第四章
第四章
関所にやってくると、気丈な志津もさすがに緊張した。
女だと露見すれば、たちまち死罪である。見破られてはならぬ。
関所の係官にじいいっと見つめられ、志津はすくみあがりそうになった。
係官は志津を見て、娘のような美少年だなと思った。
もしや、男装して江戸を出ようとする大胆不敵な女ではあるまいか。
「仇討ちとな?」
係官は手形を検分しながら言った。手形は、本物であった。女かと思ったのは考えすぎであろうかと、係官は志津を見た。志津は、内心の怯えを隠して、精一杯強気に答えた。
「はい。父方の曾祖父の従兄弟の孫の養子の姪の再従兄弟の子供にあたる清川長兵衛が、目加田刀十郎という悪逆の侍に無惨に殺され、その仇を討ちに参ります」
「……殺された者の縁故を、もう一度言ってくれんか?」
「父方の曾祖父の従兄弟の孫の養子の姪の再従兄弟の子供」
「……」
係官の眉が寄った。
「他人ではないか?」
「とんでもございません。遠縁ではございますれど、清川長兵衛はたしかにそれがしの縁者。仇を討たねばなりませぬ」
係官は首を捻った。物好きな、という目で志津を見る。
「清川長兵衛は、義に厚い立派な武士でございました。それが、悪逆非道の腐れ侍に無惨にも斬り捨てられたのでございます。通りすがりの関わりなき婦女子を助けるため、悪党の凶刃に倒れたのでございます。この無念を晴らさずして、どうしましょう」
実際、生真面目な志津は、清川千太郎のホラに、憤りを感じていた。本当は男色夜這いの返り討ちという、なんとも情けない、自業自得のような長兵衛の死であったわけだが、志津にそんなことを知る由はない。
志津の訴えに、係官は、この若侍は少年らしい正義感から、他人に等しい縁者の仇討ちに燃えているのだろうかと思った。
ほっそりした美少年。はたしてこれが、凶悪な仇の侍に勝てるのだろうか。係官は、正義感厚い少年を、みすみす死なせるのが哀れになった。
「最近は、偽手形やら変装やらで、江戸を抜け出そうとする大胆不敵な女が増えておる」
係官の言葉に、志津は飛び上がりそうになった。
「そなた、清川政野助といったか、正直申して、女みたような男であるな」
「し、失礼な!」
志津は、震えそうになるのをこらえ、怒ってみせた。
「それがしを、女と申されるか! なんたる侮辱!」
もう、はったりをかますしかない。正念場。怯えを出してはならぬ。
「これが偽手形とお思いか! 関所を守る武士が、手形の真贋も見抜けぬのか!」
手形は本物だから、それで押し切るしかない。志津は手形を突きつけた。
「まあ、まあ」
係官は、憤る志津を手で制した。
「裸にすれば男か女かすぐに知れることではあるが、おぬしが男であれ女であれ、それは屈辱であろう。拙者も、そんな酷なことはしたくない。そこで、どうかな。拙者と一つ、手合わせしてみては」
「手合わせ?」
「そなたが見事、拙者を打ち負かせたら、男と認めよう。しかし、拙者に負けるようであれば、か弱い娘っ子だということだ」
係官の奇妙な申し出に、志津は唖然となった。
「そんな……そんなことで、私が男か女か、見極めようというのか?」
志津は立ちつくした。武士と手合わせなどしたら、きっとかなわない。すると係官は言った。
「負けるのが怖いか? ならば、裸に剥いても良いのだぞ」
裸にされては、どうしようもない。志津は、係官の申し出を飲むしかなかった。
係官は、志津を負かし、仇討ちに行かせないつもりだった。この少年がもう少し成長して強くなったら、その時は気持ちよく仇討ちに旅立たせてやろう。
手合わせといっても、殺し合うわけではない。係官は、竹刀を取り出した。志津は、渡された竹刀を握りしめ、唾を飲んだ。
係官と対峙する。竹刀を構える。女の志津は、立ち回りなどはじめてである。しかし負けるわけにはいかない。
志津の構えを見て、係官は、これは駄目だな、と見当がついた。
「……参るっ!」
係官は間合いを詰め、上段から竹刀を振り下ろした。志津は、飛び退いた。
ふむ、剣の腕は無さそうだが、身軽ではあるようだ、と係官は思った。係官は向き直ると、再び竹刀を放った。志津は、かろうじてそれを自分の竹刀で受けた。
係官の竹刀が、三度放たれる。今度は受けられず、志津は脇腹に一撃を受けた。
「あうっ」
志津は悲鳴をあげた。殴られたのは、はじめてである。痛い。
「そら、どうした?」
係官の竹刀が飛ぶ。彼の攻撃の三本に一本は、志津に打ち当たった。
「これが真剣なら、そなたはとうに死んでおるぞ!」
志津がなかなか降参しないので、係官は苛立った。頑固な小僧だ。
志津が降参しないのは、当然であった。彼女は、この手合わせに負ければ死罪になると思っていた。係官は、志津が負けても死罪にするつもりはなかったのだが、女の身で江戸から抜けようとしている志津には、係官の温情など分かるはずもない。
負けられない! 死ぬわけにいかない!
