表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。

響と廃工場

作者: 折田高人

 夏も始まったばかりだと言うのにも拘らずの炎天下。

 初夏の風情もへったくれもない猛暑であっても、子供達は元気に外を走り回っている。

 何故なら夏休みは始まったばかり。待ちに待ったであろう長期休暇にはしゃぐ小学生達の無垢な笑顔は照り付ける太陽に負けず劣らずの眩しさだ。

 遊びまわる彼らを妬ましく思いつつ、しかしその笑顔もやがて迫りくる宿題の恐怖に押し潰されるのだと暗い嗜虐心でせせら笑う大人達。

 そんな大人げの無い連中が一時の涼を求めて足を運ぶのは、喫茶店ヴィジラントも同じ事。

 暑さにやられたらしい営業周りの社会人がアイスコーヒーを前に突っ伏していた。

 企業戦士のささやかな休息を目にしつつ、自分も金を稼ぐために頑張らねばと気持ちを新たにしている少女が一人。彼女の名は宮辺響と言った。

 響の前にはケーキセットが一つ。同寮の加藤環が幸せそうな顔で自分の分のケーキを頬張っているのを見て、響も一口。程よい甘みが口内を駆け抜けていく。金銭的な問題から普段は頼まないケーキセットを食すこの幸せは癖になる。

「それで三上様、この度はどのような御用件ですの?」

 友人である金髪青眼の美人、滋野妃がコーヒーを啜りながら訪ねる。

 彼女達の前にはかつて顔を合わせた大学生、三上甚助が微笑んでいた。

「まあ、君達も察してはいると思うんだけどね。動画配信を手伝って欲しいんだ」

「あんな目に会っておいて、まだ懲りてなかったのか?」

 いささか呆れた物言いの響であったが、怪異に出会ったトラウマから心を病まれるよりはいいだろうと安堵もしていた。

「それそれ。そこなんだよ」

 目を輝かせて身を乗り出す三上。小学生のような体躯の幼馴染である環の口を拭いてやっている長身で鮫面の男はその勢いに驚いた様子だ。

「君達……正確には摩周君、君はこの町での怪異に随分詳しいみたいじゃないか。それに、今回の配信で向かう場所はダゴン秘密教団も関っていたって言うしね。だから今回の配信、君の力を借りたいんだよ」

「成程成程。まあ、拙者は構わんでござるよ。とは言え、そんなに期待されても困るでござる。爺上殿が教団の代表ってなだけで、拙者は別に入団しておらぬ故な」

 そんな秋水の言葉に環のフォークが止まる。しっかり口のものを飲み込んでから言葉を紡いだ。

「三上にーちゃんが用があったのしゅー君だけ? じゃあ私達はなんで呼ばれたの?」

「いやいや。君達にも手を貸して欲しい。こんな言い方するとアレだけど、ウチのチャンネルってこれまで野郎三人で回してきたんだ。だから花が欲しくてさ。可愛い娘がキャーキャーしてくれると喜ばれるって言うか」

「え? お手伝いって私達ホラー動画の配信に出るんですか?」

 そう言って顔が曇るのは来栖遼。くすんだ金髪の垢抜けない印象の少女は、不安げに緑の瞳を三上に向ける。

 彼女だけは目の前のケーキセットに一切手を付けていない。三上が奢りとして勝手に注文した時から警戒していたのだが、遼以外は警戒心もなしに目の前の御馳走に食らい付いていた。秋水と環は当然、冒険好きな御嬢様である妃は端から乗り気。響などは報酬が出ると聞いてから脳内が金で満たされている始末。最後の抵抗として一人だけ甘味との誘惑と戦っていた訳であるが。

「何だ何だ? お色気要員が欲しいってのか? 妃ならともかくさ、私達じゃ分不相応じゃないか? 私は目つき悪いしタマはチンチクリンだし」

「そー言うのが良いって人もいるってしゅー君言ってたよ」

「多様性でござる」

「やかましい。タマに変な事吹き込むな」

 意外な事に響から不安が口にされた。上手くいけば依頼を断れるかもしれないと遼は期待した。しかし。

「その評価、滋野さんと比べて言ってないかい? 君達も十分見目麗しいと思うよ。それにウチの視聴者達も女っ気が無いって愚痴っていてね。最低な事をぶっちゃけてしまうと、もう女の子が出てくれるなら容姿はそれほど気にしない」

「マジで最低な意見だな。でもさ、誰でもいいなら私達じゃなくとも雇えるんじゃないか? 悪いが私は自分を安売りするつもりはないぞ?」

「……いやね。初めはウチのチャンネルでも女の子を雇っていたんだよ。でもさ、俺達って基本ガチ目の怪奇スポットに赴くわけでさ。結構危ない目にも合っている訳」

「逃げられたでござるか」

「うん。初期の段階で何人も。もう誘っても誰も了解してくれないんだよ。俺を含めたモテない野郎共の為にも、あの館で怪異に合っても平然としていられるその図太さ、買わせて下さいお願いします」

「ったく、仕方ねーな。引き受けてやるか。で、報酬はどれくらい……」

 捕食者のような満面の笑みを浮かべる響と値段交渉に入る三上を見て遼は項垂れる。結局今回も響達に同行しなければならなさそうだ。環も遼がついてくるものと当然のごとく思っているだろう。そして、人生で初めてできた友人達だけを危険な場所に向かわせる事など遼には出来ないのもまた事実。

