君に出会うためのタイムリープ
タイムリープもの、ループものが書いてみたかったので。
1,
フラれた。
高校の卒業式の日。式が終わった後。
クラスで一番可愛い女子――ユウカが、たまたま友だちの輪から外れ、一人でトイレに行くのを見かけて、トイレから出てきたところを廊下で待ち伏せた。
そして、告白して、見事にフラれた。
「私のこと好きって、それって告白だよね?」
そうだ、間違いなく告白だ。
俺は学内カーストは底辺で、女子から一度もチヤホヤされることなく、灰色の高校生活を三年間過ごした。ずっと女子にモテたいと思っていたが、恋人はおろか、女友だちさえできなかった。最後に思い残すことがないようにと、クラスで一番可愛い女子に告白したんだ。
ユウカはモデル並みの顔立ちをしていて、トレードマークの大きなリボンで左右にツインテールを結んでいる。明るくて、賑やかで、ちょっとギャルっぽい、俺とは真逆の世界に生きる人間だ。
そんなキラキラした女子に告白するなんて……今思えばバカなことをしたと思う。
「マジで言ってるの? うけるんだけど」
ユウカは俺の本気の告白をハナで笑った。
その時点で俺は、告白なんてしなければよかったと後悔した。
俺のマヌケその1――衝動的に行動してしまったこと。
「そもそも、あんた誰だっけ? えーっと、中村?」
「中山」
「ああそう。中山くん、私がシュンと付き合ってること、知らないの?」
「へ……?」
俺のマヌケその2――この女に彼氏がいると気づかなかったこと。
シュンと言われて思い浮かぶのは、野球部のエースでイケメンで成績も優秀なシュンだ。ユウカとシュンは教室でもよく一緒にしゃべっていたが、二人は単なる友だちであって、付き合っているわけではないと思っていた。こういうのを隠れビッチと言うのか?
ユウカは嘲笑を隠すことなく、嫌味ったらしく続けた。
「知らなかったんだ? まあ、みんなには言ってなかったから、仕方ないけど。でもさぁ、仮に私に彼氏がいなかったとして、中山くんじゃ私と釣り合わないって、考えないの?」
俺のマヌケその3――この女が性格ブスだと気づかなかったこと。
「それとも何? 私があんたみたいなのと、付き合う可能性が1%でもあるとでも思ったの? ゼロでしょ、普通、考えれば分かるって。あんたのどこに惚れる要素があるわけ? ないわ、マジで。これっぽっちも。あわよくばワンチャンあるかも、みたいに思われてることが気持ち悪すぎ」
悪かったな。実際、あわよくば、だなんて思ってた俺がバカだったよ。
心の中を言い当てられた俺は何も言い返せず、屈辱的な気持ちで立ち尽くした。初めての告白と、撃沈。胸が痛くて、握りしめた拳がふるふると震える。
「私、もう戻るけど、変なこと考えないでよね。二度と関わらないで。こういう待ち伏せとかあり得ないから。ストーカーなんてしたら速攻で警察に突き出して、人生終わらせてやるから」
お前みたいな性格ブスをストーカーなんてするもんか! お前に彼氏がいて、しかもこんなひどい性格だと知ってたら、絶対に告白なんてしなかった! むしろ、こっちから願い下げだ! 顔がいいからって、調子に乗りやがって。
友だちの輪に戻っていくツインテールの背中を、心の中でののしった。
罵詈雑言はただの強がりで、本当は惨めで、声をあげて泣きたいくらいの気持ちだった。
痛い。胸がキリキリと痛む。こんなふうに、ストレートに罵倒されたのは初めてだ。
ひと気のない廊下に取り残された俺は、シャツの胸元をぎゅっと握りしめて、痛みに耐えようとした。
しかし、痛みはなかなか消えてくれない。
むしろ、だんだんと耐えがたいものになっていき、俺は息も絶え絶えに、その場に座り込んだ。
なんだこれ。息ができない。空気を吸い込もうと思っても、吸えない。
病気? いや、持病なんてない。
何かの発作? まさか失恋のショックで? 極度のストレスのせいで? そんなことで死ぬのか? マジで……?
