第5話『噴水広場の変質者』
熱い。
泡を立てながらボロボロと肉が崩れる。
死。
全てを消し去る白滅に、それを幻視する。
おれは…
そんな、終わりゆく愛しい世界で、
―――『またね』
柔らかな輪郭との目契を結んだ気がした。
◆
「うわああああ!ゲホッ…ゴホッ!」
目を開いた。
広がるそこは、青い空と白い石材。中世ヨーロッパ風のファンタジックな街並み。すぐそばでは噴水からの水しぶきが、太陽の光をきらきらと反射している。
ここは幻想の日常風景、ラニエットの噴水広場だ。
「ハァ…ハァ…」
おれはさっき死んだ。だけど、今ここにいる。
「うっ…」
熱と恐怖がフラッシュバックする。
おれは頭を振ってその光景をかき消すが、不快な感覚はすぐには消えてくれない。油汚れみたいだ。
見失いかけた視界を手繰り寄せ、自分の存在を再度確かめる。
「…大丈夫、死んでない」
矛盾を孕んだ幻想を、むりくり喉の奥に流し込んだ。
周囲を見ると、今ログインしてきたプレイヤーや、休憩中のプレイヤーが、いきなり叫んでむせだした滑稽な青年を「クスクス」と笑って見ていた。
「はははは…」
浴びる視線をぎこちない笑顔でやり過ごし、早くこの場から逃げようとしたところで、見慣れた金髪キノコスタイルの頭が跳ねながら近づいてくる。キノヒコだ。
「くそ~!負けちゃったね~…ボクら今作で記念すべき初の【デス】なんじゃない?」
「到底、記念する気にはなれないけどな」
おれは嬉々とした笑顔でこっちにやってくるキノヒコを見て自分を殺した魔物を思い出す。
「ホレブレーゼ…」
人語を操る初見の魔物は最後にそう名乗った。
他の魔物とは一線を画すような威圧感だった。一瞬で焼き殺されたから、どんな魔物なのかよくわからないけれど、その姿は明らかに異質だった。
「アイツ喋ってたね!あんなふうに喋る魔物もいるんだな~。進化したなぁ、Phantom Rift Online。ハルキ、今度戦う時は話しかけてみてよ」
「いやです。出会って2秒で焼き殺してくるようなヤバイやつとお話しすることなんてありません」
「えぇ〜意外にお話ししてくれるかもよ?次は命乞いとかしてみたら?」
「死にかけ前提なのやめて!?」
「あはは、でも実際めちゃくちゃ強そうだったよね」
「雰囲気的にあのホレブレーゼってのが『火災の原因』だろうな。ギルドクエストの討伐対象っていうんなら、おれら二人じゃとても敵う相手じゃない」
人語を話し、前作でも見たことのない未知の魔物…要素的には間違いなくボス級。
ギルドクエストの討伐対象なら、基本的にはガチガチに対策をした前衛中衛後衛で構成されたフルパーティで挑んでやっと倒せるといった感じの強さだろう。
「灼熱地獄はもう堪能したし、今日は海でも行って魚釣りでもしようぜ」
あんな魔物、おれにはどうしようもない。無謀な挑戦のためにまたあの燃える森に行くなんて、やだやだ。ギルドクエストなら誰かがやっといてくれ。
おれはこの美しいヨルズローグでふんわりマイペースに冒険ができればいいんだ。
「―――急に変なこと言わないでよハルキ、負けたまま終わるわけないでしょ」
傾ぐ首、月面に凪ぐ瞳、一ミリの揺らぎもないトーン。
どんな苦難を前にしても微動だにしない彼の常識が、当たり前のようにおれを突きさす。
『勝利』、それがプレイヤーの運命であり、ゲームの理。
銀色の鏡面に『おれ』が映る。
そんな目で見ないでくれ。おまえの気持ちは分からなくもないけど…
「いやおれはさ…」
「あとハルキ…ククッ、魚釣りも…プクク…やめといたほうがいいよ」