 溜息一つ。遼は憂鬱を飲み込もうとするかのように、ようやくコーヒーに手を付けるのであった。


 澄んだ水が滔々と流れる滅三川。その流れに沿うようにその建物は建っていた。

 赤羽重工工場跡。無人のままに放置されているこの廃工場が、三上達が今回配信しようとしている怪奇スポットなのだった。

「なあ三上さんよ」

「何だい、宮辺君?」

「ホラー配信なんだろ? 夜中じゃなくていいのか?」

 空に輝く真夏の太陽。降り注ぐ光を水面に反射して滅三川がギラギラと煌いていた。

「ん~。俺も夜中にした方がいいと思ったんだけどさ、摩周君に止められてね。怪異に対しては俺たち以上に詳しいみたいだし、聞いておいた方がいいかなって」

「夜の廃工場は物理的に危ないでござるからな。足元がしかと確認できる今の時間帯が良いでござるよ。何、堅洲では昼夜問わず怪異に出会えるから時間は問題ないでござる」

「雰囲気が和らぐだけでも御の字だよ……」

 日差しを掌で遮りながら遼が廃工場を見上げる。入学当初は未知への恐怖で震えていた彼女も、余りにも頻繁に起こる怪異にすっかり慣れ切ったようだ。一学期を終えた今では不安そうな顔を見せつつも、震え一つ起こしていない。

「それで、この工場はどんな事件が起こりましたの?」

「ふむ。それはでござるな……」

 高度経済成長期。堅洲町でもその恩恵に与ろうと考えた者がいた。彼の名は米川。当時の堅洲町の町長であった。

 米川町長は堅洲を発展させるべく、当時成長著しかった赤羽重工を誘致。この工場を設立したのである。

 それに反対する一派がダゴン秘密教団だった。時期としては公害が認識され出した事もあり、工場廃液が滅三川を伝って海に流れ込む事を良しとせず抗議活動を行っていたのである。元より信者が漁師が中心のダゴン秘密教団にとっては死活問題だったのだ。

 町長はそれを必要経費と考えていた。確かに漁場は荒れるだろうが、堅洲が近代化すればそれ以上の利益がある。古臭い漁業などよりよっぽど安定して稼げる職場だって用意できる。抗議活動を行う迷信に凝り固まった連中や魚面をした不気味な漁師達も、新たな職場の方が稼げると分かれば堅洲の工業化を受け入れてくれるだろう。

 町長にはそうしなければならない理由があった。怪異と迷信のせいで人が寄り付かない堅洲。豊かな自然をアピールしても、周辺地域は魑魅魍魎が蔓延る未開の地としてしか見てくれない。自分が代表を務めるこの町の惨状をこのままにしておく訳にはいかなかった。工業化による近代化を成し遂げられれば、この町の悪評は迷信に過ぎないと人々も理解してくれるはずであった。

 近代化こそが幸せの道だと町長は考えていた。堅洲民も含めて下らぬ迷信にしがみ付いている連中の目を覚まさせなければならなかったのだ。幼い頃に堅洲を出て、成人して帰ってきた際に見た何も変わらぬ堅洲の光景。時の流れに取り残されたかのようなこの田舎町をこのままにしてはおけない。住んでいた期間こそ短いものの、ここは彼の故郷なのだ。悪評が垂れ流されるままの現状を無視できる程、米山は生まれた地に対して無関心ではなかった。

 民意と言う数の力を味方にすべく有力者達に根回しをし、老人達の迷信にうんざりしている都会化に憧れる若い住民にはメリットだけを前面に出し……ここで町長はミスを犯していた。

 町長は現代的な価値観の持ち主だった。堅洲の町長を務めながらも迷信等は欠片も信じない、科学的価値観の持ち主だった。故に見落としてしまった。堅洲には人間以外の存在が棲み付いているという事実を。

 工場の稼働は強行された。反対派を数で押さえた今、彼らの仕事を留める事は出来なかった。澄み切った川の水を汚染していく廃液を見て、老人達は恐怖に慄いた。

 悲劇が起きたのは次の日だった。工場の関係者達が自宅で遺体として発見された。死因は溺死。肺を満たしていたのは昨日川に流したはずの汚染水そのものだった。

 事件が起きても尚も工場を停止しようとしない赤羽社長の命令も長くは続かなかった。日々発見される奇怪な溺死体の数に恐怖した作業員達は次々に退職していく。加えて責任者に被害が広がった影響で工場の運営そのものが難しくなっていった。

 そして止めが訪れた。怪死事件について説明会を開いた米川町長と赤羽社長だったが、聴衆の面前にて廃液を嘔吐して溺死するという最後を辿る。その様子は大々的にテレビで放映され、ただでさえ怪奇事件で人が寄り付かない堅洲町の悪名をより強いものにしたのであった。それと同時に、流された廃液などどこ吹く風といったように澄み切った水が流れ続ける滅三川への畏怖を町民達に抱かせる事にもなったのである。

「とまあ、こんな感じでござるな」

「随分と詳しいな。お前、生まれる前の話だろ?」

「この事件の後でダゴン秘密教団への風評被害が広まって大変だったと聞いたでござるよ。何せ工場建設に反対していた魔術組織でござったからな。連続怪死事件もウチの実家の仕業と思われても仕方御座らん」