「だれ……か……」
このままじゃ本当にやばいと思って、俺は必死に助けを呼んだが、蚊の飛ぶような弱々しい声しか出ない。廊下は静まり返っていて、見回しても誰の姿も見当たらなかった。
そうこうしている間にも、胸の苦しさはどんどん激しくなり、体を起こしているのも難しくなった。
これ、冗談で済まないヤツだ。やばい。
俺はその場に倒れた。
冷たい床の感触。
薄れていく意識。
誰か助けてくれ……童貞のまま死にたくない……。
女子とイチャイチャしてみたい……。
このまま終わるなんて、いやだ……。
誰か……。
***
そもそも、高校の三年間で俺に彼女ができなかったのは、いい出会いがなかったからだ。運命的で劇的な出会いさえあれば、きっと、俺にも彼女ができていたに違いない。マンガやアニメの主人公だって、美少女ヒロインと劇的な出会いをするじゃないか。
確かに、周りを見渡せば女子はたくさんいるのだから、俺が行動を起こさなかったのが悪いという見方もできる。カースト上位でなくとも、よく見ると案外可愛い女子がいたりするものだ。
だけど、よく考えてほしい。
何の用事もないのに、自分から女子に声をかけられるのは、イケメンか、コミュ力の高い男だけだ。俺みたいなヤツが急に「やあ、何の話をしてるんだい?」なんて話しかけてきたり、「俺も一緒にしゃべっていい?」なんて割り込んできたら、ドン引きされるに決まっている。
実際、女子と仲良くなりたくて、勇気を出して声をかけてみたことがある。そうしたら、案の定、苦笑いされ、微妙な空気になったので、もう二度と話しかけないと決めた。
つまり、脈絡もないのに急に話しかけたり、下心を持って近づいて行ってもダメなのだ。
じゃあ、どうやったら、女子とお近づきになれるか?
理想は、自然に距離が近づくような、きっかけがあればいい。
最も理想的なのは、運命を感じさせるような出会いがあることだ。このことは、マンガやアニメにおいても、完璧に証明されている。主人公は美少女と、必ず運命的な出会いを果たし、そこから二人のラブロマンスが始まっていくのだ。逆に、この運命的な出会いがなければ、物語は始まりさえしないわけだ。
まあ、それが分かっていても、運命的な出会いなんて、簡単には起こらないし、どうやら俺は死んでしまったみたいだし、今更なんだけどな……。
このとき、俺は人生が終わったと思っていたのだが、むしろこれが始まりだった。
2,
胸が苦しい。息ができない。重いものに潰されているような圧迫感と息苦しさ。
そして、暑い!
「お兄ちゃん! 何してんの!」
この声は……妹のシオン!? なぜ? 俺は生きているのか?
「寝ぼけてないで早く起きなさいよ! 今日、入学式なんでしょ? 遅れるよ!」
目を開けると、頬を膨らませた子供っぽい顔と見慣れた部屋の天井が見えた。
「あ、起きた」
「人の上に乗るんじゃねえ! 暑いし重い!」
俺はシオンを押しのけて、ベッドからガバッと身を起こした。どう見ても俺の部屋。カーテンは開いていて、朝日が差し込んでいる。
「俺……助かったのか?」
「何言ってんの? 頭おかしくなった?」
「いや、だって、俺、廊下で倒れた後、どうなったんだ?」
「はあ? お兄ちゃん、倒れたの? なんで?」
「なんでって……高校生活ももう終わりだと思って、卒業式のあとに……」
「ちょっとちょっと。まだ高校に入ってもいないのに、何言ってるの? 怖いんだけど……」
「高校に入ってない……?」
「だって今日が高校の入学式じゃん」
「シオン、それ、本当なのか?」
「自分でスケジュール見ればいいじゃん……」
あきれた様子のシオン。ふざけたり、からかったりしているようには見えない。
なんだこれ。わけが分からない。俺は寝ぼけているのか? さっきのは夢? いや、そんなはずはない。確かに俺は、高校で三年間を過ごしたという記憶がある。
スマホ画面を見た。
「四月十日!? シオン、今、何年だ!?」
「今日から私は中二だけど」
「そうじゃない。西暦何年?」
「2023年でしょ」
愕然とした。俺が高校を卒業したのは2026年の三月。約三年の時間が巻き戻ったことになる。
これって、つまり……タイムリープ!? もしかして俺って、時間を操れる系の能力者!? ちょっと待て。記憶を整理しよう。俺は高校の卒業式の後、クラスで一番可愛いユウカに告白して派手にフラれた。それで後悔していたら、急に胸が苦しくなって、意識がなくなった。その先は何も覚えていない。
そして、目を覚ましたと思えば、高校の入学式の日に戻っている。
なんで……?