逃げようとするおれの言葉は刈り取られ、世界に届かない。
そして、なぜかキノヒコは我慢してた笑いが零れるように吹き出しながら話す。
「なんだよ怖ーな、おれが魚釣り行くことがそんなに変か?」
「ごめん、ちょっともう我慢できないっあはははっ、クククッ…ホントに気付いてないんだ。ハルキのことだから、どうせインターフェイスとかインナー設定とか見てないんだろけどさ~」
ついにはダムが決壊したように笑いを漏らすキノヒコ。『気づく』って何に?インナー設定って何?『?』が尽きないおれを置き去りに続ける。
「そういう『癖』の人だと思われるって~」
「キノヒコが『急に変なこと言わないでよ』、なんだけど?」
おれはさっき言われた言葉をそのまま引用する。
めちゃツボってるキノヒコ。膝に手を当てて小さい体を丸めて笑っている。
おれはよくわからない気持ちで、笑ってるキノヒコの姿を一望する。
…あれ?なんか違和感あるな。
キノヒコのシルエットがどうもすっきりして見えるような…
なにか、大切なアイデンティティを失っているような…、あ。
「あれ、キノヒコおまえシールドどうした?」
キノヒコの背中にはいつも見慣れた大きくて丸いシールドがない。さっきのファイアスライムとの闘いでもおれたちを守ってくれた彼の愛用品のはず。
「あはははっ、それは気づくんだ!もう、ボクが恥ずかしくなってきたから言うけど」
キノヒコが身体を曲げたまま、笑い涙を浮かべた顔をこちらに向けて続ける。
「ハルキ防具全ロスしてるからね」
「……え?」
時が止まる。
嘘だろ。
おれはごくりと唾を飲み込み、おそるおそる自分を見下ろすと、なぜかベージュが飛び込んできた。
ここはたくさんの人が行き交うラニエットの中心、噴水広場。
そしてそこで堂々と仁王立ちをしてキノヒコと会話していたおれは…なぜかパンツ一丁に全裸にダガーを刺した変質者だった。
「はァーー!?!?!ばかばかばか!気が付いてたならもっと早く言えよ!!」
「あははははっ!ごめん、つい面白くてさ~!」
こいつ!!まじであとで教育する!心のノート読ます!
恥ずかしさと鬼の子への怒りと防具ロストした哀しさと驚き全部ひっくるめた恥怒哀愕がぐちゃぐちゃになる。リスポーンしてきてすぐの周囲からの視線には大声以外にも要因があったのだと、今さらどうでもいい合点がいく。
とりあえず、まずは変質者にならないために何か身体を隠せるようなアイテムを!
おれは感情に突き動かされる選択肢の中から最優先事項を選び出し、何かないかとインベントリを開く。
そしてその瞬間におれは再び衝撃の事実に叩きのめされ頭が真っ白になるのだった。
「…え、おい…嘘だろなんでインベントリがからっぽなんだよ…!?」
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【デス】
≪発生≫
HPが0になった時
≪詳細≫
強制的に最寄りのリスポーンポイントへ転送される
【デスペナルティ】
≪詳細≫
デス発生時、対象プレイヤーに課されるペナルティ。
≪効果≫
耐久値が一定以下の装備品のロスト
インベントリ内のアイテムのロスト
インベントリ内の通貨Gの25%のロスト
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さっきアイズナ森林で拾った魔物のドロップアイテムや、回復ポーション、あと雑多にごちゃごちゃ入っていたアイテムが全部すっぽり無くなっている!?
しかも、ちまちま稼いでいたお金も十万Gくらい減ってるじゃないか。
デスペナルティ重すぎるだろ…!?