「へえ。で、本当の所はどうなんだ? 蔵人爺さん、やっちまったのか?」

「推測に過ぎないでござるが、たぶん冤罪でござるよ。確かに工場の作業員達を狙った怪死事件はウチでもやりそうでござるが、テレビの前で公開処刑なんて派手な真似はしないでござろう。爺上殿は武藤殿に恩義を感じているでござるからな。武藤殿の手を煩わせかねない派手な事件は起こさないでござろう」

「ほーん。ま、爺さん達にとっては漁場を奪おうとした憎い天敵だったって訳だ」

「いやいや。爺上達が反対したのは工場建設に関してだけでござってな。それ以外の面では寧ろ敬意を表していたでござる。都会とまではいかないけど、堅洲がそれなりに近代化できたのは米山町長が下地を整えてくれたおかげだと言っていたでござる」

 実際、米山町長は堅洲近代化の父としてその手腕を評価されているようだった。堅洲から離れたが故に怪異を迷信としか取れなかったのが彼の死因となった訳だが、しかし幼い頃にこの町を離れたからこそ近代化する為の経験を得られたと考えると、文字通り町長は堅洲発展の為の必要な犠牲ともいえる存在であった。

「じゃあ、三上にーちゃん。今日は幽霊さんを撮影するんだね」

「いや、違うよ」

「ふえ?」

「と言うか、この廃工場の歴史なんて初めて知ったよ。流石堅洲だね。町のいたる所に事故物件があるなんてさ」

「じゃあ何撮るの?」

「人狼さ」

 ぽかんとした表情を浮かべる一同に、三上は苦笑した。

「まあ、そんな顔になるよね。じつは、過去にここに忍び込んだ廃墟マニアが数人いてね。彼らの間で噂になっているんだ。人狼が出るって」

「人狼って……ここ日本ですよ?」

「でも堅洲町だしね」

「……そうでしたね」

 遠い目をする遼。そもそも、各国から様々な魔術師が来訪しては居住している堅洲町である。ちょっとした人種の坩堝とかしているこの町では、海外の怪異が棲み付いていても何ら不思議ではなかった。

 そのように廃工場前で談義していた一同に、駆け寄ってくる男が一人。日焼けした肌が眩しい筋肉質の男だった。

「お~い、三上。忍び込める場所見つけたぞ!」

「でかした村上!」

「マニア連中が言っていた通りの場所から行けそうだ。結構有名になっているってのに対策とかされてないんかね?」

「俺達には有難い事だがな。川上はどうだ? 忘れ物とかないよな?」

「機材のチェックは完了! 来栖君が手伝ってくれたおかげで調子が良い。不調だけじゃなく故障まで治せるって言うし、純粋にウチに欲しい人材だね。どう、メンバーに入らない?」

「はは……遠慮しておきます」

 眼鏡をかけた知的な雰囲気を持つ男が、外見に似つかわない陽気そうな声で遼を誘う。

 慣れたとはいえ怪異やホラーが苦手な事に変わりない遼は、ぎこちない笑顔でその提案を拒絶するのだった。


「へぇい! みんな見てるか~い? 今日のサンカミチャンネルは堅洲町からお送りするよ~! そして野郎共、驚け! 最初期以来ひっさびさ! 女の子がゲストとして来てくれましたよ! しかも四人! しかもただの女の子じゃない! あの世界的有名な大財閥、滋野財閥の御令嬢とそのお友達だ~!」

「いえ~い!」

「ですわ~!」

「今日の舞台は最近廃墟マニアの間で何かと噂になっているこの物件! 人狼が出ると言う廃工場にやって来たぞ! しかも、この工場はどうやら曰く付き! ゲストの摩周君、この廃工場の呪われた歴史の解説をお願い!」

「ふふふ……実はこの工場に勤めていた幾人もの従業員が亡くなっているのでござるよ……それも普通じゃない死に様で……」

 頬まで裂けた口からぎらつく犬歯を見せつけ、おどろおどろしい雰囲気全開で先程聞いた工場の曰くを語りだす秋水。

 おちゃらけた芝居をする三上達三人に、ノリノリで付き合う妃と環。

 そのノリについていけない遼がそっと隣を見てみると、何とか波に乗ろうとぎこちない笑みを浮かべる響の姿。苦手でも報酬分はキッチリと仕事をしようとするのが彼女のポリシーだった。

 秋水の話が終わった後、他愛のない雑談をしながら工場を散策する事となった一同。

 キャーキャーと素で盛り上がってる妃と環を若干羨ましく思いつつも、遼はこの廃工場に出入りしている者が意外と多い事に気付く。

 床に溜まった埃にはくっきりとした足跡が残っていた。三上の言う通り、廃墟マニアには有名らしい。

 天井を見上げても崩れ落ちそうな場所も崩れ落ちた場所もなく、明かりさえ持っていれば夜でも足場を気にする必要はなさそうだった。

 やがて広い作業場に出た。最早動く事の無い機械装置の数々に若干胸をときめかせつつ、自分以上に会話に入っていけない響の様子を見ていると、何時の間にか営業スマイルを解いたらしく、何時もの見慣れたしかめっ面を浮かべている。