少し考えて、俺は天才的な結論を弾き出した。
俺は高校の三年間、女子とほとんど接点がないまま過ごした。そして、もっと運命的で劇的な出会いがあればよかったのに、と思いながら突然死した。そこで、慈悲深い神様的な人が、俺に出会いからやり直すチャンスをくれたのだ! そうに違いない!
「この状況、すべて理解したぞ。アニメやマンガでよくあるヤツだ。予習しておいてよかったぜ」
「は? 何? お兄ちゃん、マジでキショいんだけど……」
「妹よ。どいてくれ。兄は忙しい。これから美少女との運命的な出会いが待っているんだからな!」
「あ、うん、どうでもいいけど、警察のお世話になるようなことだけはやめてね。朝ご飯はキッチンに置いてあるから」
白い眼をして去っていく妹。
俺はすぐに制服に着替えて家を出ることにした。今、七時五十分なので、もう少しすれば、みな登校し始めるはずだ。あまり時間の余裕があるとは言えないので、朝ご飯なんて食べている場合ではない。
たいてい運命的な出会いは、通学路で起こる……ような気がする。例えば学校へ急いでいて美少女とぶつかったり、空から美少女が降ってきたり、不良に絡まれている美少女を助けたりだ。
とにかく何らかの接点、きっかけを作る必要がある。それも、人間関係のグループが出来上がる前、つまり入学式前なら最高だ。そのあと、しれっと教室で再会して、「あっ! 今朝、助けてくれた人ですよね……?」などというふうに、展開が進んでいけば、来月辺りには俺の彼女になっていること間違いなしだ。
そういうわけで、善は急げ。俺は自転車に乗って自宅を飛び出した。
向かうはクラスで一番可愛いユウカの家……ではない。NOだ! あいつは性格ブスのビッチだと判明したから論外。だからクラスで二番目に可愛かったチサトの家を目指す。家の近くで待ち伏せすれば、確実に何らかの接点を作れるだろう。
ちなみに、クラスの可愛い女子の家は、独自の調査によって把握している。こんなときのために調べておいて正解だったぜ。
途中、見知らぬ婆さんが、横断歩道で転んでいた。気の毒だが、見なかったことにして、とにかくチサトのところへ急いだ。なんせ高校の三年間がかかっているのだから、時間は大切にしなきゃならない。
俺の記憶によると、確か入学式に遅刻してきた恥ずかしいヤツが一人いたはずだ。もし美少女と運命的な出会いを果たしても、式に遅刻していたのでは格好が悪すぎる。あんな見知らぬ婆さんは無視するのが正解だ。
十分ほど自転車を走らせると、チサトの家の前に着いた。ひと目で裕福だと分かる、立派な一戸建てだ。ちなみにチサトは、育ちの良さをうかがわせる、おっとりした性格のお嬢様だ。温厚で、器が広くて、性格ブスのユウカとは対照的。
ところで、家の前に来たのはいいが、ただ待っているだけでは平凡な出会いにしかならないような気がしてきた。
どうすれば運命的な出会いになるんだ?