「そんな…前作はもっとこう手心があったじゃん…」
「痛くなくてはなんとやらだよ。このくらいリスクついてないと、前作みたいに攻撃的なプレイスタイルとか職業ばっかり評価されちゃうからね~」
キノヒコに正論で反駁される。いや、そうかもしれないけどさ…ちがうじゃん。そういうことが聞きたいんじゃないの!おれの絶望と悲遇に共感してほしいの!と、おれはメンヘラ彼女になりかける。
「それ、前作で暴れすぎて変なあだ名つけられてたのに、今も懲りずに好戦的な人が言っても、あんまり説得力ないけどね!」
「え~!だからこそボクはハルキと組んでるのに!」
キノヒコはむすっとするが、いつもの仕返しだ。
たしかにキノヒコの言う通り、デスペナルティが重くなったことにより、これを避けたいという気持ちが、プレイヤーの生存本能を引き立てて、前作より幅広いプレイスタイルが生まれている側面はあるだろう。
そして、こういうファイナンシャルなリスクに加えて、強制的に味わされるリアルな臨死体験も十分にペナルティと言える程、無理な戦闘へのディスインセンティブとして働いてると思う。
それが全く効いてない人がすぐ目の前にいるけど…
実際、Phantom Rift Online 2のプレイヤーの中には、近接戦闘が怖くてできないという声が多く、神官などのヒーラーや鍛冶師などの非戦闘職をメインジョブとしてる人が多い。
おれが初期職業として盗賊を選んでいるのも、身軽で攻撃を避けやすいからだ。騎士や戦士みたいに真正面から攻撃を受け止めるなんて、絶対に御免だね。なにもこれはおれに限ったことではない。実際、Phantom Rift Online 2のパーティ募集では前衛職が常時人手不足という状況があったりする。
ソロでの戦闘がかなり過酷なこのゲームにおいて、キノヒコのように好んで前衛を張ってくれるプレイヤーが身内にいるというのは、ありがたいことなのだ。
…ってそんな余計なこと考えてる暇はない!!
おれは今噴水広場でパンツ一丁。はやく装備屋に駆けこまないと!
NPCが経営する装備屋、武器屋、道具屋などはこの噴水広場に面して設置されている。
「キノヒコ!ダッシュで装備屋行くぞ!」
おれは噴水広場を駆け抜けようと、一歩踏み込む。
ゲーム内のステータスに強化された脚力によって、おれは街中を突っ切る風になろうと…
…いやちょっと待てよ。おれ今パンツ一丁だよな。パンツ一丁で全力疾走する人のほうがより目立つのでは…?
いや、でも一秒でも早く服を着たい。
が、それによりたくさんの人の目に移ったら本末転倒じゃないか…!
なんだこの望まぬ露出のジレンマ。おれはどうすれば…
思考が加速し、世界の時間が引き延ばされようとしたその時―――
「ややや!そこのボーイズ、お困りのようだね」
溌溂とした女性の声が思考に挟みこまれた。おれは走ろうと踏み込んだ姿勢で静止し、声の主を見上げる。
藤色の長い髪が草原を走るようになびいていた。高い位置から照りつける陽光をその人は眩しそうに手で遮る。生まれる影は藤色の瞳を覆い、その視線をにこやかに保存していた。
「いえ、噴水広場をパンツ一丁で走るのが彼のロールプレイなんです」
「ンなわけあるか!『ハラスメント行為』で通報されるわ!」
「ややや!愉快なボーイズだね!身を隠すローブをあげようと思ったのだけれど、そういうプレイだったのなら、無用の長物のようだ。良きヨルズローグライフを楽しみたまえ」
彼女は何か盛大な勘違いをしてそうなセリフを残し、長い髪をたなびかせながら踵を返すと、おれたちから離れて行こうと足を踏み出す。
てかなんでこの悪魔の言うことを信じる!?
「ちょっと待って!ちょっと待って!」
おれは目の前に垂らされた糸に必死に縋くように彼女を呼び止めた。
ここが地獄だったなら、今のおれは迷いなくカンダタを突き転ばせただろう。
キノヒコは自発的に横で笑い転げてたけど。こいつ…!
「ハッハ!冗談さ、セクシーなボーイ。ほら、使うんだ」
その女神は分かっていたさ、とすぐに振り向くと、おれの目の前に畳まれたピンクの可愛らしいローブを差し出した。ローブの生地は少しずつ色の違う茶色の生地が縫い合わせられたパッチワークになっており、その生地の違いから生まれるランダムな柄がかわいかった。縫い目などは綺麗に織り込まれ、丁寧に仕立てられていることがわかる。
それを差し出す彼女は、大人しめの紺色の服を着ていたため、なんだか意外なカラーリングだなと一瞬思ったけれど、そんなことは今はどうでもいい!
おれはわなわなと震える手でそれを受け取る。もちろん受け取り方は卒業証書を受け取るみたいに片手ずつだ。
そして掴んだだけで分かった。相当上等な生地だこれ。なんの革かわからないが、不思議な張り感があった。もちもちとした弾力を持ちながら、袖を通すとスルスルスルっと滑りがいい。ずっと着ていたくなる。
サイズはちょうどよく、何なら少し小さいくらいに感じた。この女性の持ち物にしてはかなり小さいような気もしたが…そんなこと今はどうでもいいのだ!