「……響ちゃん、だいじょーぶ?」

 黙りこくった響が気になったのか、環が声を掛ける。響はそれには答えず、一同がやってきた後方の虚空に語り掛けた。

「素人かよお前。姿が見えないからって調子に乗ってるのか? 気配まで消さないとついてきてるのバレバレだぞ」

「え? 宮辺君、それどういう……」

 三上の言葉は続かない。振り向いたその空間が響の声に応えるかのように揺らめいた。

 陽炎のような靄が集っていく。それは段々と形を成し、歪な人型となって姿を現した。

「ヒッ……!」

 遼が嫌悪感から悲鳴を洩らす。

 目の前に現れたのは恵比寿だった。膨れ上がり変色した体には作業着と思わしきズボンを纏うのみ。ブヨブヨと弛緩した上半身に蠢くのは無数の溺死者の顔。妬ましそうなそれらの視線が一人の男に注がれている。

 怪死した亡霊の集合体。その無数の口がゴボゴボと音を立てて開かれた。

『……ま……しゅう』

「ござる?」

『何をしに来た、摩周の一族……俺達が死してなお、ダゴン秘密教団は海を汚した事を許しはしないと言うのか』

 水死体を思わせるその亡霊は、不気味な外観に似合わず怯えているようだった。紛れもない恐怖の感情が見て取れる。

「……あー……亡くなったここの作業員殿でござるか? 拙者は別に何かしようなどとは……」

『かくなる上は……殺された俺達の怨念をここに集結し……貴様を道連れに……』

 決死の覚悟を決めた様子で秋水に迫りくる陸恵比寿。どうしたものかと悩む秋水の前に飛び込んでくる者があった。

 環であった。

「えい」

『待って無理やりお腹押さないでてかなんで霊に触れるのオロロロ……』

 無数の口から押し出される不気味な色をした汚水が噴出されては床に着く前に虚空に消える。亡霊なのにゼイゼイと息を落ち着かせている陸恵比寿に、環は手を腰に当ててプリプリした様子で注意した。

「もう、おじさん達。大人なんだからお話ちゃんと聞きなよ」

 腹に溜まった汚水を一通り外に出したおかげで落ち着いたのか、陸恵比寿はこちらの話を聞くつもりになったらしい。コクコクと頭を縦に振った。

「拙者、確かに摩周の血族でござるが、教団には入団しておらんでござる。そもそも、ダゴン秘密教団がお主達を呪った証拠など無いのでござろう?」

『むう……』

「第一、ウチがそんな手段を選ばない教団だったなら汚水を流される前に呪っているでござるよ。いちいち抗議デモをした後に呪殺なんて疑いが向くような真似をすると思えるでござるか?」

『じゃあ、俺達は何に殺されたんだ?』

「それは何とも……川や海を縄張りにしているのはダゴン秘密教団だけではござらんからな」

『確かに、ダゴン秘密教団やこの町の老人達からは忠告されていたが……迷信だと思って気にしていなかったんだ。まさか本当に呪いがあるなんて、死したこの身になるまではとても信じられなかった』

「自業自得じゃねーか、レギオンのおっさん……悪かった悪かった。謝るからそんなに落ち込むなレギオっさん」

 響の心ない言葉に目に見えてシュンと項垂れる陸恵比寿。元々彼らは雇われた身の上である。連続溺死事件が起こる最中でも工場を離れなかったあたり、上に逆らうなど到底出来なかったであろう。稼がねば生きていけない企業戦士の悲しい現実に、借金まみれの響は憐れみと共感を覚えるのだった。


『して、君達は何をしに来たのかね? 何だか若い子が時折ここを訪れては楽しそうにしているのを見てきたんだが……』

「動画配信ですよ。俺ら、これで食っていくつもりなんです」

『動画……?』

 インターネットなど無い時代の人間の集合体である陸恵比寿。体中の顔が不思議そうな表情を浮かべている。とは言え、流石は社会経験も豊富な大人達。三上の説明を聞いてあっさりと理解ができたようだ。

『今では一般人でも番組が作れるのか……でも、儲かるのかい? とても収入が安定しているようには思えないが……真面目に働いた方が良いのでは?』

「すんません人生の先輩方。その言葉はグサッとくるので勘弁してください」

 初めはそのおどろおどろしい外見に怯えていた三上達も、真っ当な受け答えをしてくる陸恵比寿の人柄を理解したのか、すっかり恐怖心が無くなっているようだった。

 そもそも、この悍ましい外見は秋水に……正確に言えばダゴン秘密教団に対抗する為に複数の亡霊が協力してとっている形態らしく、驚かす以外の意味合いは薄いとの事だった。

 何より、亡霊達は基本的に生者の前に実体化しないようにしていたようだ。楽しそうに訪れた者を驚かせてはいけないと空気を読んでいたようだが、肝試しをしに来た連中にとってそれは良い事なのか悪い事なのか。