志津は係官をはったと睨むと、自らの竹刀を投げつけた。竹刀を投げつけるなど、剣道の心得にはない。係官はたじろいだ。その隙を、志津は見逃さなかった。
「うあああ!」
声をあげ、志津は係官に体当たりをした。虚を突かれ、係官は倒れた。志津は彼の手から、竹刀をもぎ取った。係官に馬乗りになり、竹刀の先を彼の喉元に突きつける。
「……どうだ?」
志津は、係官を見下ろして言った。
「勝っちゃったぞー!」
志津は、意気揚々と関所を後にし、得意満面であった。
なんと、女でありながら、しかもはじめての手合わせで、武士を相手に一本取ったのだ。これが得意にならずにいられようか。
「私ってば、強いのかもしれないわ」
上機嫌の志津の足は、自然弾む。腰の刀を抜き、「悪党、目加田刀十郎、覚悟ぉーっ! この清川政野助が成敗してくれるぅっ!」などと叫びながら、道端の草をなぎ払う。付近に人がいれば、危なっかしくて大迷惑なところである。
志津は刀を振り回した。切られた草が風に舞う。スパスパッと切れ味の良い刀が、心地よかった。
すっかり男になったつもりの志津。悪党を討ちにいく正義の若侍という役に酔う。
日暮れて、志津は峠にさしかかった。
人気のない、暗い山道。以前の志津であったなら、少し不安になったかもしれない。だが、男気分で勝利にご満悦の今の彼女は、寂しい夜道をなんとも思わなかった。
やがて志津の前に一件の茶屋が現れた。
「もう遅いし、今日の旅はこの辺にして、茶屋で休んでいくとしよう」
志津は、茶屋に入った。
「いらっしゃい」
茶屋の娘は、志津を見て頬を染めて接待した。娘が志津に赤面し口ごもるのを、志津は戸惑ったものの、悪い気はしなかった。
ふむふむ、やはり私の男ぶりは、まんざらではないようね。
志津が娘に微笑みかけると、娘は真っ赤になって奥に引っ込んでしまった。志津は小娘を手玉にとることに少し優越感を抱き、可笑しくなった。
娘が引っ込んでしまうと、志津は一人きりになった。この茶屋には、娘一人しかいないのだろうか。
「あー、これこれ娘。戻ってまいれ」
志津が奥に向かって呼びかけると、娘はおずおずと顔を出した。
「今夜はここに一泊したいのだが、主人はおるか? この店には、娘、おぬししかおらんのか?」
「あ、はい。あの。父は、今、薪を取りにいっておりまして。あの」
しどろもどろに娘が答える。
「そうか。すると今、ここにはおぬしと拙者の二人きりというわけだな」
「二人きり……」
またまた、娘の顔が真っ赤になった。志津は、笑い出しそうになるのを押さえた。
可愛い娘だな。
仇討ちに殺気立っていた志津は、純情可憐な娘に和んだ。
「おうおうおうおう」
柔らかい雰囲気が、男の野卑た声でかき消された。
柄の悪そうな男が、茶屋に入ってきた。娘は、怯えたようにすくんだ。志津は眉を寄せた。
「おう、何ボサッとしてやがる! ここは茶屋だろうが。茶の一つも出しやがれ」
男が、娘に怒鳴る。娘は青くなりながら、茶を持ってきた。娘の手は震えていて、茶を差し出す時に、男に少しかかってしまった。
「このやろう、粗相しやがって!」
茶をかけられた男は叫ぶと、娘を張り飛ばした。志津は目を見張った。
「すみません、すみません」
娘が痛みと恐怖で震え上がって手をつく。男は笑って言った。
「小娘が! 茶代は払わねえからな!」
なんという横暴。志津は立ち上がった。
「些細な粗相で大の男が娘を殴りつけて。そのうえ、茶代の踏み倒し。貴様、それでも男か!」
志津は、娘を庇うように立ちはだかった。以前の志津ならば、こんな場合は怒るよりも怯えてしまっていただろう。しかし、先に関所の係官を相手に一本取った勝利の酔いが、まだ志津の心に残っていた。
私は強い。
その優越が、彼女を強気にしていた。
「ああん?」
男は、馬鹿にしたように志津を見下ろした。
「こわっぱ侍か。なよとしてやがる。女じゃねえのか。男か女か、確かめてみるか?」
男が、ゲラゲラと笑った。志津は怒りに熱くなった。すらりと腰の刀を抜く。志津が真剣を取り出したので、男は笑うのをやめて少し身じろいだ。
「出て行け、下郎。さもなくば、斬る」
低い声で言う。男は、青くなった。真剣を出して凄まれた途端、威勢が無くなる。小物が、と志津は内心嘲った。
「お侍さま……」
娘が、驚きと怯えのなかにも、すがるような甘えるような目で、志津を見る。
可憐な娘を庇い、無法者を追い払う若侍。今、私、すごく格好良いわ……志津は、我ながらそう思った。