袖を通して、ベルトを締めたらもうおれはベージュの変質者ではない!
高級そうなピンクのローブに身を包んだ…そう、風呂上がりの林●ペー師匠みたいだ!!!
なんだか変質者への視線が変態への視線に変わっただけな気もするが…おれの考えすぎと信じることにした!尊厳より法令の遵守!!
決して言い聞かせてるわけじゃない心の声で鼓膜を充たす。でも、目の前の女性のご厚意には感謝しかないのは本当だ。
「神様仏様ローブをくださったお姉様!本当にありがとうございます!!絶対にこの恩はお返しします!」
おれは深々と頭を下げお礼をする。
「ややや!殊勝なボーイだ。だが、私は神でも仏でもなければ篤志家でもない。言うならば、これは利己的な善行だ。ゆえ、礼には及ばん」
藤色の女丈夫は手を腰に当て、自信満々に胸を張った。
饒舌な彼女の口調はどこかわざとらしさを滲ませていたが、なんだか話を聞いていたくなるようなカリスマがあった。
「私の名はレディア。職業は『鍛冶師』だ。ボーイズ、ロストしたんだろう。どうだい、うちのベイビーの顧客にならないか?」
そして彼女は自らの素性とともに、噴水広場の変質者に何故話しかけたのかを明らかにした。
◆
おれたちはレディアさんの営業を快諾し、彼女から装備を購入することになった。軽い自己紹介を済ませたおれたちは、彼女に連れられて、彼女がマスターを務めるという【クラン】の拠点へと向かっている。
なんだかその場の勢いというか、成り行きであっさり顧客になることを了承してしまったが、ぼったくられたりしないよな…『カモ客』とか思われてたりするのかな?
おれは、前をルンルンと小気味よく歩くレディアさんの後姿を見る。
表情は見えないが、噴水広場で見た表情や振る舞いには、思い返す限りまったく悪意は感じなかった…。
「ほっんとにハルキは心配性だな~」
横を歩くキノヒコがおれの顔を見て、察したように口を開いた。
「噴水広場での生産職プレイヤーのキャッチ活動はわりとよくあることだよ~。うわさが広がって商売しにくくなるような、変なことする人も少ないから大丈夫大丈夫~」
そうなんだ。知らなかった。それを聞いてちょっと肩の力が抜けた。おれは「ありがとうな」とキノヒコに伝える。
今歩いているのは噴水広場からラニエットの東部市街へと続く道。ラニエットの東には平原が広がっており、森林と海に近い西部、南部に比べ新しく土地が開墾され、区画整備が進められている。
切り拓かれ等間隔に整備された土地は、プレイヤーがゲーム内通貨のGを利用して購入することができ、このゲームの世界に自分だけの住居を持つことができる。
ゲーム開発陣が一つの世界観やコンセプトに沿ってデザインした他の区画と違い、東部市街はプレイヤーが自由にデザインした住居が立ち並ぶ。たまに奇々怪々な建物も混じっており、その街並みは言うなれば無秩序といった様相だが、おれはこういうの嫌いじゃない。
周囲の住居を面白く見回しながら歩いていると、キノヒコが口を開いた。
「そういえばだけど、ハルキ、ボクの剣を使うなんてよく思いついたね」
ファイアスライムを倒したときの話だ。確かに『そういえば』だ。ホレブレーゼのインパクトで忘れていたが、おれたちはファイアスライムと死闘を繰り広げた。
おれはどういう思考回路で、あの打開策を閃いたのか思い出そうとしたが、正直【熱傷】によるスリップダメージとスライムビームのダメージが痛すぎて、めちゃくちゃ焦っていた…ということしかパッと思い出せない。
「あのときはただ必死で、どうすれば死なずに済むか…どうしたらスライムの核に攻撃が届くかって考えてて…そしたら、あ、キノヒコの剣を使えばいいじゃんって」
あの状況、普通のゲームだったら仲間の装備している武器を使って攻撃しよう、なんて考えもしなかっただろう。というかゲームをしていて、他のプレイヤーが装備しているものに触るという感覚がない。だいたい当たってもすり抜ける気がする。
だけどPhantom Rift Online 2でのプレイを振り返ると、意識はしていなかったが、他のプレイヤーの装備に触っていた事実が思い当たる。