「そんで、先輩方に聞きたい事があるんですけど。この廃工場、人狼が出るって噂があるんですけど本当ですか?」

『人狼……狼男って奴かい? さあ、俺達は見た事がないな……ただ、ここを訪れた若い子達が酷く怯えた様子で出口に逃げていくのを何度か見かけたが……』

「調べなかったんすか?」

『いやね、気にはなっていたんだよ。でもね、魂に刻まれた言葉が囁くんだ。勝手に持ち場を離れるなってね』

「……大変っすね、社会人って」

『まあ、もう工場は閉鎖しているし、移動しても問題ないんだがね。案内しようか? ほら、そこの通路の奥から……』

 その時だった。何かが崩れる大きな音が工場内に響き渡った。一体何事かと一同が顔を見合わせる。

『すまない、ちょっと様子を見てくるよ。その奥に向かうなら気を付けて行っておいで』

「俺も気になりますね……村上、川上、お前らはどうだ?」

「俺は人狼の方が気になるな。真宗も足元が危険かもしれないって言っていたし、行く必要ないんじゃないか?」

「僕も村上に賛成かな。霊的な危険には退く気はないけどさ、物理的な危険には正直関わり合いになりたくないな」

「う~ん。ニ対一か……しょうがないな……」

 後ろ髪を引かれる様子の三上に対し、遼はおずおずと手を上げる。

「あの……ビデオカメラ、予備を持ってきていますよね? 良かったら私が撮影しましょうか?」

「来栖君、いいのかい? 確かにそれなら二手に分かれられるが……」

「はい。操作の方法は川上さんに教わりましたし……動画に映るよりは撮る方が気が楽と言うか……」

「いや、本当に気が利くよ。来栖君、割と本気なんだけどさ、マジでウチ来ない? 無理強いはしないけどさ、本当に君の腕があると助かるんだけどな」

「ははは……」

 曖昧な笑みではにかみつつ、遼は川上から手渡された予備のビデオカメラを起動させる。

「そんじゃあ俺は音のした方を調べてくる。何かあったらここで合流って事で」

「了解だ」

「気を付けてな」


 閉ざされた一室。音は確かにここから聞こえてきた。

 陸恵比寿が扉をすり抜けて部屋の中に入ると、『うおっ』と声をあげる。

 鍵は掛かっていなかった。三上が扉を開けると、もうもうと埃が舞い上がる中で陸恵比寿が佇んでいる。

 その視線の先……無機質だった床には大きな穴が開いていた。

『おかしいな……別に床が落ちそうな兆候はなかったのに……て言うかこんな深そうな穴、建設前に埋められているはずなんだけ……』

 陸恵比寿は言葉を飲んだ。

 宙に舞う埃が床に落ち着いてくる中、三上は確かにそれを見たのだ。穴から這い上がってくる異形の存在を。

 まるで犬のような生き物だった。毛が生えた犬そのものに見えたが、それはまるで人の様に服を纏い、二足歩行している。

 怪物の怪訝そうな瞳が三上達を捉えた。

 埃が晴れると同時に、怪物が顎を開く。

「お前ら、何でこんな所にいるんだ?」

 その言葉に答えたのは、三上についてきた秋水達だった。

「仕事でござるよ、夜叉丸殿」

「わ~。やっくんしゅっとしたね~」

「夏毛だからな。最近はこれでも熱くていけない」

 身を乗り出してきた犬怪人は、三上達には目もくれずに秋水、環と親し気に談笑している。

 ビデオを回しながらも、遼は友人達に問うた。

「えっと……お知り合い?」

「そーだよ! やっくんって言うんだよ!」

「夜叉丸殿は拙者とタマキチ殿とは幼馴染でござってな」

「まあ、腐れ縁だな……何? ビデオ撮影? ポーズとか決めた方がいいか?」

 そう言ってピースサインを向けてくる犬人間に、陸恵比寿は困った顔をして告げる。

『君……この大穴、君が開けたのか? 困るよ、廃工場とは言え人の出入りはあるんだから……』

「あー。すまん。薄い木の板一枚で塞がっていたからつい開けてしまってな」

『まさかの手抜き工事……!』

 地下に繋がる大穴を、上に床を補強するとは言え薄板一枚敷いただけで誤魔化していたという杜撰な仕事に、陸恵比寿の顔達の開いた口が塞がらない。

 そんな大穴から、更に這い上がってくる者達が居た。犬人間ではなく、普通の人間……それも、秋水達と同年代の男子に見える。

「加藤に来栖?」

「お、本当だ。やっほうお嬢さん方、元気しているかい?」

「三原さんに檜貝さん? 何で穴の中から……」

「何でって、地下探索。どうにも堅洲ってこういう地下通路で繋がっているらしくてな。気になって調べているんだ」

「って言うか夜叉丸君、環ちゃんと知り合いだったんだねえ。世の中案外狭いなあ」

 本当に世の中は狭いようだ。遼はそう思いながらも撮影を続ける。

『なあ三上君。これって……』

「ええ、そうっすね。この廃工場に出る人狼って彼の事みたいっすね」

『案外簡単に解決したなあ……』

 そんな三上と陸恵比寿の言葉に、夜叉丸達はポカンとした表情を向ける。

「どうしたんだい? 意外そうな顔をして……」

「いや。廃工場に出る人狼って何? 何の事だ、タマ?」

