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仇討ち騒動記  作者: dydy
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第三章

第三章


「大変なことになっちまったよおおう、夕顔ぉぅ。他人同然の遠縁すぎる者の仇討ちを、押しつけられちまったんだよおおう」

 政野助は、馴染みの遊女、夕顔に泣きついた。

「相手は、免許皆伝の腕前で、凶悪で、人を殺した奴なんだよう。そんな男に、勝てるわけねえよう」

 夕顔の白い豊満な胸に顔を埋めて泣く。戦う前から、負けると決めてかかっている。ホント情けない男だねと思いながら、夕顔は政野助の頭を撫でた。この情けない所が可愛くもあるのだ。

「どうしよう、夕顔。俺、死にたくない」

 政野助はしゃくりあげながら、夕顔の柔らかい胸に頬ずりした。いつもならこうしていると有頂天なのだが、政野助は怯えきっていた。

「清川は仇討ちを押しつけて逃げるし、志津の奴は大義名分を果たせと背を押すし……畜生、人の気も知らねえで……。大義なんか知るかよ、馬鹿野郎。相手見てもの言えってんだ」

 政野助はせっぱ詰まってしまっていた。一度仇討ちを引き受け、金まで貰ってしまったのである。愚痴をこぼせるのは、夕顔くらいしかいなかった。夕顔は、よしよしと政野助の頭を撫でながら言った。

「だったらさあ、もう、トンズラしちまえばいいじゃないか。アタシと一緒に逃げようよ」

 夕顔の言葉に、政野助は顔をあげた。

「トンズラ?」

 きょとんと、政野助は夕顔の綺麗に化粧した顔を見返した。夕顔は気怠く頷いた。

「そ。そんな、他人のために命かけることないじゃない。金貰ったんでしょ? だったら、アタシを遊郭から出せるじゃない。金持って、逃げちゃえ」


 朝から、政野助の姿が見えない。

「兄様ぁ」

 志津は兄を探したが、長屋中どこを見ても、彼はいなかった。

 もう、仇討ちに旅立ったのだろうか。

「私に一言もなく、出ていくなんて……」

 志津は首を傾げた。室に戻る。清川から貰った金はなくなっている。すると、やはり仇討ちに行ったのだろうか。

 あの兄が、大人しく仇討ちに出立……ちょっと、信じられないような気がする。仇、目加田刀十郎の腕前を聞いてから、すっかり怖じ気づいていたようなのに。

「ああ、兄様もついに、武士の道に目覚めたのかしら」

 志津は嬉しくなって微笑んだ。強い相手に立ち向かっていく。義のため、命をかける。これぞ武士道。

 無事本懐を成し遂げ、江戸に戻れば、兄には仕官の口が待っている。旗本になった兄を想像し、志津は可笑しくなって少し笑った。

 と、その可憐な笑顔が凍り付いた。

 関所を通る手形を発見したのだ。

 なぜ手形が長屋に残っているのか。手形がなくては、江戸を出られぬ。兄は、江戸から出ていない。仇討ちには行っていない。なのに、金はない。

「……」

 いくらなんでも。

 志津は頭を振った。金だけ持って遁走など、いくらなんでも、武士の道理にもとる。

 しかし、志津は完全に兄を信用できなかった。首を振ったものの、心底では兄ならやりかねない……と考えていたのである。

 武士道に目覚め、義のため他人の仇討ちに行く兄など想像しづらいが、金を持って遁走する兄なら、容易に想像できる。

 志津は、不安でいっぱいになりながら、花街に向かった。長屋にいなければ、兄が行きそうな所といえば、花街くらいしかない。

「夕顔さんの所にでも行ったのかしら……」

 もし、夕顔もいなかったら……志津はまた首を振った。考えたくない。

 しかし、志津の儚い希望も空しく、政野助が今夢中になっている遊女、夕顔は遊郭から足抜けしていた。その金を払ったのは、政野助であるという。もちろん、二人はいなかった。

 志津は、貧血を起こしそうになった。

 疑いは確定した。

 兄は、金を持って女と遁走したのだ。

 なんという……。兄は昔から、逃げ足だけは速かった。

 政野助が、夕顔と手に手を取って、江戸の町を遁走する姿が、目に見えるようであった。

 金だけ貰って……。

「にーいーさーまー! あなたは、それでも、武士ですかあああ!」

 あまりにも政野助らしい行動に、志津は怒るよりも呆れて叫んだ。


 貧乏長屋の無人の自室に戻り、志津は倒れるように座り込んだ。

 あああ。どうしたら良いのであろう。

 まさか兄が、こんな恥知らずな、武士の風上にも置けぬ振る舞いをするとは。一旦引き受け、金まで貰ってしまった以上、今更仇討ちを断ることは出来ぬ。せめて金が残っていれば、清川に金を返し、頭を下げて仇討ちをお断りできたものを。

「どうしてくれるんですか、兄様ああ……」

 恨み言を言っても、兄はもういない。

 しかし、仇討ちには行かねばならぬ。とにかく誰かが行かねばならぬ。真面目な志津には、軽薄な兄と違って、約束を違えたり遁走したりする頭など無かった。

 仇討ちはしなくてはならない。とはいえ、一体誰が、他人の仇討ちになど行ってくれるというのか……。長屋の室を見回す。志津一人きりである。

「私が、私が仇討ちに行かなきゃいけないの……?」

 女が仇討ちをするなど。志津は目眩がした。いや、そもそも、女では江戸を出られぬ。入り鉄砲に出女は、固く禁じられている。どうしたらいいのか。

 手形はある。兄の振りをして男装し、江戸を出るしかあるまい。

「男装……」

 志津は、軽いときめきを覚えた。

 うっかり者の兄と、しっかり者の妹。不甲斐ない兄の面倒をみてきて、志津は子供の頃から、ああ私が男であったらと、ため息をついてきたものだ。男になり、情けない兄に代わって、剣の腕を鍛え仕官し、出世する。何度となく、そんな儚い空想をした。

 降るような縁談を断り続けたのは、兄が心配であったと同時に、男になりたいという願望があったからかもしれない。

「男装か……。悪くないかもしれないわね」

 呟く志津の口元には、微笑みさえ浮かんでいた。


 姿見を覗き込むと、そこには小姓に取り立てられそうな侍姿の美少年がいた。志津は、自分の男装姿に見入った。

「男にしてはちょっと細すぎるようだけど、なかなか似合ってるじゃない」

 志津は口を押さえた。いけない。これからは男でいくのだから、女言葉など遣っては。

 志津は胸を張り、表情を固くした。

「凛々しいぞ、清川政野助」

 志津は、低い声を出して、鏡の中の自分に言った。自惚れでなく、硬質の美貌の志津は、男装がよく似合って、凛々しかった。志津の体つきが華奢で、夕顔のように豊満で起伏に富んでいないのも、男装に一役買っているようであった。

 まったく、惚れ惚れするような男ぶりである。志津は、自分は振り袖よりも侍姿のほうが似合うのではないかと思った。ばっつり切った長かった髪にも、未練はなかった。

 志津は細い腰に刀を差し、手形を握りしめた。

「いざ、仇討ちに参る!」

 すっかり男の気分になって、志津は勇ましい足取りで、長屋を後にした。


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