃないぞ。」
「はい!」
それからは、主に連携を重視したルーティンワークを体験した。第62西門援護部隊の仕事には西門の門兵、西側の壁上や周辺の警備、壁外側の水路の整備、西地区の警察、伝令などの突発的な業務、農作業等がある。外壁は15m程の高さがあるが、戦争時、牙人は水路を超えてハシゴをかけて登ってくることが想定されている。壁の上にいる分、守り手が攻め手より10倍以上有利だ。その理由は高所から弓矢で射ると強い射撃となるが、逆に高所に射ようとすると弱い射撃となることや、壁にハシゴをかけて登っている間に無防備になることから言える。破城槌によって扉をこじ開けようともするが、橋が落とされたりして攻め手が不利なのは変わりない。攻め手が諦めるような装置がこの外壁と水路である。しかし壁の上に敵味方関係無く死体が増えてしまうと足場が無くなり、守り手を配置しづらくなり、敵兵がなだれ込むようになり、守備が崩壊する。そうなると一転、外壁は民衆の逃げ場を奪い地獄を生み出す。外壁は絶対に抜かれてはいけないものなのである。死んでも守れと言われたり、死ぬ時は壁の上から落ちて敵兵を巻き添えにしろと言われたりする。敵弓兵の矢が降り注ぐ中、壁を登って来る敵兵を想定して、矢を射たり槍で突く訓練をした。平地での戦闘も想定しており、隊の中で1対1や多対1、1対多の訓練を行い、より実戦的な神契士技術の向上も目指した。隊は30名で構成されていたが、皆、何かに秀でている。そのためティオは技術的に早く追いつきたい、自分にもできるはずだという気持ちが大きくなり焦った。皆に迷惑はかけられない。そう感じて懸命に学んだ。最初の1ヶ月は大変だった。辞めたいとも思った。しかし徐々に慣れていき、6ヶ月目にはどうしたら効率よく仕事がこなせるか分かってきていた。