「やっくん、ここを探索中に人に見られていたんでしょ? 人狼が出るって噂になってるよ?」

「……それはおかしいぞ、加藤」

「ふえ?」

「環ちゃん、この通路が開通したの、ついさっきなんだよ。僕達がここに足を踏み入れたのはこれが初めてなんだ」

 夜叉丸は檜貝の言葉に頷いている。嘘はついていないようだ。

『じゃあ、ここに出る人狼って一体……』

 陸恵比寿の疑問の声は、鳴り響く絶叫によって搔き消された。


「逃げろ! 逃げるんだ皆! ちょっとちょっとお嬢さん方、何でそんな冷静なの? 特に滋野のお嬢様! 目を輝かせてないで前を見て走って!」

 焦る村上の声を適度に聞き流しつつ、響は足を止めずに後ろを振り返る。

 迫るのは獣の牙。薄暗い工場内で爛々と光る双眸。ボロボロの軍服らしきものを身に着けたそれは、まごう事無き人狼だった。

 栄養失調なのだろうか、毛皮の上からでも痩せているのが良く分かる。体力も落ちているようで、非力なはずの人間の脚力に対しても、ふら付く脚でどうにか追い付こうと必死な様子。

 吠える気力もないのだろうか、ぜえぜえと苦しそうな息に合わせて膨らんだ胸部が蠢動している。

「人狼っているから狼男って思ってたけどさ、先入観って怖いな」

「ですわね。レディに対して失礼でしたわね」

「だから何で落ち着いてんの? 人狼の胸を注視する余裕なんてないでしょ! 何なの? 思春期男子なの? あれもの凄く飢えてるよ! 食われるよ! 性的にではなく物理的に!」

「それでも……賭ける価値があるかもしれない……何てな」

「ねーよ川上! お前はビデオ回し続けろ! 俺達はお嬢さん達の壁になりつつ逃げるんだ! 絶対に守り切るぞ!」

「承知してるよ。だからこうやってカメラを回して気を紛らわしているんだ。本当は放り出して一番に逃げ出したいけどね」

「よしよし! いい子だよお前は。絶対生き残ってスクープ持ち帰るぞ!」

 命の危機に陥っているのにも拘らず、女子を生き残らせようと壁になる男気を見せつつ野次馬根性も爆発させている二人の男に感心しつつ、どうしたものかと響は思案する。

 響ならば、あの狼女を撃退する事が可能である。魔術が使えれば、の話であるが。

 人間が魔術を使用するには集中力と平静心が必要だ。加えて、肉体に荒れ狂う魔力に耐える為にも体調も万全である事が望ましい。

 堅洲町で過ごした一学期、僅かな期間で無数の怪異に遭遇していた響にとって、今の状況でも集中力も平静心は途切れる事はなかった。問題は体調の方である。全力疾走している今、心臓の鼓動が激しく息も上がり気味。これでは落ち着いて呪文の詠唱ができそうにもない。相手が弱っているとはいえ、流村上達を盾にのうのうと詠唱する気は流石に起きない。そもそも、飢えた獣に対峙した時点で一般人二人では壁にすらならないのは容易に想像できる事だった。

「ヒビキちゃーん! だいじょーぶー?」

 村上の絶叫を聞きつけたのだろう、離れた通路の先から環の声が聞こえてきた。

 こちらを覗き込んで驚いている様子である。響としても、見知らぬ犬人間と一緒の環を見て驚きたくもあったが、環も秋水も気にした様子が無いという事は、響の後ろから迫る奴と違って犬人間に敵意は無いのだろう。何故か一緒にいる同級生二人も気にはなったが、今はそんな余裕は無い。

 響達の背後から迫る人狼に慌てているらしい三上と陸恵比寿を押し退けて、環が前に出た。小さな掌を空に向けると、そこに菫色に光る球体が生み出される。

「ヒビキちゃーん!」

「ナイスだタマ! お前ら、合図をしたら左右に分かれて耳を塞げ!」

 薄く輝く響の掌を見て察した響が檄を飛ばす。一、二の三と合図が出されると同時に、響の指示通りに村上達は左右に飛びのき地面に伏せた。

 次の瞬間、人狼に直撃する菫色の球体。見事な投球フォームで放たれたそれは、人狼にぶつかると同時に破裂して空気を震わせる轟音を立てながら爆発した。

 ビリビリと震える空気を感じつつ、地に伏せていた響達が立ち上がると、そこには目を回して気絶している人狼の姿があった。


 吹き飛んでいた意識が次第に目覚めつつあった。

 遠くから聞こえてくるのは男女の言い争う声。ただひたすら弁明する男の情けない声が、人狼の意識を現に引き上げる。

 一体何があったのか、混乱している頭を働かせて思い出す。目の前に飛来した奇妙な球体。それが爆発して……。

 自分の意識が飛んだ理由をはっきりと思い出した。周りに群がる男女を確認し、飛びのいて逃げようとしたが体が動かない。拘束されているようだった。

「だ~か~ら! 拙者ではござらん!」

「嘘つけ! お前意外に誰がタマにこんなアホな事教える奴がいるんだ!」

「濡れ衣でござる! 濡れ衣でござるよ~! タマキチ殿、助けて欲しいでござる~!」

 言い争うのは響と秋水。騒々しいその様子を視界に入れつつも人狼は気付く。自信を拘束したと思われる連中の……特に男連中の視線が不自然に自分から外されていた。どことなく頬が赤い。