例えばファイアスライムと戦っている時だって、スライムビームの勢いに負けないよう、おれがキノヒコの構えるシールドを一緒に支えていた。もっと言えば、人が多いところなどで他のプレイヤーと身体が触れ合うのも、装備している防具の感触越しだ。
なんの意識もしたことがなかったが、普段から他人の装備しているものに当たり前に触れていたのだ。でもあのぎりぎりの状況まで考えつかなかった。固定観念って怖い。
この世界の中では視界に映るものは、髪の毛の一本一本や風に舞う砂粒の一つだって掴んで触ることができるが…それが可能ということは、実態があるモノには全てミクロな単位の当たり判定が設定されているのか。
おれは改めてこのゲームの世界としての完成度に息をのみ、開発したABC(Aether Bounds Company)に畏敬の念を抱く。
おれは「ちょっと貸して」と、キノヒコの腰に携えてある銀剣を再び引き抜く。銀の冷たい感触が伝わる。そのままおれは手にもった状態でインターフェイスを開き、自分のステータスを確認する。
「だけど…やっぱりステータスへの補正値は乗らないみたいだね」
「へ~、どれどれ~?ボクも見たい」
おれはキノヒコにダガーを渡してやる。手渡したとき、おれのステータスからはダガーの補正値分の数値が減少する。
「ほんとだ~!」
盗賊は騎士が装備する盾、ショートソード、グレートソードを『武器』として装備することはできない。そんなことができれば、わざわざ職業なんてシステムがある意味がなくなってしまう。
つまり、あのときファイアスライムの核を貫いたのは、ゲームの処理上では武器ではなく、剣の形をしたただのモノという扱いを受けていたのだ。
防御力が無に等しいファイアスライムの核だったから、決定打になるダメージを与えることができたが、普通の魔物相手におれがキノヒコの銀剣を振るっても、ダメージを与えることは難しいだろう。
おれは銀剣の刃先を指先でちょん、と触ってみるが、接点は刃物らしく極限に小さいのに触った指先は切れない、という不思議な感覚だった。なんだかおもちゃみたいだ。
「やっぱり触っても痛くないんだな…どういう条件分岐だ?」
なんだか考察をしていたら色々試したくなった。リバースエンジニアリングだ。
おれはキノヒコに銀剣を返す。
「これでおれの指を軽くつついてくれ」
「い〜よ!」
おれの突拍子のないお願いを何の疑問もなく快諾するキノヒコ。おれは自分で頼んだのに若干怖くなって、「軽く、な!」と念を入れる。「あはは、ボクを何だと思ってるのさ」と笑うキノヒコ。何って、笑いながらグサッとしかねないと思っているが…
そして、おれの心配とは裏腹にキノヒコはそーっと銀剣を動かし、剣先をおれの人差し指に当てる。
プスリ。
チクっとした。
切っ先が当たった指先から小さく血の滴が生まれる。
「いてて。そりゃあそうだよな…てことは装備品はプレイヤーの職業を識別して分岐しているのか。特定の職業に所持された時、初めてシステム上で『武器』と扱われ、ステータスへの補正がかかり、切れ味などの性質もそのタイミングで変化しているってこと…?」
「なんだかめんどくさそ~。そんなこと考えたこともなかったよ」
前提としてこのゲームには、『装備する』や『攻撃する』みたいな行動を選択するコマンドはほぼない。ほとんど全ての行動はプレイヤーの実際の状態・動作に対応し世界に反映されている。
つまり、今キノヒコは銀剣を持っているが、コマンドで『装備する』を選ぶ、みたいな特別な定義づけを行ったわけではない。でも、おれが持った時にはおもちゃみたいだった銀剣が、キノヒコが持った時には、ちゃんとその武器としての性能を有している。
おれはこの『差』が持ち手の職業の情報から生まれているのではないかと仮説を立てた。
「ややや!ボーイズが興味深い話をしているね。私もこのPhantom Rift Online2のシステムについては色々考えることがあるんだ」