都合よく女性に絡んでくれそうな不良が歩いているわけもない。いたとしても、正直、俺は不良を追い払える自信も勇気もない。
そうだ! とりあえず、曲がり角でぶつかろう。それで、倒れそうになったチサトを抱き留め、紳士的に振る舞い、好感度を上げる。名前は名乗らず、入学式で再会すれば、自然と会話できるに違いない!
俺は作戦を実行すべく、チサトの家が見える曲がり角に隠れて待機した。
さあ、来い!
しばし待っていると、制服姿のチサトが玄関から出てきた。豊かなロングヘアがふわりと風になびく。……可愛い。あんな美少女とイチャイチャしたい!
なぜかチサトの後に着飾った両親も現われた。三人は車に乗り込む。高そうな黒のBMW。
両親も式に参加するなんて想定外だ! これじゃ、チサトとぶつかれない。運命的な出会いも起こらない……。
車にエンジンがかかった。
どうしたらいいんだ!? このままチサトを見送って、のこのこ登校したのでは、今までの三年間と何も変わらないではないか。せっかく神様がくれたチャンスなのに。だけど車に乗ってしまった以上、もう声をかけることもできない。
こうなったら、今から別の女子のところへ行くか? いや、もう間に合わないかもしれない。時間がない。
BMWがゆっくりと門から出て、俺が隠れている曲がり角へ向かってくる。助手席にチサトが見える。やっぱり可愛い。あんなお嬢様な女子と普通におしゃべりしてみたい。お近づきになりたい。そのきっかけが欲しい。もうあんな、灰色の三年間を繰り返したくない!
俺は決意して、車の前に飛び出した。とにかく接点を作りたいという気持ちが、俺を駆り立てたのだ。車はあまりスピードを出していなかったが、急ブレーキを踏んで制御を失い、スリップした。チサトの驚いた顔。迫りくる鋼鉄の塊。
衝撃、そして浮遊感。
俺は車にぶつかって吹っ飛ばされ、アスファルトに叩きつけられた。
頭がクラクラして、やけに暗い青空がぼんやりと見えていた。誰かの悲鳴が聞こえる。頭が濡れている気がして、手で触ってみたら、血黒いものがべったりと付いていた。
「おいおい、マジかよ。これって、やばくね?」
そう呟こうとしたのに、呂律が回らない。
「大丈夫ですか!? ねえ!」
チサトが俺をのぞきこんでいる。だけど、視界がぼやけて、顔がよく見えなくなっていく。どんどん暗くなっていく。
どうやら俺は失敗したみたいだ。打ち所が悪かったらしい。考えてみれば、車の前に飛び出すなんて愚かだった。最悪の出会いだ。
せっかくタイムリープしたというのに、また死ぬのか……?
3,
頭が痛い。息が苦しい。重いものに潰されているような圧迫感と息苦しさ。
そして、暑い!
「お兄ちゃん! 何してんの!」
この声は……妹のシオン!? なぜ? 俺は生きているのか?
「寝ぼけてないで早く起きなさいよ! 今日、入学式なんでしょ? 遅れるよ!」
目を開けると、縞々のパンツと見慣れた部屋の天井が見えた。
「あ、起きた」
「三角絞めキメてんじゃねえ! 殺す気か!?」
シオンが俺の首を絞めていた脚を緩めたので、俺はベッドからガバッと身を起こした。どう見ても俺の部屋。カーテンは開いていて、朝日が差し込んでいる。
「俺……助かったのか?」
「何言ってんの? 本気で殺るわけないじゃん。頭おかしくなった?」
「いや、だって、俺、チサトんちの車にひかれた後、どうなったんだ?」
「はあ? お兄ちゃん、車にひかれたの? よく無傷だったね」
「いや、頭から血がドバドバと……」
そう思って頭を触ってみたが、寝ぐせはあれど出血や傷はなかった。
「意味分かんないし、怖いんだけど……」
なんだこれ。どうなってんだ?