「タマ。本当にこの縛り方、秋水の入知恵じゃないんだな?」

「そーだよ! この縛り方はせんせーから教わったんだよ!」

「ほら~! だから言ったでござろう! 拙者ではないって!」

「……あのクソ牧師……いっぺんしめた方がよさそうだな」

 わなわなと怒りに震える響の拳。普段は響達のストッパーとなっている遼も、顔を赤らめながら頷いている。

 このようなやり取りをしかし、人狼は理解できなかった。彼女には日本語が分からなかったのだ。当然、自分を拘束している縄の型が日本では亀甲縛りと呼ばれている事も分かっていなかった。

「あら、狼さんが目を覚ましたようですわよ?」

 卑猥な緊縛姿から目を逸らしていた一同に反して、人狼という存在の珍しさから性的な意味ではなく興奮した様子で観察していたらしい妃の言葉。

 いかに人狼であっても、栄養失調で弱った身体ではこの人数相手には抵抗できそうもない。観念した様子で降参の意思を伝える。

「……なんて言ってるの?」

「ドイツ語、だね。参ったって言ってるよ」

 人狼の言葉から、彼女が抵抗する気が無い事を悟った三上は不慣れなドイツ語で彼女にインタビューを始めた。出来る限り六角形に彩られた彼女の身体から視界を逸らしつつ、だったが。

「う~ん?」

「三上にーちゃん、何か分かった?」

「どうにもこうにも……何だか脱走者を追って来たとか、部隊が壊滅したとか、ドッペルクロイツとか……」

「ドッペルクロイツでござるか?」

「知っているのかい、摩周君?」

「ちょっと失礼……これでござるか?」

 秋水がメモ用紙にペンを走らせ描いた形は、一同もよく見知ったものだった。

 ハーケンクロイツ……ナチスの鉤十字である。それが二つ、重なり合っている。

 それを見て頷く人狼に、秋水は渋い顔を返した。

「何々? 本当にナチスの人狼なのか? そんなB級映画みたいな……」

「ナチス……ナチスと言っていいのでござろうか……残党である事に間違いはないのでござるが……」

 双十字党。元々はナチスの兵器開発を担う一部門であり、魔術儀式と人体実験を基に生物兵器を生み出す為に設立されたものだ。

 三上達の捕囚となっている人狼もその部署で生まれており、捕食した人間に擬態して情報収集や破壊工作を行う特殊工作員として生み出された生物兵器であるらしい。

 初めはナチスに言われるがままに生物兵器を生産していたこの部門であったが、戦局の悪化が切欠でナチスの制御から外れて暴走を始めるようになった。

 状況をひっくり返せる切り札のような兵器を受注されたのをいい事に、とある計画を打ち立てたのだ。

 それが強化兵士を越えた全く新しい超兵士の創造計画である。

 これまでの戦線で極秘裏に投入されていた強化兵士が既存の人類を投薬等の技術で人工的に強化したものであるのに対し、この計画で創造される超兵士は全く新たな人種……まさに新人類であった。

 はるか昔、人間を生み出したという海百合状の知的生物の技術を用いて生み出された新人類。単体で中隊規模の戦力を蹴散らす事の出来る強化兵士ですら、超兵士の試験体は赤子の手を捻るが如く容易く制圧して見せたのである。

 その圧倒的な力に、しかしナチスは良い顔をしなかった。

「なんで? なちすが危ない状況なんだから、つよつよな兵士さんは喜ばれるんじゃないの?」

「ナチスってのはアーリア人凄い! アーリア人最高! アーリア人こそ世界の支配者! てな考えがあるでござるからな~。そんな中で拙者達、アーリア人より凄い新人類創れるでござるよ! こいつに比べたらアーリア人も含めた現生人種何てクソ雑魚同然デュフフフフ! なんて事言い出されたら面白くないでござろう?」

 自分達にとって代わりかねない新人種の創造に対してナチスは終始否定的であった。しかし、これまでのような現生人種をベースとした強化兵士では覆せない状況に陥った彼らには、いかに危険思想の持ち主達とは言えども彼ら研究者を処分する訳にはいかなかった。

 何せ、彼らでなければ生物兵器の製造はままならない。初めは銃と権力で脅す事でどうにか従わせていたナチスだったが、蓄積された技術という替えの効かない経験知識を盾に取られ、一発逆転に賭けざるを得ない状況に陥った事よって、研究者達との立場が完全に逆転してしまっていた。

 ここに来てナチスは致命的なミスを犯していた。ナチスはこの部門を切り捨てる事は出来なかったが、研究者達もまたナチス以外に頼る事の出来る雇い主は存在しないだろうと考えていたのである。研究者達が外道極まる人体実験を実践者してきた以上、敗戦してその罪状が明らかになれば世間が許してくれないだろう。彼らが思うがままに研究を続けるには、もはやナチスを勝利に導く他にない。

 だが、その判断は誤りだった。一蓮托生かに思えた研究者達は新人類の創造に消極的なナチスを既に見限っていたのだ。初めは脅されるがままに強制されて研究を始めていた彼らだが、最早ナチスなしでも独立してやっていけるだけの知識と財力を水面下で密かに身につけていた。後は資材と研究結果を安全に持ち出す事さえできれば、ナチスの下で抑圧された研究を続ける必要はなくなっていたのである。