男は、刀を構えた侍に、もう逃げ出さんばかりだった。ちょっと斬りつけてやれば、脱兎のごとく駆け出すだろう。娘を殴ったことだし、皮一枚くらい斬ってやるか……志津は優位の余裕から、そんなことを思った。
「やい、どうした、小介」
そこへ、横幅の広い男が現れた。小介と呼ばれた下郎同様、柄が悪そうである。
「あ、兄貴」
小介は、兄貴分の登場に、安堵したような声をあげた。
「助けてくださいよ、兄貴。この若侍が、刀なんか出してきたんですよ」
小介が、親分に泣きつく。親分は志津を一瞥して、呆れたように息をついた。
「こんな小僧相手に、震えあがりやがって……しょうがねえなあ」
小介は親分の後ろに隠れ、親分は志津の前に立ちはだかった。真剣を突きつけられても、びくともしない。
この男……。志津は、唾を飲んだ。こいつ、強いのかもしれない、と怯えそうになり、志津は首を振った。私だって強い。こんな下郎風情に負けるものか。
志津は、勝利に慢心していた。自分が正義だという酔いもあった。
「新手の下郎か。刀のサビになりたくなくば、退散するがよい」
志津は威勢良く、男に言った。男は笑った。志津は頭に来た。
「では、斬って捨ててくれる!」
志津は男に斬りかかった。すると男は難なく刃をかわし、志津に足払いを食わせた。
「あっ」
志津は、簡単に倒された。男が、志津の手から真剣を取り上げた。あっと言う間だった。
男は、志津の喉元に切っ先を突きつけた。志津は呆然となった。
「さすが兄貴!」
子分が、手を打って喜ぶ。すると親分は言った。
「こんな弱い小僧に怖じ気づきやがって……」
「へへ、すんません。刀にびびっちまったんで」
小介は志津を睨むと、拳で彼女の頬を張った。志津の目から火花が散った。
「お侍さま!」
娘が、悲痛な声をあげるが、どうすることもできない。
小介は志津の胸ぐらを掴んだ。
「この小僧……なぶり殺しにしてやるからな」
小介の目が、凶暴に光る。優位になるや、途端に残酷になる男のようだ。ぞっとした。志津が逃げようともがくと、親分が押さえつけた。
「痛い!」
食い込む指に、志津は思わず声をあげた。まるでかなわない。
突きつけられた剣。男の力。痺れる頬。志津は、怯えた。
怖い。
男が、また拳を振り上げた。殴られる! 志津はすくみあがって、目を閉じた。
ドオン!
突如響いた轟音に、志津は目を開いた。
下郎二人も、娘も、驚いていた。
見ると、銃を構えた初老の男が立っていた。
「お父さん!」
娘が叫んだ。銃を持って登場した男は、娘の父親であった。
父親は、銃口を下郎たちに向けた。
「出て行け!」
鋭く一喝する。
「あ、兄貴……」
小介は再び怯えた小物になり、親分を見た。親分は舌打ちした。さすがに銃には勝てないらしい。父親が引き金に指をかけたのを見て、親分は志津を離すと出ていった。その後を、小介が追う。
下郎どもがいなくなり、弛緩した空気が流れた。
「お父さあん」
恐怖から解放され、娘は父親に取りすがった。安心したのか、父親に抱きついて泣く。父親はよしよしと娘の頭を撫でた。志津は、へなへなとその場に座り込んだ。
「大丈夫ですかな、お侍さん」
父親が、志津に手をかした。
彼の大きな暖かい手を握り、固まっていた志津の心に、安堵が生まれた。
怖かった……でも、もう、大丈夫なんだ……。
志津の目に涙が溢れてきた。
「おやおや」
少年少女に泣きつかれ、父親は戸惑ったように微笑んだ。
峠の茶屋は人里離れて物騒なので、護身用と狩猟用を兼ねて、銃を用意してあるのだという。タチの悪い客は時折いるらしい。とはいえ、銃を使って追い払ったのは、今回がはじめてだそうだ。
志津は傷の手当を受け、茶屋に一泊していくことになった。
翌朝、志津は茶屋の親子と顔を合わせるのが、気恥ずかしかった。親子は志津に礼を言ってくれたが、結局志津は何も出来なかったのだ。それどころか、助けて貰った父親にすがって、わあわあ泣いてしまった。
恥ずかしい……私は全然、強くない。
志津は、己の非力さを痛感した。
「道中、お気をつけて、お侍さま」
別れ際、娘は言った。彼女は志津に好意を持ってくれているようだが、その目からはもう、すがるような甘えるような色はなくなっていた。志津の頼りない所を見て、依存心が消えたのだろう。志津は、寂しく、情けなく思った。
強くならなくてはならない。志津は、心に決めた。