俺はスマホを手に取り、日付を確認する。
「四月十日、七時四十五分……。シオン、今、西暦何年だ?」
「2023」
「だよな」
「当たり前でしょ」
時間が戻っている。さっきと同じだ。また同じ時間に戻ってきたのだ。
「シオン、今日は俺の高校の入学式だよな」
「昨日、自分で言ってたじゃん」
「朝ご飯はできてるか?」
「お兄ちゃんの分もキッチンに置いてあるよ」
「そうか。理解した」
「は? 理解?」
「妹よ。どいてくれ。兄は忙しい。これから美少女との運命的な出会いを果たさなきゃならないんだ」
「今日のお兄ちゃん、マジでキショいんだけど……」
白い眼をして去っていく妹。
俺はすぐに制服に着替えて家を出ることにした。もう少しすれば、みな登校し始めるはずだ。あまり時間の余裕があるとは言えないので、朝ご飯なんて食べている場合ではない。
どうしてなのかは分からないが、俺はタイムリープを繰り返しているようだ。まあ、原理はどうであれ、美少女と運命的な出会いを果たして、バラ色の高校生活を送れれば構わない。
クラスで一番可愛いユウカは性格ブスのビッチだから却下。
二番目に可愛いチサトは両親の車で登校するから、接点を作るのは難しい。車の前に飛び出すのも、また失敗して悲惨な結果になるのは御免だから、諦めることにする。
だが何も問題はない。三番目に可愛い女子――ミオと接点を作りに行けばいいのだから!
そういうわけで、俺は自転車に乗って自宅を飛び出した。
途中、見知らぬ婆さんが、やっぱり横断歩道で転んでいた。気の毒だが、かまっている暇はない。見なかったことにして、とにかくミオのところへ急いだ。
十五分ほど自転車を走らせると、ミオのアパートの前に着いた。
ミオは少し天然の、誰にでも優しい美少女だ。カースト上位にいるのに、下位の男たちにも時々話しかけたりしてくれる平等主義者。どう考えても性格は最高にいいし、庶民的な感覚を持っているので、お嬢様のチサトより、俺との相性は良さそうだ。
ところで、今度はどうやって運命の出会いを演出しようか。
たぶんミオは入学式といえど、車ではなく歩いて登校すると思われる。今度こそ、曲がり角でぶつかれそうだ。
うん、とりあえず、そうしよう。
俺は作戦を実行すべく、ミオのアパートが見える曲がり角に隠れて待機した。
さあ、来い!
しばし待っていると、制服姿のミオがドアを開けて出てきた。肩の上のサラサラの髪、ちょっと太めの眉。……小動物っぽくて、やっぱり可愛い。あんな美少女とイチャイチャしてみたい!
両親に手を振って、歩き出したかと思いきや、アパートの駐車場で足を止めてしまった。髪の毛先を指でくるくるといじりながら、辺りをきょろきょろしている。どうやら誰かを待っているらしい。
どうすればいいんだ? 俺のほうから近づいて声をかけるのは、あまりに不自然だ。しかも普通に話しかけただけでは意味がない。特別な運命を感じさせなきゃいけないのだから。かといって、このままただ待っていれば、友だちが合流して、二人で登校してしまう。そうなれば、俺とミオの出会いの特別感がなくなってしまう。
友だちが来るのは時間の問題だ。これ以上、ゆっくりしていられない。
俺は運命的で劇的な出会いをするのが簡単ではないと、今更ながら理解した。何をしていいのか分からない。だけどもう、やるしかなかった。灰色の高校生活はもう嫌だ。
俺はミオの前に飛び出していった。
「や、やあ、運命的な朝だな!」
我ながらひどいセリフだった。
「えっ……?」
ミオは表情を曇らせたが、俺が同じ高校の制服を着ているのを見て、ちょっと安心したようだった。
「ええ、そうですね。今日は特別な日です」
「だ、だよな!」
「もしかして、あなたも?」
「そうなんだ。俺も新入生で、偶然ここを通りかかって、君を見つけたんだ」
「そうなんですか。本当に運命的ですね」
なんだかうまくいきそうだ!