 ある日、ナチスの高官達が目にしたのはもぬけの殻となった研究所。戦況打開の為の頼りの綱だった生物兵器は軒並み持ち去られていた。

 やがて、第二次世界大戦は終結する。ナチスの崩壊は、恐るべきマッドサイエンティストを世に解き放つ狼煙となったのだった。

「……随分詳しいな? そんな秘密結社の事、何でお前が知ってるんだよ?」

「ロビン殿から聞いたでござるよ。北極でナチスの残党とやり合ったって。武藤家の皆も手を貸したそうでござるな。ナチスから色々と機材をちょろまかしていたらしくて、暦殿がお礼に紅葉を一機貰ったって喜んでいたでござる」

「ゆんぐまーん! 私も乗せてもらったよ~!」

「ナチス残党とやり合った? でもロビンの奴はピンピンしている……って事は」

「御明察でござる。もうとっくに双十字党は崩壊しているでござるよ。所詮は頭でっかちの研究者集団、車輪党の魔女達に加えて数世紀もの実戦経験を持つ武藤家の協力もあったなら勝てないのは道理でござるな」

 なるほど、と響は考える。この人狼は本来スパイの様な特殊工作員らしいが、話を聞くに脱走者の追撃という想定の範囲外の運用をされていたようだ。上官が運用方法を理解していないのか、それとも運用方法を無視しなければならない程に戦力が逼迫していたのかは分からないが、それでは怪異相手に数百年もの実戦を繰り広げてきた武闘派連中に敵わなくても不思議ではないだろう。

 三上が双十字党の崩壊を伝えると、人狼は酷く狼狽した様子を見せた。人間達に創られていいように利用されてきた彼女にとって党の崩壊そのものは心に響かなかったものの、かと言って彼女が帰れる場所はそこしかなかったのだ。

 果たしてどうしたものか。そんな中、手を差し伸べたのは夜叉丸であった。


 後日。此度の撮影の反省会を開くのでよかったら来て欲しいと三上達に誘われた響達は、喫茶ヴィジラントにて集まっていた。

 貸切られたテーブルに並ぶの軽食の数々。奢りとあっては黙っていない響は環と共に遠慮も無しにサンドイッチを貪っている。

「いや、有難い! 久しぶりの女の子のゲスト会って事で再生数も伸びる伸びる! さあ、遼君も存分に食べてくれたまえ」

「あはは。ちゃんと食べてますよ」

「本当に助かったよ。動画の編集まで手伝ってくれるなんてさ。有難う遼君」

 仕事が終わって一安心といったところか、遼の顔も晴れやかだ。

 スクープたっぷりの取材を終えた三上達だったが、その動画の公開に待ったをかける者がいた。夜叉丸である。

 気軽にピースなんぞをしていた彼であったが、彼はこの動画撮影をカルト組織の依頼だと思い込んでいたようで、一般に向けての動画公開があると聞くと途端に反対してきたのだ。

 無理もない。彼ら食屍鬼達は人に隠れてひっそり生きてきたのである。それがバレる事だけは何とか避けたいようだった。

 加えて夜叉丸の世話になる事に決めた人狼も、出来ればこれからの人生を過ごす事になる隠れ家を人目に触れさせたくないと懇願してきた。

 三上は彼らの意見を尊重する事にした。スクープならば陸恵比寿との交流で十分すぎる程おつりがくる。食屍鬼に関しての情報さえ出さなければ、人狼もそのまま動画を使ってい良いと言ってくれた。

 結果、夜叉丸に関する情報だけを編集で見事に隠し、ついでに人狼に頼んで縄から抜け出して逃走する芝居を撮影。一度人狼を捕らえたものの逃げられたという筋書きで動画公開に至ったのであった。

「来た来た来た! 来ましたわ、響さん! 貴女のファンがまた増えましたわ!」

「へいへい」

 妃は動画に寄せられたコメントを楽しそうに確認していた。自分への評価は興味がないのに、友人が評価されるのはとても嬉しいらしい。此度の撮影に参加した女子四人の中で一番ファンが少なかった響の評価に一喜一憂しているようだ。

 ちなみに妃は一番ファンが多くついた。完璧なルックスと美声から繰り出される素っ頓狂な振る舞いが受けているらしい。

 動画の評判は上々で、視聴者からもまた再登場して欲しいと要求が来ている。三上達からも、出来れば次の動画も手伝ってほしいと頼まれた。本命はゲスト以外の仕事もしっかりこなした遼なのだろうが、頼られて悪い気はしない。

 報酬も良いし、奢りにもありつける。新たなる収入源の発掘に、響は満足そうな笑みを浮かべるのであった。


 余談だが。

 この動画の公開後、件の廃工場は人気の肝試しスポットとして脚光を浴びる事になった。

 公開後に最初に訪れたのは、心霊現象をトリックと考える動画投稿者の一団だったが、普通に会話してきた作業員の亡霊達を見て本物だと確信。「嘘だと思うなら訪れてみろ」との感想を述べた事によって全国津々浦々から廃墟に訪れる若者達が殺到、堅洲の財源をそれなりに潤す事となった。

 廃工場に住まう陸恵比寿達はホラーなサービスをしてくれるだけでなく、本当に危険な行為に対してはしっかり忠告してくれる事から霊が出ても安心できると人気である。

 いつしかこの廃工場の亡霊達は、動画での響の発言に習って「廃工場のレギオっさん」として親しまれる事になるのだが、それはいずれ来る未来の話である。

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