第4話『残業開始ね』
一話だけハルキの視界から離れます。
―――ハルキとキノヒコが炎上するアイズナ森林に入る数時間前。
都内S区、昼刻。
高層ビルが無数に立ち並び、ガラスとコンクリートの支配する人工的なジャングル。
多面性溢れるアナログな個々人も、この場所では大いなる世界の歯車に過ぎない。
巨大な鏡となるビルのガラスには太陽の光が差し、忙しそうに行き交う人々の姿が絶え間なく続く。繰り返される無機質な反響が、オフィス街の日常を形成していた。
そんな林立するビルの一角、【Phantom Rift Online 2】 の開発運営を手掛ける【Aether Bounds Company】(通称:ABC)のオフィスには、ビル群の日常風景とは裏腹に、有機質な空気が緊迫を走らせていた。
「ふぇ~~~~!たたた大変です!エスカレーションですぅ~!」
新米社員の花崎エリはゲーム内の環境情報の詳細が記された資料をお腹に抱え、額に汗を滲ませながらドタバタとオフィスを走っていた。
その瞳はぐるぐると渦を描き、うるうると水滴まで漂わせている。
「なんだなんだ?」
「エリちゃんオフィスは走ったらダメよー」
「お!エリちゃん今日も元気そうだね!」
「どしたん、エリリ、話聞こかー?」
「おいどこだ、男根のお化けがいるぞ、つまみ出せ」
「あーあ、まーた天野さんがエリちゃん困らせてるな」
オフィスに似合わないドタバタした足音に、社員は驚きの目線を送ったが、騒音の主がオフィスのマスコット的新人社員、花崎エリだとわかると、「い つ も の」と、赤文字が流れるようなお約束の空気が漂った。
エリはオフィスみんなの視線を浴びていることに気が付くと「はわわ」と恥ずかしそうにしながら、さらにスピードを上げ、【Phantom Rift Online 2】開発事業部の幹部が定例会議を交わしている最中の会議室に特殊部隊のようなフルパワー突入を行った。
「しししし、失礼しますっっ!」
息絶え絶えに会議室に飛び込んできた新米社員に、会議は強制的に中断され、一瞬の静寂に包まれる。
四角形のカンファレンステーブルを囲む事業部の幹部たちは、ある者は優雅にコーヒーを飲みながら、ある者は心ここに在らずと舟をこぎながら、ある者は粛々と議事録をとるタイピングに指を動かしたまま、ある者は不機嫌そうに頬杖を突きながら、それぞれの姿勢で時を止め、エリへ視線を向けた。
しかし、ただ一人だけ。
エリが突入した扉から一番遠い席、会議室の最奥に威厳をもって座す者だけは、静寂と静止による支配を跳ね返し、彼女の登場を待っていたと言わんばかりに口角を釣り上げる。
「…吉報かな?エリくん」
新入社員の会議室への突撃という不測の事態を受けても、組んだ足をそのままに堂々と構える【Phantom Rift Online 2】開発事業部プロデューサー、天野高司だ。
「ききき凶報ですっ!インシデントです!」
こんな闖入で持ち込まれる吉報があるはずない、とエリは必死にかぶりを振って自身が得た情報の重大さを伝えようとする。そしてエリから放たれた『インシデント』とという言葉は、時が止まった会議室にまた違う類の緊張を走らせた。
「よよ、ヨルズローグ南方、アイズナ森林にて大規模な山林火災が発生!こ、これにより、ラニエット周辺の環境に、著しいゲームバランスの乱れが生じていますっ!」
エリにより告げられる報せ。それは静寂の会議室にどよめきを生むのに十分な衝撃を持っていた。幹部たちは自身の経験やパソコンの画面に表示されるゲーム内の情報を照らし合わせ、状況の把握を試みようとする。
「このままでは…初心者さんプレイヤーたちが次々と強いモンスターに殺されてっ…」
「―――ほう…ユグドラシルの意図は聞けたかい?」
天野の瞳はおもちゃを得た子供のようにギラギラと好奇心に満ちている。が、その思考は冷静を極め、尋常なくテンパる部下から、今一番知りたい情報を、一番効率よく聞き出す質問をはじき出す。
ユグドラシル、それは【Phantom Rift Online 2】の大地ヨルズローグに存在する天を衝く世界樹。エルフの支配する大陸の中心部に根差し、天に広がる枝葉と地中に張り巡らせた根で世界のエーテルを循環させる、幻想世界のオブジェクト。
そして、同時にそれは環境情報の更新や、魔物を含めたNPCの活動などの、ゲームを成立させるためのあらゆる基幹処理を行う、ゲーム運営のためのシステム。
ユグドラシルの意図、今天野は後者を対象として尋ねる。
「そそ、それが、ユグドラシルを問いただしても、CLI上では応答が何もなく…」
エリはもじもじしながら申し訳なさそうに報告する。
「そんなハズねーよ。今現在サーバーもユグドラシルも問題なく稼働してる」
不機嫌そうな男は眉をしかめ、自分のノートPCの画面に指を差しながら答える。現在もゲームは問題なく稼働しており、開発運営ツールの可用性には何ら問題はないはずだ。
「はっはう、う、うそじゃないですっ!ほほほ、ほんとなんですっ!」
「では、エリ女史の権限ではアクセスできない『意図』ということですか…」
優雅な装いの男は、コーヒーの入った紙コップをデスクに置き、逡巡を挟むと、自身のノートPCを操作し始める。エリのような一般的な監視業務を行う社員は、知ることもできない、ゲームシステムの『意図』。その事実に幹部たちの間に走る漠然とした緊張感が膨れ上がる。
「あ、アチシの権限でもダメぽい。なんだー?ユグドラ、コイツ思春期かー?」