と思ったのも束の間。
「俺の名前は――」
そこでタイミング悪く、友だちが来てしまった。クラスで六番目くらいに可愛い女子のカオルだった。この二人、入学する前から仲が良かったのか。
「おはよう、ミオ。どうしたの?」
「おはよう、カオル。分からないけど、この人に声をかけられて、おしゃべりしてたの」
「……ナンパ?」
カオルは俺を頭から爪先までいぶかしげに睨みつけたかと思うと、腰を落として拳を構えた。こいつはやがて女子空手部の主将になる女であり、全国レベルの技の持ち主だ。一人では危なっかしいミオのボディーガードみたいに、一緒にいることが多い。
カオルの実力が見せかけでないことを知っている俺は、つい、たじろいでしまった。
「あなた、何者? 同じ北高の学生のようだけど、ミオに何の用?」
「うっ……お、俺は……ただ、きっかけが欲しくて……」
「ミオの知り合い?」
聞かれたミオは俺の顔を見て「私の知り合いですか?」と聞いてきた。
「いや、この世界では初対面だが、高校で知り合う予定なんだ! 名前は中山だ、同じクラスの!」
「誰?」
カオルが顔を一層しかめた。
「ああ、同じクラスの中山くんですね!」
ミオが、ひらめいた、とばかりに、ポンと手をたたいた。
「え? ミオ、知ってるの?」
「今、知りました」
「つまり知らないヤツじゃん! ていうか、同じクラスかどうかなんて、まだ発表されてないじゃん」
「うっ……確かに」
カオルの鋭い指摘に、俺は動揺した。
「ミオ、こいつ変だよ。気をつけて。ストーカーかも。ミオにつきまとう変態は、あたしが許さない!」
「ち、違う! 俺は悪いことは何もしてない! どうせ同じクラスになるんだから、少し早く知り合いになろうと思って声をかけただけなんだ!」
「何を言ってるか分からん! 問答無用っ!」
カオルが追いかけてきたので、俺は反射的に走って逃げた。
途中までうまくいってたのに、なんでこうなるんだ!
「おいこら! 待て変態!」
俺が悪いのか!? 入学式の前に会いに来たら、いけないのか!? それだけで犯罪者扱いかよ!?
カオルは速かった。一方、俺は運動音痴。すぐに追いつかれるのは明らかだ。
だから、どっちにしてもダメだっただろう。
破れかぶれになった俺は一時停止の標識を無視して十字路を突っ切っろうとし、車に撥ねられた。
吹っ飛ばされて空中を飛んでいる間、時間がスローモーションで流れていて、「クソっ! またかよ」なんていう悪態が頭をよぎった。衝撃とともにアスファルトに叩きつけられ、体の感覚が消えた。青空を見上げながら、またもや意識が遠のいていった。
4,
ほっぺたが痛い。息が苦しい。重いものに潰されているような圧迫感と息苦しさ。
そして、暑い!
「お兄ちゃん! 何してんの!」
この声は……妹のシオン。またかよ。俺は生きているのか?