おれとキノヒコが装備品と装備の関係についての考察をしていると、前を歩いていたレディアさんがくるりと振り返り、ニコニコしながら話に参加してきた。
「スプリングボーイの仮説は面白いが、色々な職業の武器や防具に触れる鍛冶師からすると違和感がある。例えば私は武器の制作過程で、その仕上がりを試すために巻藁や魔物の骨を試し切りする。このとき、私はその武器に対応する戦闘職にわざわざ変更しなくとも、その武器のスタータス補正や切れ味などを引き出すことができるんだ」
「へーなるほど!…でもそれは単に鍛冶師という職業が例外的で、その『制作過程』という条件において、全ての武器を扱えるって仕様なんじゃないですか?」
「それはノンノンだ、スプリングボーイ。それが許されるなら、鍛冶師はその『制作過程』にある武器たちを無数に担いでアイズナ森林へ赴き、魔物を駆逐すればいいだろう。だがそんなことをする鍛冶師はいない」
「できないからね」、とレディアさんは人差し指で顔の前でバッテンを作る。おちゃらけた振る舞いだが、その藤色の眼光には職人気質な深い沈思が宿っているように見えた。
「確かに〜!実戦闘でも、全武器種のステータス補正がかかって使えちゃうなら、鍛冶師ブッ壊れだもんね〜」
「ほー、なら相対するモノの種類や、プレイヤーの位置情報も、武器の性質を変化させる条件になっているってことです?」
「ややや!鍛冶師という前提にはなるが、良い筋の論理思考じゃないか、スプボーイ」
「略すな略すな」
思わずため口で突っ込んでしまう。がレディアさんは何も気にせず続ける。
「だが私はそれも違うと考える。このゲームにはPKが存在するゆえ、私が試し切りを行う街の中でも実戦闘は発生し得るし、魔物を連れ込むことだって不可能ではない。その条件だけでは不十分だ」
「じゃあ一体何をもってこのゲームは判断してるっていうんです?」
「―――これは仮説だが………いや、私は分からなくていい」
レディアさんは言いかけた言葉を飲み込むような逡巡を挟み、そう答えた。
分からない、じゃなくて、『分からなくていい』。それは思考停止を宣言するようだった。
「私はエンジニアではなく、鍛冶師だ。私にとってヨルズローグは鍛冶の享楽さえあればそれで良い」
レディアさんはくるりと前を向きなおし、おれたちに背を向けて歩く。その表情は見えない。
「それはそ〜だね!ボクも魔物倒すの楽しければそれでい〜し。ハルキが難しいこと話すから疲れちゃったよ」
「おい、おれのせいか」
『享楽』『楽しければいい』、まぁ、そうなのかな…
二人の態度はなんとなく寂しい感じもしたが、レディアさんのクランの拠点まで歩く途中の適当な暇つぶしの話題だ。色々頭を使ったが、あくびをしたら何を話してたか忘れてしまいそうである。
そしてそんな話をしてからものの一分ほどで、目的地に到着した。
「ややや!ご足労感謝だ、ボーイズ。ここが私がマスターを務めるクラン、
【Pink Metal Works】のクランハウスだ」
「うわ~~~~~~!かわいい~~~~!」
その建物は、この南部市街のなかでもひと際ファンシーな存在感を放っていた。ピンクを中心としたパステルカラーがふんだんに使われた、おとぎ話に出てくるようなかわいらしいデザイン。外壁や庭を囲む塀にはハートや花の意匠が随所あしらわれており、細やかな金属でできた細工まで施されていた。
塀が分かれた入口から、庭をのぞき込むと、正面の玄関の上には『Pink Metal Works』と、クラン名が書かれた看板が掲げられている。
玄関から続く白い飛び石のアプローチの周りにはパステルカラーのかわいい花々が咲いており、周囲にはメルヘンなデザインの庭具が設置されていた。
「すげーメルヘン。マイリトル●ニーみたいだ」
でも、なんていうか、女丈夫な印象だったレディアさんのイメージに合わないな…
おれはのど元まで出かかった言葉を飲み込んだ。
「やややや!気に入ってくれたようで光栄だ!私の趣味でね。ささ、遠慮なく上がってくれ。どの装備にするか、ネゴシエーションといこうじゃないか!」
最後まで読んでくれてありがとうございます。