今にも眠りそうだった女は、この状況にうきうきと目を輝かせ、既にトラブルシューティングにとりかかっていた。しかし、幹部ですらアクセスできない『意図』、という事実解明により、会議室は緊張よりその異常への懐疑が先行する。
「幹部でもアクセスができない!?それでは、天野Pにしかアクセスできない、と言うことでしょうか…?いやいや、荒唐無稽です!そんな『権限』も『意図』も存在しないはずです」
議事録を取り続けていた女は、タイピングの指を止め、メガネをスチャっと上げながら状況を冷静に分析するが、行きつく仮説は前提と矛盾する。
そして、少しの沈黙のあと、その場にいた全員が会議室の奥に座る天野に視線を向ける。
天野は口元に手を置いたまま、ここまでの幹部たちの言動を静観していた。
そして全員が自分に注目していることに気が付く天野は、口元に置かれた手をどけ、その表情をあらわにする。そこにはあったのは吊り上がる口角。「カカカカカ」と天野のかすれた笑い声が会議室に零れた。
自身の手掛けるサービスのエスカレーションに発せられた最高責任者の笑い声に、エリと幹部たちは驚きを顔に出す。
「いや、すまない、ふざけているわけではないんだ」と手を振り、体裁を取り繕おうとする天野だったが、この緊急事態の報告を受け彼の胸に溢れるのは紛れもない歓喜と興奮。
笑い声は消せてもその表情は消すことはできない。
未知との遭遇を果たす冒険者のように、彼の脳にはドーパミンが迸っていた。
「エリ君…ありがとう。やはり吉報だ…あぁ…これ以上ない」
天野は、この世に最後に残すような慈愛に満ちた笑みでエリに感謝をすると、大きく息を吸って言い放つ。
「我々は宿したんだ…このゲームに【運命】を!!」
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「はぁ…私ちゃんとできるのかな…」
私はさっきの会議を思い出し、オフィスの一角でため息を漏らした。
『ユグドラシルの意図は私の権限をもってしても開示されないだろう』
エリの会議室への突撃のあと、天野Pから私たちに告げられた言葉の数々は驚天動地のオンパレードだった。私は書き上げた議事録を読み返しながら、気が遠くなるのを感じて目頭をぎゅっと抑える。
『単刀直入に述べよう。我々は今をもって【Phantom Rift Online 2】というゲームのシステムへの干渉手段の9割を失った』
『いや、もはやゲームという言葉も適切ではない。ヨルズローグはユグドラシルの管理の下に、明確にもう一つの世界として成立した』
虚無縹緲だ。ゲームのシステム管理にもう干渉できない?長い歳月をかけて血と汗の結晶たる技術で作り上げていたのは、ゲームではなく、もう一つの世界だった?現実味のない話過ぎて、理解が追い付かない。
『なぜ幻想のゲームには飽きがくる?なぜ現実の世界は永久に美しい?』
『この差異の本質は運命の有無だ。誰の恣意の支配下にもない絶対の趨勢、それが現実世界を世界たらしめる』
『私は開発時、ユグドラシルのソースコードに、ある特異点をもってAether Bounds Companyの社員の持つ特権を排除するスクリプトを潜ませた』
私はクリエイターとして尊敬する天野PがいるからABCに入社した。だから会議で語られた天野Pの理念には共感は出来ずとも、敬服の念を抱く…しかし…。
議事録を読み進める手が止まり、ため息が漏れてしまう。
いやいやいや!『特権を排除するスクリプト』、そんなモノを入れ込んでいたなんて…本当に頭が痛くなる。こんなのプロデューサー特権を濫用したハクティビズムだ。
そして問題はこの後。そんな手綱を失ったゲームを、これからどうやって保守監視し、運営していくのか。ここがこの会議での一番の頭痛ポイント。
奇想天外、前代未聞、そんな歴史のある言葉じゃまったくもって物足りない。
私が感じたのは、世界に亀裂を生むような頭痛と、幻想を拓く好奇。
『我々は、ユグドラシルの護り手、冒険者ギルドを設立せしエルフとなり、ヨルズローグの大地を駆けるのだ』
『さぁ、忙しくなる。世界を救うんだ』
才気煥発。これだから天野高司という人は…
私はオフィスの別のフロアに用意されていた簡易なベッドに横たわり、ヘッドギアを装着して大きく息を吸い込む。
会議で天野Pが私に命じた新たなタスクを行うべく、覚悟を決めた。
『君はラニエットに向かい、冒険者と協力してアイズナ森林の火災を止めるんだ』
最初聞いた時、「なんで私が!?」と、嘆いたが、
『私や他の幹部が最初に出ると、ほら…エルフの沽券に関わるだろう…?』、と真顔で天野Pに訴えられてしまった。一緒に働く癖の強すぎる同僚の顔をそれぞれ思い出すと、やっぱりこれは私の仕事だなと、変な責任感が生まれてくる。
『大丈夫、みんな機材が準備でき次第向かうさ』
「さぁ、残業開始ね」
白光が世界を飲む。
東京、S区、夕刻、オフィス、そんなアナログな日常と現実の感覚が薄れてゆく。
私の27年分の常識や当たり前がさらさらの砂粒になって、新生の風が飛ばしてくれる。
そして、
―――目を開く。
ここはヨルズローグ、もう一つの世界。
そして、
「―――私の名前は、ティアナ・セレストリア」
もう一人の私。
言い聞かせた胸は、不安を消し飛ばすように輝いて、踊った。
最後まで読んでくれてありがとうございます!
次のお話はまたハルキの視界に戻ります。