「寝ぼけてないで早く起きなさいよ! 今日、入学式なんでしょ? 遅れるよ!」
目を開けると、シオンの足の裏とスカートの中を見上げていた。足が俺の顔に振り下ろされた。
「ぐほっ!」
「あ、起きた」
「人の顔を踏むな! 良心が痛まないのか!?」
シオンが俺の顔から足をどかしたので、俺はベッドからガバッと身を起こした。どう見ても俺の部屋。カーテンは開いていて、朝日が差し込んでいる。
「俺……死んだんだな」
「何言ってんの? 殺される夢でも見てた?」
「いや、信じられないだろうが、夢じゃなく、もう三回も死んだんだ」
「はあ? お兄ちゃん、高校じゃなくて病院行ったほうがいいんじゃない?」
自分の体や顔を手で触ってみたが、やはり傷も痛みもなかった。スマホを確認すると、四月十日、七時四十五分。
死ぬと、この日時に戻ってくるらしい。
「なるほどな。完璧に理解したぞ」
「こわっ……今日のお兄ちゃん、なんかこわっ……」
「シオン、今日は俺の高校の入学式だよな」
「昨日、自分で言ってたじゃん」
「とりあえず、着替えて朝ご飯でも食うか」
「お兄ちゃんの分もキッチンに置いてあるから、どうぞ」
「サンキューな。いつもありがとう。シオンはいい妹だよ」
「は? な、何よ、急に……」
顔を赤らめて照れている妹の頭に、ぽんと手を置いて、
「着替えるから下に行っててくれ」
と上着を脱いでいく。
「う、うん……」
納得いかないような、ふわふわした様子で去っていく妹。
俺はご飯と味噌汁と目玉焼きを食べながら、どうするか考えることにした。そんな俺を、シオンが黙って見ていた。心配してくれているのか。
死ねば何度でも同じ朝からやり直せるのかもしれないし、もしかしたら回数制限や条件があるのかもしれない。
もう一度、美少女との運命的な出会いにチャレンジしようか? 何回もやれば、いつかは本当に運命的な出会いが起こってもおかしくない。
だけど正直、もう死にたくない。次もこの朝に必ず戻って来られるという保証はないのだ。死んだら本当にそれっきり目覚めない、という可能性もある。それに、死が迫ってくるときの、絶望感や凍えるような寒さは、何度も味わいたいものではない。どういう死に方をするにしても、繰り返しているうちに精神が病んでしまうのではないか。
加えて、女子に嫌われたり、敵視されたり、軽蔑されたりするのは、辛いものがある。カオルが俺を追い払おうとしたように、俺を拒絶する女子もいるだろう。運命的な出会いのために、あんな辛い思いを何度も何度もしなきゃならないとしたら、一生童貞で過ごすのも、アリかもしれない。
「お兄ちゃん、大丈夫?」
シオンの気遣いが素直に嬉しかった。
「なあ、俺ってキモいか?」
「ちょっとね」
「どんなところが?」
「女子を下心アリの、やらしい目で見てるところ」
「正直に言ってくれてありがとう」
妹だけあって、よく分かっているなぁ……。
決めた。普通に登校して、平凡な三年間を過ごそう。
そうしたら、肩の荷が下りたような気がして、何だか楽になった。考えてみれば、それは最初の人生と同じ。プラスマイナスゼロ。少なくとも、悪化はしていない。
ふと一つ、気がかりなことを思い出した。
俺が何度か素通りした、あの婆さんのことだ。
あの婆さんが、あの時あの場所で転ぶのを知っているのは、もしかしたらタイムリープを経験した俺だけかもしれない。そう思ったら、俺がやらなきゃいけないような気がしてきて、食事の途中にもかかわらず、椅子から立ち上がっていた。
「ちょっと用事があるからもう行ってくる」
「朝ご飯は?」
「残りは入学式から帰ってきたら食べる」
「分かった。いってらっしゃい」
俺は自転車を走らせた。朝ご飯を食べていたせいで前回より出発が遅くなった分、ペダルを強く漕いでスピードを上げる。風を切って走りながら思う。このタイムリープを利用すれば、本当に美少女と運命的な出会いができるかもしれない。他にも、宝くじを買って大儲けするといった使い方もできるかもしれない。なのに結局、やることは、見知らぬ婆さんを助けることだけ。バカみたいだ。なんて勿体ないことをしたんだと、卒業の日に後悔するかもしれない。
自分のバカさ加減に、自然と顔が笑ってしまう。何をやっているんだか。
でも、それでいいんだ。もう決めたことだから。
せっかくもらったタイムリープの力で、自分の手の届く範囲の世界を少しだけ――ほんの少しだけ良くする。いや、実際は何も変わらないかもしれないが、俺はそれで満足だ。待ってろ、婆さん。
あの横断歩道が見えてきた。婆さんは……今まさに横断歩道に差し掛かろうというところだった。間に合いそうだ。俺は急ブレーキをかけ、愛車を投げ出すように街路樹に立てかけ、カギもかけずに婆さんの元へ走った。
今までもそうであった通り、婆さんが横断歩道の途中で体勢を崩す。俺は絶妙なタイミングでそばに駆け寄り、その老体を支えた。婆さんの持っていたカバンは、手を離れて落ちてしまい、中身が散らばった。そっちまで完璧に受け止めるのは、俺には無理だった。
「大丈夫ですか」
念のため、そう声をかけると、婆さんは「大丈夫。すまないね。ありがとうございます」と言った。
俺は婆さんと一緒に、散らばった荷物を拾い集める。
心の中で「何度もスルーしてすまんかったな」と謝った。
すると、誰かが「手伝います」と言って、隣にしゃがみこんできた。俺と同じ高校の制服を着た女子生徒。この女子、確か名前は……椎名。フルネームは覚えていないが、同じクラスの存在が希薄な地味子ちゃんだ。教室の隅で、いつも静かに読書をしていたような気がする。
前髪が長く、片目が隠れていて、あまりしっかりと顔を見たことがなかったのだが、このとき間近で見た椎名の横顔は、案外可愛かった。
俺たちは婆さんを歩道まで連れていき、家が近くだと言うので、流れで自宅まで付き添った。俺も自転車のカゴに婆さんの荷物を入れて一緒に歩いた。
婆さんに礼を言われて別れたとき、入学式の集合時間まであまり時間がなくなっていた。俺は自転車に乗っていけばギリギリで間に合いそうだったが、椎名は徒歩なので確実に遅刻になる。
そういえば、入学式に遅刻したアホウが一人いたはずだが、それは椎名だったのではないか。思い返せば、女子生徒だった気がする。なるほどな。もしも婆さんを助けたせいで遅刻になったのなら、ちょっと不憫だ。
だから俺は唯一の遅刻しない方法を提案してみた。
「よければ、後ろに乗ってくか? 入学式、歩きだと確実に遅刻だろ?」
「いいの……?」
「ホントは良くない。警察に怒られるかもしれん。でもそうしなきゃ間に合わないだろ?」
椎名は数秒間、迷っていたようだったが、「後ろに乗せてもらってもいいですか」と言った。
「乗り心地は保証できないが」
椎名のカバンを受け取り、カゴに入れ、先にサドルにまたがった。荷台に椎名が座り、俺の肩に両手を置く。思えば、女子と二人乗りするなんて初めてのことだから、体がむずむずした。椎名の手が制服ごしに肩に触れているだけで、なんだか幸せな気分だ。
「じゃあ、行くぞ」
俺は緊張しているのを悟られたくなくて、振り向かずに言った。
「秘密ですね」
すぐ後ろから椎名が囁いた。何のことか分からなくて、聞き返す。
「秘密?」
「初日から二人乗りで学校へ行くなんて、誰にも言えない、私たちだけの秘密です」
ドキッとしたのを誤魔化すように、俺はペダルを漕ぎ出した。
だが一人で乗るのと違って、バランスを取るのが少し難しい。ちょっとふらついた拍子に、椎名が俺の肩に置いていた手を、腰に回してしがみ付いてきた。
「ちょっ……!?」
驚いて一旦停車。椎名の手が離れる。
「あのあのあの、ごめんなさいっ! こわくて、つい……」
「い、いや、いいよ、別に、それでも。そのほうが安定するだろうし……」
なんとなく気まずい空気の中、椎名が「じゃあ、ちょっと、失礼します」と控えめに言って、俺の腰に手を回した。「お、おう」と俺は答えたが、椎名の体が密着しているせいで、体が宙に浮いているような感覚だった。
「今度こそ出発するぞ」
「お願いします」
そうして、俺たちは学校に向かった。火照った顔を撫でていく春風。途中、どちらも何もしゃべらなかった。
式にはギリギリで間に合って、俺たちは二人だけの秘密を胸に秘めたまま、静まり返った体育館の、それぞれの席に着いた。
入学式の開会が宣言される。
俺は今度こそ、今までとは少し違った高校生活が送れるような気がした。
<おわり>